<第十一講>ドクメンタ


1.ドクメンタ14 <スライ ド>

アテネ 4/8〜7/16
カッセル 6/10〜9/17
芸術監督:アダム・シムジック(Adam Szymczyk)

2012年に発見されたコルネリウス・グルリットの押収美術品コレクション全1280点を公開したい旨発表(『ジ・アート・ニュースペーパー』 2015年4月15日付け)

Source: http://theartnewspaper.com/news/news/documenta-director-wants-to-show-all-the-works-gurlitt-hoarded/ (2016/7/5)


2.ドクメンタの歴史

 ◆第1回展(1955年) <スライ ド1><スライ ド2>

1955年 、連邦園芸博覧会開催に合わせて地元カッセルの画家アーノルト・ボーデが発案し、敗戦後の西ドイツで、ナチス時代に「退廃芸術」として迫害された前衛美術の失地回復と再紹介を目指す。100日間で13万人が訪れ、成功を収める。

ピカソ、シャガール、レームブルックの作品展示(1)(2)(3)

 ◆第2回展(1959年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者13万4千人。「美術は抽象へ」をスローガンに1945年以降の美術動向を総括。現代美術をめぐる根本的な議論が巻き起こり、抽象美術の推進者も反対者も活発に応酬したが、実践の多様性を前に、理論の限界を露呈させた面もあった。

 ◆第3回展(1964年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者20万人。米国のポップ・アートやフランスのヌーヴォー・レアリスムのほか、フルクサスやハプニングなど最新動向を紹介。この回から、ボーデによって「100日間の美術館」という表現が用いられるようになった。

 ◆第4回展(1968年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者20万7千人。「これまでの中で最も若々しいドクメンタ」をスローガンに掲げ、第3回展以降の最新動向を紹介する意図に沿って、第4回展のために制作されたものや直前に発表された作品が多数を占めた。

 ◆第5回展(1972年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者22万人。スイス人ハラルド・ゼーマンが総指揮。以後、全体を一人の総監督が指揮する形式が基本となり、後発の国際美術展の手本となる。最も古いヴェネツィア・ビエンナーレが国別参加制度を採っていたのに対し、ドクメンタは「ノー・ボーダー」をスローガンとした。

 ◆第6回展(1977年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者35万5千人。第4回展と第5回展の流れを汲んで、芸術における対象領域の拡張を検証。アーティスト・ブックや140年に及ぶ写真史の回顧展のほか、ヴィデオ・アートの作品を大量に紹介した。

 ◆第7回展(1982年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者38万7千人。美術の社会政治的責任と美学的自律性に焦点を当て、現代美術の「尊厳」の回復を目指した。コンセプチュアル・アートやパフォーマンスを減らし、代わりに絵画と彫刻を増やして、良い意味での「保守的価値」を探究。

 ◆第8回展(1987年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者48万6,811人。エディ・デ・ヴェルデとゼーマンの協働がうまくいかず、第6回展を担当したシュネッケンブルガーが、時間のない中で再登板。モダニズムでは美術の政治的価値が問題とされず、ポストモダン的文脈の必要性を確認。

 ◆第9回展(1992年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者61万5,640人。総監督はベルギー人のヤン・フート。アジアやアフリカ、アメリカ先住民の作家を紹介し、現代美術の多文化主義化の方向性を打ち出した。他方、美術家よりもキュレーターが目立っている、との批判もあった。

 ◆第10回展(1997年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者62万8,776人。初の女性総合監督にフランス人のカトリーヌ・ダヴィッド。「第三世界の作家が少ない」、「女性作家をもっと紹介すべきだ」の批判に、「私は国連ではない」と答えたことが話題となった。

 ◆第11回展(2002年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者65万924人。初の第三世界出身者オクウィ・エンウェゾー(ナイジェリア出身)を抜擢。エンウェゾーは共同キュレーター制を前面に押し出し、多様な文化背景を持つ複数のキュレーターの共同作業として展覧会を企画。ゼーマン以来の伝統に疑義を差し挟んだ。

 ◆第12回展(2007年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者75万584人。総合監督はロジャー・ブルゲールとルート・ノアックの夫婦。1987年以来20年ぶりのドイツ人。現代美術にこだわらず、さまざまな時代の作品を選出、展示も混交させた。

 ◆第13回展(2012年) <スライ ド1><スライ ド2>

来場者90万4,992人。アフガニスタンやエジプトとの連携によって「崩壊と回復」(戦争による精神的外傷への美術を通した癒し)という第1回展以来のドクメンタの底流にあった理念を呼び戻した。


3.ドクメンタ(13)

・4つのサイト:

カッセル(ドイツ)
カーブル(アフガニスタン)
アレクサンドリア/カイロ(エジプト)
バンフ(カナダ)

芸術監督:キャロリン・クリストフ=バカルギエフ
会期:2012年6月9日〜9月16日
会場:フリデリチアヌム美術館、オットネウム、ドクメンタホール、ノイエ・ガレリー、中央駅、オランジェリー、カールスアウエほか <スライ ド>


dOCUMENTA(13)について

・「Documenta」と「dOCUMENTA」→大文字と小文字を逆転(最初の文字が小文字に、それ以外が大文字に)

※「Art」と「art」、「I」と「i」

※マイナーな地域や人々の集団こそがマジョリティー(=多数派)である、という考えの反映か?

・(13)→ドクメンタ第13回展である(=継続性) 「( )に入れられた継続性」=相対的な独立性と解釈可能では?


出品作品紹介

フリデリチアヌム美術館

フリデリチアヌム美術館 ロトンダの展示風景

1. ジョルジョ・モランディ(イタリア 1890-1964)《静物》

2. ジュゼッペ・ペノーネ(イタリア 1947- )《川がある 6》(1)(2)(3) 1998年

3. マイケル・ラコウィッツ(USA 1973- )《ほこりは何を浮かび上がらせるか》(1)(2)(3)

4. リン・フォルケス(USA 1934- )《失われた辺境》、1997-2005年

5. マリア・テレサ・アルベス(ブラジル 1961- )《湖の返還》

6. ジェフリー・ファーマー(カナダ 1967- )《草の葉》(1)(2)

7. スーザン・ヒラー(USA 1940- )《ドクメンタ(13)の百日間のための百曲》、2011-12年

8. スーザン・ヒラー《ドクメンタ(13)の百日間のための百曲》歌集(1)(2)(3)

9. ハリス・エパミノンダ(キプロス 1980- )&ダニエル・グスタフ・クラマー(ドイツ 1975- )

10. ララ・ファヴァレット(イタリア 1973- )《つかの間の記念碑》(1)(2)

11. タシタ・ディーン(イギリス1965- )《疲労感》

12. アイダ・アップルブルーグ(USA 1929- )によるプロジェクト

13. オトリス・グループ(イギリス)《放射されるもの》

14. ブライアン・ヤンゲン(カナダ 1970-)《犬専用広場》

15. ロビン・カーン(USA 1961- )&西サハラ民族女性同盟《西サハラ料理》(1)(2)(3)

16. 大竹伸朗(1955-)《モンシェリー―スクラップ小屋としての自画像》(1)(2)(3)(4)


4.まとめ

 ・ドクメンタの歴史

―退廃美術への迫害に対する反省から始まる
―最新動向を一堂に会する美術展から未来の可能性へ向けた実験室へ
―公式サイトの「歴史紹介」部分が充実

 ・周期展の役割

―今後の方向性を知る「羅針盤」
―世界の最新動向を知る「窓」
―社会を見つめ直すための「鏡」
―(美術家にとって)世界的な舞台への「扉」「登竜門」
―さまざまな交流が生まれる「広場」