第十二回 ミケランジェロ(2)


1.はじめに

ミケランジェロ(1475-1564)

ミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画》 1508-12年


2.ミケランジェロ

 ◆画人伝より(1)(2)

「ミケランジェロのいないローマに、ラファエロ・ダ・ウルビーノの友人であり親戚であったブラマンテがいた。ミケランジェロとはほとんど友愛の情を持っていなかったブラマンテは、法王がミケランジェロの彫刻作品を愛惜し讃えているのを知り、ラファエルロと二人して、ミケランジェロが戻ったら、法王が自分の墓廟の完成を望まないよう、その野心から彼を引き離そうと考えた。生存中に墓を作るのは死に急ぐようなもので、悪い兆しだと言ったのである。そして二人は、ミケランジェロが帰ってきたら、法王の叔父シクストゥス法王追悼のために、シクストゥスがヴァティカン宮殿に建てたその礼拝堂の天井穹窿をミケランジェロに描かせねばならないと勧めたのである。こうしてそれは、ブラマンテや他のミケランジェロの競争者たちには、完璧であると思える彫刻からミケランジェロを引き離し、彼を破滅に追いやることにもなると思えたのだ。ミケランジェロはフレスコでの賦彩の経験がないので、彼に描かせれば、あまり感心しない作品を作らざるを得ず、ラファエルロほどうまくはできないと考えたからであった。そして万一彼がそれを描くのに成功したとしても、ことごとく法王と反目するだろうし、そうすれば、ある何らかの仕方で彼を法王の御前から追い出してしまうという彼らの目論見が成就されるというわけであった。」(pp. 175-176.)

ヴァチカン、ヴァチカン美術館群
 ※画像ソース: http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Watykan_Plac_sw_Piora_kolumnada_Berniniego.JPG

 ◆画人伝より(3)

「こうして、ミケランジェロがローマに帰ってみると、法王は一時的にせよ自分の墓廟を完成する気がなくなっており、代わりに礼拝堂の天井穹窿を描くよう、彼に命じたのである。ミケランジェロは墓廟を完成させたかった。そしてこの礼拝堂天井穹窿は、彼にはたいへん困難な仕事のように思え、また色彩についても自分の経験の欠如を知っていたので、その仕事にラファエロを勧めるなどして、あらゆる手段でこの重荷から逃れようとした。しかし彼が拒めば拒むほど、法王はその計画に熱心になり、さらに悪いことには、ミケランジェロのライヴァルたち、殊にブラマンテに焚きつけられてますますその意思を強めることになった。法王は急いでいたので、ミケランジェロにほとんど腹を立てかねまじきほどだった。それゆえ、このことに法王がご執心であることがわかったので、ついに彼はそれを制作する決心をした。」(pp. 239-240.)

1a. ミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画》、1508-12年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

2-1. ミケランジェロ《光と闇の創造》、1511-12年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(4)

「そればかりか、芸術の完璧性と神の偉大さを示すために、彼は場面のなかに、神の光と闇の分離を描いた。そこでは、ひろげた腕で自らを支え愛と神技とを示す神の姿が見られる。」(pp. 244-245.)

2-2. ミケランジェロ《日と月と草木の創造》、1511-12年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(5)

「第二の場面では、たいへんすばらしい判断と巧みさにより、神が太陽と月を創造するところを描いている。神は多数のプットに支えられ、腕と肢の短縮法により、その畏ろしさが示されている。同じ物語場面で、同様に 神が大地を祝福し、とびまわりながら動物たちを創造したところが描かれ、この天井穹窿で、短縮法で描かれた人物像として際立つものである。われわれが礼拝堂を歩きまわると像はふりかえり、向きを変える。」(p. 245.)

2-3. ミケランジェロ《水の分離》、1511-12年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(6)

「次の場面も同様で、神が大地と水を分離するところである。たいへん美しい人物たちと天才的鋭さは、ただただミケランジェロの神のごとき手によって描かれたというのにふさわしい。」(p. 245.)

美術用語(37) 天地創造

2-4. ミケランジェロ《アダムの創造》、1510年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(7)

「こうして彼はこれに続いて、アダムの創造へと進んだのであった。そこでは幼い裸体の天使たちの集団に支えられた神を描いた。その天使たちは単に1人の人物を支えているのみならず、世界の全重量を支えているようである。神の畏敬すべき荘厳さやその動きでそう見えるのだ。神はあたかも自分で自分を支えるかのように、一方の腕で何人かのプットを抱き、他方では右手をアダムの方にさしだしており、それは絵筆や素描でよりも、むしろ至高にして本源的な創造によって新たに作られたような美や仕草や輪郭や性格をもって描かれている。」(p. 245.)

2-5. ミケランジェロ《エヴァの創造》、1510年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(8)

「それでこの上の別の場面で、彼はわれわれの母エバの、肋骨からの分離を描いた。そこには裸体像があって、一方は眠りにとらえられて半ば死んだようであり、他方は神の祝福によって生を与えられ、はっきりと目覚めたようである。このきわめて巧みな芸術家の筆使いによって、完全に、眠りから目覚めへの相異が描きわけられてあり、また人間的にいえば、いかに堅固にしっかりと神のごとき荘厳性を明らかにし得るかが、そこに認識できるのである。」(p. 245.)

2-6. ミケランジェロ《原罪と楽園追放》、1510年、フレスコ、280×570cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(9)

「このあとは、アダムが、半ば女性、半ば蛇の姿をした者の勧めに応じ、リンゴによって自分の死とわれわれの死をもたらすことになるところである。さらにアダムとエバが楽園から追放されるところが見られる。天使の姿には偉大さと気高さがあり、怒れる神の命による執行のさまがあらわされている。アダムの仕草には、死への恐れとともに自己の罪への嘆きがあらわれている。同様に、エバのほうにも恥じらいやへりくだり、許しを求める気持ちなどがみとめられる。腕のなかに身を縮め、たなごころで手を組み合わせ、胸のほうに首をうつむけ、さらに彼女は神の慈悲への希望よりも、正義への恐れを抱いて天使のほうに頭を向けているのである。」(pp. 245-246.)

美術用語(38) 原罪

美術用語(39) 楽園追放

2-7. ミケランジェロ《ノアの燔祭》、1508-09年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(10)

「ともあれ美しいのが、カインとアベルの犠牲の場面である。そこには、たき木を運ぶ者や身を低くして火をおこす者、さらにはいけにえの首をはねる者がいる。これも、確かに思慮深さや正確さの点で、他のものに劣るものではない。」(p. 246.)

2-8. ミケランジェロ《大洪水》、1508-09年、フレスコ、280×570cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(11)

「ミケランジェロは大洪水の場面でも、同様の技量と判断力を用いた。そこには、さまざまな様子の瀕死の人々があらわされており、その日々の恐怖におびえて可能な限りの救出の道を求めようとしている。というのも、これらの人物たちの頭部には、生命が死に翻弄され、恐怖や戦慄、すべてのものへの絶望などが認められるからである。救いを求めて、たがいに岩の頂上によじ登るのを助ける多くの者には、慈愛の心が見られる。それらの間に1人の男がおり、半ば死にかかった者を抱きかかえ、できる限り助けようとしている。自然でさえこれ以上に表現することはないほどである。」(p. 246.)

2-9. ミケランジェロ《ノアの泥酔》、1508-09年、フレスコ、170×260cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(12)

「ノアの物語がいかによく表現されているかは、言葉につくすことができない。ノアが酩酊し、裸で眠っているところで、それを笑っている1人の息子と、裸をつつみ隠そうとする2人の息子がいる。比肩しようもない技量をもった場面であり力量であり、彼自身にしか打ち負かし得ないほどのものなのである。」(p. 246.)

美術用語(40) ノア

 ◆画人伝より(13)

「法王はブラマンテに、描くことができるように足場づくりを命じた。ブラマンテはそこで、天井に穴をあけ、麻縄で支えられた足場を作った。ミケランジェロはそれを見ると、描き終わったらその穴をどうやって埋めるのかとブラマンテに尋ねた。彼は『そのときになったら考えようや。他にはどうにもやりようがない』と言った。ミケランジェロはブラマンテがこの点ではほとんど頼りにならないということ、つまり彼の友人ではないことを悟った。そして法王のところに行くと、ミケランジェロは法王に、あんな骨組はよろしくない、ブラマンテはその作り方を知らなかったのだと言った。法王は、ブラマンテのいる前で、ミケランジェロに自分のやり方で作るようにと答えた。こうして彼は、壁には触れない肘木の上にそれを作るよう指揮をした。そのやり方は、やがて、穹窿をおおうように据えつけ、大いによい仕事ができる方法としてブラマンテや他の人々に学ばれることになった。その際ミケランジェロは、作り直した貧しい大工職人に、多くの麻縄を節約させ、それを与えた。彼はその麻縄を売って、自分の娘のための持参金を捻り出したのであった。」(p. 240.)

3-1. ミケランジェロ《光と闇の創造》、1511-12年、フレスコ、180×260cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

3-2. ミケランジェロ《水の分離》、1511-12年、フレスコ、155×270cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

3-3. ミケランジェロ《エヴァの創造》、1510年、フレスコ、170×260cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

3-4. ミケランジェロ《ノアの燔祭》、1508-09年、フレスコ、170×260cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

3-5. ミケランジェロ《ノアの泥酔》、1508-09年、フレスコ、170×260cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(14)

「ミケランジェロはこの仕事の膨大さに助手を必要とせざるを得ないと考えたので、フィレンツェに人を求めにやった。そしてこの作品で、以前そこに絵を描いたことのあった画家たちが彼の労作の犠牲にならざるを得ないことを示そうと決心し、さらに同時代の画家たちに、いかに素描し、描けばよいか模範を示そうと考えた。それで、その仕事に取り組んだことは、彼の名声やその技術の内容を非常な高みへと導いた。こうしてカルトンが始められ、そして完成した。それからフレスコで賦彩しようとしたが、それまであまりやったことがなかったので、フィレンツェから何人かの友人である画家たちが、ミケランジェロの手助けにローマにやってきた。彼らからフレスコで仕事する仕方を学ぶためでもあった。そのなかには何人かの熟練者がおり、グラナッチ、ジュリアーノ・ブジャルディーニ、ヤーコポ・ディ・サンドロ、インダコ(父)、アーニョロ・ディ・ドンニーノ、そしてアリストーティレがいた。仕事がはじまると、彼らに見本としてなにか作品を作らせ始めた。しかし彼らの努力の結晶も、彼の希望するところからはるかに隔たっているのを見て、満足させられるどころではなかった。それである朝、彼らが作ったあらゆるものをぶち毀そうと決心した。そして礼拝堂にとじこもり、彼らを決して入れようとせず、家でも決して会おうとはしなかった。彼らとしても、冗談にしては行き過ぎに思えたので、提案を受け入れ、面目を失って、フィレンツェに帰ってしまった。それでミケランジェロは、この作品すべてを独力でしとげる決心をすると、労苦と研鑽を傾注してもっとも完璧な姿にしようとしたのであった。彼は決して人に会わないようにしていた。仕事を人目にさらさなければならない理由を与えないためであった。それで人々の気持には、日々ますますそれを見たいという欲求が高まってきた。」(pp. 240-241.)

1b. ミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画》、1508-12年、フレスコ、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

4-1. ミケランジェロ《預言者エレミア》、1511-12年、フレスコ、390×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(15)

「膝を組んだかのエレミヤが、膝の上に肘をのせて、手を髭のほうにやるのが見られる。他方の手は腰下に置き、頭をうつむきかげんにしているが、それは、メランコリアや考えごと、思索、そしてエレミヤがその民について持つ苦悩といったものを、よく示しているようだ。背後にいる2人のプットも同様である。」(p. 246.)

4-2. ミケランジェロ《ペルシアの巫女》、1511-12年、フレスコ、355×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(16)

「同じく、エレミアの下に、入口の方に向いた最初の巫女がいるが、ここでは老いを表現したかったのである。さらに巫女は服地のひだに包まれているが、彼女の血液がすでに時によって凍てついていることをあらわそうとしたのである。そして読書するのにもすでに視力が弱まってしまったので、本に目を近づけている。」(pp. 246-247.)

4-3. ミケランジェロ《預言者エゼキエル》、1510年、フレスコ、355×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(17)

「この人物の下に、年老いた預言者エゼキエルが続く。彼はこの上ない優美さと動きをともなっている。多くの服をまとい、一方の手には預言の巻物を持ち、振りむきかげんに、もう一方の手を持ち上げるようにし、気高く、偉大なことを物語ろうとしているのを示している。その背後には、彼の書物を抱える2人のプットがいる。」(p. 247.)

4-4. ミケランジェロ《エリトリアの巫女》、1508-09年、フレスコ、360×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(18)

「これらの下に、前述したエリトレアの巫女と対照をなす巫女が続き、離れて書物を持ちページをめくろうとしている。彼女は膝を他方の膝の上にのせ、威厳をもって書くべきことを思考しながら、自らの内に沈潜している。彼女の背後にはプットが火の燃え木を吹きながら、ランプに点火している。その姿は、顔の雰囲気や髪飾り、また服の着こなしの点で特に美しい。さらに彼女のむきだしの腕の美しさも他の部分と同様である。」(p. 247.)

4-5. ミケランジェロ《預言者ヨエル》、1508-09年、フレスコ、355×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(19)

「この巫女の下に、預言者ヨエルが描かれている。自己に沈潜している彼は巻物を持ち、決意と情熱をあつめてそれを読んでいる。その様子から、彼が書かれたものに大いに満足しているのが認められる。彼は、人が何かを熱心に考えているときに見られる生き生きとした様子をしている。」(p. 247.)

4-6. ミケランジェロ《預言者ザカリア》、1508-09年、フレスコ、360×390cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(20)

「同様に、ミケランジェロは礼拝堂の入口の上に老いたゼカリヤを置いた。ゼカリヤは書物を調べているが、自分の探している部分が見つからない。一方の膝を上げ、他方の膝を下げている。探しても見つからないのに腹を立ててそうしているが、夢中になっているので、こんな不自由な恰好にも無頓着なのである。この人物は老いの姿がいとも美しい形も大きく多少ひだのある、たいへん美しい服を着ている。」(p. 247.)

5-1. ミケランジェロ《デルフォイの巫女》、1508-09年、フレスコ、350×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(21)

「それから、別の側から祭壇の方に向かって他の巫女がいる。何か書き物を示し、プットたちを伴っているが、他のものに負けず、賞讃すべきものである。」(p. 247.)

5-2. ミケランジェロ《預言者イザヤ》、1508-09年、フレスコ、365×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(22)

「その上の、預言者イザヤを観察すると、彼は自らの思索にじっと集中しながら、たがいに脚を交錯させ、一方の手は、書物のなかの自分が読んだところにしるしとして置き、他方の腕は肘をもって書物の上に置いている。また、頬を手に寄せかけている。背後にいるプットの1人に呼びかけられるが別段どうするということもなく、ただ頭だけを向けている。芸術の真の母たる自然そのものから正しく取られた描法が見られ、非常によく準備され、すぐれた画家のあらゆる手法をひろく教示し得る人物像が見られるのだ。」(pp. 247-248.)

5-3. ミケランジェロ《クマエの巫女》、1511-12年、フレスコ、375×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(23)

「この預言者の上には、いとも美しい老巫女がいる。彼女は坐りながら、えもいえぬ優美さをもって書物を研究している。その周囲にいる2人のプットの美しい仕草も無視できない。」(p. 248.)

5-4. ミケランジェロ《預言者ダニエル》、1511-12年、フレスコ、395×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(24)

ダニエルとして描かれた青年像の卓越さに、さらに付加し得るものがあるとは想像だにできない。彼は大きな書物に書きものをしているところで、ある書類からなにかを引き出し、信じがたいほど熱心に写しとっているのである。ダニエルが書いているあいだ、この書物の重さを支えるものとして、ミケランジェロは彼の膝の間に、それを支える1人のプットを描いた。これも、だれの手をもってしてもその筆使いに比肩することはできないであろう。」(p. 248.)

5-5. ミケランジェロ《リビアの巫女》、1511-12年、フレスコ、395×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(25)

リビアのじつに美しい女性像も同様で、彼女は多くの書物からとられた大著を書き上げたところで、女性らしい仕草で足を上げようとしている。と同時に彼女は書物を持ち上げ、閉じようとしているようだ。この巨匠以外のどんな者にも、描くのが不可能とはいわないまでも非常に困難なものである。」(p. 248.)

5-6. ミケランジェロ《預言者ヨナ》、1511-12年、フレスコ、400×380cm、ヴァチカン、ヴァチカーノ宮システィーナ礼拝堂

 ◆画人伝より(26)

「しかし、礼拝堂の最後の人物であるヨナの恐ろしさを見て、だれが驚嘆せず、動揺しないでいられようか。そこでは芸術の力により、側壁に取り囲まれて本来前に張りだす天井穹窿も、後ろにのけぞるこの人物の姿に押されて、まっすぐに見えさえするのである。そして光と影の素描術に圧倒されて、天井穹窿は本当に背後に退くようなのだ。ああ、われらの時代のなんと幸福なことよ! ああ、幸多き芸術家たちよ!」(pp. 249-250.)

美術用語(41) 預言者

7人の預言者

5人の巫女

 ◆画人伝より(27)

「さて、半分ほど仕上がると、法王はミケランジェロのもうけた梯子に助けられて、なんどかそこを見に行き、それが公開されることを望んだ。生来、性急で辛抱できないたちの人であり、作品が完成すること、いってみれば最後の手が入るのを待つことができなかったのである。公開されると、すぐさまローマ中の人々が見に来た。法王が最初だった。法王には、足場を解体する際の塵芥をかたづけるまでの辛抱さえなかった。さらに、模倣することにかけてはいとも卓越しているラファエロ・ダ・ウルビーノは、それを見てすぐさま自分の様式を変えた。…(中略)…さて、法王は日々ますますミケランジェロの力量を認識するようになり、彼が仕事を続けることを望んだ。そして開陳された作品を見て、ミケランジェロは残り半分をすばらしくやりとげることができると判断した。こうして20か月間、彼は顔料をとかす手伝いをしてくれる者すらなしに、独力でこの作品を終わりまで完璧に仕上げたのである。ミケランジェロはときおり法王が彼を急がすのに悩まされた。しつこく彼にいつ終えるのかと尋ねたが、法王が望んでるようにはそれを完成できないからであった。そういうときなど、彼は法王に向かって、『私自身が作品に満足したとき、仕上がるでしょう』と答えた。『われわれは』と法王は答えた。『すぐに作ってくれるという希望を、君が満足させてくれるものと期待しているのだ。』ついには、もしすぐに完成しなかったら、この足場からたたき落とさせると言い放った。それで法王の怒りを恐れていたミケランジェロは恐れをなし、まだできていない部分をすぐさまやってしまい、完成させてしまった。そして残りの足場を取り払うと、法王が歌ミサを挙行するために礼拝堂に入る万聖節の朝、全市をあげての喜びのうちにそれを公開した。…(中略)…この作品は、上に頭を向けて制作せざるを得ないというたいへん不自由な状態で完成された。それで彼は視力を弱めてしまい、また上を向かなければ文字を読むことも素描を見ることもできないほどになった。それは、以後何か月も続いた。」(pp. 242-243.)

ミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画と祭壇画》

ミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画》 1508-12年


3.まとめ

この講義で紹介した美術館、教会など

ミケランジェロ=システィーナ礼拝堂天井画を完成後、視力を弱める。

7人の預言者:エレミア、エゼキエル、ヨエル、ザカリア、イザヤ、ダニエル、ヨナ

5人の巫女:ペルシア、エリトリア、デルフォイ、クマエ、リビア

用語:天地創造/原罪/楽園追放/ノア/預言者

ヴァザーリの記述:詳細にわたる作品記述→美術作品の解説者、解釈者としての美術史家