第十一講 UBEビエンナーレ
1.UBEビエンナーレの歴史
第1回宇部市野外彫刻展 1961年7月18日〜9月17日
チャドウィック・アーミテージ彫刻展 1962年11月2日〜11月6日
第1回全国彫刻コンクール応募展 1963年9月10日〜11月5日
第1回現代日本彫刻展 1965年10月1日〜10月31日
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第22回現代日本彫刻展 2007年9月29日〜11月11日
第23回UBEビエンナーレ 2009年10月3日〜11月15日
第24回UBEビエンナーレ 2011年9月24日〜11月13日 ※野外彫刻展50周年記念(宇部市制施行90周年)
第25回UBEビエンナーレ 2013年9月29日〜11月24日
第26回UBEビエンナーレ 2015年10月3日〜11月15日 (※現代彫刻展50周年)
・宇部市は炭鉱の町としてスタートし、工業都市へと、順次転換しました。1951年の記録によりますと、まだ石炭もたくさん出ており、化学工業も最盛期という時代でしたので、1日の降灰量が、1平方キロメートル当たり約56トンというすさまじい公害を経験しました。…(中略)…市民と学者と企業と行政、この4者が協力して対策を講じ克服していったという歴史があります。…(中略)…企業は、灰が降らないように煙突に電気集塵機を取り付けました。また、市民は、そういう対策にあわせて灰や煙の量を少しでも減らそうと、街に木を植え緑化に努めたわけです。
・この運動が、市民の「緑化運動」へと発展し、あわせて「花いっぱい運動」へと展開しました。
・そうした緑と花の延長線上で、1960年、女性問題対策審議会から、“自然と人間の接点としての芸術”という提言を受け、この彫刻事業がスタートしたのです。
・この女性問題対策審議会は、女性を中心とした組織で、公害の問題だけでなく子供達の不良化問題にも取り組んでいました。ある時、花いっぱい運動で集めた募金に余剰金が出たため、彫刻のレプリカを購入し、駅前の広場に置いたところ、たくさんの子供たちが、写生を始めたそうです。これは教育上すばらしいことだということで、是非子供達に本物の芸術を見せようではないかという運動になり、これが彫刻を始める起点となったと聞いています。
藤田忠夫(宇部市長)「緑と花と彫刻のまち」、『第20回現代日本彫刻展記念シンポジウム報告書』(第20回現代日本彫刻展記念事業実行委員会、2003年)、22頁。
2.第25回UBEビエンナーレ(2013年) <スライド>
会期・会場:2013年9月29日〜11月24日 ときわミュージアム彫刻野外展示場
主催:宇部市、UBEビエンナーレ運営委員会、毎日新聞社
協賛:宇部興産株式会社
後援:文化庁、国際交流基金、山口県、山口県立美術館、秋吉台国際芸術村、山口情報芸術センター、下関市立美術館、北九州市立美術館、NHK山口放送、tysテレビ山口、yab山口朝日放送、KRY山口放送、C-able山口ケーブルビジョン
助成:公益財団法人 花王芸術・科学財団、エネルギア文化・スポーツ財団、芸術文化振興基金大賞(宇部市賞) [買上げ賞]・・・500万円
宇部興産株式会社賞 [買上げ賞]・・・400万円
毎日新聞社賞・・・150万円
宇部マテリアルズ賞 ・・・100万円
緑と花と彫刻の博物館賞[模型作品買い上げ賞] ・ ・ ・50万円
山口県立美術館賞 ・・・20万円
島根県立石見美術館賞 ・・・20万円
下関市立美術館賞 ・・・20万円
山口銀行賞 ・・・10万円・会場風景
・冨長敦也《Our Love》 大賞(宇部市賞)
・外礒秀紹《Sin》 宇部興産株式会社賞
・藤本イサム《石の華》 毎日新聞社賞
・森貴也《境界》 宇部マテリアルズ賞
・ペトレ・ヴィジリュ・モゴサヌ(イタリア)《HOPE DOOR》(1)、(2)、山口県立美術館賞
・佐藤圭一《じいちゃんの鼻の穴に宇宙があった。》(1)、(2)、(3)、 島根県立石見美術館賞
・佐藤圭一《じいちゃんの鼻の穴に宇宙があった。》(1)、(2)、(3)、 緑と花と彫刻の博物館賞[模型作品買い上げ賞]
・三宅之功《Who's the man》(1)、(2)、 下関市立美術館賞
・鎌田祥平《Collection》 山口銀行賞
3.彫刻設置事業
・澄川喜一《そりのあるかたち》 1981年 第9回現代日本彫刻展 毎日新聞社賞
・最上寿之《ポカポカオヒサマテルホドニ》 1983年 第10回展記念(土方定一記念)特別賞
・小川徹也《好縁・好円》 2001年 第19回現代日本彫刻展 作家寄贈
・大井秀規《Gravitation》 2009年 第23回UBEビエンナーレ 宇部興産株式会社賞
◆北原(理雄)「今の新宮さんのお話を伺いながら改めて思いましたが、アートが街の中に根づいていく上で壁になっているのは、それを受け入れる市民の側の意識だということです。ある日突然アートが空から降ってきて、非日常的な空間を作るかもしれないけれど、それが市民にとって自分たちのものにならない限り、時とともに古びていき、やがて始末をしなければならないものになってしまうわけです。それを防ぐには、市民が受け入れていく下地をどのように作るかということだと思います。…(中略)…ウインドキャラバンのあそこに置かれている彫刻は新宮さんの作品だけれど、あれがその場所に置かれているプロセスを地域の人たちが一緒に作っているわけです。しかも、その中でも子供たちが中心になっているということが非常に重要だと思います。
重要だというのは、一つは子供が参加すれば必ず親がついてくるからです。それからもう一つは、子供たちは次の世代のその地域の担い手だからです。そういう意味で、もっと地域の人たち、特に子供たちと一緒にアートと街の出会いを作っていく機会を持つ必要があるのではないかと思っています。
これはまちづくりの面でも同じで、大きな都市開発や都市整備が、役所と大きな企業だけで進められていく限り、市民は、その都市空間を自分のものとしてなかなか受け入れていかない。もっときめ細かく一緒に場所を作っていく必要があるということです。我々はワークショップと呼んでいますが、まちづくりの面でも子供たちと一緒に地域を考えようということで、このワークショップをあちこちで行っています。
パネルディスカッション「アートと出会うまちづくり」、『第20回現代日本彫刻展記念シンポジウム報告書』(第20回現代日本彫刻展記念事業実行委員会、2003年)、57-58頁。
…近年目につき始めたそれは観客側が身体を動かして参加し、そこで何かを感じ取らせるような体験装置とでもいえばいいだろうか。その具体例はたとえば、3年ごとに開催されるパブリック・アートの祭典「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」にみることができる。
長々と越後の例を紹介したのは、体感型の作品に未来可能性があるといいたいからでは決してない。ただ同種の現象が各方面でも顕著になってきたように、そこには何らかの必然的な契機がからんでいるのではないかとも思うのだ。それはまだわからないが、たとえば大型の造形物が環境との間に亀裂を生じ始め、彫刻公害論などの批判的風潮を呼び起こしていることと、あるいはつながっているのだろうか。なるほど宇部市の場合、整備された広大なオープンスペースが舞台なので、作品はなお規模や造形性を競いがちである。とはいえ毎回いくつかが市中に移設されていることを思えば、現代日本彫刻展の行方も、こうした現象が意味するものと無関係とはいい切れないだろう。
三田晴夫「転換期の野外彫刻」、『第20回記念 現代日本彫刻展』図録(宇部市教育委員会文化振興課、2003年)、9頁。
4.第25回UBEビエンナーレ関連事業
5.第26回UBEビエンナーレ応募作品展 <スライド>
会期・会場:2014年9月29日〜11月3日 ときわ湖水ホール
30カ国266点の応募作品の中から、40点の入選模型作品を選考後、18点の実物制作指定作品を決定・Nils Hansen(ドイツ)《Fragmentation No.3》(1)、(2)
・田辺武(山口)《'15-1 déjàvu⇔jamaisvu》
・Project Moon(韓国)《Transmigration》
6.まとめ
・UBEビエンナーレの歴史
―「炭鉱の町」公害対策から市民の緑化運動始まる
―「花いっぱい運動」の募金で彫刻のレプリカ購入
―“子供達に本物の彫刻を”
―「現代」「野外」彫刻展として半世紀以上の歴史を刻む
・野外彫刻と街づくり
―ビエンナーレ受賞作品の市内設置
―現代アートによる街づくりとの共通点と相違点
―2009年にまとめられたマップに221点が掲載
―市民参加型の彫刻プロジェクト