第二講 ウッチェルロ/マザッチョ
1.はじめに
2.ウッチェルロ
◆画人伝冒頭の記述(1)
「パーオロ・ウッチェルロは、遠近画法のことでいろいろと苦心して時間を費やした人だが、それと同じくらいの精力を人物の姿形や動物の画に費やしたならば、ジョット以来今日にいたるまでイタリアで生まれたもっとも軽妙かつ奇想に富める天才と認められたことであったろう。彼のした遠近画法の仕事は、なるほど工夫に富み美しいものではあるが、しかしそうした仕事にあまりに熱中し過ぎる人は、次々と時間を空費することになり、自然の性を労して痛め、折角の天分をひたすら難問解決に当てることとなってしまう。」(p. 47.)
・フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 2008/10/22 12:54撮影
1. ウッチェルロ《ジョン・ホークウッド騎馬像》、1436年、フレスコ、820×515cm、フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
◆画人伝より(1)
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ寺では、ジョヴァンニ・アクートというイギリス人で、フィレンツェ軍の傭兵隊長となり、1393年に死んだ者の記念として、騎馬像を描いた。緑土を使って描いた馬は実に美々しくて、途方もなく巨大で、その上に跨ったその傭兵隊長の姿は緑土の色を用いた明暗法で、その絵の周囲に枠が描いてあるが、その高さは10尋あり、絵は寺院の壁の中央にある。ウッチェルロはそこに遠近法で棺を描いたが、まるでその中に実際に屍体があるかのような印象を与えた。そしてその上に、騎馬に跨った、甲冑で身をかためた彼の姿を描いたのである。その絵はこの種の絵としてはもっとも美しいものと評せられ、今もそのように考えられている。」(p. 54.)
・フィレンツェ、ウフィツィ美術館
※画像ソース: http://ostetrica-foto.at.webry.info/200704/article_28.html2. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(ベルナルディーノ・デッラ・チャルーダの落馬)》、1438年 頃、テンペラ・板、182.0×323.0cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館
・ロンドン、ナショナル・ギャラリー
※画像ソース: http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b8/Nationalgallery.jpg3-1. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ)》、1438-40年 頃、テンペラ・板、182.0×317.0cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー
3-2. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ)》(部分1)
3-3. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ)》(部分2)
3-4. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ)》(部分3)
3-5. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ)》(部分4)
・パリ、ルーブル美術館
※画像ソース: http://bokufukei.up.seesaa.net/image/20070829_171720_1t_wp.jpg4. ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い(ミケレット・アッテンドロ・コティニョーラの参戦)》、1435年 頃、テンペラ・板、182.0×316.0cm、ルーヴル美術館
・オックスフォード、アシュモリアン美術館
※画像ソース: http://www.flickr.com/photos/ugardener/2901683732/sizes/o/in/photostream/5. ウッチェルロ《狩猟》、1460年代、テンペラ・板、65.0×165.0cm、オックスフォード、アシュモリアン美術館
◆画人伝より(2)
「恐ろしいほど研究に打ち込む人間が自己本来の自然の性に無理強いをする者であることは疑いない。それだから、一面では天分を鋭敏に研ぎ澄ますことができるとしても、そうした人のすることはどれもこれも、どうしても素直な優雅さに欠けるものである。それに反して、慎重に配慮して、節度を心得、しかるべき点にしかるべき力を注ぐ人は、ある種の鋭利な芸を避けるから、かえって自然に素直で優雅な作品を作ることができるのである。細かい芸や工夫というのは、時が経つとたちまち、作品になんともいえぬ努力した、という重苦しい、無味乾燥な感じを与えるが、そうした拙な方法は見る人々の同情を呼ぶことはあっても、見る人々を感嘆させるということはない。というのも、天分が作動するのは、知性が作用し、かつ感興に火がともる時のみだからである。」(pp. 47-48.)
6-1. ウッチェルロ《聖ゲオルギウスと竜》、1470年頃、油彩・カンヴァス、55.6×74.2cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー
◆画人伝より(3)
「メルカート・ヴェッキオのサン・トンマーゾ門の上に、聖トマスがキリストの傷口を探っている図を制作するよう依頼された時、自分がどれだけの価値があり、力があるかを世間に示してみたい、と言って、その作品のなかに自分の学問のすべてを傾注した。そして自分の仕事が完成するまで人の目にふれることのないよう、机を積んで囲いを造った。それである日、たった一人きりのウッチェルロに出合ったドナテルロが彼にたずねた。
「お前がすっかり囲んで隠しているその作品は一体全体どんなものだい?」
するとウッチェルロが答えて言うには、
「お前も見ればわかるさ」
ドナテルロはもうそれ以上無理に相手に言わせることはないと思った。それというのも、時が来れば例によってなにかすばらしい作品を見ることができるだろう、と考えたからだった。その後ある朝、ドナテルロは果物を買おうと思ってメルカート・ヴェッキオへ行った。するとウッチェルロが自分の作品の御開帳をしている。ドナテルロが丁寧に挨拶すると、彼の感想を聞きたいと思ってうずうずしていたウッチェルロは、
「この絵をどう思う?」
とたずねた。ドナテルロはその作品をよく見た後に、
「パーオロ、いま人に隠すべき時になって、君はこの絵を人に見せたな」
と言った。ウッチェルロは褒められるにきまっていると思っていたのに、自分が苦心したこの新作がそれとは逆にひどくけなされたので、たいへん悲嘆にくれた。それですっかり意気阻喪して、もはや家の外へ出る気力を失い、家の中に閉じこもって、遠近法の研究に打ち込んだ。そのため彼は貧乏のまま、世間に名も知られずに亡くなった。ずいぶん高齢まで生きたが、晩年はたいへん不運であった。1432年に83歳で亡くなった。遺骸はサンタ・マリーア・ノヴェッラ寺に埋葬された。」(p. 57.)
3.マザッチョ
「いかなる分野の仕事であれ、秀でた人物が出現するとき、多くの場合たった一人だけでないのが自然の摂理である。通常、同時に好敵手があらわれ、たがいに技を競い合い切磋琢磨し合うようになる。一組の好敵手は競争によってたがいに稗益されるばかりか、毎日のように高らかに賞讃され繰り返し語られるため、後代の人々の心に、いかなる研鑽も惜しまず、あらゆる努力を払っても、そのような名声と栄誉に到達したいという熱意の火を燃え上がらせるのである。あたかも、この説の正当性を証明するかのように、フィレンツェにおいてそれぞれの分野で抜きん出た才能を持った人々、フィリッポ・ブルネルレスキ、ドナテルロ、ロレンツォ・ギベルティ、パーオロ・ウッチェルロ、マザッチョが時期を同じくして競うがごとく輩出したのであった。正当派絵画に関しては、特にマザッチョに負っている。絵画の本質は生きている自然をあるがままに、デッサンと色で飾り気なく出来得るかぎり正確に再現すること以外にはないと、マザッチョはみなしていた。この点を完璧に追求すれば秀でた画家として世に認められると信じていたため、マザッチョは研究おさおさ怠りなく、熱心に勉強した。絵画におけるぎこちなさ、不完全、困難な表現を克服した先達の一人に数えることができる。」(p. 61.)
・フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂
※画像ソース: http://members.ld.infoseek.co.jp/nakayamaji/A5_1.htm7. マザッチョ《楽園追放》、1425-27年頃、フレスコ、208×88cm、フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂、ブランカッチ礼拝堂
8-1. マザッチョ《貢の銭》、1424/25-27年代、フレスコ、255.0×598.0cm、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂、ブランカッチ礼拝堂
8-2. 異時同図法による3人の聖ペテロ
◆画人伝より(4)
「しかし、なかでも最も注目すべきは、キリストの要請で貢の銭を払うため、聖ペテロが魚の腹から金を取り出す情景である。一番後に控えている使途にマザッチョその人の面影がみられる。鏡を利用して描いた自画像で、まったくの生写しである。聖ペテロが敢然と主キリストに問い正す様子、使徒たちの緊張して答えを待つさまざまなポーズには、とりわけ臨場感があふれている。魚の腹から金を取り出そうと、体をかがめた聖ペテロの心の動き、手にした金を満足げに眺める収税吏の貪婪さがよく描かれている。」(pp. 66-67.)
・フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
※画像ソース: http://www.chauffeurs-italy.com/italian-city/65/tuscany-travel/FLORENCE9. マザッチョ《三位一体》、1427-28年、フレスコ、667×317cm、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
◆画人伝より(5)
「さらにまた、サンタ・マリーア・ノヴェルラ寺の内陣中仕切の下に、壁画で『三位一体図』を描いた。その壁画は聖イグナーツィオの祭壇の上にあり、両脇に聖母と洗礼者ヨハネを従えており、この両者は十字架にかけられたキリストを見つめている。さらに両横には一人ずつひざまずいた人物がいるが、この二人は絵の注文主の肖像と判断される。ただし、金色の飾りが前面をおおっているので、誰だか判別がつかない。人物以外では、遠近法で描かれた半円筒状の天井が美しい。円窓を持つ方形が配列されてあって、向こうにいくほど小さく、縮まってゆき、まるで絵の描かれてある壁そのものに奥行のある穴があいているかのような印象を与えている。」(pp. 63-64.)
◆画人伝より(6)
「かつてこの問題に挑戦したパーオロ・ウッチェルロは、部分的には難点を克服し、なにがしかの業績を残しているが、マザッチョはやり方を種々に変化させて、視点をどこに据えてもちゃんと遠近感が出るような前人未踏の前縮法技巧を習得発揮した。調和のとれた色合い、やわらかなぼかし画法を用い、顔や露出した肌の色と、衣服をうまく対比させた。特に衣服にはひだを少なくとり、楽々とまるで実際に眼にうつるがままに描くのを得意とした。この手法は他の画家にとって大いに役立ち、マザッチョはいわばその発明者として賞讃に値するとみなされた。他の作品と並べてみると、マザッチョ以前のものはいわばあくまでも描かれた絵であり、マザッチョの作品はまさしく生きていて、真実そのもの、自然そのものである。」(p. 62.)
10. ウッチェルロ《容器の習作》、15世紀前半?、ペン・紙、34.9×24.3cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館
4.まとめ
ウッチェルロとマザッチョ=線的遠近法の探究
ウッチェルロ=「部分的に難点を克服」
マザッチョ=「視点をどこに据えてもちゃんと遠近感が出る」「真実そのもの、自然そのもの」
用語:ニンブス/三位一体/遠近法
聖ゲオルギウスと竜:異教(=竜)に対するキリスト教の勝利を象徴する図像。
聖ペテロ:十二使徒の筆頭。白く短い髪と髯を持つ老人として描かれる。
異時同図法:異なる時間の出来事を同じ画面内に描く表現方法。何度も登場する人物を辿らせることによって、物語の展開を理解させる。