第一講 ローレンス・アロウェイ『ヴェニス・ビエンナーレ1895-1968』
◆ローレンス・アロウェイ(1926-1990) 肖像写真
・イギリスに生まれ、1960年代以降、アメリカ合衆国で活躍した美術批評家
・1950年代、ロンドンのインディペンデント・グループの中心人物の一人として活躍
・「大衆美術 mass popular art」の用語を最初に(1958年)使用したと言われる
Bibliography:
European Art Today: 35 Painters and Sculptors (Minneapolis: Minneapolis Society of Fine Arts, 1959).
The Venice Biennale,1895-1968; from Salon to Goldfish Bowl (Greenwich: New York Graphic Society, 1968).
American Pop Art (New York: Macmillan, 1974).
Adolph Gottlieb, a Retrospective (New York: Arts Publisher, Inc., 1981).
Network: Art and the Complex Present (Ann Arbor: UMI Research Press, 1984).
Modern Dreams: the Rise and Fall and Rise of Pop (Cambridge: MIT Press, 1988).
Source: http://www.dictionaryofarthistorians.org/allowayl.htm (2014/4/15)
◆アロウェイ『ヴェニス・ビエンナーレ1895-1968:サロンから金魚鉢へ』 表紙
第1章 1968年のビエンナーレ
第2章 超サロンとしてのビエンナーレ 1895-1914
第3章 移り変わる趣味
第4章 ビエンナーレとファシズム 1920-42
第5章 美術と増大する観客
第6章 金魚鉢の中の前衛 1948-68
↓
第T期 1895-1914
第U期 1920-1942
第V期 1948-1968
◆1968年のビエンナーレ
・内覧会後、会場閉鎖、授賞式も延期
・美術学校の生徒を中心に学生デモが組織され、イタリア、フランス、スウェーデン、デンマーク、ユーゴスラビアなどいくつかの国のアーティストも同調して出品を辞退
・アメリカ館の前では、抗議グループによってマルクス、毛沢東、チェ・ゲバラらの名前が連呼された
・サン・マルコ広場で学生デモと警官隊が衝突
・フランス人審査員フランソワ・マセイが、リキテンシュタインへの大賞決定に拒否権を発動
・アムステルダム市立美術館で翌年予定されていたリキテンシュタイン回顧展は開催、テート・ギャラリーにも巡回
・1966年のアメリカ館の企画案は最初グッゲンハイム美術館に依頼されていたが期限を過ぎて、依頼が取り下げされた
・1968年にもロサンゼルスのカウンティ美術館への依頼があとになって取り下げられた
・企画案提出の遅延は担当キュレーターと館長の間の確執が原因の一つ
・アロウェイは、1966年、グッゲンハイム美術館のアメリカ館の企画案を考える担当キュレーターだった
◆第1回展(1895年)
・第1回ヴェネツィア市国際美術展(La 1a Esposizione internazionale d'arte di Venezia)
・会期:1895年4月22日〜10月22日
・会長:リッカルド・セルヴァティコ(Riccardo Selvatico)
・事務局長:アントニオ・フラデレット(Antonio Fradeletto)
・観客数:224,327人
・展示作品数:516点
・販売作品数:186点
・イタリア人作家の展示作品数:188点
◆受賞者と受賞作品
Comune di Venezia (o Città di Venezia) Francesco Paolo Michetti Lire 10.000 per "La figlia di Jorio" (olio)
Governo Giovanni Segantini Lire 5.000 per "Ritorno al paese natio" (olio)
Provincia di Venezia Max Liebermann Lire 5.000 per "Ritratto di Gerhard Hauptmann" (olio)
Cassa di Risparmio di Venezia Julius Paulsen Lire 5.000 per "Le modelle aspettano" (olio)
Comune di Murano James Abbott McNeill Whistler Lire 2.500 per "Giovinetta bianca" (olio)
Città del Veneto (o Comuni del Veneto) Domenico Trentacoste Lire 5.000 per la statua "Derelitta "
Principe Giovanelli Silvio Giulio Rotta Lire 5.000 per "Morocomio" (olio)
Lega fra gli insegnanti di Venezia Pietro Fragiacomo Lire 2.500 per il paesaggio "Tristezza" (olio)
Comuni della Provincia di Venezia Giovanni Boldini Lire 5.000 per "Ritratto della propria madre" (olio)
Premio di incoraggiamento istituito dal pittore inglese William Michael Rossetti, Vittore Antonio Cargnel Lire 400 per "Averte faciam tuam e peccatis meis" (olio)
Barone Raimondo Franchetti Ettore Tito Lire 1.500 per "La processione" (olio)
Barone Raimondo Franchetti Cesare Laurenti Lire 1.000 per "La parabola" (olio)
Barone Raimondo Franchetti Alessandro Milesi Lire 500 per "Fabbricatori di penitenze" (olio)
Premio popolare della Presidenza dell'Esposizione Giacomo Grosso per "Supremo convegno" (olio)
Source: http://it.wikipedia.org/wiki/Esposizione_internazionale_d%27arte_di_Venezia (2014/4/15)
◆出品作品
1. フレデリック・レイトン《ペルセウスとアンドロメダ》、1891年 235.0×129.2cm、リヴァプール、ウォーカー・アート・ギャラリー
2. ジョヴァンニ・セガンティーニ《故郷への帰還》、1895年、161.0×298.0cm、油彩・カンヴァス、ベルリン美術館 ※政府賞(Governo)
3. ジェームズ・ホイッスラー《白のシンフォニーNo.2―白衣の少女》、1864年、76.0×51.0cm、油彩・カンヴァス、テート・コレクション
4. ジャコモ・グロッソ《至高の集い》、1895年 ※人気賞(Premio popolare della Presidenza dell'Esposizione)、火災により焼失
5. ピエトロ・フラジャコモ《悲嘆》、1895年 ※ヴェネツィア教師連盟賞(Lega fra gli insegnanti di Venezia)
6. フランチェスコ・パオロ・ミケッティ《ジョリオの娘》、1894-95年 ※ヴェネツィア市賞(Comune di Venezia)
◆ヴェネツィアゆかりの4人の画家
… for the first period of its existence the art shown generally confirmed the existing taste for the work of men like Ettore Titto and Pietro Fragiacomo, Giacomo Favretto, and Guglielmo Ciardi.
(Alloway, p.40.)
・グリエルモ・チャルディ(Guglielmo Ciardi, 1842-1917)
ヴェネツィア生まれ、同地没。海景画に秀でる・ジャコモ・ファヴレット(Giacomo Favretto, 1849-1887)
ヴェネツィア生まれ、同地没。同時代の人びとの生活を描く・ピエトロ・フラジャコモ(Pietro Fragiacomo, 1856-1922)
トリエステ生まれ、ヴェネツィア没。ヴェネツィア風景を描く・エットーレ・ティト(Ettore Tito, 1859-1941)
カステッランマーレ・ディ・スタービア生まれ、ヴェネツィア没。神話画や同時代の人びとの生活などを描く
7. グリエルモ・チャルディ《ゴンドラ、ヴェネツィア》、1881年頃
8. グリエルモ・チャルディ《潟にて―ヴェネツィアの潟》、1883年頃
9. グリエルモ・チャルディ《漁師のいるヴェネツィアの潟》、1888年頃
10. グリエルモ・チャルディ《夕景―大運河》、1899年頃11. ジャコモ・ファヴレット《ヴェネツィア貴族の家の玄関》、1874年
12. ジャコモ・ファヴレット《浴後》、1884年、油彩・カンヴァス、 55×96cm
13. ジャコモ・ファヴレット《路上の演奏者たち》
14. ジャコモ・ファヴレット《窓辺の少女》15. ピエトロ・フラジャコモ《貧しいヴェネツィア》、1882年
16. ピエトロ・フラジャコモ《サン・マルコ広場》、1899年
17. ピエトロ・フラジャコモ《ヴェネツィア、スキアヴォーニ河岸》、1900年頃
18. ピエトロ・フラジャコモ《大運河に向かって》19. エットーレ・ティト《ジロトンド》、1906年
20. エットーレ・ティト《愛と運命》、1909年
21. エットーレ・ティト《十字架降架》、1911年
22. エットーレ・ティト《水浴》
◆まとめ
・アロウェイとヴェネツィア・ビエンナーレ
―1966年の第33回展のアメリカ館企画案を担当予定であった
―1968年の第34回展は学生デモなどで荒れた
―ポップ・アートを擁護した美術評論家
―ヴェネツィア・ビエンナーレを大衆文化と関連づけて論じる
・イタリア人画家と作品
―チャルディ、ファヴレット、フラジャコモ、ティト
―フランチェスコ・パオロ・ミケッティ《ジョリオの娘》
―ジャコモ・グロッソ《至高の集い》