国際企画展の歴史


1.国際企画展部門の歴史

1999年 第48回 ハラルド・ゼーマン 「全開放」
2001年 第49回 ハラルド・ゼーマン 「人類のプラトー」
2003年 第50回 フランチェスコ・ボナーミ 「夢と衝突」
2005年 第51回 マリア・デ・コラール「アートの経験」/ローザ・マルティネス「いつも少しだけ先へ」
2007年 第52回 ロバート・ストー 「感覚で考え、心で感じる―現在形の美術」
2009年 第53回 ダニエル・バーンバウム「世界を構築する」
2011年 第54回 ビーチェ・クリーガー「照明/国家群」
2013年 第55回 マッシミリアーノ・ジオーニ「百科事典的な宮殿」


2.Platea dell’Umanita

・私はつねに「プラトー・デア・メンシュハイト(人類のプラトー)」はテーマではなく、次元(ディメンション)だと主張してきた。

・「全解放」のあとの「プラトー」。この概念は多くの概念を内包している。それは大地であり、基礎であり、土台であり、プラットフォームである。ビエンナーレは人類の鏡であり、またプラットフォームなのだ


3.作品紹介

 1993年

「具体」の特別展示、ジャルディーニ、第45回国際美術展

 1999-2001年

ハラルド・ゼーマン(1933-2005)「人類のプラトー」

「人類のプラトー」

 2003年

フランチェスコ・ボナーミ

ジャルディーニ入口

ジャルディーニ

1. サンディ・ヒラル&アレサンドロ・ペティ(パレスチナ)《国籍なき国家》

2. リヴァーニ・ノイエンシュヴァンダー(ブラジル)《球 2003》(部分)

 2005年

マリア・デ・コラール/ローザ・マルティネス

ジャルディーニ入口

3. イタリア館:バーバラ・クルーガー(アメリカ合衆国)《無題(ファサード)》

4. ジョアナ・ヴァスコンセロス(ポルトガル)《花嫁》(部分)

5. ゲリラ・ガールズ(アメリカ合衆国)《メトロポリタン美術館に入るのに女は裸にならねばならないか?》

6. ゲリラ・ガールズ《ヴェネツィアの女性美術家はどこ?―男たちの支配下に》

 2007年

ロバート・ストー

ジャルディーニ入口

7. イタリア館:ローレンス・ウィナー(アメリカ合衆国)展示風景

8. ジグマール・ポルケ(ドイツ)展示風景

9. 束芋《ドールフルハウス》

10. 加藤泉 展示風景

アルセナーレ入口

 2009年

ダニエル・バーンバウム

ジャルディーニ入口

ジャルディーニ

11. トマス・サラセーノ(アルゼンチン)《蜘蛛の巣をつたって集まる水滴のように、細い糸に沿って形成される銀河》

12. オノ・ヨーコ 展示風景《釘を打つ絵画》

アルセナーレ入口

 2011年

ビーチェ・クリーガー

13. 中央館:ジョシュ・スミス(アメリカ合衆国)《照明/国家群》

 2013年

マッシミリアーノ・ジオーニ

14. マリノ・アウリーティ(イタリア)《百科事典的な宮殿》、1955年

15. カール・グスタフ・ユング(スイス)《赤の書》(レプリカ展示1)(2)、1914-30年


4.Il Palazzo Enciclopedico

・イタリアに生まれてアメリカで活躍した美術家マリノ・アウリーティ(Marino Auriti, 1891-1980)が1955年にアメリカの特許局のためにデザイン

・700メートル136階建て、16ブロックを占め、車輪から人工衛星まであらゆる世俗の知識を集積

・すべての知識を一堂に集めるというアウリティの野心的なアイデアは、さまざまな時代の美術家や作家、科学者たちに通じるものであり、ビエンナーレもまた、無限の広がりを持つ現代美術の世界を一箇所に集約しようという不可能な欲望に基づいている


5.まとめ

 ・国際企画展部門の歴史

―1999年の第48回展から2013年の第55回展まで8回続く

―人類のプラトー:「ビエンナーレは人類の鏡」

―百科事典的な宮殿:「不可能な欲望」

―さまざまなキュレーターによる「ビエンナーレ論」

 ・イル・パラッツオ・エンチクロペディコ

―イタリア人建築家の再評価

―美術家以外の作家、科学者、アウトサイダーなど

―百科事典的:美術館→博物館

―美術史→人類学