第十講 ヴェネツィア・ビエンナーレ第II期の各国館の建設とノヴェチェント・イタリアーノ
1. 各国館の建設U
◆各国館の建設史
1895年 美術宮(1)建設
1907年 ベルギー館(2)建設
1909年 ハンガリー館(3)、イギリス館(4)、バイエルン館(5)建設
1912年 フランス館(6)、スウェーデン館(7)建設
1914年 ロシア館(8)建設、展示宮(美術宮)の正面デザイン変更
1922年 スペイン館(9)建設
1926年 チェコスロバキア館(10)建設
1930年 アメリカ館(11)建設
1932年 デンマーク館(12)、ヴェネツィア工芸館(13)建設。工芸館両脇にスイス館(14)、ポーランド館(15)開館
1934年 オーストリア館(16)、ギリシア館(17)建設
1938年 工芸館両翼を拡張してユーゴスラビア館(18)、ルーマニア館(19)開館
◆第二次大戦の勃発と第22回展(1940年)の参加国
When war began in Europe in September 1939, Preparations for the 1940 Biennale were naturally considerably advanced. The 22nd Biennale opened as planned, though without the participation of Austria, Britain, Denmark, France, Poland, and U.S.S.R. However, the following countries were available to take part: Belgium, Germany, Holland, Hungary, Yugoslavia, Romania, Spain, Sweden, Switzerland, and the United Sates.)
(第22回展に不参加だった国は、オーストリア、イギリス、デンマーク、フランス、ポーランド、ソ連。参加国は、ベルギー、ドイツ、オランダ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニア、スペイン、スウェーデン、スイス、アメリカ合衆国。)
(Alloway, p.115.)
◆第23回展(1942年)
ベルギー館:「未来派展示」
アメリカ館:「海軍展示」
フランス館:「空軍展示」
イギリス館:「陸軍展示」
ギリシア館:「公募展示」
オーストリア館、ソ連館:閉鎖
◆ゲッベルス宣伝大臣の第23回展(1942年)出席
Appropriately, Joseph Gebbels, the Nazi Minister of Propaganda, attended the rite, and he would, presumably, have confirmed the usefulness as propaganda for internal moral of the Italian’s proprietary sense of culture.
(ビエンナーレの開催が、イタリア人の文化国家としての誇りに訴える手段として効果的であることを感じ取ったかも知れない)
(Alloway, p. 117.)
2.ノヴェチェント・イタリアーノ
◆ノヴェチェント(1900年代派)
1920年代、ミラノを中心に形成された芸術運動。古代ローマやルネサンスのイタリア美術が偉大であった時代の伝統を現代に復興することを目指し、ファシズムの愛国主義に貢献した。
中心人物は、美術評論家マルゲリータ・サルファッティ。
参考:中島水緒「ノヴェチェント」『Artwords(アートワード)』(http://artscape.jp/artword/index.php/ノヴェチェント(2014/7/1)
◆関連年表
1923年 サルファッティ企画「ノヴェチェントの7人」展(ミラノ)、出品作家はマリオ・シローニ、アンセルモ・ブッチ、レオナルド・ディドレヴィッレ、アキーレ・フーニ、エミリオ・マレルバ、ピエロ・マルシッグ、ウバルド・オッピ、会場にムッソリーニ首相を招待
1924年 ヴェネツィア・ビエンナーレの一室でサルファッティ企画「ノヴェチェントの6人」展
1926年 サルファッティ企画「第1回ノヴェチェント・イタリアーノ」展(ミラノ)、官費で開催、未来派・形而上派・抽象派らを含む出品者114名
1929年 サルファッティ企画「ノヴェチェント・イタリアーノ」展(ミラノ)
1930年 ヴェネツィア・ビエンナーレがファシズムを称揚するテーマを設定、一室でヴィドマール・ジョルジュ企画「イタリアの呼び声」展:出品作家はカンピーリ、デ・ピシス、サヴィニオ、ジーノ・セヴェリーニ、マリオ・トッツィら「パリのイタリア人」グループ
1931年 サルファッティ企画「ノヴェチェント・イタリアーノ」展(ストックホルム、ヘルシンキ)/この頃、ファシスト右派幹部ファリナッチが「ノヴェチェント・イタリアーノ」の近代性と国際性を批判しレアリズモ・ファシスタを提唱する
1932年 サルファッティ企画「ノヴェチェント・イタリアーノ」展(オスロ)
参考:中島啓子編「関連年表」『トスカーナと近代絵画』展図録(アートプランニングレイ、2013年)、208-209頁。
◆マルゲリータ・サルファッティ(Margherita Sarfatti, 1880-1961) (スライド)
1880年(0歳) ヴェネツィアで裕福なユダヤ人弁護士の娘として生まれる。
1898年(18歳) 13歳年上のチェーザレ・サルファッティとともに駆け落ち
1902年(22歳) ミラノへ移住。画家たちが集まるサロンを形成
1911年(31歳) ムッソリーニと知り合う
1924年(44歳) 夫に先立たれる
1925年(45歳) イギリスで『ムッソリーニの生涯』刊行
1926年(46歳) イタリアで『ドゥーチェ』刊行
1938年(58歳) アルゼンチン、のちウルグアイへ亡命。モンテヴィデオで新聞記者として活躍
1947年(67歳) イタリアに帰国し、再びイタリア美術界で影響力を振るう
1961年(81歳) 北イタリアのカヴァッラスカで没
参考: http://en.wikipedia.org/wiki/Margherita_Sarfatti (2014/6/29)
◆ノヴェチェントの7人展(1923年、ミラノ)の出品作家
マリオ・シローニ(Mario Sironi, 1885-1961)
アンセルモ・ブッチ(Anselmo Bucci, 1887–1955)
レオナルド・ディドレヴィッレ(Leonardo Dudreville, 1885-1975)
アキーレ・フーニ(Achille Funi, 1890-1972)
ジャン・エミリオ・マレルバ(Gian Emilio Malerba, 1880-1926)
ピエロ・マルシッグ(Piero Marussig, 1879-1937)
ウバルド・オッピ(Ubaldo Oppi, 1889-1942)
◆ノヴェチェントの7人とヴェネツィア・ビエンナーレ
1. マリオ・シローニ《家族》、1929年、油彩・カンヴァス、160×210cm、個人蔵、第18回展(1932年)出品
2. マリオ・シローニ《日蝕》、1942年、油彩・カルトン、60×45cm、個人蔵
3. アンセルモ・ブッチ《画家たち》、1921-24年、油彩・カンヴァス、160×160cm、ペーザロ県庁舎、第14回展(1924年)出品
4. レオナルド・ディドレヴィッレ《愛―最初の一言》、 1924年、油彩・カンヴァス、266×364cm、カリポロ財団、第14回展(1924年)出品
5. アキーレ・フーニ《1人の人物と2つの状態》、1924年、油彩・板、95×85cm、ルイジ・コロンボ・コレクション、第14回展(1924年)出品
6. アキーレ・フーニ《栄光(習作)》、1940年、木炭、テンペラ・カンヴァスに貼付けたカルトン、295×209.5cm、カリプロ財団
7. ジャン・エミリオ・マレルバ《仮面》、 1924年、油彩・カンヴァス、160×203cm、ローマ、国立近現代美術館
8. ピエロ・マルシッグ《バルコニーの人物》、1921年、油彩・カンヴァス、90×75cm
9. ピエロ・マルシッグ《秋》、1924年、第14回展(1924年)出品
10. ウバルド・オッピ《窓辺の女》、1921年
11. ウバルド・オッピ《女友だち》、1924年、第14回展(1924年)出品
12. ウバルド・オッピ《窓辺の裸婦》、1932年、油彩・板、75×51cm、個人蔵
◆ノヴェチェントとファシズム
・“…「運動」と「様式」はかけ離れていた。出品された多くの作品に様式上の統一性がないのは当然だった。「秩序への回帰」というライトモティーフには「自然主義への回帰」という含意があった。ところが全体的にいえば「自然主義」は忌避された。時代はすでに数々の前衛的・実験的作品を知っていた。現実のデフォルメこそが時代の要請だった。しかしムッソリーニはこのあたりにファシズムの欠如をみた。”
・“ムッソリーニの取巻きの一人で、書記長まで務めたファリナッチは、ファナティックな愛国主義者で、粗暴な人間だった。このウルトラ・ファシストが「ノヴェチェント」運動の最大の批判者だった。「ノヴェチェント」を外国の芸術に毒された反ファシスト的な芸術運動だと断じた。”
出典:田之倉稔『ファシズムと文化』(山川出版社、2004年)、70, 75頁。
◆まとめ
・各国館の建設U
―第T期の8館から第U期の19館へと倍以上に増加
―サン・テレナ運河の反対岸へ拡張
―チェコスロバキア、デンマーク、ポーランドなど中欧諸国が参加
―ドイツ館改装(1938年)
・ノヴェチェント・イタリアーノ
―美術評論家サルファッティが主導
―ミラノで1922年結成。1926年に大規模展
―イタリア美術の偉大さの復興と様式的多様性
―体制化を求められ、反ファシズム芸術との批判も浴びる