会田誠―天才でごめんなさい


授業の目標

・展覧会図録について理解する。

・企画展の社会性について考察する。


1.「会田誠―天才でごめんなさい」展の概要 会場写真

企画展/回顧展/個展

会期:2012年11月17日〜2013年3月31日

会場:森美術館

主催:森美術館

協賛:株式会社大林組、三建設備工業株式会社、新菱冷熱工業株式会社、株式会社九電工

特別協賛:会田誠:平成勧進プロジェクト

協力:ミヅマアートギャラリー、シャンパーニュ ニコラ・フィアット、ボンベイ・サファイア

メディア・パートナー:niconico


展覧会図録

・展覧会図録は、企画展の開催に合わせて刊行される。出品作品の図版をカラー等で掲載したカタログ部分のほか、企画趣旨について述べた論文、出品作品リスト、作家略歴や年譜、作品解説、参考文献リスト、謝辞などから成る

・企画趣旨について述べた論文は、開催館の展覧会担当学芸員が執筆するほか、大学の研究者や他館の学芸員、エッセイストなど外部の専門家に依頼して、複数の論文が掲載されることもある。巡回展の場合、巡回各館の学芸員がそれぞれ章立てやテーマ毎に論文を寄稿する

・出品作品リストは、制作年、サイズ、素材と技法、所蔵先など、個々の作品の基本情報一覧である。回顧展の場合、出品歴や図版の掲載歴も記載され、作品研究の基礎情報となる

・通常、展覧会会期の初日から開催美術館のミュージアムショップで販売され、会期中に売り切ることを目指す。発行部数は1,000部程度から10,000部以上まで、展覧会の集客数見込みに応じてさまざまある。観客総数の7%程度が購入すると見込まれている(約15人に1人が購入)

・会期中に完売しない場合、巡回展であれば、次の会場で売られ、単館開催であれば、開催館で会期終了後も販売される。完売した時点で「品切れ」となり、増刷や復刊はされない(海外の美術館の企画展に復刊の事例有り)。 現代美術展の場合、会期途中や終了後に刊行される場合もある

・公立美術館で開催される展覧会の図録の場合、利益は見込まれていない(制作費÷部数=価格)ことが多い


作品紹介

1. 《鶯谷図》、1990年、岩顔料、アクリル絵具、ピンクチラシ、パネル、190×245 cm、渡井悠貴氏蔵

2. 《ポスター(全18連作)》(小1)(小2)(小3)(小4)(小5)(小6)(中1)(中2)(中3)、1994年、ポスターカラー、鉛筆、クレヨン、油性マーカー、画用紙、54.7×70.6 cm (×12)、70.6×54.7 cm (×6)
 

3. 《美しい旗(戦争画RETURNS)》、1995年、二曲一双屏風、木炭、大和のりをメディウムにした自家製絵具、アクリル絵具、襖、蝶番、各174×170 cm、高橋コレクション(東京都現代美術館寄託)

4. 《犬(雪月花のうち“雪”)》、1998年、岩顔料、アクリル絵具、ちぎり絵用の和紙、和紙、パネル、73×100 cm、個人蔵(群馬県立近代美術館寄託)

5. 《ユア・プロナンシエイション・イズ・ロング》、2000年、タイプCプリント、46.8×70 cm

6. 《ジューサーミキサー》、2001年、アクリル絵具・カンヴァス、290×210.5 cm、高橋コレクション

7. 《ガールズ・ドント・クライ》、2003年、タイプCプリント、106×75 cm、共同制作:声

8. 《高過ぎる日の丸(「みんなといっしょシリーズ」より)》、2003/2012年、紙にインクジェットプリント、c.150×110 cm

9. 《イマジン(「みんなといっしょシリーズ」より)》、2003/2012年、紙にインクジェットプリント、c.150×110 cm

10. 《考えない人》、2012年、FRP、その他、約300 cm


会田誠展覧会図録の構成

会田誠「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」
会場写真(見開き6点)
南條史生「ごあいさつ」
目次
片岡真実「混沌の日本の会田誠」
図版
Chapter 1 大宇宙的絵画
Chapter 2 「戦争画RETURNS」シリーズ
Chapter 3 日本的であることの再考
Chapter 4 トリックスターと解放の笑い
Chapter 5 美少女と残虐性、エロスとグロテスク
Chapter 6 価値の転換
Chapter 7 日本社会を反映する
Chapter 8 会田哲学と禅問答
Chapter 9 モニュメント・フォー・ナッシング
山下裕二「偽悪者・会田誠―日本美術史からの確信犯的引用について」
デヴィッド・エリオット「ものごとの表面―会田誠のドン・キホーテ的世界」
作品リスト
作家略歴・主要参考文献
謝辞


会田誠の言葉

 ・ポスター(全18連作)

子どもの頃に学校の美術(図画・工作)の授業で描かされた、道徳的なスローガンの「児童ポスター画」を、ヒネリやデフォルメを加えて再現した(つまりすべて僕が28歳の時に新たに描いた)シリーズ。この「子どもの純粋を大人が利用する構図」に、いつの頃からか抵抗や嫌悪を感じていたのが動機。僕らしいシミュレーションアートが作れたと思っている。

出典: 『会田誠―天才でごめんなさい』展図録(森美術館、2012年)、135頁。

 ・「犬」シリーズ

これは大きなターニング・ポイントになったシリーズ。2年間は絵画(のフリ、にせよ)を描くことを決めて大学院(しかも、いちばん固い油画技法材料研究室)に進み、与えられたアトリエで最初に手掛けたのが、その原型となったドローイング(1989年)だった。…(中略)…こんな、観衆に対する心理的効果を考えるということ自体、それ以前の僕にはほとんどありえない態度だった。また作品の題材を「自分」限定から、様々なレベルにおける「我々」に変換することで、捨てるものも多かったが拾うものも多かったと思う。例えばこの試作品をちょうど描き終えた頃、世間を騒然とさせた「宮崎勤事件(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)」が発覚した。素直にものを作っていれば、時代とのシンクロが起きることもあると悟ったのは、あれが最初だった。

出典: 『会田誠―天才でごめんなさい』展図録(森美術館、2012年)、114頁。


会田誠 略年譜

1965年 新潟県に生まれる
1989年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
1991年 東京藝術大学大学院美術研究科修了
1992年 「絵は四角くなくなくてもよい」 谷中ふるふる
1994年 「昭和40年会 in なすび画廊」 六本木WAVE
1996年 「NO FUTURE」 ミヅマアートギャラリー
1997年 「こたつ派」 ミヅマアートギャラリー
1999年 「道程」 三菱地所アルティアム/「日本ゼロ年」 水戸芸術館現代美術ギャラリー
2000年 「オープン・スタジオ」 インターナショナル・スタジオ・プログラム、ニューヨーク
2001年 「メガ・ウェイブ―新たな統合に向けて」横浜トリエンナーレ2001 パシフィコ横浜
2012年 「ジパング展―沸騰する日本の現代アート」新潟県立万代島美術館

参照: 「会田誠―略歴」、『会田誠―天才でごめんなさい』展図録(森美術館、2012年)、228-230頁。


2.まとめ

 ・展覧会図録

―美術館の企画力の表現と記録

―研究資料としての学術的な有用性

―過去に開催された展覧会の図録の積み上げの上に新しい展覧会が企画される

―映画監督や俳優に注目して映画を見るように、企画者や参加作家に着目して美術展を見る

 ・企画展の社会性

―地域社会の文化発信

―社会に対する批判精神

―企画者の批判的な視点と現代美術家の批判的な視点

―公立美術館(国立、県立、市立、町立)と私立美術館