<第三講> 事例研究(三)シドニー・ビエンナーレ


1.第十六回シドニー・ビエンナーレ―革命―倒立するかたち

・「シドニー・モーニング・ヘラルド」

Biennale - Arts - Entertainment - smh.co
http://www.smh.com.au/entertainment/arts/biennale/

・公式サイト

Biennale of Sydney Advance Launch, March 2008
http://blog.bos2008.com/topics/vodcast/

・トイレ・グラフィティも登場、第16回シドニービエンナーレ(AFP BBニュース)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2407010/3047254


2.シドニー・ビエンナーレの歴史

(図版はモノクロ複写/現物は青を基調としたマチスの切り紙風)

1973年

第一回展=副題なし

コーディネーター=アンソニー・ウィンザーボザム(Anthony Wintherbotham)


[図録未入手]

1976年

第二回展=「近年の美術の国際形式(Recent International Forms in Art)」

芸術監督=トマス・マッカロー(Thomas G. McCullough)



1979年

第三回展=「ヨーロッパとの対話(European Dialogue)」

芸術監督=ニック・ウォーターロー(Nick Waterlow)

(参加国)=アイスランド/アメリカ合衆国/イギリス/イタリア/オーストラリア/オーストリア/オランダ/スイス/スペイン/フランス/チェコスロバキア/西ドイツ/ニュージーランド/ユーゴスラビア/ハンガリー/東ドイツ/ベルギー/ポーランド

※図録には明記されていない


1982年

第四回展=「不信の展望(Vision in Disbelief)」

芸術監督=ウィリアム・ライト(William Wright)

参加国=オーストラリア/オーストリア/アルゼンチン/カナダ/コロンビア/フィンランド/フランス/西ドイツ/イタリア/日本/オランダ/ニュージーランド/ポーランド/スペイン/イギリス/アメリカ合衆国/ユーゴスラビア


1984年

第五回展=「個人の象徴/社会の隠喩(Private Symbol: Social Metaphor)」

芸術監督=レオン・パルワシャン(Leon Paroissien)

参加国=オーストラリア/オーストリア/ブラジル/イギリス/カナダ/チリ/コロンビア/デンマーク/フランス/香港/アイルランド/イタリア/日本/オランダ/ニュージーランド/ポーランド/スイス/アメリカ合衆国/西ドイツ/ユーゴスラビア


1986年

第六回展=「起源や独自性を越えて(Origins, Originality + Beyond)」

芸術監督=ニック・ウォーターロー(Nick Waterlow)

参加国=アルゼンチン/オーストラリア/オーストリア/イギリス/カナダ/チリ/キューバ/チェコスロバキア/フランス/インド/イタリア/日本/オランダ/ニュージーランド/パプアニューギニア/ポーランド/スペイン/スイス/アメリカ合衆国/西ドイツ/ユーゴスラビア


1988年

第七回展=「南十字星から―世界美術への視点 1940年頃から1988年(From the Southern Cross: A View of World Art c1940 – 1988)」

芸術監督=ニック・ウォーターロー(Nick Waterlow)

参加国=オーストラリア/オーストリア/ベルギー/イギリス/カナダ/西ドイツ/フランス/イタリア/日本/ニュージーランド/ポーランド/スイス/アメリカ合衆国/ユーゴスラビア


1990年

第八回展=「レディメイド・ブーメラン(The Readymade Boomerang: Certain Relations in 20th Century Art)」

芸術監督=ルネ・ブロック(René Block)


1992/3年

第九回展=「越境者(The Boundary Rider)」

芸術監督=トニー・ボンド(Tony Bond)


1996年

第十回展=「ジュラ紀の技術/亡霊(Jurassic Technologies Revenant)」

芸術監督=リン・クック(Dr Lynne Cooke)


1998年

第十一回展=「日々(Every Day)」

芸術監督=ジョナサン・ワトキンス(Jonathan Watkins)


2000年

第十二回展=副題なし

国際選定委員会=ニック・ウォーターロー(Nick Waterlow:委員長)、南條史生、ルイーズ・ネリ(Louise Neri)、ヘッティ・パーキンス(Hetti Perkins)、ニコラス・セロータ卿(Sir Nicholas Serota)、ロバート・ストー(Robert Storr)、ハラルド・ゼーマン(Harald Szeemann)


2002年

第十三回展=「(世界は多分)幻想的((The World May Be) Fantastic)」

芸術監督=リチャード・グレイソン(Richard Grayson)


2004年

第十四回展=「理性と感情(On Reason and Emotion)」

芸術監督=イザベル・カルロス(Isabel Carlos)


2006年

第十五回展=「接触域(Zones of Contact)」

芸術監督=チャールズ・メアウェザー(Dr Charles Merewether)


2008年

第十六回展=「革命―倒立するかたち(Revolutions - Forms That Turn)」

芸術監督=キャロライン・クリストフ=バカルギエフ(Carolyn Christov-Bakargiev)


3.ジョナサン・ワトキンスへのインタビュー抄訳

"Jonathan Watkins," Biennale of Sydney 2000: 12th Biennale of Sydney (Sydney: Biennale of Sydney, 2000):187-190.

ジョナサン・ワトキンス/藤川哲訳

展覧会を構想するにあたり、先ず好きな作家をリストアップした。その後、調査対象を拡げて、より地球的な観点に立って拡充していった。展覧会のテーマは、文化理論からではなく、美術家たちの作品から引き出されたものだ。ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーのために企画したフィッシュリ&ヴァイス展の際、日常の「あたりまえさ」について美術家たちと対話したことがヒントになっている。直観的なものを具体的な調査によって検証していった。日本やブラジルやアフリカ、ニュージーランドでも同じことが言えるのか確認してみなければならなかった。国と国とを横切る時にこそ、面白い考えを展開させることができた。環境保全、創造性、地域性、子どもの視点、これらのすべては直接的な関与や対話を志向している。

日常性に力点を置いたのは、ちょうど二千年紀の記念すべき年を目前にしていたからでもある。それにすり寄るのでなく、批評することを目指した。

最も良かったのは、展覧会以外の部分をもビエンナーレの一部に取り込むことができた点だ。ニューサウスウェールズ美術館から現代美術館へ、そしてまた植物園へと移動する間のすべての知覚を、ビエンナーレの一部とすることに成功したのではないだろうか。現代の美術は、環境の中にすっかり溶け込んでしまっている。かつてのような、ここまでが作品だ、という境界線の感覚はなくなってしまった。私たちの美術体験は、より全体的で環境的なものになってきているのだ。私のビエンナーレは、1990年のルネ・ブロックの回と親近性を持っている。ルネの図録の表紙に掲げられた「美術は簡単だ」は、私の「日々」と通じるものがある。

なるべく多くの美術家を海外から呼んで、オーストラリアの美術家たちと同じ会場で仕事をさせることがとても重要だと思う。海外の作家たちは、知られていない情報を国内美術家のコミュニティにもたらすと同時に、また美術家の視点で見たオーストラリアの姿を海外へと伝える。そうした交流は個人的でごく限られたレベルのものだが、それこそが真の国際交流なのだ。
ビエンナーレが増えていることは、同質化を意味しない。本当に意味しているのは、きっとそれ以外のことだ。より多くの人々が旅行者となって、さまざまな文化と交流し、そうした交流がますます直接的なものになってきている。このことは、ビエンナーレと対立しない。そうではなく、ビエンナーレの性質を変えていくようなものだろう。

私のビエンナーレの前提は、作品と直接対峙すること、そして1つの作品の隣に他の作品が置かれていること、そうした場の感覚や体験は、他の何によっても代替することができない、ということだった。美術家がある都市へやってきて、そこで彼、彼女たち独自の関わり方で作品を制作したり、反応や意見を返してくれる。こうしたことは、今も昔も変わらず知的な刺激に満ち満ちている。ビエンナーレの増加は、むしろ健康的な兆しだ。シドニーで開催されているということ自体に大きな意味がある。シドニー・ビエンナーレが、ほかの場所でも可能だと考えるのは大きな間違いだ。

新世紀のビエンナーレがどこへ向かっているのかを予言するのは不可能だが、美術家とキュレーター、そして観客の関係が変化していくのは確実だろう。観客はこれまでのように受身ではなくなり、より自由になっていくはずだし、キュレーターもまた、もはや単なる「選ぶ側」ではいられないだろう。美術家たちも特別な人種ではいられない。そしてビエンナーレは、こうした変化を反映させていくことになるだろう。