百科事典的な宮殿3(アルセナーレ屋外)/日本館


1.アルセナーレ屋外(地図)

・テーゼ劇場前(17)

・ガッジャンドレ(18)

・ジャルディーノ・デッレ・ヴェルジーニ(19)

1. エリク・ファン・リースホウト(1968- オランダ)《治癒》(1)(2)(3)、2013年

2. ラグナー・キャルタンソン(1976- アイスランド)《S.S. ハングオーヴァー号》(1)(2)、2013年

3. ジャルディーノ・デッレ・ヴェルジーニ 旧造船所入口の見張り塔

4. パウロ・ナザレス(1977- ブラジル)《私の母の聖人たち》(1)(2)(3)、2013年

ジャルディーノ・デッレ・ヴェルジーニ

5. ヒト・シュタイエル(1966- ドイツ)《どうしたら見られずにすむか―誰でも分かる映像ファイル》(1)(2)、2013年

6. ブーシュラ・ハリーリ(1975- モロッコ)《路上の言葉》、2013年

7. ヨーン・ボック(1965- ドイツ)《白熱する沈黙点の上に》 (1)(2)(3)、2013年


2.日本館

8. 田中功起(1975- )「抽象的に話すこと―不確かなものの共有とコレクティヴ・アクト」(日本館外観)

9. 田中功起《公衆への絵画》、2012年

日本館入口

10. 田中功起「抽象的に話すこと」展示風景(1)(2)

11. 2012年の建築ビエンナーレ「ここに、建築は、可能か」(金獅子賞受賞)

12. 田中功起《ひとつの陶器を5名の陶芸家でつくる》、2013年

13. 田中功起《9人の美容師でひとりの髪を切る》、2010年

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展 日本館ホームページ

http://2013.veneziabiennale-japanpavilion.jp/index.html

「抽象的に話すこと―不確かなものの共有とコレクティヴ・アクト」のためのステートメント

蔵屋美香+田中功起
下線は引用者による

かつてない規模の東北大震災を経験した日本は、世界に向けてどのようなメッセージあるいは問いを発するべきでしょうか。第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展において、日本館は、いかなる形の表現を取るのであれ、なにかしらの方法論によって、それが具体的なアプローチをとるにせよ、抽象的な思考をうながすものであるにせよ、震災以後の日本の状況を反映したものが展開されるべきだと思っています。

今回のプランでは、展覧会以前から継続して行われている複数のプロジェクトたち、「不安定なタスク」と呼ばれる集団行為、特殊な状況下での人びとの共同作業のプロセス映像、それらの記録の集積としての展覧会、プロセスに言及するテキストとカタログ、そうした構成要素すべてを同列に扱い、「他者の経験を自分のものとして引き受けることはいかにして可能か」あるいは「出来事の経験はいかにして共有もしくは分有されるのか」というテーマに取り組みます。

アーティストである田中もキュレーターである蔵屋も、停電や放射線被害など、間接的なかたちで震災を経験しています。一方、近親者や家財を失った人びとや、原発事故により生活圏から離れざるを得なかった人びとの直接的な経験がそこには対峙され、ぼくらは当事者と傍観者の間で引き裂かれているように感じています。しかし、日本国外からすれば日本人すべてが被災者として理解され、東京と福島の距離関係さえも定かではない人びとも多くいます。そうした中で、それぞれの経験に差を付けることに意味があるのでしょうか。ぼくたちは、それぞれの個人として、この世界をばらばらの仕方で享受し、解釈し、理解しようとしています。

さまざまな大小、濃淡で大きな出来事を経験した人びと、あるいはその出来事から遠く離れた国や地域に住む人びと、または時間を隔てた後代の人びと、ぼくらはそうした空間的、時間的な距離の中に無数に配置された点です。いままでプロジェクトが行われたそれぞれの場所とこの展覧会、そして今後さらに継続されるプロジェクトたちは、いわば無数の点であるぼくたちが交差し、滞留しうる受け皿として設計されています。

さまざまな階層へと複数化された経験、そうした共有しえない経験の層を束ねることで、なんとか物事/出来事/世界を理解するための可能性を探ることはできないでしょうか。具体的な事象を少し抽象的に語り直すことで、物事への理解を助けることはできないでしょうか。

出来事への理解と経験共有のためのささやかなプラットフォーム、一時的な展覧会という契機を越えて、それらは構想され、作られたものです。
 

田中功起によるアーティスト・ステートメント   下線は引用者による

 a, staircase
 a behavioral statement (or an unconscious protest)

例えばぼくらは自分自身の中に複雑な問題を抱えている。それは個々の固有の問題なわけだし、それが誰かの問題と交わることはあまりないだろう。問題はいつも痛みを伴い、その痛みは他者とは共有できないものだ。 例えば同情や共感は、痛みを持つ者と持たぬ者のボーダーをむしろ強化してしまう。同情のベクトルは常に痛 みを持たぬ者から持つ者へと向かっている。逆はありえない。だからぼくらは同情ではなく、別の方法でもって関わりを模索するべきだろう

震災から一年以上が経過したが(このテキストはアーティスト・ステイトメントとして2012年5月に発表されたものに基づいている)、いまだに瓦礫の処理や仮設住宅、原発の問題も含めて状況は続いている。震災の後、たくさんのアーティストや建築家、音楽家、映像作家などが現地でボランティアをしたり、自身の活 動を反映した行動を起こしたりしている。それは一時的な反応ではなく継続的なものだ。今年の建築ビエンナーレの日本館でもそうしたプロジェクトのひとつが発表される。震災後の最初の数ヶ月、多くの日本人アーティストが抱いた問いは「アートはこの出来事に対してなにができるのか」であった。そしてその問いはいまも 多くのアーティストの中で問われ続けていると思う。直接的な行動を起こすものもいれば、以前と変わらぬ活動を続けることで間接的に応えようとするものもいる。

ではこのぼくには何ができるのだろうか。いや、ぼくにとっての問いはむしろ、この出来事がぼくらにもたらしたものは何かを考えることだ。そのひとつは、おそらくいままでの日本にはなかった社会的に共有されうる強烈な文脈が生じたということだ。この文脈を通して日本社会を見るとき、ぼくらの何気ない行為は、あの日を境に別の背景を持つことになった。例えばぼくらはときに階段を使う。エレベータやエスカレータを使わず に階段を使う。いままでならば健康のためやエコロジーのためと言うこともできただろう。でも、いまこの日本において、「ただ階段を上り下りする」という行為は別様に読み替えることができるはずだ。それはいわば電気(=原子力発電)に頼らないという態度でもある、もちろん本人たちにはその意図がないのだとしても。 たくさんのひとが階段を下りる姿を東京の駅で見かけたとき、ぼくにはそれがある種のデモンストレーション に見えた。新しい行動を起こすのではなく、いままでのぼくらの行為を見直し、抽出し、背景を読み替えること。そうすることによって、特定の地域における特殊な問題は広く一般化され、誰も無視することができなくなるだろう。

 e, haircut
 a haircut by 9 hairdressers at once (second attempt)

僕らは社会の中に生きている。ならば、他者と関わらずに生活をすることはなかなか難しい。そこにはさまざまな大きさの共同作業が含まれる。友人同士でディナーになにを食べるのかを話し合うことから、国家プロジェクト・チームの一員としてクリーン・エネルギー開発事業に従事するといったことまで。いずれにしても僕らは他者との話し合いの中で、ときには合意し、ときには敵対しつつ、なんとかやっている。たとえばこうした共同作業を少しインテンシブな状況として組織し、記録することはできないだろうか、と考えた。なぜならば、こうした共同作業の中に僕らの社会は反映されるだろうし、そこに僕ら人間の美しさもあるいは醜さも表れるだろうと思ったからだ。

一つ目に行ったのは、複数の美容師にひとりのモデルの髪をカットしてもらうということ。二つ目は一台のピアノを五名のピアノ科の学生たちに弾いてもらうということ。三つ目は、五名の詩人たちにひとつの詩を書いてもらうということ。四つ目は複数の陶芸家にひとつの陶器を形作ってもらうというもの。

一連のプロジェクトの中でとくに気をつけたのは、できるかぎりばらばらのバックグラウンドを持つ人びとに集まってもらうということ。「ヘアカット」ではサンフランシスコという場所の特性が反映し、さまざまなナショナリティの人びと、また仕事の経験年数の異なる人びとが参加し、「ピアノ」ではジャズ、即興音楽、クラシックという大学での複数の音楽ジャンルが背景となり、「詩」では現代詩というジャンルの中でさまざまな方向性、文体の違う詩人が集められ、「陶芸」では田舎にこもって陶芸を行う者、陶芸ワークショップの経営者、陶芸のドキュメンタリー映画を作るひと、年齢を重ねてから陶芸をはじめたひとなど異なる立場の陶芸家が参加した。

アートにおいてもそうだけれども、僕らは「結果」を重視する。オリンピックなどに代表されるスポーツの世界では金メダルを獲得することが至上命令となる。しかし、そのひとが金メダルをとったにせよ、とれなかったにせよ、そのひとの人生はそのあとも続いていく。村上春樹がどこかで書いていたけど、テレビを通して見るオリンピックとは違って、現場で見るオリンピックはとても退屈なものであるという。なぜなら試合は一瞬であり、その前後に準備時間があり、さらにオリンピック後先にはその選手の人生の時間がある。テレビが映さなかった選手たちの実際の世界がそこには広がっている。「結果」は一瞬のうちに訪れる。でも、それ以前、以後のプロセスの中には膨大で複雑な物事がつまっている

共同作業のプロセスを記録する、ということは「結果」のみを称揚することへのひとつの抵抗でもある。ヘアカットが失敗しても髪はのびるし、またカットに行けばいい。演奏がうまくいかなかったらまた弾けばいい。いい詩が書けるときもあるし、書けないときもあるだろう。陶芸だって、結局のところ窯に入れて焼いてみないとわからない。結果の善し悪しによらず、まずはなにかを「作る」という行為、そのプロセスに着目すること、その上でぼくはひとまず「作る行為」そのものを肯定的に捉えてみたいと思う。


3.まとめ

 ・アルセナーレ地区の課題

―前半部分と最奥部との連続性

―アルセナーレ北地区へのアクセス

―ジャルディーノ・デッレ・ヴェルジーニの環境整備

―ジャルディーノ側入口の活用

 ・コレクティヴ・アクト

―共同作業が浮き彫りにする参加者同士の考え方の違い

―水平な関係性から生み出される新たな成果

―失敗を「恐れない/受け入れる」社会の構築

―違いを排除しない共生社会