<第二講>メディアアートの輪廻転生


1. 「メディアアートの輪廻転生」 概要 スライド

企画展単館開催周年記念展 ※開館15周年記念
会期:2018年7月21日~10月28日
会場:山口情報芸術センター
主催:山口市、公益財団法人山口市文化振興財団
後援:山口市教育委員会
助成:公益財団法人花王芸術・科学財団
特設ウェブサイト http://rema.ycam.jp


会場風景

1. YCAM入口(姫山側)
2. YCAM入口(姫山側・館内)
3. exonemo+YCAM「メディアアートの輪廻転生」
4. アーティストたちへの質問に対する回答
5. アーティストインタビュー(ダイジェスト版)
 ※公式サイトの「INTERVIEW」(https://rema.ycam.jp/archives/interview/)で、2018.10.9の授業時点では藤幡正樹(26’16”)と岩井俊雄(32’32”)の2本のみ公開
  
2018.12.8現在、エキソニモ、森脇裕之、大友良英、高嶺格、八谷和彦、藤幡正樹、岩井俊雄の7本が公開中

6. Trailer
7. exonemo+YCAM「メディアアートの輪廻転生」インスタレーション全景
8. 受付にあるデヴァイスの選択肢
9. ナムジュン・パイク《ビデオ・シャンデリア No.1》に使われていたモニタ / CRT モニタ(サイン入り)
10. 1 ラファエル・ロサノ=ヘメル《アモーダル・サスペンション―飛びかう光のメッセージ》 2003年
11. 2 江渡浩一郎《WebHopper》 1996年
12. 3 岩井俊雄《サウンドファンタジー》 1994年
13. 4 藤幡正樹《YMOテクノバッチ》 1980-81年
14. 5 徳井直生《10 seconds ago》《9の1》《Mosquito》 2008年
15. 6 八谷和彦《ひかりのからだ》 1997年
16. 7 高嶺格「タイトル不明」 1990年
17. 8 exonemo《ゴット・イズ・デット》 2011年


企画展

他館や個人コレクター等より作品を借用し、ある一定の期間のみ開催される展覧会。特殊な例として、自館のコレクションの中からテーマ性を持たせて展示した「特集展示」や、「ベスト100」のような「コレクション選」展を、常設展示としては全点出品される機会はないという文脈で、企画展と位置づけることがある
・一般に日本の公立美術館には、常設展示室企画展示室市民ギャラリーの3種類の展示室が設けられている
・他館の常設展示で活用されている作品を借用する場合、展覧会の企画趣旨が借用許可の判断材料となる
美術館の活動方針と連動する企画テーマが立てられる ※YCAMはコレクションを持たない


インスタレーション

・1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成するビデオ・インスタレーションや、音響を用いて空間を構成するサウンド・インスタレーションなどを含む。
・空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。
・インスタレーションは設置場所に固有サイトスペシフィックである。近代以降の西洋の芸術作品は、額に入った絵画や台座に乗った彫刻などの形式により、教会などの建築物から自立し、世界中のどこに置いても同じように成立すると考えられるようになっていた。これに対し、インスタレーションは設置場所の形状、壁面・建築・地形との関係、場所の歴史や記憶などから発想され、それらと密接に結びついているため、他の場所への移転や再現は、作品として成立しなくなるとも考えられる
・一時的で場所固有なので、そこに恒久設置された作品ではない限り、展覧会終了後は撤去されて消滅する。売買も困難で、美術館などが作家に制作を依頼して制作費を払い恒久設置あるいは一時設置の方法をとるか、またはコレクターや美術館が詳細な設計図とともにパーツすべてを買い取り、再設置に当たっては作家が監修してその場所に合わせて展示方法を変えるなどの方法がとられる。

Wikipedia「インスタレーション」より


2. メディアアートの「死」

 (1)メディアアートとは何か?

・ニューメディアアート、メディアアートは、20世紀中頃に登場した、芸術表現に新しい技術を利用する、または新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称。特に、ビデオやコンピュータをはじめとする新技術に触発された美術作品や、そうした新技術の使用を積極的に志向する美術である。
・伝統的な絵画や彫刻など、古い媒体(メディア)を用いたアートと異なる、新しい媒体(ニューメディア)を使う作品群を指し、その範囲はコンセプチュアル・アートからインターネットアート、パフォーマンスアート、インスタレーションなどに及ぶ。

Wikipedia「メディアアート」より

 (2)作家たちの意見―作品の死の定義について

・芸術は人の中で生き続ける。そして、芸術作品は人が関心を持たなくなったら、死んでいる。――カイル・マクドナルド
・時代や世間に対する毒や批評性をまったく失ってしまった状態――梅田哲也
・社会的にいかなるかたちの需要もなくなったとき――平川紀道
・記憶から無くなること――江渡浩一郎
・ソースコードを改変し続けられることが「生きている」ということ――久保田晃弘
・万物と同様、芸術作品も絶え間なく変容し、消失していく。我々は、以前と同じモナリザを二度と見ることはないのである――クリストフ・シャルル
・作品の「コード」が1ミリも理解されなくなったとき――高嶺格
・再製作・再演不能――古館健
・作品の価値が外力で変えられてしまうようなこと――山辺真幸
・作品は「モンスター」のようなものかもしれませんね。モンスターは大概蘇ります――近森基
・ソフトウェアのアートを完全に殺すのは凄く難しい気がしてきた。ゾンビのようだ。――神田竜
・人類の滅亡と同じタイミング――三原聡一郎


3. YCAM開館までの歴史

1990年1月 市選出4県議団、県、県教委、市により中央高校の宮島町移転決定
1990年3月 『山口市における情報ゾーン事業化基礎調査』(インキュベーション構想)
1990年5月~ 県市共同のやまぐち情報文化都市づくり会議
1993年4月 『やまぐち情報文化都市基本計画』確定
       中央公園との一体的利用/専用ホール等の導入/図書館計画
1994年12月 『文化交流プラザ基本構想』
1996年5月 『文化交流プラザ基本計画』
1996年11月6日 基本設計業者決定=磯崎アトリエ
1998年5月 『文化交流プラザ基本設計』 メディア・テーク/劇場/市立図書館
1998年年7月 商工会議所議員30人を対象としたアンケート調査(半数が「計画全体を見直すべき」)
1998年9月2日 八木会頭、佐内市長に意見(経済効果が期待できる5,000人収容規模のホール建設を)
1998年9月 文化交流プラザソフト研究会設置(座長=奥津聖/山口大学教授)
1999年3月 『(仮称)文化交流プラザソフトプランニング報告書』(ソフト研究会)
2000年4月4日 「山口市の街づくりを考える連絡会」(代表世話人・岩佐和男山口民主商工会長)、佐内市長に公開質問状提出、凍結を訴える
2000年8月 『中園文化施設基本設計』確定
2001年5月 正式名称決定「山口情報芸術センター」
2002年4月21日 山口市長選、元県議の合志栄一(52)、中園文化施設見直しを訴えて当選。投票率53.39%。
2003年11月1日 山口情報芸術センター開館
2004年12月12日 山口情報芸術センター、来館者100万人を突破


4. まとめ

 ・企画展

―企画テーマ=美術館・文化施設の使命(ミッション)の表現
―研究成果の社会還元
―開館〇〇周年記念=これまでの活動の総括的意味合い
―地元の文化施設の研究成果を5年、10年のスパンで見守る

 ・メディアアートの「死」

―メディアアートの死と芸術作品の死を一旦分けて考える
―芸術作品とはどのような存在かについて考える
―「死」とはどのような状態を指すか考える
―メディアアートの特性について考える