第九講 ラファエルロ(2)
1.はじめに
2.ラファエルロ
◆画人伝より(1)
「この絵はラファエルロが去った後はリドルフォ・ギルランダイオに委ねられ、彼が欠けていた青の服装の部分の仕上げをした。このような事態が生じたのは、法王ユリウス2世に仕えて働いていたウルビーノ出身のブラマンテが、ラファエルロと遠縁であり同郷人でもあるところから、ラファエルロに手紙をよこし、ヴァティカンの宮殿の新しい部屋でラファエルロが絵を描いて才能を示すことができるよう法王にお頼みした、と言ったからである。この話を聞いてラファエルロはたいへん喜び、フィレンツェのしかけた仕事もデーイ家から頼まれた板絵の仕事も中途のままで投げ出して、フィレンツェを去ってローマへ向かった。」 (p. 173.)
・ヴァチカン、ヴァチカン美術館群
※画像ソース: http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Watykan_Plac_sw_Piora_kolumnada_Berniniego.JPG1-1. ラファエルロ「天井画」、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
1-2. ラファエルロ「天井画」(中央部分:教皇ニコラウス5世の紋章)、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
1-3. ラファエルロ「天井画」(詩学)、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
◆画人伝より(2)
「ベルヴェデーレを望む窓の方に向いた円形模様には、『詩学』がポリュヒムニアの姿をして描かれている。月桂冠を戴き、片方の手に古代の楽器を持ち、いま一方の手に書物を一冊持っている。両脚を組んで、その風采といい顔の美しさといい、不滅のものを感じさせる。ポリュヒムニアは両眼を天に向け、上に向かっている、という感じである。彼女のお伴をしている2人のプットは、いかにも気が利いて活潑で、ポリュヒムニアや他の像とともに、さまざまな組み合わせを形づくっている。ラファエルロはこの同じ側の、すでに言及した窓の上に、パルナッソス山の絵も後に描いた。」(pp. 175-176.)
1-4. ラファエルロ「天井画」(哲学)、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
◆画人伝より(3)
「第一の物語絵にラファエルロは哲学、天文学、幾何学、詩学を描き、それらの諸学が神学と和解調停しているさまを描いたが、それに相応する円形模様のなかに事物の『認識』を象徴する女を描いた。その女は立派な椅子に坐っており、その椅子は左右の側で女神キュベレ(レア)に支えられている。その女神キュベレには実にたくさんの乳房があるが、古代以来それでもってディアナ・ポリマステスが表されるのが常であった。その服装は四大を意味する四色から成っている。頭から下は火の色で、腰帯から下は空気の色で、隠部から膝までは土の色で、それ以外は足にいたるまで水の色である。そしてその女神に数人の、真に美しい小さな男の子がつきそっている。」(p. 175)
1-5. ラファエルロ「天井画」(神学)、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
◆画人伝より(4)
「また教会の博士たちがミサの形式を取り決めている物語の上のもう一つの円形模様には、書物その他のものを周囲に配して『神学』を描いた。他の女神と同様、プットが何人か侍っている。この『神学』の女神も他に劣らず美しいものである。」(p. 176)
1-6. ラファエルロ「天井画」(正義)、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
◆画人伝より(5)
「中庭に面した他の窓の上の、いま一つの円形模様のなかには、『正義』の女神をその秤とふりあげた剣とともに描いた。他の女神たちの場合と同様、プットとともに描いたのはもちろんである。『正義』の女神は絶妙な美しさである。それというのも、後で詳しく述べるが、ラファエルロがその下の画面の絵のなかで民法と教会法の授与の場面を描いているからである。」(p. 176)
◆画人伝より(6)
「それと同様に、同じ天井の四隅に、非常な勤勉をもってデザインから考えかつ色を塗った4つの物語を描いたが、しかしその人物の大きさはたいしたものではなかった。その1つ、『神学』に近い隅に、アダムが罪を犯している場面をいとも軽やかな様式で描いた。例の林檎を食べる場面である。『天文学』が描かれているところの隅には、その『天文学』の女神像が、恒星と惑星をそれぞれの場所に定めているところが描かれている。パルナッソス山が描かれている一隅には、アポロンの命令で、木に縛りつけられて、皮を 剥がれているマルシュアスが描かれている。また法王の教令集が授与される物語に近い隅には、ソロモンの審判の光景が描かれているが、それはソロモンが子供を2つに分けることを提案している場面である。この4つの物語絵はどれもこれも感情と感覚に富み、デッサンもまことに良く、彩色も気持よく魅力的である。」(p.176.)
1-7. ラファエルロ《アダムとエヴァ》、1508-09年、フレスコ、120×105cm、ヴァチカーノ宮 署名の間
1-8. ラファエルロ「天井画」(4つの物語)、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
1-1. ラファエルロ「天井画」、1508-11年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 署名の間
1-1. ラファエルロ「天井画」(主題解釈)
2-1. ヴァチカーノ宮「署名の間」
2-2. ラファエルロほか《正義の壁》、1511年、フレスコ、横幅660cm、署名の間
2-3. ラファエルロほか《正義の壁》(部分:剛毅、賢明、節制、慈愛、希望、信仰)
2-4. ラファエルロ《聖体の論議》、1509年、フレスコ、横幅770cm、署名の間
2-5. ラファエルロ《聖体の論議》(上部:マリア、キリスト、洗礼者ヨハネ)
2-6. ヴァティカーノ宮「署名の間」
2-7. ラファエルロ《パルナッソス》、1510-11年、フレスコ、横幅670cm、署名の間
2-8. ラファエルロ《アテネの学堂》、1509-10年、フレスコ、横幅770cm、署名の間
◆画人伝より(7)
「これらのなかにはディオゲネスもおり、彼は階段の上で盃を手にして横たわっている。これは非常によく考えて描かれた超然とした姿で、その美しさという点からも、またおよそ本人が構おうとしない服装という点からも賞讃に値するものである。そこには同様にアリストテレスもプラトンもいる。1人は『倫理学』を手に持ち、1人は『ティマイオス』を手に持っている。その周囲には一派の哲学者たちが環をなしている。」(p. 174)
◆画人伝より(8)
「そこにはまた地面へ体を傾けて、2つのコンパスを手に持ち、それを板の上でまわしている像もある。人の説によると、これは建築家ブラマンテだそうで、さながら生けるがごとく実物によく似せて描かれているという。背を向けて、手に天球を持っている人の隣にいるのは、ゾロアスターの肖像である。そしてその隣にいるのは、この作品の制作者ラファエルロその人で、鏡に写して自画像を描いたのだという。それは非常につつましやかな様子をした、青年の頭像であるが、実に気持のよい、善良な優雅さを伴っており、頭には黒い帽子をかぶっている。」(p. 174)
2-9. ヴァチカーノ宮 署名の間の天井画と壁画における主題の照応性
3-1. ラファエルロ「天井画」、1511年、フレスコ、ヴァチカーノ宮 ヘリオドロスの間
◆画人伝より(9)
「ここでまた話題をラファエルロに戻すと、彼はその上の円天井に物語絵を4つ描いた。すなわち神がアブラハムの前に現われて、その子孫の繁栄を約束している図。イサクの犠牲の図。ヤコブの梯子の図。モーセの燃える茨の図である。これらの物語絵にも、ラファエルロの手になる他の作品に劣らぬほど、技術や工夫や見事なデッサンや優雅さが認められるはずである。」(p.186.)
3-2. ラファエルロ「天井画」(箱船から出るノア)、1511年、フレスコ、ヘリオドロスの間
3-3. ラファエルロ「天井画」(イサクの犠牲)、1511年、フレスコ、ヘリオドロスの間
3-4. ラファエルロ「天井画」(ヤコブの階段)、1511年、フレスコ、ヘリオドロスの間
3-5. ラファエルロ「天井画」(燃える柴)、1511年、フレスコ、ヘリオドロスの間
◆画人伝より(10)
「ところでその頃、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂で法王と衝突して法王を狼狽させるという事件がもちあがり(この件についてはミケランジェロ伝でふれる)、そのためミケランジェロはフィレンツェに逃げることを余儀なくされた。それでブラマンテは、システィーナ礼拝堂の鍵を預かっていたので、友人であるラファエルロに、礼拝堂を見せ、ラファエルロがミケランジェロのやり方を了解できるよう、便宜をはかってやった。…(中略)…その作中でラファエルロは、ミケランジェロの作品を見たことを参考にして、大いに自己の様式を改良・拡大し、自らの作品に威厳を与えた。それで、その後ミケランジェロがラファエルロのこの作品を見た時に、さてはブラマンテがラファエルロに便宜を計り、彼に名を成させるために、自分の裏をかいたな、と思ったという話だが、それは確かに事実その通りなのであった。」(pp.180-181.)
4-1. ヴァチカーノ宮「ヘリオドロスの間」
4-2. ラファエルロ《ボルセナのミサ》、1512年、フレスコ、横幅660cm、ヘリオドロスの間
◆画人伝より(11)
「それから館の他の部屋でも仕事を続け、オルヴィエート(あるいは人によってはボルセーナと呼んでいる)の聖体布の秘蹟の奇蹟の物語を制作した。その物語のなかでは司祭が、ミサをあげている最中、顔が火のように真赤になっているのが見える。それは自分の不信心のために聖餅が聖体布の上で液体と化し、血と化してしまったことを見て、恥ずかしさのあまり真赤になったのである。その両眼には驚愕の様子がまざまざと浮かび、聴衆の面前で狼狽して我を失い、もはやどうしてよいのかわからぬ人のように見える。その手の様子を見ると、こうした場合によく起こる周章狼狽や、ほとんど手のふるえる有様までが見てとれるようである。」(pp.182-183.)
4-3. ヴァチカーノ宮「ヘリオドロスの間」
4-4. ラファエルロ《レオ1世とアッティラの会見》、1514年、フレスコ、横幅750cm、ヘリオドロスの間
4-5. ラファエルロ《聖ペテロの解放》、1513年、フレスコ、横幅660cm、ヘリオドロスの間
◆画人伝より(12)
「ラファエルロはちょうど同じことを、同じ場所のいま述べた絵とちょうど真向かいに描いたもう1つの物語絵で示した。それはヘロデの手中にある聖ペテロが、牢獄で武装した兵士たちによって番をされている光景である。この絵におけるラファエルロの建築物の把握の仕方、ならびに牢獄建物の扱い方はそれは見事なもので、実際ラファエルロ以後の人々の作品の方が比較するとずっと混乱している。ラファエルロの作品はそれほど美しいのである。…(中略)…夜の暗黒の闇のなかで天使の燦然たる光輝が、牢獄のあらゆる細部を鮮やかに浮き立たせている。兵士たちの武器も克明に光り輝いているものだから、その光沢を帯びた輝きはとても絵に描いたものとは思えず、実物以上に実物に似て見えた。」(pp.183-184.)
4-1. ヴァチカーノ宮「ヘリオドロスの間」
4-6. ラファエルロ《ヘリオドロスの放逐》、1511-12年、フレスコ、横幅750cm、ヘリオドロスの間
◆画人伝より(13)
「ラファエルロはまた平たい方の壁面の1つには、ヘブライ人の神の崇拝、同じく箱舟、燭台、教会から貪欲を追い出す法王ユリウスを描いた。それは前に述べた夜の図にも相似た、美しい秀れた物語図であった。その物語のなかには、当時まだ存命中であった法王の籠担ぎの人々の肖像がいくつも見られる。その人たちは椅子の上に法王ユリウス2世を乗せているのだが、法王はいかにも生き生きと描かれている。法王が前へ進まれるよう、何人かの民衆や女たちが道をお譲り申している。…(中略)…ヘリオドロスの手下どもは突然みな恐怖に襲われて狼狽し、財宝をかついでいた連中は次々と地べたにひれ伏した。」(pp.185.)
◆画人伝より(14)
「この幸深い職人ラファエルロがこうしたすばらしい仕事を次々となしとげていた時、妬み深い運命は、何事であれ良いことを愛し、才能ある者を保護したユリウス2世の命を奪い去った。それで後継者としてレオ10世が選ばれたが、レオ10世もこうした仕事が継続されることを望まれたので、ラファエルロはその才能によって天高く舞い上がることができた。」(p.186.)
5. ラファエルロ《フォリーニョの聖母》、1511-12年、油彩・板(カンヴァスに移行)、320×194cm、ヴァチカーノ絵画館
6. ラファエルロ《キリストの変容》、1518-20年、油彩・板、405×278cm、ヴァチカーノ絵画館
◆画人伝より(15)
「ラファエルロはまた、ジューリオ・デ・メディチ枢機卿兼聖丁尚書次官のために『キリストの変容』の板絵を描いたが、これはフランスへ送られた。この板絵は彼が自分の手で絶えず描いた労作で、最高度の完成に達したものである。この絵のなかでは、キリストがタボル山で変容した図が描かれ、その下には11人の弟子がキリストを待っている。そこには悪霊に憑かれた若者が1人かつぎこまれたのが見える。それは山から降りて来るキリストに癒してもらおうという心算である。…(中略)…実際ラファエルロはこの作品の中で、ただ単にすばらしく美しいというだけでなく、いかにも斬新で、多種多様で、美しい人物や表情を制作したので、画工たちの間では、ラファエルロが制作した数多い作品のなかでもこの絵こそが最も美しく、真に神々しい、栄光と栄誉に包まれた作品である、という定評であった。 …(中略)…ラファエルロは自分の力を振り絞って、絵画芸術の力と価値をキリストの顔に表現しようとしたらしい。このキリストの顔を描き終えるや、これが彼にとって最後の仕事となり、もはや2度と筆を取ることはなかった。死が訪れたからである。」(pp.201-202.)
◆画人伝より(16)
「その間もラファエルロはひそかに女遊びを続け、度を越した放蕩に耽っていた。そしてあるとき、ふだんにもまして不節制の度を過ごしたために、帰宅するや高熱を発した。ラファエルロが放蕩についてはなにも打ち明けなかったので、医師たちは彼が熱にあてられたものと感違いし、不注意にも瀉血した。すると瀉血のためにラファエルロは衰弱し、ついに自分の命が尽きてゆくことが感じられた。彼は本当は強壮剤を必要としていたのである。ラファエルロはそこで遺言をした。まず良きキリスト教徒として、情婦にきちんと生活できるだけの資を与えると、自分の家から立ち去ってもらうようにし、ついで全財産を、とくに愛した弟子のジューリオ・ロマーノ、同じく弟子でファットーレと呼ばれたフィレンツェ人のジョヴァンニ・フランチェスコ、およびウルビーノの聖職者で、私は名前を知らないが彼の親戚にあたる者との間で配分するようにした。…(中略)…最後にラファエルロは告解と罪の痛悔を終えると、37歳の生涯を、その生まれたのと同じ日、すなわち復活祭の聖金曜日に閉じた。ラファエルロは彼の才能でもって現世を美しくしたが、それと同じように彼の魂はいまは天上にあって、天国を美しくしているものと信じられている。」(pp.208-209.)
◆画人伝より(17)
「これがかのラファエルロである。彼が生きていた間、われらが力強き母なる自然は打ち負かされることを惧れた。しかし彼が死んだときには、母なる自然は自らが死ぬことを惧れた。」(p.212.)
3.まとめ
ラファエルロ=法王の御用画家。
ブラマンテ(1444-1514):建築家。ラファエルロの同郷人。
用語:ベルヴェデーレ(眺めのよい場所) /ムーサ(詩神)/イコノロジー(図像解釈学)/ソロモン/タイポロジー(予型論)
ヴァザーリの記述:レオナルド、ミケランジェロ、ラファエルロを頂点とする「美術史観」= “かくも偉大なる人の足跡をたどりつつ、弟子たちが大勢進んで行く”