第五講 ボッティチェマンテーニャ


1.はじめに

ボッティチェリ(1445-1510)/マンテーニャ(1431-1506)

ボッティチェリ《ヴィーナスの誕生》 1485年頃/マンテーニャ《パルナッソス》 1495-97年頃


2.ボッティチェ

 ◆画人伝冒頭の記述(1)(2)

「ロレンツォ・メディチ豪華王の時代は、天分に恵まれた人々にとっては、真に黄金時代と呼べる時代であったが、その時期にサンドロと呼ばれたアレッサンドロ・ボッティチェリがまださかんに活躍していた。このボッティチェリという名前のいわれについては後で述べる。彼はフィレンツェの市民であったマリアーノ・フィリペーピの息子で、父親は子供の面倒見のたいへんよい、教育熱心な人で、丁稚奉公に出る前に子供たちが習うべき事柄についてはみなよく教えこんでおいた。彼は自分の好きな事柄は何でもすばやく習ったが、いつも落ち着きがなく、読み書き算盤などには一向に打ち込むことができなかった。この異常な頭脳の息子の振舞いに愛想をつかした父親は、絶望のあまり息子を、ボッティチェロと呼ばれた自分の仲間でその方面では非常に有能な金工師のところへ奉公に出した。…(中略)…敏捷でデッサンに打ち込んでいたサンドロは、絵画に夢中になり、それに専心する気持になった。彼がこの自分の気持を父親に打ち明けた時、彼の性癖をよく心得ていた父親は、彼をカルメル会のフラ・フィリッポ・リッピのところへ連れて行った。フィリッポ・リッピは当時の非常にすぐれた画家であったから、彼のもとにおかれたサンドロは、自分が願った通りに絵画を習うことができた。」(p.119)

パリ、ルーブル美術館
 ※画像ソース: http://bokufukei.up.seesaa.net/image/20070829_171720_1t_wp.jpg

1. ボッティチェリ《薔薇園の聖母》、1468年頃、テンペラ・板、93×69cm、パリ、ルーヴル美術館

フィリッポ・リッピ《聖母子と二天使》とボッティチェリ《薔薇園の聖母》

フィレンツェ、ウフィツィ美術館
 ※画像ソース: http://ostetrica-foto.at.webry.info/200704/article_28.html

2. ボッティチェリ《マギの礼拝》、1475年頃、テンペラ・板、111.0×134.0cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

メディチ家系図

 ◆画人伝より(1)

「それが『三王礼拝』の図で、主の御足にくちづける第一の老王の優しさにあふれた姿には愛情がいかにもよくあらわれており、長かった旅の目標に到達したということが、実によく示されている。そしてこの王の姿こそとりもなおさずメディチ家のコージモ・ヴェッキオの肖像なのであり、今日まで伝わっているコージモの数多い肖像画の中でも、もっとも生彩に富み、かつもっとも自然なものである。第二の王は法王クレメンス7世の父にあたるジュリアーノ・デ・メディチで、敬虔な心で幼子イエスに敬意を表し、その贈物を捧げている。第三の王もひざまずいており、幼子イエスを崇めて謝意を表し、幼子イエスを真の救世主と認めている様子だが、彼はコージモの息子ジョヴァンニなのである。」(p.122)

美術用語K マギの礼拝

3-1. ボッティチェリ《春》、1482 年頃、テンペラ・板、203.0×314.0cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

3-2. ボッティチェリ《春》(部分)ヴィーナスと盲目のクピド

3-3. ボッティチェリ《春》(部分)メルクリウスと三美神(左から愛・貞節・美)

3-4. ボッティチェリ《春》(部分)花の女神フローラ、妖精クロリス、西風の神ゼフュロス

3-5. ボッティチェリ《春》(部分)足元に描かれた花々

4. ボッティチェリ《ヴィーナスの誕生》、1485年頃、テンペラ・カンヴァス、172.5×278.5cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

美術用語L ルネサンス

美術用語M クアトロチェント

パリ、ルーブル美術館
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5-1. ボッティチェリ《ヴィーナスと三美神から贈り物を授かる若い婦人》、1485 年頃、フレスコ、211×284cm、パリ、ルーヴル美術館

5-2. ボッティチェリ《ヴィーナスと三美神から贈り物を授かる若い婦人》 (部分)ヴィーナスと三美神

フィレンツェ、ウフィツィ美術館
 ※画像ソース: http://ostetrica-foto.at.webry.info/200704/article_28.html

6. ボッティチェリ《受胎告知》、1488-89年、テンペラ・板、150×156cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

 ◆画人伝より(2)

「ある時サンドロの家の隣に織物屋が引越して来、八台織機を組立てた。その織機は仕事をはじめると、ペダルや枠がぶつかってサンドロの耳を聾さんばかりの騒音をたてたばかりか、家全体がふるえだす始末だった。サンドロの家は壁に弛みがきて、もうしっかりした建物ではなかったのである。それでその騒音と震動のためにサンドロは仕事も手につかず、家の中にもいたたまれないほどになった。サンドロは 「どうにかしてくれ」と隣人に何度も頼み込んだが、隣人は「自分の家でする分には何をしようとこちらの勝手だ」いう返事なので、サンドロは憤慨して、荷車でも運べないほどの大きな石を自分の家の壁の上に釣り合いを取って置いた。
この壁は隣の家の壁よりも高く、しかもあまり頑丈とは見えなかったので、少しでも壁が揺れるとその石が落っこちて、隣家の屋根や床や布や織機を潰しそうな格好であった。隣人はこの物騒な様を見て青くなり、サンドロのところへ駆けつけたが、サンドロは隣人と同じ台詞で、 「自分の家でする分には何をしようとこちらの勝手だ」と返事して、隣人の頼みに応じないので、彼もやむなく妥協して、それからはサンドロと仲の良いつきあいをするようになった。」(p.125)

7-1. ボッティチェリ《誹謗》、1490年代前半、テンペラ・板、62×91cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

7-2. ボッティチェリ《誹謗》 (部分)無実の髪を掴み憎悪に手を引かれる誹謗

 ◆画人伝より(3)

「前記の『三王』の絵と同じ大きさで、フィレンツェのファービオ・セーニ氏の所有にかかわるものとして『アペレスの中傷』という絵があるが、絶妙に美しい作である。この絵は親友であったアントーニオ・セーニ氏に自分からすすんで贈ったのだが、その絵の下には今日前記のファービオ氏の次の四行の句が読める。
   この小さな絵は、不正な訴えを基にして
   人を罰してはならぬことを地上の王に教えている。
   これと似た絵をアペレスはエジプトの王に贈った。
   王はこの贈物にふさわしい王であり、絵もまた王にふさわしい絵であった。」(p.127.)


3.マンテーニャ

 ◆画人伝冒頭の記述(1)

「ある一つの才能に対する賞讃の声がいかなる効果をあらわすかは、才能をそなえて努力し、どこかで誉められたことのある人ならば、よく理解するところである。賞讃と名誉がそこに期待されるものなら、不便さも辛さもいとわない。だからいよいよ自分の才能にみがきがかかって、日ましに人目につき、名が上がるようになる。しかし、アンドレーア・マンテーニャの例のように、才能が常に発揮され、評価され、報われるとはかぎらないのも厳粛な事実である。アンドレーアはマントヴァ郊外の卑しい家系の出で、まだ小さかった頃から家畜の世話を仕事にしていたが、才能と運に恵まれて出世をとげ、ついには騎士の位に叙せられるに至る。」(p.129.)

パリ、ルーブル美術館
 ※画像ソース: http://bokufukei.up.seesaa.net/image/20070829_171720_1t_wp.jpg

8. マンテーニャ《聖セバスティアヌス》、1485年頃、テンペラ・板、257×142cm、パリ、ルーヴル美術館

 ◆画人伝より(4)

「とはいえ、アンドレーアは生きているモデルよりも、立派な古代彫刻のほうがより完全で、より美しい要素を持っているという考えを抱き続けていた。古代の彫刻を見てアンドレーアが判断するところによれば、すぐれた彫刻家はたくさんのモデルから自然の完璧さを取り出したのであって、自然が一個の肉体に完全な美を凝縮し移入することはごく稀である。したがって、あるモデルから一部、他のモデルから一部と写し取る必要が生じる。それ以外にも、筋肉、血管、神経など、その他の細部にわたっても、彫刻のほうが完全で、厳密であって、実際のモデルでは、これらの部分はふっくらとした柔らかな肉でおおわれ、本来の厳格な形体が自然の配慮によって隠され、あらわな形となって出てこない。老人ないし衰弱した肉体においては例外だが、これは芸術家の描写の対象からはずれている。アンドレーアがこの理論に心酔していたことは、生きている肉体よりも石を想起せしめるやや鋭い彼のスタイルによく表明されている。」(p.131)

9. マンテーニャ《パルナッソス》、1495-97年、テンペラ・カンヴァス、159×192cm、パリ、ルーヴル美術館

10-1. マンテーニャ《美徳の勝利》、1497-1502年、テンペラ・カンヴァス、161×192cm、パリ、ルーヴル美術館

10-2. マンテーニャ《美徳の勝利》 (部分)正義、剛毅、節制

ミラノ、ブレラ絵画館
 ※画像ソース: http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Milano_Pinacoteca_di_Brera1.JPG

11. マンテーニャ《死せるキリスト》、1470年代中頃、テンペラ・カンヴァス、68×81cm、ミラノ、ブレラ絵画館

 ◆画人伝より(5)

「マンテーニャの像に見入る人々よ
 あなた方は知るであろう
 この人物がかのアペレスに
 勝るとも劣らぬ巨匠たることを。」(p.136)

ボッティチェリ《ヴィーナスの誕生》 1485年頃/マンテーニャ《パルナッソス》 1495-97年頃


4.まとめ

この講義で紹介した美術館、教会など

ボッティチェリとマンテーニャ=古典古代の復興

ボッティチェリ=「アペレスの中傷」

マンテーニャ=「古代彫刻のほうがより完全で、より美しい」

アペレス:古代ギリシアの画家

メディチ家:コジモ・イル・ヴェッキオ(老)、ピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みの)、ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大な)

用語:マギの礼拝/ルネサンス/クアトロチェント

初期ルネサンス:1400年代

盛期ルネサンス:1500年から1520/30年

ヴァザーリの価値観:古典古代の賛美=ルネサンス