第八講 ヴェネツィア・ビエンナーレ第II期の歴史的背景(1)と概要
1. 第U期の歴史的背景
◆ローレンス・アロウェイ『ヴェニス・ビエンナーレ1895-1968』
→第T期 1895-1914 第1次大戦による中断まで
第U期 1920-1942 第2次大戦による中断まで
第V期 1948-1968 戦後から著作刊行まで
第W期 1970-1988 著作刊行後から冷戦終結まで
第X期 1990-現在 冷戦終結から現在まで
◆第U期
1920年=第12回展/1922年=第13回展/1924年=第14回展
1926年=第15回展/1928年=第16回展/1930年=第17回展
1932年=第18回展/1934年=第19回展/1936年=第20回展
1938年=第21回展/1940年=第22回展/1942年=第23回展
◆パリを中心とする美術史年表
1921年、アメリカ人の芸術家で写真家マン・レイがパリへ到着
1923年、アンデパンダン展における外国人論争始まる(国籍ごと、アルファベット順の展示方針が決定される)
1924年、アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言」
1925年11月、「今日の美術」展(ヴィル=レヴェック通り、抽象絵画に向かう芸術家の作品を展示)
1925年、藤田嗣治、フランス政府よりシュヴァリエ・ド・ラ・レジョン・ドヌール勲章受章
1928年、ヴィルヘルム・ウーデ『ピカソとフランスの伝統』でパリ芸術の国際性を擁護
1929年、カミーユ・モークレール『フランス美術に対するよそ者たち』、『現代美術の茶番』でエコール・ド・パリを激しく非難
1932年、ブラッサイ写真集『夜のパリ』出版
1937年6月4日、ピカソ、《ゲルニカ》完成
1937年、「退廃芸術」展(ミュンヘン)
1942年10月、「亡命芸術家展」(ニューヨーク、ピエール・マティス画廊)
参考: ジャン=ポール・アムリンほか編「年表1900-2005」、『異邦人たちのパリ』展図録(朝日新聞社、2007年)、219-232頁。
◆第二次大戦終結まで
1940年9月7日、独軍がロンドンを猛爆撃
1940年10月28日、伊軍がギリシアに侵攻
1940年11月12日、独ソ交渉決裂
1941年4月6日、独軍がギリシア、ユーゴスラビア両国に侵攻
1941年6月22日、独ソ開戦。伊、ルーマニアがソ連に宣戦布告
1941年10月16日、独軍がオデッサを占領
1942年4月26日、独国会、満場一致でヒトラーに全権委任
1943年2月2日、スターリングラード戦線で独軍降伏
1943年5月13日、北アフリカのチュニジア戦線で独・伊軍降伏
1943年7月25日、ムッソリーニ、エマヌエレ3世より罷免され、逮捕。バドリオ新政権発足
1943年8月13日、ローマが無防備都市宣言
1943年9月3日、カステラーノ将軍が連合国に対する秘密降伏文書に調印
1943年9月15日、ムッソリーニ、独軍により解放され北イタリアに新政権樹立
1944年2月15日、連合軍がモンテカシノの聖ベネディクト派修道院を爆撃
1944年3月1日、連合軍がローマとヴァチカンを爆撃
1944年6月6日、連合軍によるノルマンディー上陸
1945年4月28日、ムッソリーニ逮捕、銃殺
1945年4月30日、ヒトラー自殺
参考: 小松左京ほか企画『20世紀全記録』(講談社、1987年)、594-661頁。
2. 第U期の概要
◆出品作品
Venice and the Biennale: Itineraries of taste (Milano: Fabbri, 1995)掲載の作品図版より
1. グイド・カドリン《タバコ工場の女たち》、1920年、油彩・カンヴァス、150×122cm、ローマ、クイリナーレ・コレクション、第12回展(1920年)出品
2. アメデオ・モディリアーニ《ルニア・チェホフスカ》、1917年、油彩・カンヴァス、82×60cm、グルノーブル、絵画彫刻美術館、第13回展(1922年)出品
3. ポンペオ・ボッラ《構成》、1924年、油彩・カンヴァス、125×105cm、個人蔵、第14回展(1924年)出品
4. アンセルモ・ブッチ《画家たち》、1921-24年、油彩・カンヴァス、160×160cm、ペーザロ県庁舎、第14回展(1924年)出品
5. ジョルジョ・デ・キリコ《10月》、 1924年、油彩・合板、135.5×188.5cm、ヴェローナ、スクード美術館、第14回展(1924年)出品
6. カニャッチォ・ディ・サン・ピエトロ《入港》、1926年、油彩・カンヴァス、200×173cm、ヴェネツィア、カッサ・ディ・リスパルミオ、第15回展(1926年)出品
7. ボルトロ・サッキ《異国人》、1928年、油彩・カンヴァス、160×180cm、バッサーノ、市立美術館、第16回展(1928年)出品
8. ジノ・セヴェリーニ《ド・ラ・ロシュの母性》、1927年、油彩・カンヴァス、92×73cm、プラート、ファルセッティアルテ・コレクション、第16回展(1928年)出品
9. ジョルジョ・モランディ《静物》、1929年、油彩・カンヴァス、54×64cm、ミラノ、市立近代美術館、第17回展(1930年)出品
10. ロレンツォ・ヴィアーニ《田園的な》、 1929年、油彩・合板、138×213cm、カ・ペーザロ近代美術館、第17回展(1930年)出品
11. マリオ・シローニ《家族》、 1929年、油彩・カンヴァス、160×210cm、個人蔵、第18回展(1932年)出品
12. フォルトゥナート・デペーロ《雷の作曲家》、1926年、油彩・カンヴァス、113×113cm、トレント・エ・ロヴェレート近代美術館、第18回展(1932年)出品
13. マリオ・トッツィ《クローデル礼讃》、1930年、油彩・カンヴァス、116×88cm、個人蔵、第18回展(1932年)出品
14. ジェラルド・ドットーリ《競技者》、 1933年、油彩・カンヴァス、125×105cm、ラ・スペツィア、個人蔵、第19回展(1934年)出品
15. フィリア(ルイジ・コロンボ)《空の偶像またはラ・スペツィア湾》、1932年、油彩・カンヴァス、160×30cm、個人蔵、ガレリア・ナルチーゾ、第19回展(1934年)出品
16. ジノ・セヴェリーニ《母性》、1916年、油彩・カンヴァス、92×65cm、コルトーナ、アカデミア・エトルスカ美術館、第20回展(1936年)出品
17. トゥリオ・クラーリ《街へくさびのように突入する/都市への急降下》、1939年、油彩・カンヴァス、130×150cm、ミラノ、個人蔵、第22回展(1940年)出品
◆第U期ビエンナーレの統計
・総作家数/外国人/イタリア人/総作品数/外国作品/イタリア作品/観客数/図版
・外国人作家とイタリア人作家の推移
a. 第U期
b. 第T期
c. 第T期と第U期の比較
d. 第T期と第U期の外国人作家の推移・外国人作品とイタリア人作品の推移
a. 第U期
b. 第T期
c. 第T期と第U期の比較・観客数の推移
a. 第U期
b. 第T期
c. 第T期と第U期の比較
◆まとめ
・歴史的背景
―ダダイスム、シュルレアリスム、抽象絵画の時代
―排外主義と国際主義の対立
―退廃芸術展(反前衛主義)
―亡命芸術家展(欧州から北米への人材流出)
―伊・独軍の敗戦
・概要
―1995年の展覧会で第U期以降はイタリア人作家のみ
―前衛芸術と戦争讃美(国家体制への協力)
―第19回展(1934年)までは外国人作家の参加数も増加
―イタリア人作家の作品数は伸び、観客数は激減
―ビエンナーレの内向化