五百羅漢図―幕末の鬼才 狩野一信


五百羅漢図展の概要 会場写真

 企画展/単館開催/個展/回顧展

 会期・会場:

2013年10月10日〜12月8日 山口県立美術館

主催:五百羅漢図展実行委員会(山口県立美術館、朝日新聞社、yab山口朝日放送)

監修:山下裕二(明治学院大学教授)

企画協力:広瀬麻美(浅野研究所)

特別協賛:ミサワホーム中国山口支店

特別協力:エフエム山口

後援:九州朝日放送、広島ホームテレビ


展覧会図録

・展覧会図録は、企画展の開催に合わせて刊行される。出品作品の図版をカラー等で掲載したカタログ部分のほか、企画趣旨について述べた論文、出品作品リスト、作家略歴や年譜、作品解説、参考文献リスト、謝辞などから成る。

・企画趣旨について述べた論文は、開催館の展覧会担当学芸員が執筆するほか、大学の研究者や他館の学芸員、エッセイストなど外部の専門家に依頼して、複数の論文が掲載されることもある。巡回展の場合、巡回各館の学芸員がそれぞれ章立てやテーマ毎に論文を寄稿する。

・出品作品リストは、制作年、サイズ、素材と技法、所蔵先など、個々の作品の基本情報一覧である。回顧展の場合、出品歴や図版の掲載歴も記載され、作品研究の基礎情報となる。

・通常、展覧会会期の初日から開催美術館のミュージアムショップで販売され、会期中に売り切ることを目指す。発行部数は1,000部程度から10,000部以上まで、展覧会の集客数見込みに応じてさまざまある。観客総数の7%程度が購入すると見込まれている(約15人に1人が購入)。

・会期中に完売しない場合、巡回展であれば、次の会場で売られ、単館開催であれば、開催館で会期終了後も販売される。完売した時点で「品切れ」となり、増刷や復刊はされない(海外の美術館の企画展に復刊の事例有り)。 現代美術展の場合、会期途中や終了後に刊行される場合もある。

・公立美術館で開催される展覧会の図録の場合、利益は見込まれていない(制作費÷部数=価格)ことが多い。


作品スライド

1, 2. 《名相》、第1幅、第2幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

3, 4. 《論議》、第15幅、第16幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

5, 6. 《六道 地獄》、第23幅、第24幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

7, 8. 《六道 天》、第37幅、第38幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

9. 《十二頭陀 冢間樹下》、第37幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

10. 《十二頭陀 露地常坐》、第38幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

11, 12. 《神通》、第51幅、第52幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

13, 14. 《禽獣》、第61幅、第62幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

15, 16. 《龍供》、第71幅、第72幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

17, 18. 《七難 風》、第83幅、第84幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

19, 20. 《四洲 北》、第99幅、第100幅、絹本着色、172.3×85.3 cm、増上寺蔵

21. 《東照大権現像》、1855年(安政2年)、絹本着色、85.4×42.8 cm、公益財団法人 徳川記念財団

22. 《七福神図》(部分)、1856年(安政3年)〜1862年(文久2年)頃、絹本着色、165×85 cm、個人蔵


五百羅漢とは

羅漢は、梵語で「尊敬される価値のある人」を意味するArhat の漢語訳で、阿羅漢ともいい、釈迦の涅槃後から彌勒菩薩の出現によって末法の世が救われるまでの56億7,000万年の間、仏法を護り伝える使命を与えられた仏弟子である。五百羅漢は、一説に仏滅後、釈迦の教えを経典としてまとめた第一結集に参集した500人の羅漢に求められるという説があり、一方で法華経には、釈迦が生前に法を付与した500人の弟子について説かれる箇所があって、その根拠については諸説ある。


「五百羅漢図」展覧会図録の構成

ごあいさつ
山下裕二「その後の狩野一信と五百羅漢図―江戸東京博物館から山口県立美術館へ」
岡本麻美「幕末生まれの『五百羅漢図』」
図版
 五百羅漢図 全百幅一覧
 五百羅漢図
 釈迦文殊普賢四天王十大弟子図
 東照大権現像
 布袋唐子図
 七福神図
 村林彦治郎像
 西王母図
井手誠之輔「日本における五百羅漢図の展開―大徳寺系五百羅漢図から一信の増上寺本へ」
資料1 大雲「新図五百大阿羅漢記」
資料2 狩野一信年譜
資料3 参考文献
出品リスト


五百羅漢図の構成

第1部(1〜10幅):羅漢の日常生活

第2部(11〜20幅):日々の仕事に勤しむ羅漢

第3部(21〜40幅):六道をめぐる救済の旅(地獄×4、鬼趣×4、畜生×2、修羅×2、人×4、天×4)

第4部(41〜50幅):欲を滅する12の修業

第5部(51〜60幅):羅漢神通力の数

第6部(61〜70幅):霊獣を手なずけ、たわむれる

第7部(71〜80幅):作善と供養を行う羅漢(龍供×4、洗仏等×1、洗舎利×1、堂伽藍×4)

第8部(81〜90幅):七難から人々を救う(震×2、風×2、羅刹×1、悪鬼×1、刀杖×1、賊×1、枷鎖×1、盗×1)

第9部(91〜100幅):東西南北、四大陸へ(南×4、東×2、西×2、北×2)


狩野一信 五百羅漢図 関連年表

1816年(文化13) 江戸本所林町(現・墨田区立川)の骨董商の家に生まれる。琳派、四条派、土佐派等を学んだのち、狩野直信の幼名を受け、一信と号する
1840年(天保11) この頃、逸見やす(後の妙安)の婿となり、逸見姓を名乗る(?)
1848年(弘化5/嘉永元) 増上寺学僧・養鸕徹定が《五百羅漢図》(現・知恩院蔵)を購入
1853年(嘉永6) 了榮、《五百羅漢図》の造主となる
1854年(嘉永7/安政元) 10分の1原図や大下絵の制作に励む
1855年(安政2) 《東照大権現像》制作
1863年(文久3) 9月、第96幅まで描いて没する。12月、妙安により《五百羅漢図》が増上寺に奉納
1878年(明治11) 妙安、増上寺境内に羅漢堂を建立し、《五百羅漢図》を公開
1897年(明治30) 妙安、没する

参照: 白木菜保子「狩野一信年譜」、『大本山増上寺秘蔵 五百羅漢図―幕末の鬼才 狩野一信』展図録(五百羅漢図展実行委員会、2013年)、198-201頁。


五百羅漢図展の入館者数

江戸東京博物館(2011年) 10万人

サックラー美術館(2012年、ワシントン) 30万人

山口県立美術館(2013年)

10月10日開幕
11月1日(20日目) 1万人突破
11月15日(32日目) 2万人突破
11月26日(41日目) 3万人突破
12月6日(50日目) 4万人突破
12月8日(52日目) 4万6,000人超の入館者で終了


まとめ

 ・展覧会図録

―美術館の企画力の表現と記録

―研究資料としての学術的な有用性

―過去に開催された展覧会の図録の積み上げの上に新しい展覧会が企画される

―映画監督や俳優に注目して映画を見るように、企画者や参加作家に着目して美術展を見る

 ・企画展の入館者数

―「成果」を求められる美術館

―入場料(一般1,200円)×入館者数(2万人)=2,400万円?

―無料入館者(五百羅漢図展は18歳以下無料)

―数値化できるものとできないもの