<第三講>韓国モダンアートの波―釜山市立美術館コレクション展
◆授業の目標
コレクション展開催の背景を理解する。
韓国近現代美術に親しむ。
1.「韓国モダンアートの波」展
◆概要
・企画展/コレクション展
・会期:9月18日〜11月3日
・会場:福岡アジア美術館
・企画構成: 黒田雷児、五十嵐理奈
・会場写真
◆実現の背景
「ごあいさつ」より
2008年11月、福岡アジア美術館と釜山市立美術館は、福岡市と釜山広域市の行政交流都市提携20周年および福岡釜山友情年を記念して、相互協力の協定を結びました。それに基づき、昨年、釜山市立美術館で「福岡アジア美術館所蔵品交換展―見知らぬ地図」(2009年9月26日〜12月6日)を開催しました。そして、今年は福岡アジア美術館で「韓国モダンアートの波―釜山市立美術館コレクション展」を開催することとなりました。相互に所蔵品を交換する展覧会の第2回目を開催することができ、大変喜ばしく思っております。
「所蔵品相互交流展ができるまで―福岡アジア美術館と釜山市立美術館の協働から」 五十嵐理奈(福岡アジア美術館学芸員)より
まずは、協定締結の翌2009年、アジ美が「第4回福岡アジア美術トリエンナーレ」を開催している会期中に、釜山市美でアジ美のコレクション展が開催された。そして、2010年の今年、釜山で「釜山ビエンナーレ2010」が開催されている会期中に、アジ美で釜山市美コレクション展を行い、両市が行う国際美術展の広報も兼ねて、お互いの館の取り組みや作品を、お互いの市民に伝える機会を作ろうとしたのである。…(中略)…まずは釜山市美へ作品調査に行った。事前にいただいた約1800点(2009年12月時点)の作品リストをもとに、黒田雷児学芸課長を中心に、章ごとに絞り込んだリストを作成し、それに沿って実際に作品をひとつひとつ見せていただいた。そして、釜山市美の担当者であるチョ・ウンジョン学芸員やイム・チャンソプ学芸課長から作品や釜山の美術史を教えていただきながら協議し、最終的な作品選考を行った。(p.97)
2.作品紹介
第1章 釜山の街と生活―韓国の近代史
1. ヤン・ダルソク《渡船場》 1940年 油彩・板、80.5×65 cm
2. キム・ジョンシク《釜山港の冬》 1949年 油彩・亜鉛板、31.5×81 cm
3. キム・ジョンシク《チャガルチ製氷会社》 1953年 油彩・カンヴァス、32.9×44.6 cm
4. イム・ホ《浜辺》 制作年不詳 油彩・カンヴァス、91×91 cm
5. キム・スソク《工事》 1959年 油彩・カンヴァス、89.4×145.5 cm
6. チョ・ジョンテ《沈黙の対話》 1970年 油彩・カンヴァス、160×130 cm
7. チェ・ミンシク 《釜山》 1957年 ゼラチンシルバープリント、セレントーニング・印画紙 50.5×33.5 cm
8. チェ・ミンシク《釜山》 左上1958年、右上1959年、左下1964年、右下1965年 ゼラチンシルバープリント、セレントーニング・印画紙、各33.5×50.5 cm
2.作品紹介の「幕間」@
「韓国最初の西洋画家たち」
1900年前後という時期、ソウルのフランス語学校の学生であったコ・ヒドン(高羲東)は、師であるフランス人マルテル(Emile Martel)の肖像をレミオン(Leopord Rémion)がスケッチする光景を直接目の当たりにし、西洋画の科学的で特異な描写技法とその写実性に魅了された。以後コ・ヒドンは、従来の伝統絵画の非現実性と中国画法の一方的な模倣に疑いを抱き、1909年には西洋画法を正式に勉強するために日本に留学することになる。
「1920、30年代―釜山地域における西洋美術の受容」
1920年代頃に西洋美術を受容した釜山の場合、その地政学的位置と日帝統治期という特殊性により、西洋美術との接触と受容は日本という限られた通路のみを通して行われたとされる。これまでのところ、釜山地域に西洋美術が紹介されたとされる最初の資料は、朝鮮総督府主催の「第3回朝鮮美術展覧会」(1924)の図録に掲載された、釜山在住の日本人たちが作品を出品した記録である。
「1950、60年代―激動期、現代美術の実験」
近代美術については、植民地時代において日本を通した二次的な受容という形式の短い導入期を経験したのみであり、現代美術についても、解放と戦争という極端な状況下において導入され、自己否定と能動的選択の過程を経ることなく受容せざるを得なかったのである。釜山の美術においては、自己批判と創造的対立を通した現代的造形理念の樹立は、1960年代に入ってようやく本格化したと見ることができる。
イ・ジンチョル(李珍哲)「釜山近現代美術の理解―1930年代から1980年代までの釜山美術略史」
第2章 釜山の抽象絵画―韓国美術の70年代
9. キム・ホンソク《開閉-3》 1973年 油彩・カンヴァス、163×134 cm
10. キム・ジョングン《積》 1974年 煤煙・カンヴァス 145.5×112.1 cm
11. キム・ポンテ 《無方向91-200》 1991年 アクリル・カンヴァス、 195×195 cm
12. ホ・ファン《可変意識》 1993年 油彩・カンヴァス、91×116.8 cm
13. オ・ヨンジェ《祝日》 1994年 油彩・カンヴァス、 72.7×72.1 cm
14. パク・ソボ《描法 No. 970520》 1997年 油彩・カンヴァス、228×330 cm
15. キム・テホ《内在律2000-3》 2000年 アクリル・カンヴァス 259×194.5 cm
・会場風景
2.作品紹介の「幕間」A
「1970年代―現代美術の定着」
この頃までの新進作家は、たいていの場合は公募展を通して、または既存の美術団体の会員になることによって既存画壇に編入されるという手順を踏んできた。しかし70年代の新進作家の中には、公募展を忌避したり、従来の既成画壇にあえて組み込まれる必要性を感じなくなった作家もいた。彼らのそのような意志は、ともすれば既成画壇の権威主義や組織のピラミッド構造に対する拒否反応としても映った。彼らは個展あるいはグループ展で作品を発表しながら、みずからの独自の空間を確保していった。そしてこのような活動が結果として釜山画壇の裾野を広げる機能を果たしたという側面もあった。
イ・ジンチョル(李珍哲)「釜山近現代美術の理解―1930年代から1980年代までの釜山美術略史」
第3章 釜山の形象美術とそれ以後 ―人々の生活と日常
16. アン・チャンホン《家族写真》 1982年 油彩・カンヴァス、112×145 cm
17. チョン・スオク《解答 1》 1995年 アクリル・カンヴァス 220×151 cm
18. イ・テホ《我らの時代の肖像》 1996年 油彩・カンヴァス、130.3×162.2 cm
19. バン・ジョンア 《欠乏症にかかった人たち》 1996年 アクリル・カンヴァス 145×112 cm
第4章 今の韓国アート・シーン ―釜山の作家を中心に
20. カン・ホング《逃亡者―光州事態》 1999年 写真、126×185 cm
21. カン・ホング《逃亡者―光州事態》 1999年 写真、126×200 cm
22. ク・ボンジュ《父の青春 2》 2002年 木 187×50×70 cm
23. イ・ヨンドク《歩く人々―浮かび上がる》 2003年 混合技法・石膏、各34.5×70.8×7 cm
24. チョン・ユンソン《3つの自我》 2007年 アクリル、出力紙・MDFボード、81×104cm
25. イム・ヨンソン《バンテアイ・スレイ/空と大地》 2008年 油彩・カンヴァス、182×227 cm
3.まとめ
・コレクション展開催の背景
―常設展示と企画展示
―「引越し展」
―福岡アジア美術トリエンナーレ、釜山ビエンナーレ
―二都市間での観客交流 (※美術と観光産業)
・韓国近現代美術
―最初の洋画家コ・ヒドン(高羲東) 1886〜1965
―日本への留学、日本を媒介した西洋との接触
―釜山の現代美術は60年代に本格化し、70年代に定着した
―公募展、既成画壇、個展、グループ展