多文化主義と国際美術展(三)
第六回アジア太平洋現代美術トライエニアル


授業の目標

多文化主義の歴史的背景を理解する。

展覧会の政治性について問題意識を持つ。


1. 多文化主義

◆『現代用語の基礎知識』(自由国民社、2002年)より@

 多文化主義/文化多元主義(オーストラリア)、654頁。
 Multi-Culturism/Cultural Pluralism

多文化主義は、ひとつの国家ないし社会のなかに複数の異なる人種・民族・集団のもつ言語や文化の共存を認め、そのための方策を積極的に進める考え方もしくは政策。
オーストラリアでは、1970年代前半のウィットラム連邦政府時代に、それまでの同化主義的な白豪主義政策を反省して提唱。第2次大戦後、オーストラリアは白豪主義の立場から、東欧、南欧を含むヨーロッパ系移民の受入れを計画的に進め、60年代にかけて200万人以上のヨーロッパ移民を受け入れた。だが、60年代に入ってイギリスのアジア離れ、オーストラリア離れの傾向が強まり、オーストラリアはアジア・太平洋国家としての道を模索。66年には白豪主義を撤回し、ベトナム難民を受け入れ、アジア系移民の比重も高まった。その後、アジア諸国との政治的、経済的な関係が深まり、積極的な異文化の承認、国内の白豪主義的な要素の払拭等が政治的に要請されたことが多文化主義政策の背景。70年代後半以降、公営多言語放送、多文化教育、非英語系住民の公務員への積極的登用・昇進政策など、多文化主義の制度化が進展。しかし、ハワード自由党政権は、白人不満層の動向などを背景に、この傾向をおしとどめようとしている。

◆『現代用語の基礎知識』(自由国民社、2002年)よりA

 キーワード:マルチカルチャリズム〔multi-culturism〕、729頁。

多文化主義の意味。アメリカ社会の解釈のしかたとして、多様な民族集団が一つに融合する「人種のるつぼ」とみる見方がある。これに対して、アメリカの社会を各民族集団が独自の文化をもったまま混在する「サラダボウル」とみる見方もある。この「サラダボウル」とみる見方をさらに徹底して、各民族集団はそれぞれの独自の文化を守るべきであり、同時に他の民族文化は十分に尊重しなければならないとするのが、多文化主義である。特定の民族文化が独占的に支配するのを拒否するという意味では、多元主義的でもある。PC(ポリティカル・コレクトネス→別項)運動と密接な関係があるが、PC運動が少数派に対する配慮を求めるものとすれば、多文化主義は少数派による自己主張を積極的に容認する立場といえよう。

◆関根政美『多文化主義社会の到来』(朝日新聞社、2000年)より

 「第3章 多文化主義」 

 41頁。

人種・民族・エスニシティは、文化的に異なる人々を分類する基準だが、人間はこうした違いに強くこだわりやすいことは今みてきたとおりである。それ故に異なる文化・言語をもつ人々の接触の機会が飛躍的に多くなったうえに、自らの文化、言語などへの権利を強く主張する人々も増えているグローバリゼーションの時代には紛争が起きやすい。そこでこうした多文化社会化・多民族国家化の過程で摩擦・紛争を防ぎ、社会の安定的な統合のために考案されたのが多文化主義(Multiculturalism)である。

 42-43頁。

カナダ、オーストラリアで多文化主義の有効性が認識されはじめたのは一九七〇年代であったが、その後、英国、スウェーデン、その他のヨーロッパでも程度に差こそあれ、移民・難民、外国人労働者あるいは周辺地域民族集団の統合策として導入されている。米国ではマイノリティ異文化集団の文化・言語を学習するエスニック・スタディーズや多文化教育を中心に発展している。フランスでは多文化主義という名称は避けられているが、異文化・言語の要求は、「相違(差違)への権利」として認められつつある。

◆油井大三郎ほか編『多文化主義のアメリカ』(東京大学出版会、1999年)より

 油井大三郎「序 いま、なぜ多文化主義論争なのか」

 2頁。

しかし、論争の内容を詳しく検討してゆくと、多文化主義を擁護するものと批判するものとの関係は極めて錯綜しており、多文化主義の定義についても多様な見解が入り乱れているのが実状である。それは、多文化主義が特定の学派や思想集団によって練り抜かれた体系的思想というより、様々なマイノリティ集団の社会運動とそれに対応して実現された政策という側面も強いからである。それ故、多文化主義を分析する場合には、思想と運動と政策という三つのレベルの区別と相関に注意する必要がある。


2.第6回アジア太平洋現代美術トライエニアル

会期:2009年12月9日〜2010年4月5日

会場:クイーンズランド美術館、同別館GoMA

公式サイト: http://qag.qld.gov.au/exhibitions/past/recently_archived/apt6

2-1. オーストラリア概要

2-2. ブリスベン中心部

2-3. 2009年10月に新設されたクリルパ橋

2-4. クイーンズランド美術館別館GoMA(現代美術館)


3.作品紹介

3-1. スボード・グプタ(インド)《停戦ライン(1)》 2008年、(別角度)(部分)

3-2. トゥクラール&タグラ(インド)《脱出》 2008年、(部分1)(部分2)

3-3. トゥクラール&タグラ アーティスト・トーク

3-4. チェン・ジュリン(中国)《シンシェン町275-277番地》 2009年、(部分1)(部分2)(部分3)

3-5. 蔡佳葳(ツァイ・チャルウェイ、台湾)《きのこ真言》 2009年、(部分1)(部分2)

3-6. 蔡佳葳《きのこ真言》 パフォーマンス風景(1)(2)

3-7. ブイ・コン・カン(ベトナム)展示風景

3-8. ブイ・コン・カン《同時代物語 1》 2008年

3-9. ブイ・コン・カン《もう1ドルのかわい子ちゃん》 2009年

3-10. ブイ・コン・カン《龍とドル》 2009年

3-11. スヴァイ・ケン(カンボジア)展示風景

3-12. スヴァイ・ケン《食べ物を粗末にしたり美味しいものを独り占めにする金持ちは破滅する》 2008年

3-13. スヴァイ・ケン《親に食べさせず世話もしない金持ちは破滅する》 2008年

3-14. ザ・メコン アーティスト・トーク

3-15. 万寿台創作社(北朝鮮)展示風景(1)

3-16. 展示作品の1つ

3-17. 万寿台創作社 展示風景(2)

3-18. チョ・チャンホ《労働者の家》 2009年

3-19. チョ・チャンホ《退職後の最初の日々》 2009年

3-20. ソロモン・エノス(ハワイ)《クウ時代―多幻想起源》 2006年、(部分)

3-21. ファーコンデー・トラビ(イラン)《シャンゴウル・オー・マンゴウル》 1999年、(別の場面)

3-22. ルーベン・パターソン(ニュージーランド)《ワカパパ―片膝をついてひざまずけ》 2009年、(部分)

3-23. バヌアツの彫刻展示

3-24. ミシェル・ランジー《マグ・ヌ・イウィル》 2005年頃

3-25. マンサク一家《タブー家の守り神》 2005-06年

3-26. パシフィック・レゲェ展示風景(1)(2)

3-27. ゴンカー・ギャツオ(チベット)《型破り仏陀》 2009年、(部分1)(部分2)(部分3)(部分4)

3-28. アルフレド&イザベル・アキリザン(オーストラリア)《飛行中》 2009年、(部分1)(部分2)

3-29. アルフレド&イザベル・アキリザン アーティスト・トーク


4. まとめ

 ・多文化主義の歴史的背景について

―1970年代にカナダとオーストラリアで政策化

―思想、運動、政策の3つのレベルを相関させて理解すべき

―その内実は各国ごとに多様

―「人種のるつぼ」から「サラダボウル」へ

 ・展覧会の政治性について

―アジア太平洋地域の文化的リーダーを目指すオーストラリア

―情報の編集作業は権力性をおびている

―何に注目し、それをどこに配置し、どのように語るか

―展示室には「いい場所」と「そうでもない場所」がある