古萩―江戸の美意識―


授業の目標

・茶碗の見方について理解する。

・地域の文化について考察する。


1.古萩展の概要 会場写真

企画展/単館開催/テーマ展/陶芸展

会期・会場:

 10月20日〜12月9日 山口県立萩美術館・浦上記念館

古萩展実行委員会:

 山口県立萩美術館・浦上記念館、朝日新聞社、yab山口朝日放送


作品紹介

1. 《萩割高台茶碗》 江戸時代前期 口径 14.9 cm 器高 9.3 cm 高台径 6.8 cm 重量 436 g 山口県立萩美術館・浦上記念館

2. 《鬼萩井戸形茶碗》 江戸時代中期〜後期 口径 13.0 cm 器高 7.6 cm 高台径 5.2 cm 重量 258 g 個人蔵

3. 《萩井戸形茶碗 銘 閑雲》 江戸時代中期〜後期 口径 17.4 cm 器高 8.8 cm 高台径 5.5 cm 重量 486 g 個人蔵

4. 伝 三代坂新兵衛《萩茶碗》 江戸時代前期 口径 14.1 cm 器高 8.2 cm 高台径 6.8 cm 重量 435 g 岩国美術館・柏原コレクション

5. 《萩茶碗 銘 閑居》 江戸時代中期〜後期 口径 14.0×13.6 cm 器高 9.1 cm 高台径 5.3 cm 重量 266 g 岩国美術館・柏原コレクション

6. 《萩茶碗》 江戸時代前期〜中期 口径 12.5 cm 器高 7.7 cm 高台径 5.8 cm 重量 304 g 財団法人 菊屋家住宅保存会

7. 《萩茶碗》 江戸時代後期 口径 11.3×10.9 cm 器高 7.7 cm 高台径 6.1 cm 重量 296 g 岩国美術館・柏原コレクション

8. 七代坂助八《萩茶碗》 江戸時代後期 口径 15.0×14.7 cm 器高 5.6 cm 高台径 5.3 cm 重量 191 g 岩国美術館・柏原コレクション

9. 《萩四方茶碗》 江戸時代中期〜後期 口径 13.6×13.5 cm 器高 9.0 cm 高台径 6.0 cm 重量 292 g 財団法人 菊屋家住宅保存会

10. 《萩筆洗形茶碗 銘 柴舟》 江戸時代中期 口径 13.3 × 12.1 cm 器高 7.2 cm 高台径 5.8 × 5.3 cm 重量 276 g 財団法人 菊屋家住宅保存会

11. 《萩茶碗》 江戸時代中期 口径 13.5×12.3 cm 器高 8.2 cm 高台径 5.7 cm 重量 372 g 財団法人 菊屋家住宅保存会

12. 伝 初代坂高麗左衛門《萩茶碗 銘 張良》 江戸時代前期 口径 14.5 × 11.3 cm 器高 7.5 cm 高台径 6.2 × 5.0 cm 重量 353 g 個人蔵

13. 《萩割俵形茶碗》 江戸時代中期 口径 14.0×12.5 cm 器高 6.7 cm 高台径 4.6 cm 重量 246 g 財団法人 菊屋家住宅保存会

14. 《萩綴目茶碗》 江戸時代中期 口径 12.3×12.1 cm 器高 8.1 cm 高台径 5.9 cm 重量 275 g 岩国美術館・柏原コレクション


用語解説

割高台:高台を1ヵ所から4ヵ所程度欠き割ったものの総称。切高台ともいわれる。

金継ぎ: 割れたり欠けたりした陶磁器を漆で接着し、継ぎ目に金や銀、白金などの粉をまいて飾る修理方法。

:焼成することによて、陶磁器の胎土(素地)の表面に、ガラス質の被膜をなすものの総称。「うわぐすり」と訓み、釉薬ともいう。 スライド

鬼萩手(おにはぎで):粗い砂目の素地土でつくられた萩焼。この素地土は、水簸(すいひ)してえられた精緻な土質に、粗砂を練り混ぜて得られる。精細な素地土だけでつくったもの「姫萩手」ともよぶ。  スライド

貫入:釉面にできた罅割れのこと。釉と胎土(素地)の熱膨張の差によっておこる。釉としては、欠点といえる現象だが、これを装飾的効果ととらえれば、鑑賞上のポイントとなる。  スライド

「用語解説」、『古萩―江戸の美意識―』展図録(古萩展実行委員会、2012年)、244-245頁。

「主な茶碗の形」「主な高台の種類」「主な口作りの種類」


近世萩焼 略年表

1588(天正15)年 毛利輝元、上洛して豊臣秀吉、千宗易らと親交
1592(文禄元)年 <文禄の役>輝元、秀吉の命により細工人等を招致
1600(慶長5)年 <関ヶ原の役>西軍破れて輝元隠退。家康より周防・長門2か国を受領
1604(慶長9)年 輝元、萩に入府。李勺光、李敬ら広島より萩へ移住
1625(寛永2)年 輝元没。李敬(坂助八)、毛利秀就より「高麗左衛門」に任じられる
1638(寛永15)年 松江重頼『毛吹草』に、長門「萩 焼物」と記す
1634(寛永11)年 初代高麗左衛門、岩国藩吉川家へ茶碗等を進上
1640(寛永17)年 毛利秀元、品川御殿で大茶会。家光らを招待
1689(元禄2)年 毛利吉就、初代三輪休雪の細工を上覧
1705(宝永2)年 三代坂新兵衛、東大寺落慶式に大仏茶碗を寄進
1744(延享元)年 四代三輪休雪、藩命により楽焼修業のため上洛
1826(文政9)年 八代坂高麗左衛門、大坂、京都にて名器を写し帰る

「近世萩焼関係年表」、『古萩―江戸の美意識―』展図録(古萩展実行委員会、2012年)、248-259頁。


江戸の美意識

@高麗茶碗とは、15世紀末から16世紀初頭にかけて起こった侘数寄の美意識の深まりとともに茶の湯の世界で認知されるようになった、朝鮮半島南部の民窯産の用途を喫茶に限定しない陶磁の碗・鉢で、日本の茶人によって茶碗に「見立て」られた。

A高麗茶碗は、16世紀後半には、三島・狂言袴・暦手・井戸といった分類名称が通行するほど茶の湯の世界に浸透し、とりわけ千利休の侘数寄の理念が指導的地位を確立する1580年代以降は、従来茶の湯で重視されてきた天目や青磁など唐物の茶碗に取って替わって、喫茶具の中心的存在となった。

B高麗茶碗の評価は、17世紀以降も高まり、その分類名称を一層細やかに分かちつつ茶会におけるさらなる需要増をもたらしたが、その結果「見立て」られる朝鮮産の陶磁碗から、茶人の美意識や好みを具現するために注文生産される朝鮮産の茶碗となった。

石崎泰之「古萩を観るために―近世萩焼茶碗の造形性から」、『古萩―江戸の美意識―』展図録(古萩展実行委員会、2012年)、206頁。

萩焼の捉えがたさ

“捉えがたい対象としての萩焼茶碗という認識は、江戸後期に茶人や目利きといった人々の間で共有されていた。伊勢田丸藩の家老職を務めた金森得水(1786-1865)の『本朝陶器攷証』(1860年刊)の巻三に再録された、京都の田内梅軒の『陶器考幷附録』(1854年刊)という目利きの指南書には中国南部・ベトナム・朝鮮などと思われる他国産の輸入品のほか丹波産製品など約10種の陶磁器が、萩焼に「入交ル」と記されている。同書中にこれほど多くの他産地陶磁器との混交を注意喚起した記述はなく、当時から目利きの難しい、多様な造形性を包含した国焼としての認識があったことがうかがえる。”

石崎泰之「古萩を観るために―近世萩焼茶碗の造形性から」、『古萩―江戸の美意識―』展図録(古萩展実行委員会、2012年)、209頁。


2.まとめ

 ・茶碗の見方

―形と景色

―碗形、杉形、半筒形、井戸形、熊川形

―釉、枇杷釉調、貫入、チリメン皺、梅花皮(かいらぎ)

―「萩の七化け」(使い込むほどに出てくる味わい)

 ・地域の文化

―地域文化の研究拠点としての美術館

―調査、集積、発信

―研究成果を共有する手段としての展覧会(=企画展)

―自分が住んでいる地域について学ぶ

―文化継承の担い手としての市民