THE ハプスブルク

国立新美術館 二〇〇九年九月二十五日―十二月十四日
京都国立博物館 二〇一〇年一月六日―三月十四日


展覧会の構成

T. ハプスブルク家の肖像画

U. イタリア絵画

V. ドイツ絵画

W. フランドル・オランダ絵画

X. スペイン絵画

Y. ウィーン美術史博物館の宮廷武具コレクション

Z. 美術収集室の美術工芸品

特別出品


展覧会図録の構成

ごあいさつ

メッセージ

謝辞

ウィーン美術史美術館絵画館の歴史|カール・シュッツ

ブダペスト国立西洋美術館古典絵画館の歴史|バログ・イロナ

ウィーンの美術収集室の歴史|サビーネ・ハーグ

図版・解説

重厚な外観、軽快な画面―近世絵画史からみた初里帰りの画帖と蒔絵棚|山下善也

ハプスブルク・コレクションの開祖ルドルフ2世とその周辺|千足伸行

ティツィアーノ作《イル・ブラーヴォ》にみる「ティツィアーノらしさ」|小林明子

工芸のシンクロ―日本からみたハプスブルク工芸|久保智康

オーストリアに伝わるミカドの贈り物―明治新政府の文化外交|永島明子

作家解説

年表

関連地図

ハプスブルク家略系図

参考文献

出品目録


オーストリア、ハンガリーを代表する美術館

H-1. ウィーン美術史美術館

H-2. ブダペスト国立西洋美術館


T. ハプスブルク家の肖像画

1-1. ハンス・フォン・アーヘン《神聖ローマ皇帝ルドルフ2世》、1600-03年頃、油彩・カンヴァス、60.0×48.0cm、ウィーン美術史美術館

1-2. アンドレアス・メラー《11歳の女帝マリア・テレジア》、1727年、油彩・カンヴァス、94.0×75.0cm、ウィーン美術史美術館

1-3. フランツ・クサファー・ヴィンターハルター《オーストリア皇妃エリザベート》、1865年、油彩・カンヴァス、216.0×300.0cm、国家家財管理局 宮廷家財庫 ウィーン家具博物館


U. イタリア絵画

2-1. ジョルジョーネ《矢を持った少年》、1505年頃、油彩・板、48.0×42.0cm、ウィーン美術史美術館

2-2. ティツィアーノ・ヴェチェリオ《イザベッラ・デステ》、1534-36年頃、油彩・カンヴァス、101.8×64.5cm、ウィーン美術史美術館

2-3. ティントレット《オンファレの寝台からファウヌスを追い出すヘラクレス》、1585年頃、油彩・カンヴァス、112.0×106.0cm、ブダペスト国立西洋美術館

2-4. ヴェロネーゼ《ホロフェルネスの首を持つユディット》、1580年頃、油彩・カンヴァス、111.0×100.5cm、ウィーン美術史美術館

2-5. ルカ・ジョルダーノ《物乞い》、1650年頃、油彩・カンヴァス、119.0×98.0cm、ウィーン美術史美術館

2-6. グイド・カニャッチ《クレオパトラの自害》、1659年以降、油彩・カンヴァス、153.0×168.5cm、ウィーン美術史美術館

2-7. ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《聖母と6人の聖人》、1755-56年頃、油彩・カンヴァス、72.8×56.0cm、ブダペスト国立西洋美術館

2-8. ベルナルド・ベロット《フィレンツェのシニョーリア広場》、1742年、油彩・カンヴァス、61.0×90.0cm、ブダペスト国立西洋美術館


V. ドイツ絵画

3-1. アルブレヒト・デューラー《若いヴェネツィア女性の肖像》、1505年、油彩・板、32.5×24.5cm、ウィーン美術史美術館

3-2. ルーカス・クラナッハ(父)《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ》、1535年頃、油彩・板、87.0×58.0cm、ブダペスト国立西洋美術館

3-3. ヨーハン・リス《ホロフェルネスの首を持つユディット》、1595-1600年頃、油彩・カンヴァス、126.0×102.0cm、ウィーン美術史美術館


W. フランドル・オランダ絵画

4-1. バルトロメウス・スプランゲル《ヘルマフロディトスとニンフのサルマキス》、1580-82年頃、油彩・カンヴァス、110.0×81.0cm、ウィーン美術史美術館

4-2. バルトロメウス・スプランゲル《ケレスとバッコスがいないとヴィーナスは凍える》、1590-95年頃、油彩・カンヴァス、161.5×100.0cm、ウィーン美術史美術館

4-3. ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》、1614年、油彩・板、40.5×52.5cm、ウィーン美術史美術館

4-4. アンソニー・ヴァン・ダイク《ヤン・ファン・モントフォルトの肖像》、1628年頃、油彩・カンヴァス、114.5×88.5cm、ウィーン美術史美術館

4-5. ライスダール《アムステルダムの運河の眺め》、1660年代、油彩・カンヴァス、52.5×43.5cm、ブダペスト国立西洋美術館

4-6. ピーテル・デ・ホーホ《女と子供と使用人》、1663-65年、油彩・カンヴァス、64.0×76.0cm、ウィーン美術史美術館

4-7. ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ《ハム、オウムガイのカップ、シャンパングラス、銀のデカンタのある静物》、1654年、油彩・カンヴァス、105.0×146.5cm、ブダペスト国立西洋美術館


X. スペイン絵画

5-1. エル・グレコ《受胎告知》、1600年頃、油彩・カンヴァス、91.0×66.5cm、ブダペスト国立西洋美術館

エル・グレコ《受胎告知》の比較:《受胎告知》、1600年頃、油彩・カンヴァス、91.0×66.5cm、ブダペスト国立西洋美術館/《受胎告知》、1590-1603年、油彩・カンヴァス、109.0×80.0cm、大原美術館

5-2. ジュゼッペ・デ・リベーラ《聖痕を受けるアッシジの聖フランチェスコ》、1645-50年、油彩・カンヴァス、255.0×172.0cm、ブダペスト国立西洋美術館

5-3. ディエゴ・ベラスケス《白衣の王女マルガリータ・テレサ》、1656年頃、油彩・カンヴァス、105.0×88.0cm、ウィーン美術史美術館

5-4. ディエゴ・ベラスケス《皇太子フェリペ・プロスペロ》、1659年、油彩・カンヴァス、128.0×99.0cm、ウィーン美術史美術館

5-5. ムリーリョ《聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ》、1668-70年頃、油彩・カンヴァス、156.0×126.0cm、ブダペスト国立西洋美術館

5-6. フランシスコ・デ・ゴヤ《カバリェーロ侯ホセ・アントニオの肖像》、1807年、油彩・カンヴァス、105.5×84.0cm、ブダペスト国立西洋美術館


Y. ウィーン美術史博物館の宮廷武具コレクション

6-1. 《古代風歩兵パレード用の兜と円盾》、ミラノ、1560-65年頃、鉄、鋳造、彫金、鍍金、金銀象嵌、兜:高さ34.0cm、幅23.0cm、盾:直径60.0cm、ウィーン美術史美術館


Z. 美術収集室の美術工芸品

7-1. 《オウムガイ脚杯》、南ドイツ(ニュルンベルク?)あるいはストラスブール、17世紀前半、オウムガイ、銀、高さ30.8cm、長さ16.8cm、幅10.5cm、ウィーン美術史美術館

7-2. カストルッチ工房《橋の上にオベリスクのある風景》、プラハ、1610-15年頃、瑪瑙、碧玉、25.6×31.1cm、ウィーン美術史美術館


特別出品

S-1. 狩野永悳・住吉廣賢・服部雪斎・松本楓湖・歌川広重(三代)・豊原国周《風俗・物語・花鳥図画帖》2帖、東京、1869(明治2)年、絹本着色、本紙:36.2×30.0cm、総寸:42.3×36.2cm/松本楓湖「石橋」(下帖)

S-2. 《瑞穂蒔絵棚》《四季花鳥山水蒔絵棚》、江戸/東京、1869(明治2)年以前、木製、漆塗、蒔絵、瑞穂蒔絵棚:巾89.8×奥行き41.7×高さ81.0cm、四季花鳥山水蒔絵棚:巾64.1×奥行き35.2×高さ59.0cm


関連地図/小桧山祐幹・東海林洋編

M-1. 16世紀

M-2. 17世紀

M-3. 18世紀

M-4. 19世紀


THE ハプスブルク 関連年譜

  962年 オットー1世戴冠。神聖ローマ帝国成立。

1020年 スイスにハビヒツブルク(「鷹の城」の意)建造。のちにハプスブルクと呼ばれる。

1273年 ハプスブルク家のルドルフ4世、ドイツ王[ルドルフ1世]に選出。

1278年 ルドルフ1世、オーストリアを自領に加える。

1356年 神聖ローマ皇帝カール4世、「金印勅書」を公布し、皇帝選出権を持つ7選定侯からハプスブルク家を排斥。

1359年 ハプスブルク家のルドルフ4世(建設公)、偽書「大特許状」を作成し、7選定侯の上位に立つ、オーストリア大公を宣言。

1440年 ハプスブルク家のフリードリヒ5世、ドイツ王[フリードリヒ4世]に選出。

1452年 ドイツ王フリードリヒ4世、神聖ローマ皇帝[フリードリヒ3世]に即位。以降、ハプスブルク家が帝位を独占。

1453年 フリードリヒ3世、「大特許状」を帝国法に組み込み、オーストリアを大公国化。

1508年 マクシミリアン1世、初めてローマ教皇による戴冠式を行わずに神聖ローマ皇帝に即位。

1516年 マクシミリアン1世の孫、カール、後継者の絶えたスペイン王位を継承[カルロス1世]。スペイン・ハプスブルク家の成立。

1700年 カルロス2世死去により、スペイン・ハプスブルク家断絶。

1770年 マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネット、フランス国王ルイ16世と結婚。

1810年 フランツ1世の娘マリー・ルイーズ、ナポレオンと結婚。

1867年 オーストリア・ハンガリー二重帝国発足。

1918年 カール1世退位。オーストリア・ハンガリー二重帝国消滅。ハプスブルク王朝終焉。

参照:宮島綾子編「年表」、『THE ハプスブルク』展図録(読売新聞東京本社、2009年):250-253頁。