<第九講> 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ


1.作品比較と関連づけ

1. イリヤ・カバコフ《見上げて、言葉を読んで…(Looking Up. Reading the Words...)》 1997年/ミュンスター彫刻プロジェクト

・友よ、こうして芝生の上に寝転がって、頭の後ろに手を組んで、近くには誰もいない、風の音を聞き、頭上に開けた空を見上げよう。空はどこまでも青く、雲がたゆたう。これが君がこれまで見たもののなかで最も美しいだろう

「ミュンスター彫刻プロジェクト’97」『美術手帖』第746号(1997年9月):23.より

・ “My dear! You lie in the grass, looking up / Not a soul around / All you hear is the wind / You look up into the open sky, up into the blue above, where the clouds roll by / It is perhaps the most beautiful thing that you have ever done or seen in your life.”

Source: http://www.muenster.de/stadt/tourismus/en/sculptures_kabakov.html (2016/6/21)

2. イリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》(1)(2)(3)(4) 2000年
まつだい雪国農耕文化センター「農舞台」とイリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》
JRまつだい駅
3. 草間彌生《花咲ける妻有》(1)(2) 2003年
4. 草間彌生《真夜中に咲く花》/あいちトリエンナーレ2010
5. 草間彌生《赤かぼちゃ》/瀬戸内国際芸術祭
6. ジョゼ・デ・ギマランイス(ポルトガル)《イエローフラワー》 2012年
7. ジョゼ・デ・ギマランイス《フラワー/ハッピースネーク》/瀬戸内国際芸術祭
8. ナウィン・プロダクション有限会社[ナウィン・ラワンチャイクン](タイ)《こへび物語》 2006年
9. ナウィン・ラワンチャイクン《長者町ゑびすパーティ with NAVIN 》/あいちトリエンナーレ2010
10. ジャウメ・プレンサ(スペイン)《鳥たちの家》 2000年
11. ジャウメ・プレンサ「男木交流館」/瀬戸内国際芸術祭
12. 國安孝昌《棚守る竜神の塔》(1)(2) 2000/2006年 cf. 第18回現代日本彫刻展《湖水の竜神》大賞
13. 橋本真之《雪国の杉の下で》(1)(2)(3) 2000年
14. 橋本真之《時の木もれ陽》 1995年/第16回現代日本彫刻展


2.越後妻有アートトリエンナーレ 〈スライド

・トリエンナーレとしては過去6回開催(2000/03/06/09/12/15)
大地の芸術祭の里 越後妻有2016夏 2016年8月6日(土)〜21日(日) 16日間

 ◆「越後妻有」とは… 〈スライド

旧6市町村(十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町)→十日町市+津南町(2005年)

※平安時代
・妻有庄(十日町、川西町、津南町、中里村)
・松之山庄(松代町、松之山町)

  →「越後」「妻有」


全国どこの地域を訪ねても、「地域振興」「街おこし」が合い言葉だ。過疎が進んでいる地方になればなるほど、これは悲願にもにて悲壮感さえただよう。一方地域振興や地域の経済の発展を錦の御旗にしてきた「公共事業」が神通力を失ってきたことはだれの目にもはっきり見えてきた。無力化した、あるいは弊害にさえなってきた公共事業を、しかし、麻薬中毒のように止められず、しかもお題目だけの「地域振興」を唱え続けるのは、まさに20世紀という宗教の入滅を悲嘆する衆生のようなものだといえるかもしれない。
 この状況をどのように打破するのか。やめられない公共事業を「アート」事業に転用することで軟着陸を図ろうというのが今回の企画者たちの意図だった。その際「自然環境と里山の生活」を今回のアートプロジェクトの共通のテーマとして、地域の魅力を発掘し、その新たな開花をアートに託し、結果として地域を活性化するのが彼らの戦略だった。公共事業の転用に自然と生活の両方を提案したことが重要である。

加藤種男「記憶に残る体験が地域を動かす」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、66-67頁。


3階建ての住居
かまぼこ型の倉庫
一面に広がる棚田
刈り入れ後の稲穂を干す光景
「猫の額」ほどの土地にも開墾された田
休耕田


越後妻有の場合も、公共事業のなかに入って、ハードをソフトに変えていこうとやってきたわけですが、自治体と折衝するだけではなくて、「公共事業の手先だ」と批判されたり、いろんなことがありました。でも、なんとか続けてやってきた。やっぱり、口で言っているだけでは何も始まらないし、自分にはね返ってくる。何かやってみなければ、可能性も見えないでしょう。
他所よりも棚田を作る労力が要る。先祖代々この田んぼを作ってきた重みも、他所よりある。それが、いまは崩壊しているわけでしょう。人口が減ってきているし、もうお祭りもできなくなっている。だから、「何とかお祭りぐらいはしたい」という気分になれないかと思った。それが、「大地の芸術祭」を考えて妻有に入った最初の出発点です。
国と県のもともとの狙いは、市町村合併であり、合理化だったんです。僕はその流れに乗ってやり出したんだけど、どうしてこのプロジェクトが潰れずに生き残ったかというと、集落に徹底して関わったからだと思っています。
東京の人間にとって、田舎が大切になるんですよ。たとえばニュータウンに住んでいたら、勤めから帰って寝るだけでしょう。そこには何のリアリティもない。一生懸命働いているけれども、もう会社もこの先どうなるかわからないわけじゃない? そのときに人間は、やっぱり自分が本当に必要とされる場所に行くんですね。
固有の土地にはまだ固有の時間が流れている。だから、そこに関わっていくことが、美術の可能性なんじゃないかと思うんですね。

北川フラム(聞き手:米田綱路)「「効く」美術の可能性――固有の時間と場所のなかで公共性をひらくミッション」、『図書新聞』第2753号(2005年 12月10日)


3.「大地の芸術祭」の里

松代城山の棚田風景
15. 大岩オスカール《かかしプロジェクト》(1)(2)(3) 2000年
16. 大岩オスカール《大岩島》/瀬戸内国際芸術祭2010
17. クリスチャン・ラピ(フランス)《砦61》(1)(2) 2000年
18. パスカル・マルティン・タイユー(カメルーン)《リバース・シティ》(1)(2)(3) 2009年
19. 田中信太郎《○△□の塔と赤とんぼ》 2000年
20. マーリア・ヴィルッカラ(フィンランド)《ファウンド・ア・メンタル・コネクション3 全ての場所が世界の真ん中》(1)(2)(3)(4)(5)(6)  2003年
21. ペルラ・クラウセ(メキシコ)《石と花》(1)(2)(3) 2009年
22. シモン・ビール(スイス)《今を楽しめ》(1)(2)(3) 2000年


オクタビオ・パス「幼児と独楽」

子供がそれを投げるたびに/独楽はまさしく落ちる/世界の中心に

松山宣言』サイトより

彼が投じるたびに 落ちる、ちょうど 世界の中心に

旦敬介「辺境のユニバーサル―オクタビオ・パスの発見」『国際交流』第100号(2003年):32-37.


4.まとめ

 ・関連づけ

―ミュンスターと越後妻有、瀬戸内、UBE
―街づくり(ミュンスター、UBE)
―地域振興(越後妻有、瀬戸内)
―恒久設置→地域のアート・アーカイヴ化

 ・美術の可能性

―自然と生活をテーマに地域の魅力を開花させる(加藤種男)
―固有の土地の固有の時間に関わること(北川フラム)
―「物事=モノ・コト」としての美術(ハード+ソフト)
―モノの蓄積=アート・フィールド(彫刻のまち、「大地の芸術祭」の里)
―コトの蓄積=鑑賞者の経験、地域の絆