美学・美術史特殊講義二〇一四


期末試験問題概略告知

1.ヴェネツィア・ビエンナーレについて基礎的な知識を問う/○×問題/10問/各3点(30点)

2.後期サロン美術と近代主義について解説した文の空欄に適切な用語を選んで文章を完成させよ/穴埋め問題・選択肢あり/5問/各3点(15点)

3.イタリア未来派について、指定される五つの用語を適切に用いて論述せよ/論述問題・用語指定/字数制限なし/15点

4.国内で開催されているビエンナーレ、トリエンナーレ、国際芸術祭と初期のヴェネツィア・ビエンナーレ(1895-1942)を比較対照して論述せよ/論述問題・自由形式/字数制限なし/40点


成績評価方法

試験:100点満点×0.8(計80点)

出席:11回=11点(1欠席毎-1点 ex.欠席3回=出席点8点)

※最初の1回をカウントしない

授業態度等の調整点:全回出席者に+2点

そのほか授業への参加度をオピニオンシートの回答等をもとに7〜10点の範囲で加算


美学・美術史特殊講義(前期)試験問題

実施日時 二〇一四年七月二十二日(火)
12時50分〜14時20分(90分)

(各三点、計三〇点)

一、次に示される(1)〜(10)の短文のうち、内容の正しいものに○印を、誤ったものに×印をそれぞれ解答用紙の各欄に記せ。

(1)『ヴェニス・ビエンナーレ一八九五―一九六八 サロンから金魚鉢へ』の著者ローレンス・アロウェイは、イギリス人。一九六〇年代以降、アメリカ合衆国で活躍した美術批評家である。

(2)第一回ヴェネツィア市国際美術展で人気投票による賞に輝いたのは、フランチェスコ・パオロ・ミケッティ《ジョリオの娘》で、五四七票を獲得した。

(3)第五回展のヴェネツィア展示室には、エットーレ・ティトの《ヴィーナスの誕生》、《愛と運命》、《真珠》などが展示された。

(4)ヴェネツィア・ビエンナーレ第五十三回国際美術展の日本館の展示は、やなぎみわの「老少女劇団」である。

(5)ジェームズ・ホイッスラー、ジュゼッペ・デ・ニッティス、フレデリック・カール・フリージキーは、団扇や和服、和傘など日本的モティーフを画面に描き込んだジャポニスムの画家である。

(6)第二回展では、エルンスト・ゼーゲア、アレッサンドロ・フェー・ドスティアーニのコレクションおよび日本美術協会からの出品によって日本美術が紹介された。

(7)一九〇七年、最初の国別パヴィリオンであるオランダ館が開館し、一九四二年までにジャルディーニの建物の総数は十九館となった。

(8)一九二〇年代のパリでは、エコール・ド・パリの国際性を擁護する人びとと、「よそ者」として排外主義的に非難する人びととの間で論争があった。

(9)一九二三年、マルゲリータ・サルファッティ企画による「ノヴェチェントの七人」展で旗揚げした一九〇〇年代派は、二六年の展覧会では一一四名を擁する大集団に成長し、その後、第二次大戦期のイタリアにおける国家主義芸術の中心的役割を担った。

(10)第二十三回展では、不参加国のパヴィリオンを使用して陸・海・空軍の展示が行われた。

 

 

(各三点、計一五点)

二、次の文を読み、空欄となっている( A )〜( E )に、のちに記されている(1)〜(15)のうち最も適当と思われる言葉を補い、文を完成せよ。解答用紙には、( A )〜( E )の各欄に該当する言葉を1〜15の番号で記すこと。

 第一次大戦前のヴェネツィア・ビエンナーレ(一八九五―一九一四年)の出品作家一覧を見たとき、私たちがその名前から作品のイメージを思い浮かべられる作家は全体の一割にも満たない。そして、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、ヨーロッパの美術史に対する私たちの理解が、主に( A )の作家を中心に形成されている事実にあらためて気づかされるのである。
 ヴェネツィア・ビエンナーレは、「ヴェネツィア市国際美術展」の名称で第一回展を開催した。参加国の数は( B )カ国。それらのうちスイスとアメリカ合衆国以外の国から後援委員が選出されている。後援委員の面々は、当時、各国の美術界における人気作家や権威的存在であったようだ。例えば、イギリスのローレンス・アルマ=タデマや( C )らの名前が挙がっている。三十五名の後援委員の作品を見ると、オランダのヘンドリック・ウィレム・メスダッハ、デンマークのペーダー・セヴェリン・クロイヤー、スウェーデンのアンデシュ・ソーンなどに見られるように、堅実な描写力、豊かな情感、大胆な筆捌きなどを特徴としており、作品の完成度は非常に高い。彼らの作品は、現在でもそれぞれの国の美術館の壁を飾っているが、私たちの国で画集が刊行されたり、美術館で個展が開催されることは今までのところなかったようだ。
 これらの作家たちの作品が顧みられない理由の一つに、( D )が挙げられる。これは日本に限らず、米国やアジアの他の国々でも同様で、近年ではドバイを中心にオイルマネーで潤う中東地域にも広がっている。もう一つの理由と目されるのが、美術史の記述における( E )的な歴史観である。新しいものが権威づけられ、歴史は上書きされる。「今日の前衛は明日のアカデミズム」というアフォリズムをもとにこれらの現象を考えるなら、かつての前衛は今日、「消費と娯楽の対象」に堕しているとさえ言える。
 文化におけるグローバリゼーションは、均質化と多様化の両方のヴェクトルを持つ。グローバル化時代の美術史も、それぞれの方向性での得失が想定される。そうしたとき、ビエンナーレの歴史は、国際主義と地域主義とがせめぎ合う場としてのみならず、今日の私たち自身の社会と文化にまつわる、さまざまな問題を映し出す鏡のような存在として立ち現れてくる。

 

(1)イタリア (2)フランス  (3)ドイツ  (4)十  (5)十五  (6)二十  
(7)カロリュス=デュラン  (8)マックス・リーバーマン  (9)フレデリック・レイトン  
(10)印象派ブーム  (11)フェルメール・ブーム  (12)アジア美術ブーム  
(13)欧米中心  (14)循環史  (15)発展史

 

 


(一五点)

三、イタリア未来派について、指定される五つの用語を適切に用いて論述せよ(字数制限なし)。なお、各用語の初出時には、傍線を引いて明示すること。

航空絵画宣言   マリネッティ   第一次大戦   ムッソリーニ   ドットーリ

 

 

(四〇点)

四、国内で開催されているビエンナーレ、トリエンナーレ、国際芸術祭と初期のヴェネツィア・ビエンナーレ(一八九五―一九四二)を比較対照して論述せよ(字数制限なし)。

 

 

評価基準は、秀=一〇〇〜九〇、優=九〇〜八〇、良=七九〜七〇、可=六九〜六〇、不可=五九〜〇である。本試験の結果をもとに各自の出席数による調整点等を加算したものを評点とする。また、三、四の解答のうち優れたものは、試験問題を蓄積し、今期以後の学生の参考に供するため、ウェブ上で公開する予定である。


一、二の解答