<第三講> あいちトリエンナーレをめぐる考察


0.《復活の塔》(あいちトリエンナーレ2013 写真1, 2 スライド

彦坂尚嘉、芳賀沼整、五十嵐太郎編著『3.11万葉集 復活の塔』(彩流社、2012年3月11日刊)

・福島県南相馬市の被災住宅63戸の入居者、および南相馬市立鹿島中学校生28人、天皇、皇后、詩人、歌人

震災で寒さこたえる仮設かな  ――杉本隆治(p.35)

仏壇に手を合わせては独り言  ――叶ハル子(p.37)

子らは皆心配するけれど家も人も流された人たちに少しでも手を貸す避難所生活  ――鈴木千代(p.40)

眠れぬ夜まぶたに浮かぶ黄金坂 夏草伸びる田畑いつまで  ――阿部透石(p.44)

津波寄すと雄々しくも沖に出でし船もどりきてもやふ姿うれしき  ――今上天皇(p.49)

「生きてるといいねママお元気ですか」文に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る  ――美智子皇后(p.49)

大地避け原発の事故大津波 記憶に生きる亡き人の顔  ――彦坂尚嘉(p.50)

「頑張ろう」ばかり舞う春がんばらぬ生き方もある哲学もある  ――小高賢(p.56)

テレビから震災情報消えていく 過去も未来も語りつごう  ――浅間由衣(p.59)


1.周期展とは

・ビエンナーレ(biennale 2年毎)、トリエンナーレ(triennale 3年毎)など定期的に開催される展覧会を総称する「recurrent exhibition」の訳語

・1895年に開始されたヴェネツィア市国際美術展(1928-30年頃ビエンナーレに改称)を先例とし、英語圏でもイタリア語の「biennale」を使用する例がある(Biennale of Sydneyなど)

・日本でもイタリア語、フランス語からカタカナ語化して1950年代に定着したが、近年では英語をもとにアニュアル(annual 1年に1回)、バイエニアル(biennial 2年毎)、トライエニアル(triennial 3年毎)などの言い方も広まっている

・現代美術の先端的な表現(cutting edge)を紹介する展覧会


周期展としてのあいちトリエンナーレ ※今年で3回目

第1回(2010年)都市の祝祭(Arts and Cities)
 芸術監督:建畠 晢(国立国際美術館館長)

第2回(2013年)揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活(Awakening – Where Are We Standing? – Earth, Memory and Resurrection)
 芸術監督:五十嵐太郎(東北大学教授、都市・建築学)

第3回(2016年)虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅(Homo Faber: A Rainbow Caravan)
 芸術監督:港千尋(写真家・著述家、多摩美術大学教授)


周期展の存在意義:M. ロシェ『メガ・イベントの近代性』

In a world of ‘flows’ they provide symbolic and real channels, junctions and termini. In a world in which space-time is said to becoming increasingly ‘compressed’, their calendars and periodicities create distance and space. In a world which is arguably becoming culturally homogenised and in which places are becoming interchangeable, they create transitory uniqueness, difference and location in space and time. Sociologically they offer concrete, if transient, versions and visions of symbolic and participatory community.

Maurice Roche, Mega-events Modernity (London: Routledge, 2000): 7.

「流動的」な世界において、それら[=メガ・イベント]は、象徴的かつ現実的な回路、合流地点、そして終点を提供する。時空間がますます「圧縮」されつつあると言われる世界において、それらの暦と周期性は距離と空間を創出する。文化的に均質化し、それぞれの場所が互いに交換可能になりつつあると議論される世界において、それらは、時空間上に、刹那的な唯一性と差異性、場所性を生み出す。社会学的に、それらは、たとえ束の間ではあっても、象徴的かつ参加型の共同体の眺望と変奏*を具体的に提供する。

*変奏=ヴァージョン。連続性がありつつも何か新しい違いをもつもの。


周期展の存在意義:グローバル化時代の「年輪」

 ・グローバル化時代の特徴

・すべてが「流動的」で確固としたものがない(国家、自治体、企業、家族)
・時間も空間もどんどん縮まっている(インターネット、交通機関の発達、通信網の高速化、仕事の効率化)
・文化・都市風景・生活様式の均質化(方言の衰退/標準語の浸透、地元商店の衰退/フランチャイズ店舗の進出・横並びの都市計画、都市部への人口集中、西洋的生活様式の浸透)

 ・周期的なメガ・イベントに期待されるもの

・さまざまな交流が実際に起こる場所
・時間的な指標:一昨年、昨年(過去)/今年(現在)/来年、再来年(未来) cf. 2020年東京オリンピック、2015年山大創基200年、2018年明治維新150年
・空間的な指標:唯一性、差異性、場所性 cf. ロンドン→リオ→東京
・象徴的な共同体、参加型の共同体 cf. なでしこジャパン、2011年、FIFA女子ワールドカップ優勝、羽生結弦と東日本大震災


2.あいちトリエンナーレ2016 スライド

会期: 2016年8月11日〜10月23日(74日間)
会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋・豊橋・岡崎市内のまちなか
主催:あいちトリエンナーレ実行委員会
テーマ:虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅(Homo Faber: A Rainbow Caravan)
芸術監督:港千尋(写真家・著述家、多摩美術大学教授)


虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅 スライド

※キャラヴァンサライ:ペルシア語で「隊商宿」。広い中庭に厩や倉庫、取引所があり、2階に宿泊所を設ける。キャラヴァンが旅の疲れを癒す休息の場所。

・3回目となるあいちトリエンナーレは、創造しながら旅(キャラヴァン)を続ける人間をテーマにしたい。それは常に未知への、好奇心による無限の探求のかたちをとる。

・人間が創り出した物のうちで、現時点で我々から最も遠いところにあって、その旅を続けているのは、アメリカが宇宙へ送った探査機である。このうち1977年に打ち上げられたヴォイジャー1号と2号には「ゴールデンレコード」と呼ばれる金属板が搭載され、そこには55の言語による挨拶、さまざまな国の異なる音楽、自然界の音、画像などが記録されていた。太陽系を出て次の恒星にすれ違うのは、およそ四万年後とされるから、仮に人間以外の生命からメッセージが届いたとしても、地球がその時どうなっているかは誰にも分からない。当時の合衆国大統領は打ち上げに先立ち「われわれが現在直面している課題を解消し、銀河文明の一員となることを期待する」と語ったが、この間に解消された課題が何なのか、自信を持って言える「銀河文明の一員」はまだいないだろう。途方もない距離と時間の中で、好奇心を持つ人間による未知への旅は続くのだ。

・これらのヴォイジャーとは時の向きが逆になるが、人間が創り出した最初の芸術的造形は、およそ三万五千年前の洞窟の闇のなかに残されている。それは人間以外の生命の像で、さまざまな動物のイメージだった。それ以来、芸術は人間以外の存在への好奇心とその連続性を示してきた。音、リズム、色彩、身ぶりなど、芸術は自然界のなかに秩序を認め、その要素を組み合わせて変換しつつ、自然界には存在しない別の秩序をも探してきたが、芸術と自然界の間には常に知性と感性が取り持つ交流があった。もし仮にその交流が困難になり、知性と感性とが分離してしまえばどうなるだろうか。おそらく知性のみによる自然の隷属化、人間の人間以外の生命からの絶対的な離脱、生命と土地との切断、さらには人間自身の人間性からの乖離という、最も深刻な課題に直面せざるを得ないだろう。

・白い光のなかに自然科学は「虹」の多色のスペクトルを見る。同様に世界の神話は大空を貫くドラゴンを語る。詩は光のなかに感情を、音楽は光のなかに諧調を聴く。これらもすべて「虹」である。こうして、自分以外の存在との連続性のなかから、音と色彩を見つけ出し、それを歌や踊りに変え、言葉とイメージを作りだしてきた人間は、2016年までに、どのような新たなヴィジョンを創り出しているだろうか。生きている土地との長い関係を通じて生まれ育まれてきた芸能と芸術、そして技術の伝統があり、そのイノヴェーションを続けてきた愛知は、世界に向けて「先端的」であることを提案するこの国際芸術祭の格好の舞台となるだろう。

・あいちトリエンナーレは美術、映像、音楽、パフォーマンス、オペラなど、現代行われている芸術活動をできる限り「複合的」に扱おうとする稀有な国際芸術祭である。これは芸術が専門化してジャンルに分化する以前に、原初的に持っていたであろう、自然界との連続性を再発見するにはまたとない機会となる。また、同時代に生きる人間が創造行為を通して自由にアイデアを交換し、その方法を知り、感動を共有する、開かれた「祝祭的」な場ともなる。

・芸術そのものが未知への旅である。同様に、人間の営みそのものが未知への旅である。そして、芸術祭のかたちもひとつの旅だ。それはたくさんの人が集い、あらゆるボーダーを越え、来るべき響きとかたちを求める探究のキャラヴァンである。わたしたちの時代の「ゴールデンレコード」はわたしたちで作ろう。展覧会、舞台芸術をはじめ、さまざまな好奇心をもった人が集う多彩なイヴェントが行われる場所が、わたしたちの「キャラヴァンサライ」、つまり、旅の疲れを癒しつつも、次なる未知への旅への英気を養う家(サライ)となるのだ。

・今、無限の想像力を結集して創造の旅(キャラヴァン)が出発する。

虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅 スライド

旅する人間というテーマにちなみ、今回のトリエンナーレでは移動、横断、越境といったダイナミックな創造のあり方がクローズアップされます。いくつか特徴をあげると、ひとつは地球をカバーするような地域的な拡がり。アジア太平洋地域はもとより、中南米や中近東といった日本から遠い国々からも数多くのアーティストが参加します。アーティストの出身地、生活する場所、活躍する都市の名を記してゆけば、まったく未知の地図ができるでしょう。ジャンルを横断した新しい表現の試みも特徴で、国際展でも舞台芸術でも伝統と革新を超える作品が登場します。芸術を総合的にとりあげる、あいちトリエンナーレらしいプログラムです。また「コラム・プロジェクト」によって、より深く掘り下げる内容の展示が行われます。たとえば北海道と沖縄のアーティストが参加する「交わる水」、現代写真の先端的表現を扱う「トランスディメンション」などが、これまでの芸術祭とは異なる形式と内容を提案しつつ、参加者を創造の旅へと誘います。

港 千尋芸術監督からのメッセージ スライド

・あいちトリエンナーレは日本では最大級の規模を持ち、国際的にも注目される芸術祭であり、しかも過去2回において成功を収めているのだから、芸術監督を引き受けるにあたってはたいへんな緊張を感じている。この任務は初めてのことだが、全力で臨むつもりだ。国内外にある芸術祭の中でもあいちトリエンナーレは、いくつもの特徴を持っている。都市を舞台にした祝祭性、美術館という空間だけに収まらず、積極的にまちなかで展開していく開放性、パフォーマンミングアーツをフィーチャーした協同性など、この芸術祭の魅力をつくりだしている性格を引き継ぎつつ、2016年にふさわしい新たなステージを生み出すため、国内外の専門家とともに働きたいと思う。

・少し自分自身の紹介をすると、これまで写真を専門にして作品を発表してきた。現在は美術大学で教鞭をとりつつ、芸術人類学や映像人類学という分野で研究を行っている。アーティストとして、また研究者として活動を続けていく中で、一貫して追求してきたのは人間の姿だ。さまざまな困難にもめげず、この地球という環境に生き続けていく人間にとって、もっとも重要な活動のひとつが、芸術にほかならない。人間の知的活動を話題にするとき、洞窟に残された絵や像が参照されるのは、とりもなおさず人間は芸術をつくることによって、人間になったということだと思う。新しい何かを作り出すことによって前進する人間の姿に感動する。

・数万年に及ぶ長い人類の歴史において、写真や映像はごく最近に出現したメディアだ。だがこうしたメディアは200年にも満たない時間の中で、ここまで進化し、わたしたちの生活全般の中に深く浸透している。さらに、こうしたメディアが情報通信技術と結びつくことによって、地球はひとつの「映像惑星」になってしまった。現代人は、その気になれば石器から衛星までを含むこの壮大な技術全体を手にしているわけで、考えてみればこれほどエキサイティングなことはないだろう。作り手と受け手の距離がどんどん小さくなる時代の創造性はどこにあるのだろうか。
・だが、こうした壮大な技術を背景にした都市文明が大きなリスクをはらんでいることも事実で、第二回で五十嵐太郎氏は震災後の状況を正面から受け止め、芸術祭のテーマとしたことに個人的にもたいへん感銘を受けている。都市文明に対する視点をしっかり持っていることは、この芸術祭の思想的な価値であると思う。いまだ大きな試練の中にある日本だが、愛知という、ものづくりにおいてとても長い歴史をもつ土地の経験は、多くの教えを含んでいるだろう。

・芸術祭は多くの人がかかわる、ひとつの旅だ。土地、歴史、生活に学びつつ、誰もが参加してよかったと思えるような、創造的な旅をみなさんとつくっていきたい。

以上、あいちトリエンナーレ2016公式サイトのテキストより抜粋 http://aichitriennale.jp/index.html (2016/5/10)


キュレーター・チーム

芸術監督
 港千尋(写真家・著述家、多摩美術大学教授)

チーフ・キュレーター
 拝戸雅彦(愛知県国際芸術祭推進室主任主査)

キュレーター
 ダニエラ・カストロ(インディペンデント・キュレーター)
 服部浩之(インディペンデント・キュレーター)
  金井直(信州大学准教授)
 ゼイネップ・オズ(インディペンデント・キュレーター)
 越後谷卓司[映像担当](愛知県文化情報センター主任学芸員)
 濱治佳[映像担当](山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局長)
 藤井明子[パフォーミング・アーツ担当](愛知県芸術劇場シニアプロデューサー)
 唐津絵理[パフォーミング・アーツ担当](愛知県芸術劇場シニアプロデューサー)

プロデューサー(プロデュースオペラ):
 水野学(愛知県芸術劇場シニアプロデューサー)

チーフ・エデュケーター
 伊藤優子(フリーランス・エデュケーター、名古屋造形大学非常勤講師)


あいちトリエンナーレ2016―12の特徴

1. 参加アーティストと企画体制の地域的な拡がり(=地理的な拡大)
 参加アーティストの出身国・地域が拡大。
 海外のアーティストの比率の増加。
 国内に関しても北海道から沖縄までの幅広い地域の活動を紹介。

2. 従来のアートの枠組みを越境(=アート概念の拡張、越境的な実践の紹介)
 デザイン会社、文化人類学研究室、文学者。能と現代音楽の融合など。

3. グループとして多様な活動をするアーティストを紹介
 北九州国際ビエンナーレ、ルアンルパ、アーキテクツ・オブ・エアー

4. 文化人類学的視点
 自然との関係、先史時代の美術

5. 国際展のなかの小企画「コラム・プロジェクト」
 ・交わる水―邂逅する北海道/沖縄
 ・トランスディメンション−イメージの未来形
 ・マライーニ家の鏡―民族学者と20世紀日本
 ・異郷にて―西江雅之が歩いた世界
 ・アーティストの虹―色景
 ・鳥の歌―メッセンジャーの系譜学
 ・オキュパイアジア―アジアのコレクティヴ

6. 先端的ものづくりプロジェクト「ツクロッカ」
 最先端デジタル技術を使ってアーティストと参加者が協働制作するワークショップ

7. 舞台芸術公演が集中する「レインボーウィークス」
 集中上演(10/7-23)で、外部からの観客がより多くの演目を鑑賞できる

8. 世界的才能が創り出すオペラ「魔笛」(2010年「ホフマン物語」、2013年「蝶々夫人」)
 指揮:デスピノーサ、演出:勅使川原三郎

9. ダミコルームとキャラヴァンファクトリー(従前のキッズトリエンナーレの拡張版)
 ダミコルーム=語感を刺激するアートティーチング・トイ
  キャラヴァンファクトリー=大人も子どもも参加可能な制作スペース

10. 愛知とブラジルの関わりを意識した展開
 ブラジルを拠点に活動するアーティストを紹介

11. 豊橋市と岡崎市でのまちなか展開
 2013年に加わった岡崎市が継続、豊橋市が新たに追加

12. 名古屋市内の新たな展示会場
 名古屋駅前に新しく完成したJPタワー名古屋での展示

http://aichitriennale.jp/index.html (2016/5/10)


3.過去2回の比較

あいちトリエンナーレ2013 開催報告書 スライド

http://aichitriennale.jp/news/item/260326report.pdf (2016/5/10)


吉田隆之『トリエンナーレはなにをめざすのか』(水曜社、2015年) スライド

“…いずれの芸術祭も政策的な継続の仕組みの構築に濃淡があり、仕組みが一応整っていても今後の方向性が十分に練られていない。なかでも、あいちトリエンナーレを都市政策上の位置付けなく、文化事業として一元的に実施する点で、愛知県は異例である。”(pp.234-235)

“あいちトリエンナーレをはじめとした都市型芸術祭の意義と継続の道筋とは、人びとの自発性や地域の課題にコミット(接触・接続)することで、具体的なアウトカム(成果)を積み重ね、自発的活動を生み出し、地域の課題を解決していくことだと考える。”(pp.236-237)

“現代アート作品を見るだけでなく、ボランティア、作品制作のサポート、トリエンナーレをきかっけにしたコミュニティなど、芸術祭では、様々な形で観客に参加の回路が開かれているし、観客が自ら回路を開くこともできる。これから始まるであろう長者町をはじめとした各地のトリエンナーレと連携したそれぞれの「まち」プロジェクト、もちろん、トリエンナーレそのものでもよい。多くの方に多様な関わり方、楽しみ方を見つけてもらいたい。それこそが芸術祭の醍醐味なのだ。”(p.254)


4.まとめ

 ・周期展

―毎年、あるいは2年ごと、3年ごとに開催される展覧会
―1895年開始のヴェネツィア市国際美術展が嚆矢
―近代オリンピックの開始が1896年(アテネ)、1900年(パリ) ※ピエール・ド・クーベルタン=IOC第2代会長
―流動的なグローバル時代の「年輪」

 ・周期展に期待されているもの

―最先端アートの紹介
―文化芸術的な国際交流
―市民参加
―地域の課題の解決
―多様な価値観を許容できる社会の構築への貢献


The point is, art never stopped a war and never got anyone a job. That was never its function. Art cannot change events. But it can change people. . . People are changed by art - enriched, ennobled, encouraged - they then act in a way that may affect the course of events by the way they vote, they behave, the way they think.

-Leonard Bernstein

肝心な点は、アートによって戦争を阻止できたり、誰かが定職にありつけたり、といったことは決してないということだ。アートに現実の出来事を変える力はない。だが、人を変えることはできる……。人びとはアートによって変化し、豊かになり、気高くなり、勇気づけられる。そうした人びとが、投票や、彼らの言動、考え方を通じて、現実に起こる出来事を変えていくのだ。

レオナルド・バーンシュタイン

出典:トレド大学美術学部長バーバラ・マイナー教授のメール・フッターより