第十一講 イタリア未来派とジェラルド・ドットーリ
1. イタリア未来派
◆イタリア未来派
・1909年、詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティがフランスの日刊紙『フィガロ』に発表した「未来派宣言」を発端とする芸術運動。伝統的な芸術と社会を否定し、新しい時代にふさわしい機械美やスピード感、ダイナミズム(力強い動き)を賛美した。
・絵画、彫刻などの造形芸術だけでなく、写真、建築、デザイン、ファッション、演劇、音楽、文学、政治活動に至るまで広範囲に及んだ。
・代表的な作家は、ジャコモ・バッラ(画家)、ウンベルト・ボッチョーニ(画家、彫刻家)、カルロ・カッラ(画家)、フォルトゥナート・デペーロ(画家、デザイナー)、ルイジ・ルッソロ(画家、作曲家)、アントニオ・サンテリア(建築家)、ジーノ・セヴェリーニ(画家)
参考:金相美「未来派(イタリア未来派)」『Artwords(アートワード)』(http://artscape.jp/artword/index.php/未来派(イタリア未来派))
(2014/7/6)
1. ジャコモ・バッラ《鎖に繋がれた犬のダイナミズム》、1912年、油彩・カンヴァス、91×110cm、ニューヨーク、オルブライト=ノックス美術館
2. ウンベルト・ボッチョーニ《空間における連続性の唯一の形態》、1913年、ブロンズ、高さ111.44cm、ミラノ、ノヴェチェント美術館
3. カルロ・カッラ《無政府主義者ガッリの葬列》、1910-11年、油彩・カンヴァス、198.7×259.1cm、ニューヨーク、近代美術館
◆フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(Filippo Tommaso Marinetti, 1876-1944) (スライド)
1876年(0歳) エジプトのアレクサンドリアで生まれる
1894年(18歳) パリに出て大学入学資格を取得。ミラノに移住
1898年(22歳) 『アントロジー・ルヴュ』に発表した自由詩「老水夫」が受賞。サラ・ベルナールに朗読されてフランス文学会にデビュー
1904年(28歳) 抒情詩集『破壊』を出版
1909年(33歳) 「未来派宣言」を発表
1910年(34歳) 公演で「世界で唯一の健康法、戦争よ永遠なれ!」と観衆を挑発して逮捕される
1914年(38歳) オーストリアの国旗を燃やして再逮捕
1924年(48歳) 『未来主義とファシズム』を発表
1935-36年(59-60歳) エチオピア戦争に参加
1942年(66歳) 第二次大戦に志願してロシアに従軍
1944年(67歳) 北イタリアのベッラージョで没
参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(2014/7/8)
エンリコ・クリスポルティ「未来派作家解説」『未来派1909-1944』展図録(東京新聞、1992年)、323-324頁。
◆関連年表
1909年2月20日 パリの『フィガロ』紙、マリネッティの「未来派宣言」を掲載
1910年3月8日 トリノのキアレッラ大劇場で「未来派の夕べ」開催。「未来派画家宣言」が読み上げられる。ボッチョーニ、カッラ、ルッソロ、バッラ、セヴェリーニが署名
1914年4-5月 未来派画廊(ローマ)で「国際自由未来派展―イタリア、ロシア、イギリス、ベルギー、北アメリカの画家と彫刻家」開催
1915年3月11日 ローマで参戦論者のデモ。バッラ、マリネッティら、ムッソリーニとともに逮捕される
1916年6月1日 フィレンツェで『イタリア・フトゥリスタ』創刊。11月1日の第9号はパスクアーレ・マリカ「サルデーニャ人―戦争の材料―を倍増しよう」掲載
1919年11月 ムッソリーニをリーダーとする戦闘ファッシ名簿で、マリネッティがポトレッカ、トスカニーニとともに「ナンバー2」となる
1926年5-9月 第15回ヴェネツィア・ビエンナーレに未来派参加
1929年3月18日 マリネッティ、イタリア・アカデミー会員に選出される
1932年5-11月 第18回ヴェネツィア・ビエンナーレで「イタリア未来派絵画および航空絵画展」
1934年5-10月 第19回ヴェネツィア・ビエンナーレで「イタリア未来派航空画家展」開催
1942年6-9月 第23回ヴェネツィア・ビエンナーレでマリネッティ監修「イタリア未来派展示館」設置
参考:エンリコ・クリスポルティ「イタリア未来派年表1909-1944」『未来派1909-1944』展図録(東京新聞、1992年)、335-361頁。
◆未来派画家宣言(Manifesto dei Pittori futuristi)
Agli artisti giovani d'Italia!
Il grido di ribellione che noi lanciamo, associando i nostri ideali a quelli dei poeti futuristi, non parte già da una chiesuola estetica, ma esprime il violento desiderio che ribolle oggi nelle vene di ogni artista creatore.......
1) Distruggere il culto del passato, l'ossessione dell'antico, il pedantismo e il formalismo accademico.
2) Disprezzare profondamente ogni forma d'imitazione.
3) Esaltare ogni forma di originalità, anche se temeraria, anche se violentissima.
4) Trarre coraggio ed orgoglio dalla facile faccia di pazzia con cui si sferzano e s'imbavagliano gl'innovatori.
5) Considerare i critici d'arte come inutili e dannosi.
6) Ribellarci contro la tirannia delle parole: armonia e di buon gusto, espressioni troppo elastiche, con le quali si potranno facilmente demolire l'opera di Rembrandt, quella di Goya e quella di Rodin.
7) Spazzar via dal campo ideale dell'arte tutti i motivi, tutti i soggetti già sfruttati.
8) Rendere e magnificare la vita odierna, incessantemente e tumultuosamente trasformata dalla scienza vittoriosa.
Source: http://it.wikipedia.org/wiki/Manifesto_tecnico_dei_pittori_futuristi(2014/7/6)
イタリアの若き芸術家たちへ!
私たちが投げつける反抗の叫びは、私たちの理想を未来派詩人たちの理想と連帯させる。それは集団的な美意識から発せられるものでなく、創造的な美術家一人一人の血管一本一本の中で再び沸き立っている暴力的な欲望の現れである。…(中略)…
1) 過去信仰、古代妄執、衒学趣味、アカデミックな形式主義を破壊すること
2) あらゆる模倣的なかたちを深く軽蔑すること
3) あらゆる独創的なかたちを賞讃すること。たとえそれが無謀で、暴力的であっても
4) 狂気の分かり易い面から勇気と自尊心を引き出すこと。そうした狂気に対して革新者たちが激しい非難を浴び、沈黙を強いられても
5) 美術批評を無用で有害と見なすこと
6) 「調和」や「良い趣味」などの言葉の支配に叛逆すること。これらのあまりに融通無碍な表現によって、レンブラント、ゴヤ、ロダンの作品は、簡単に破壊されてしまう
7) 芸術の理想的空間へ至る道から、すでに使い尽くされたあらゆるモティーフとあらゆる主題を一掃すること
8) 勝ち誇る科学によって、絶え間なく騒々しく変形を被っている現代生活を表現し偉大なものに見せること
◆未来派の変容
“10年代の未来派は、伝統の束縛を打ち破り、実現可能な新しい世界の構築に邁進することを運動のエネルギーとしていたが、30年代の未来派の場合、状況は異なっていた。ユートピアは身近に、しかも確実に迫りつつあり、そのような変化する現実に対して、彼らはむしろ有用で具体的な対応を迫られたのである。”
“…未来派は20年代と、とりわけ30年代に彼らを疎外しようとする傾向、すなわち「ノヴェチェント」に始まる伝統的モダニズムの台頭に対しても、またファシストの文化的保守反動派に対しても、引き続き戦いを挑まなければならなかったのである。”
出典:エンリコ・クリスポルティ「イタリア未来派を知るために」『未来派1909-1944』展図録(東京新聞、1992年):34、37頁。
2. ジェラルド・ドットーリ
◆ジェラルド・ドットーリ(Gerardo Dottori, 1884-1977) (スライド)
1884年(0歳) ペルージャで労働者階級の家に生まれる
1906年(22歳) ミラノで装飾家として働く
1911年(27歳) ローマへ移住。ジャコモ・バッラと知り合い未来派に参加
1914年(30歳) 第一次大戦に従軍
1920年(36歳) ペルージャで未来派の雑誌『グリッファ!』創刊。ローマで初個展
1924年(40歳) ヴェネツィア・ビエンナーレ第14回展に出品
1929年(45歳) 「航空絵画宣言」に署名
1932年(48歳) 《10年》でヴェネツィア・ビエンナーレで協会省賞受賞
1939年(55歳) ペルージャに戻り、美術学校で教鞭をとる(〜1967年)
1941年(57歳) 「ウンブリア未来派航空絵画宣言」を執筆
1977年(92歳) ペルージャで没
参考: http://en.wikipedia.org/wiki/Gerardo_Dottori(2014/7/8)
エンリコ・クリスポルティ「未来派作家解説」『未来派1909-1944』展図録(東京新聞、1992年)、320頁。
Gerardo Dottori: Catalogo generale ragionato, t. 1 (Perugia: Fabrizio
Fabbri, 2006): 997-1007.
◆ドットーリの画業
4. ジェラルド・ドットーリ《競技者》、1933年、油彩・カンヴァス、125×105cm、ラ・スペツィア、個人蔵、第19回展(1934年)出品
5. ジェラルド・ドットーリ《ウンブリアの少女》、1904年、油彩・板、46×27cm、ウンブリア州議会
6. ジェラルド・ドットーリ《天界の旋律》、1916年、テンペラ・板、52×58cm、ペルージャ、個人蔵
7. ジェラルド・ドットーリ《ウンブリアの春》、1923年、油彩・カンヴァス、70×90cm、ペルージャ、個人蔵
8. ジェラルド・ドットーリ《聖母子》、1923年、油彩・板、41.5×51.5 cm、モデナ、個人蔵
9. ジェラルド・ドットーリ《フローラ》、1925年、テンペラ・カンヴァス、178×139cm、ペルージャ、パラッツォ・デッラ・ペンナ、ドットーリ・コレクション、第15回展(1926年)出品
10. ジェラルド・ドットーリ《都市の火事》、1926年、油彩・カンヴァス、209×188.5cm、ペルージャ、パラッツォ・デッラ・ペンナ、ドットーリ・コレクション、第15回展(1926年)出品
11. ジェラルド・ドットーリ《ムッソリーニのイタリア人(マリオ・カルリの肖像)》、1931年、油彩・カンヴァス、159×129.5cm、ジェノヴァ、ミッチェル・ウォルフソン・ジュニア・コレクション
12. ジェラルド・ドットーリ《中世の都市(ウンブリア地方)》、1932年、油彩・板、71.5×64cm、ローマ、近代美術館
13. ジェラルド・ドットーリ《ナポリ湾の空中戦/天国湾上空の地獄の空中戦》、1942年、油彩・板、200×150cm、ミラノ、個人蔵、第20回展(1942年)出品
◆ファシズム体制への協力
14. ジェラルド・ドットーリ《爆撃》、1927年、テンペラ・板、50×35cm、ミラノ、ガレリア・アルテ・チェントロ
15. ジェラルド・ドットーリ《10年》、1932年、技法・寸法・所在等不明 図版14, 15
16. ジェラルド・ドットーリ《ムッソリーニの肖像》、1928年、油彩・カンヴァス、71.5×55.5cm、ペルージャ外国人大学
17. ジェラルド・ドットーリ《マリネッティの家族》、1930-33年、混合技法・カンヴァス、176×139cm、ローマ、個人蔵 図版16, 17
18. ジェラルド・ドットーリ《統領の肖像》、1933年、油彩・板、106×101cm、ミラノ市立現代美術館
19. ジェラルド・ドットーリ《ファシスト革命の多翼画》、1934年、油彩・板、各151×203cm、ローマ、国立近代美術館 図版18, 19
20. ジェラルド・ドットーリ《帝国の創始者》、1936年、テンペラ・板、寸法・所在不詳
21. ジェラルド・ドットーリ《巨人の死》、1938年、テンペラ・板、220×145cm、ペルージャ、個人蔵 図版20, 21
22. ジェラルド・ドットーリ《小麦の闘い》、1940年、技法・寸法・所在不明
◆ドットーリの言葉
・“Nei miei quadri c'è n'è per tutti i gusti: albe e tramonti, inverni e primavere, fiumi e laghi, monti e piani; c’è glorificata la Velocità, novissima Dea, e il mio grandissimo amico Santo Francesco, I’Uomo inno che si spense cantando.” (XCIV Esposizione di Belle Arti, Roma, 1928.)
・“私の絵にはあらゆる趣味に対応する何かがある。日の出と日没、冬と春、川と湖、山と平野。そして栄光化された速度、最も新しい女神、私の偉大な友サン・フランチェスコ、そして彼が死ぬときも歌い続けた人間賛歌がある。”(1928年の第94回ローマ美術展図録に掲載)
Source: Gerardo Dottori: Catalogo generale ragionato, t.1(Perugia: Fabrizio Fabbri, 2006): 247, 394.
◆まとめ
・イタリア未来派
―詩人マリネッティが推進した芸術運動
―伝統からの脱却、戦争と機械文明の讃美
―ノヴェチェント(伝統主義)、ファシズム体制(保守化・自然主義)との対立(前衛主義)
―国際性と拝外主義
・ジェラルド・ドットーリ
―地方都市に生まれ、地方都市に没した画家
―ローマで未来派と出会い、航空絵画を開拓
―1932年、ヴェネツィア・ビエンナーレで協会省賞受賞
―宗教性と郷土愛、前衛主義とファシズム体制への協力