<第五講>ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜


1. 展覧会の概要

「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」概要 スライド
企画展/巡回展
会期:2018年10月8日~12月16日
会場:広島県立美術館
主催:広島県立美術館、広島テレビ放送、イズミテクノ
協賛:光村印刷、広島県信用組合
協力:日本通運
企画協力:NTVヨーロッパ
特別協力:ARTHEMISIA

巡回スケジュール

東京都美術館 1/23~4/1
豊田市美術館 4/24~7/16
札幌芸術の森美術館 7/28~9/24
郡山市立美術館 2019.1/11~3/31


巡回展とは

・開催館外からの借用によって集められた(特に海外の美術館・コレクターから)作品の集合(=展覧会)を、2つ以上の離れた地域に存在する美術館で順次紹介する展覧会の形式
・所蔵先と開催館との間の往復の輸送費(例えばフランス⇔日本など)や保険料、カタログ印刷費等を「共通経費」として巡回館同士で分担することにより、一館あたりの経済的負担を軽減することが可能
・同程度の会場規模を持つこと、他の展覧会の会期とのスケジュール調整が必要
・会場によって出品作品が変更される場合もある
大手新聞社が参加し、海外との連絡調整を行うことがある


ピーテル・ブリューゲル(c.1525-30―1569) スライド

・1551年 アントウェルペンの聖ルカ組合に自由親方として登録(この時点で20代半ばと推定される)
・カーレル・ファン・マンデル『絵画の書』(1604年)で、ブレダ近郊のブリューゲル村の生まれとされる
・1553年ローマ滞在
・作品に描かれる峻厳な山岳風景は、ネーデルラントにはなく、イタリア旅行の行き帰りに目にしたアルプス風景と考えれる
・当時、没後40年経っていたボスの人気は衰えておらず、ブリューゲルも初期は「ボス風」の作品を描いた
・子は2男2女(長男ピーテル、次男ヤンも画家に)
・40歳前後の早過ぎる死
・16世紀ネーデルラント(=プロテスタント):カトリック国スペインによる圧政


概論で紹介した作品

・ブリューゲル《謝肉祭と四旬節の喧嘩》、1559年、油彩・板、118.0×164.5cm、ウィーン、美術史美術館
・ブリューゲル《バベルの塔》、1563年、油彩・板、114×155cm、ウィーン、美術史美術館
・ブリューゲル《ネーデルラントのことわざ》、1559年、油彩・板、117×163cm、ベルリン、国立美術館 絵画館


2. 作品紹介

1. ピーテル・ブリューゲル1世/ヤーコプ・グリンメル《種をまく人のたとえがある風景》、1557年、油彩・板、52×68.5 cm、個人蔵
2. ピーテル・ブリューゲル1世[下絵]/ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫板]《最後の審判》、1558年、エッチング、エングレーヴィング、インク、22.5×29.4 cm、個人蔵
3. ピーテル・ブリューゲル1世[下絵]/フィリップス・ハレ(帰属)[彫板]《希望》、1560年、エッチング、エングレーヴィング、インク、22.3×28.6 cm、個人蔵
4. ピーテル・ブリューゲル1世[下絵]/フランス・ハイス[彫板]《イカロスの墜落の情景を伴う3本マストの武装帆船》、1561-62年、エッチング、エングレーヴィング、インク、22.1×28.6 cm、個人蔵
5. ピーテル・クック・ファン・アールストと工房《三連祭壇画》、1540-1550年頃、油彩、テンペラ・板、中央: 88.5×57 cm、両翼: 88×24.5cm、個人蔵
6. ヤン・マンデイン《キリストの冥府への降下》、制作年不詳、油彩・板、70.5×92 cm、個人蔵
7. マールテン・ファン・クレーフェ《農民の婚礼》、1558-60年頃、油彩・板、各33.8×68.5 cm、個人蔵
8. マールテン・ファン・クレーフェ《嬰児虐殺を伴う冬の風景》、1570年頃、油彩・板、74×106.5 cm、個人蔵
9. マールテン・ファン・ファルケンボルフ/ヘンドリク・ファン・クレーフェ《バベルの塔》、1580年頃、油彩・カンヴァス、53×76 cm、個人蔵
10. ピーテル・ブリューゲル2世《鳥罠》、1601年、油彩・板、37.5×56.6 cm、個人蔵
11. ピーテル・ブリューゲル2世《七つの慈悲の行い》、1616年、油彩・板、43×59 cm、個人蔵
12. ヤン・ブリューゲル1世《旅人と風車のある風景》、1604-05年
ペン、茶色のインク、黒チョーク、茶色と青のウォッシュ・紙、24.4×33.3 cm、個人蔵
13. ヤン・ブリューゲル2世/バルトロメオ・カヴァロッツィ《花輪に囲まれた聖家族》、1620-25年頃、油彩・板、104×74 cm、個人蔵
14. ヤン・ブリューゲル2世《ガラスの花瓶に入った花束》、1637-40年頃、油彩・板、54.3×36 cm、個人蔵
15. アンブロシウス・ブリューゲル《ガラスの花瓶に入った花束》、1650-60年頃
油彩・銅板、25×20.5 cm、個人蔵
16. ダーフィット・テニールス2世《宿屋の農民》、1655-60年頃、油彩・板、30.5×25.2 cm、個人蔵
17. アブラハム・ブリューゲル《果物と東洋風の鳥》、1670年、油彩・カンヴァス、70×84.5 cm、個人蔵

6 静物画の隆盛 会場風景

7 農民たちの踊り 会場風景


ブリューゲル展関連年表

1543年 ポルトガル人、種子島に漂着
1551年 ピーテル1世、アントウェルペンの聖ルカ組合に親方として登録
1552年 ピーテル1世、イタリア旅行(~54年頃)
1567年 スペインのアルバ公、ネーデルラント執政に就任
1568年 オランダ独立戦争(80年戦争)始まる
1581年 ユトレヒト同盟、フェリペ2世の統治権否認令を布告
1589年 ヤン1世、イタリア旅行(~96年)。後の枢機卿フェデリコ・ボッロメーオの知遇を得る
1604年 カーレル・ファン・マンデル『絵画の書』出版
1609年 オランダが平戸に商館開設
1621年 オランダとスペインの休戦条約失効。南ネーデルラントが再びスペイン領となる
1648年 スペインがネーデルラント連邦共和国を承認
1651年 テニールス2世、レオポルド・ヴィルヘルム大公の宮廷画家となる
1659年 アブラハム、ローマ滞在
1665年 この頃、フェルメール《真珠の耳飾りの少女》完成

出典: 福田浩子編「ブリューゲル展関連年表」、『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』(日本テレビ放送網、2018年)、209-213頁。


ブリューゲル一族の系譜

ピーテル・クック・ファン・アールスト(1502-1550)
  ┗(娘)=結婚=ピーテル・ブリューゲル1世(1525/30-1569)
       ┗ピーテル・ブリューゲル2世(1564-1637/38) =結婚=エリザベト
                             ┗ピーテル・ブリューゲル3世(1589-1640以降)
       ┗ヤン・ブリューゲル1世(1568-1625)=先妻=イザベラ
                          ┗ヤン・ブリューゲル2世(1601-1678)=結婚=アンナ
                                             ┗ヤン・ピーテル・ブリューゲル(1628-1664)
                                             ┗アブラハム・ブリューゲル(1631-1697)
       ┗パスハシア=結婚=ヒエロニムス・ファン・ケッセル
               ┗ヤン・ファン・ケッセル1世(1626-1679)
                         =後妻=カタリーナ
                          ┗アンブロシウス・ブリューゲル(1617-1675)
                          ┗アンナ=結婚=ダーフィット・テニールス2世(1610-1690)
                                ┗ダーフィット・テニールス3世(1638-1685)

出典: 「ブリューゲル一族の系譜」、『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』(日本テレビ放送網、2018年)、33頁。


3. まとめ

 ・巡回展

―「共通経費」による予算圧縮と事業内容の充実
―学芸員のネットワークと新聞社のネットワーク
―パッケージングとカスタマイズ
―異なる会場で展示の工夫を比較して見る楽しみ

 ・古典作品の「現代性」

―時代や地域が異なっても通底する「人間」のあり方
―「時代の眼」で見る/「現代の感性」で読み解く
―16-17世紀北ヨーロッパの作品が国内で鑑賞できることの「現代性」
―危機の時代(圧政、戦争、疫病、飢饉)と芸術