期末試験問題概略告知
一、講義で紹介した展覧会について基礎的な知識を問う(但し、第十一講を除く)/○×問題/一〇問/各二点(二〇点)
二、十九世紀の美術について述べた文章の空欄に適切な用語を選んで文を完成させよ/穴埋め問題・選択肢あり/一〇問/各二点(二〇点)
三、企画展について、指定される五つの用語を適切に用いて論述せよ/論述問題・用語指定/字数制限なし/二〇点
四、 あなた自身が生活している地域の美術館と人々との関わりについて、この講義で学んだ内容を踏まえて、現状の問題点とその解決方法を論ぜよ。解答者自身の経験に則して、具体的に記述すること/論述問題・自由形式/字数制限なし/四〇点
成績評価方法
試験:一〇〇点満点×〇.七(計七〇点)
課題レポート:一〇点
出席:一二回=一二点(欠席毎マイナス一点 例:欠席三回=出席点九点)
※最初の一回、および第十一講をカウントしない
授業態度等の調整点:全回出席者にプラス二点
そのほか授業への参加度をオピニオンシートの回答等をもとに六〜一〇点の範囲で加算
美学・美術史特殊講義(後期)試験問題
実施日時 二〇一四年一月二十八日(火)
12時50分〜14時20分(90分)
(各二点、計二〇点)
一、次に示される(1)〜(10)の短文のうち、内容の正しいものに○印を、誤ったものに×印をそれぞれ解答用紙の各欄に記せ。
(1)ゴッホがパリ時代に描いた《ヒヤシンスの球根》の裏面には、当時パリで日本の物産や美術品を販売していた起立工商会社の社名が見られる。
(2)ゴシック期のタペストリーで好まれた処女の膝に抱かれる一角獣の情景は、聖母マリアの処女懐胎を象徴していた。
(3)ギリシア中部のタナグラで生まれたタナグラ人形は、各地で模倣された結果、地中海地域のさまざまな場所から出土する。そのため、ギリシア文化の伝播を確認する指標の一つとされる。
(4)第25回UBEビエンナーレの大賞は冨長敦也《Our Love》に、宇部興産株式会社賞は外礒秀紹《Sin》に贈られた。
(5)五百羅漢図展は、江戸東京博物館、ワシントンのサックラー美術館で開催されたのち、山口県立美術館へと巡回してきた巡回展である。
(6)一九〇一年、下関の三大呉服店・伊勢安の次男として生まれた河村幸次郎は、狩野芳崖、高島北海、香月泰男など、山口ゆかりの画家たちと交流があり、下関市立美術館に彼らの作品を多数寄贈した。
(7)ルオーは国立美術学校でローマ賞に挑戦して、二度受賞を逃したのち、師であるモローに退学を勧められた。
(8)イタリア旅行の成果を示したターナーの大作《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》の画面中央には、ラファエロの《大公の聖母》が描かれている。
(9)ラファエロ《エゼキエルの幻視》に描かれている天使、鷲、有翼の雄牛と獅子はそれぞれマタイ、ヨハネ、ルカ、マルコの四福音書記者を象徴する。
(10)東京国立博物館が所蔵する《洛中洛外図屏風 舟木本》を描いた絵師は、江戸時代初期に活躍した岩佐又兵衛である。
(各二点、計二〇点)
二、次の文を読み、空欄となっている( A )〜( J )に、のちに記されている(1)〜(30)のうち最も適当と思われる言葉を補い、文を完成せよ。解答用紙には、( A )〜( J )の各欄に該当する言葉を1〜30の番号で記すこと。
一七七五年四月生まれの( A )は、一七九九年にロイヤル・アカデミーの准会員、一八〇二年二月には二十六歳で正会員に推挙された。同年、英仏戦争の暫定休戦が実現し、( A )は、初めてアルプスを訪れる。息をのむような高峰が連なる景観は、( A )の想像力を刺激して、ロマン派的な風景表現へと向かう大きな転機となった。
一方日本では、十九世紀最初の二十五年間は、鎖国を維持するための妥協点を江戸幕府が模索する時期となった。一八〇四年にロシアの使節が通商を求めて長崎へ来航し、翌年、幕府は通商拒否を回答したものの、〇六年には外国船に対する薪水給与令を発する。その後、フェートン号事件(〇八年)や大津浜事件(二四年)を受けて、二五年には異国船打払令を出した。この間、遊女、花魁、茶屋娘などの美人画で人気を博した喜多川歌麿が一八〇六年に没し、江戸琳派の礎を築いた酒井抱一が、尾形光琳の没後百年を記念して、一八一五年に「光琳百回忌」を行っている。
《五百羅漢図》を描いた( B )が江戸に生まれたのが翌一六年、独学で西洋画の技法を身につけ、のちに《鮭》や《美人(花魁)》を描いて日本最初の洋画家と呼ばれるようになる( C )が生まれたのは、異国船打払令の三年後、一八二八年であった。
続く一八三〇年代は浮世絵の黄金期と言える。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」が刊行されたのがこの頃である。
ヨーロッパで歌麿の美人画や春画、北斎や広重の名所絵が高く評価され、( D )の流行が本格化するのが一八六〇年代。一八六七年の( E )万博には、江戸幕府のほかに、( F )と佐賀藩が参加した。将軍の名代として参加した昭武は、( G )の弟で当時十四歳。昭武の護衛を務めた水戸侍七人ほか、特別使節団のヨーロッパ滞在の様子は、会計係として同行した渋沢栄一の『航西日記』に詳しい。また、「えいに四十雀」、「撫子に魚」、「雄鳥に熊蜂」など日本的な図柄をあしらった食器セット「( H )・シリーズ」が発表されて話題となったのも同万博であった。
一八八六年三月にパリへやってきた( I )も、浮世絵を愛好したヨーロッパ人の一人である。広重の《亀戸梅屋敷》や《大はしあたけの夕立》を模写しているほか、自身の恋人を描いた《カフェにて―ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ》の画面右端にも浮世絵の美人画を描き込んでいる。
また、一八九八年に死去した( J )も日本の美術に関心を寄せていた。彼の死後、個人美術館となった邸宅には、蔵書もそのまま残されており、『北斎漫画』が含まれている。
(1)ラファエロ (2)ターナー (3)モロー (4)ルドン (5)モネ (6)ゴーギャン
(7)ゴッホ (8)ルオー (9)ルソー (10)ブラックモン (11)ビング (12)狩野永徳
(13)狩野尚信 (14)狩野一信 (15)徳川家定 (16)徳川家茂 (17)徳川慶喜 (18)川上冬崖
(19)高橋由一 (20)川村清雄 (21)小川一真 (22)レアリスム (23)ジャポニスム
(24)モダニスム (25)ロンドン (26)パリ (27)ウィーン (28)土佐藩 (29)長州藩
(30)薩摩藩
(二〇点)
三、企画展について、次の五つの単語を適切に用いて論述せよ(字数制限なし)。
予算の増額 エッセイスト 改修工事 自館のコレクション 共通経費
(四〇点)
四、あなた自身が生活している地域の美術館と人々との関わりについて、この講義で学んだ内容を踏まえて、現状の問題点とその解決方法を論ぜよ。解答者自身の経験に則して、具体的に記述すること(字数制限なし)。
評価基準は、秀=一〇〇〜九〇、優=八九〜八〇、良=七九〜七〇、可=六九〜六〇、不可=五九〜〇である。本試験の結果をもとに各自の出席数による調整点等を加算したものを評点とする。また、三、四の解答のうち優れたものは、試験問題を蓄積し、今期以後の学生の参考に供するため、ウェブ上で公開する予定である。