動き出す! 絵画―ペール北山の夢


1. 動き出す! 絵画展 概要 スライド

企画展/巡回展
会期: 1月28日〜3月12日
会場:下関市立美術館
主催:下関市立美術館、読売新聞社、KRY山口放送、美術館連絡協議会
助成:芸術文化振興基金
協賛:ライオン、大日本印刷、損保ジャパン日本興亜


巡回会場と会期

東京ステーションギャラリー 2016年9月17日〜11月6日
和歌山県立近代美術館 2016年11月19日〜2017年1月15日
下関市立美術館 2017年1月28日〜3月12日


北山清太郎(1888-1945)

・1917年に国産アニメーションを制作、発表した日本人3人のうちの一人(他の2人は下川凹天、幸内純一)
・1908年に横浜で、みどり洋画会を結成、1911年に大阪で日本水彩画会大阪支部を結成して代表幹事となるなど、早くから、水彩画、洋画への関心を同じくする人びとと団体を立ち上げている。
・1911年10月、『みづゑ』を創刊した大下藤次郎が急逝すると、同雑誌の編集の中心となり、1912年3月には独立して日本洋画協会を設立し、翌4月に『現代の洋画』を創刊。同創刊号を手にした木村荘八は、自身の翻訳原稿「薄命の画家ロートレク」を送って採用される。以後、北山と木村、岸田劉生や斎藤与里らとの交流へ発展。
・1912年10月の第1回ヒュウザン会展覧会の開催に際しては、同展の目録と機関誌『ヒユウザン』の発行を引き受ける。1913年のフュウザン会の解散後は、木村が千家元麿らと企画した『生活』を創刊。木村、岸田、高村光太郎、岡本帰一ら4人による生活社主催第1回展覧会の目録も発行している。その後も『エゴ』発刊、神田自由研究所の設置、1914年の『現代の美術』発刊、「現代美術叢書」刊行、『多都美』の改革、1915年の『美術雑誌』創刊など、出版事業を展開していった。

参照: 宮本久宣「絵を動かした人」、『動き出す! 絵画 ペール北山の夢』展図録(和歌山県立近代美術館ほか、2016年): 12-23.


購入・寄贈・寄託

購入=美術館独自の予算でコレクションを拡充する方法。学芸員が作品を選定し、専門家等から構成される委員会で審査・承認
    ※米国等の美術館では作品購入のために寄付を募る

寄贈=美術館の地元やコレクションに縁の深い作品を所蔵する美術家の遺族個人コレクター企業から

寄託=所有権はもとの持主のまま、管理と展示を美術館に委託する


動き出す! 絵画展の章構成

プロローグ 動き出す「洋画」―北山清太郎と『みづゑ』の時代
1章 動き出す夢―ペール北山と欧州洋画熱
2章 動き出す時代―新帰朝者たちの活躍と大正の萌芽
3章 動き出す絵画―ペール北山とフュウザン会、生活社
4章 動き出した先に―巽画会から草土社へ
エピローグ 動き出す絵―北山清太郎と日本アニメーションの誕生


2. 作品紹介

 1章 動き出す夢―ペール北山と欧州洋画熱

1. ポール・セザンヌ《サンタンリ村から見たマルセイユ湾》、1877-79(明治10-12)年頃、油彩・カンヴァス、64.5×80.2 cm、吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託)

2. クロード・モネ《サルーテ運河》、1908(明治41)年、油彩・カンヴァス、100.2×65.2 cm、ポーラ美術館

3. ピエール=オーギュスト・ルノワール《泉による女》、1914(大正3)年、油彩・カンヴァス、92.5×73.7 cm、大原美術館

4. ポール・シニャック《ヴェニス、サルーテ教会》、1908(明治41)年、油彩・カンヴァス、72.5×90.9 cm、宮城県立美術館


 2章 動き出す時代―新帰朝者たちの活躍と大正の萌芽

5. 斎藤与里《水浴の女》、1909(明治42)年、油彩・カンヴァス、76×45.6 cm、加須市

6. 梅原龍三郎《横臥裸婦》、1912(明治45/大正元)年、油彩・カンヴァス、50.3×60.4 cm、西宮市大谷記念美術館

7. 児島虎次郎《白耳義ガン市々場》、1909-12(明治42-大正元)年、油彩・カンヴァス、60.5×50 cm、国立大学法人 和歌山大学

8. 坂本繁二郎《張り物》、1910(明治43)年、油彩・カンヴァス、117.6×71.5 cm、個人蔵


 3章 動き出す絵画―ペール北山とフュウザン会、生活社

9. 川上涼花《鉄路》、1912(明治45)年、油彩・カンヴァス、59×44 cm、東京国立近代美術館

10. 萬鉄五郎《女の顔(ボアの女)、1912(明治45/大正元)年、油彩・カンヴァス、80.3×65.2 cm、岩手県立美術館

11. 萬鉄五郎《雲のある自画像》、1912-13(明治45-大正2)年、油彩・カンヴァス、59.5×45.5 cm、岩手県立美術館

12. 高村光太郎《上高地風景》、1913(大正2)年、油彩・カンヴァス、79×59.2 cm、神奈川県立近代美術館寄託

13. 北山清太郎《木場風景》、制作年不詳、油彩・カンヴァスボード、24×33.4 cm、個人蔵


 4章 動き出した先に―巽画会から草土社へ

14. 岸田劉生《冬枯れの道路(原宿附近写生)、1916(大正5)年、油彩・カンヴァス、60.5×80 cm、新潟県立近代美術館・万代島美術館

15. 岸田劉生《童女図(麗子立像)、1923(大正12)年、油彩・カンヴァス、53.3×45.7 cm、神奈川県立近代美術館

16. 木村荘八《睡眠》、1917(大正6)年、油彩・カンヴァス、49×105 cm、東京都現代美術館

17. 河野通勢《風景》、1916(大正5)年、油彩・カンヴァス、60.5×90.9cm、調布市武者小路実篤記念館


 エピローグ 動き出す絵―北山清太郎と日本アニメーションの誕生

18. 北山清太郎《浦島太郎》、1918(大正7)年、デジタル復元映像、2分、東京国立近代美術館フィルムセンター


フュウザン会と生活社

・フュウザン会は、1912年9月、斎藤与里を中心に、高村光太郎、岸田劉生、萬鉄五郎ら約20名の若い画家が結成したグループ。「フュウザン」はフランス語で「木炭」の意。10月15日から11月3日まで第1回展(銀座・読売新聞社3階)を開催。出品者は33名。この時は「ヒユウザン」と表記していた。翌1913年3月11日から31日まで第2回展(同上、出品者16名)を開催し、5月会合をもって解散した。

・生活社は、雑誌『生活』の同人という意味。フュウザン会解散後の同年10月、岸田劉生、高村光太郎、木村荘八、岡本帰一ら4人によって生活社主催第1回展覧会(神田ヴィナス倶楽部)が開催された。フュウザン会を新しい芸術運動を展開する場と考えていた斎藤に対し、芸術をあくまでもそれぞれの「生」を向上させる活動と考えていた岸田や木村の考えの反映と見なされている。

参照:『動き出す! 絵画 ペール北山の夢』展図録(和歌山県立近代美術館ほか、2016年): 129, 169.


巽画会と草土社

・巽画会は、1899年(明治32)結成の日本画団体。明治末には会員数1,000人を超え、私設展として登竜門の役割を果たした。1914年(大正3)、洋画と彫刻の部門を新設。機関誌『多都美』の編集発行を北山清太郎に委ねた。北山の加入後、審査員に高村光太郎、梅原龍三郎、岸田劉生を加えるなど、新しい美術動向を積極的に反映する方向が打ち出された。

・草土社は、北山清太郎が巽画会からの独立を意図して企画した「現代の美術社主催第1回展覧会」が開催前か開催中に「草土社展覧会」へと名前を変えて発足。北山は第2回展までしか関与しなかったが、同展は1922年(大正5)まで9回開催された。岸田劉生、木村荘八が中心となり、河野通勢、清宮彬、椿貞雄、中川一政、横堀角次郎らが出品した。

参照:『動き出す! 絵画 ペール北山の夢』展図録(和歌山県立近代美術館ほか、2016年): 190.


関連年譜

1888年(明治21) 北山清太郎、和歌山市に生まれる
1908年(明治41) 児島虎次郎渡仏
1909年(明治42) 斎藤与里、「絵画の新潮流と私見」で印象派以降の西洋画家を紹介。梅原龍三郎、ルノワールに師事
1910年(明治43) 高村光太郎「緑色の太陽」で芸術家の個性と自由を主張
1912年(明治45/大正元) 北山、『現代の洋画』発刊。斎藤与里、岸田劉生、萬鉄五郎、高村らヒュウザン会を結成
1915年(大正4) 第1回草土社展
1917年(大正6) 北山のアニメーション「猿蟹合戦」公開
1918年(大正7) 河野通勢、草土社の新同人となる
1921年(大正10) 北山映画製作所設立。木村荘八、美術画集『デューラー』刊行。坂本繁二郎、渡仏
1923年(大正12) 関東大震災
1945年(昭和20) 北山、大阪で没

参照: 宮本久宣、河本華子、青木加苗編「関連年譜」、『動き出す! 絵画 ペール北山の夢』展図録(和歌山県立近代美術館ほか、2016年): 258-273.


3. まとめ

 ・購入・寄贈・寄託

―文化予算の削減=購入予算の削減
―美術館の購入活動は作品研究や調査の延長線上にある
―寄託から購入へ/購入できない作品を寄託して展示
―寄贈に対する受け入れと選別の問題

 ・大正期の美術史

―水彩画の大流行:『みづゑ』、日本水彩画会
―帰朝者の活躍
―フュウザン会、生活社、巽画会、草土社:新しい美術動向⇔生活と絵画
―美術団体の新設、美術雑誌の創刊