<第七講>ムンク展


1. 展覧会の概要

ムンク展概要 スライド

企画展/単館開催
会期:2018年10月27日~2019年1月20日
会場:東京都美術館
主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、朝日新聞社、テレビ朝日、BS朝日
後援:ノルウェー大使館
協賛:アトレ、鹿島建設、コーセー、ショップチャンネル、セコム、ソニーマーケティング、東レ、凸版印刷、日能研
制作協力:P.I.C.S.、博報堂DYメディアパートナーズ
協力:日本航空、フィンエアー


展覧会図録

・展覧会図録は、企画展の開催に合わせて刊行される。出品作品の図版をカラー等で掲載したカタログ部分のほか、企画趣旨について述べた論文出品作品リスト作家略歴年譜作品解説参考文献リスト謝辞などから成る。

・企画趣旨について述べた論文は、開催館の展覧会担当学芸員が執筆するほか、大学の研究者他館の学芸員エッセイストなど外部の専門家に依頼して、複数の論文が掲載されることもある。巡回展の場合、巡回各館の学芸員がそれぞれ章立てやテーマ毎に論文を寄稿する。

・出品作品リストは、制作年サイズ素材技法所蔵先など、個々の作品の基本情報一覧である。回顧展の場合、出品歴図版の掲載歴も記載され、作品研究の基礎情報となる。

・通常、展覧会会期の初日から開催美術館のミュージアムショップで販売され、会期中に売り切ることを目指す。発行部数は1,000部程度から10,000部以上まで、展覧会の集客数見込みに応じてさまざまある。観客総数の7%程度が購入すると見込まれている(約15人に1人が購入)

・会期中に完売しない場合、巡回展であれば、次の会場で売られ単館開催であれば、開催館で会期終了後も販売される。完売した時点で「品切れ」となり、増刷や復刊はされない(海外の美術館の企画展に復刊の事例有り)現代美術展の場合、会期途中や終了後に刊行される場合もある。

・公立美術館で開催される展覧会の図録の場合、利益は見込まれていない制作費÷部数=価格ことが多い。


ムンク展図録の構成

ごあいさつ
メッセージ
目次
ヨン=オーヴェ・スタイハウグ「芸術的な力と絶え間ないドラマ」
水田有子「生命に刻むリズム―ムンク芸術におけるヴァリエーションとシークエンスをめぐって」
Catalogue
1. ムンクとは誰か
2. 家族―死と喪失
3. 夏の夜―孤独と憂鬱
4. 魂の叫び―不安と絶望
5. 接吻、吸血鬼、マドンナ
6. 男と女―愛、嫉妬、別れ
7. 肖像画
8. 躍動する風景
9. 画家の晩年
ムンクの「叫び」について
ムンクを知る
ムンクの足跡をたどる旅
オスロ市立ムンク美術館について
エドヴァルド・ムンク年譜
Jon-Ove Steihaug, Forceful and Distilled Dreams
Yuko Mizuta, A Rhythm Engraved on a Life: On Variations and Sequences in Munch’s Art
主要参考文献
出品作品リスト


ムンク関連年表

1863年 0歳 12月12日、オスロの北、ヘドマルク県ローテン村に生まれる
1868年 5歳 母が結核で亡くなる
1877年 14歳 姉が結核で亡くなる
1880年 17歳 画家になる決心をし、クリスチャニアの画学校へ通う
1886年 23歳 秋季展に《習作》の題で《病める子》を出品し、注目を集める
1889年 26歳 クリスチャニアで初の個展/11月、父が亡くなる
1892年 29歳 クリスチャニアで大規模な個展を開催/在ベルリンのノルウェー画家から招待を受け、ベルリン芸術家協会で個展を開催したが、他の会員の反発にあって1週間で打ち切り
1895年 32歳 弟が肺炎で亡くなる
1899年 36歳 この年を通じて、しばしば体調を崩す
1902年 39歳 トゥラ・ラーセンと破局し、銃の暴発事件で左手中指の一部を失う
1908年 45歳 神経衰弱で診療所に入院
1914年 51歳 クリスチャニア大学が講堂壁画のコンペでムンクの下絵を受け入れる
1922年 59歳 チューリヒ美術館がムンクの大規模な回顧展を開催
1937年 74歳 ナチスによりドイツにあったムンク作品82点が押収され、「退廃芸術」と見なされる
1940年 77歳 全作品をオスロ市に遺贈する遺言状を作成
1944年 80歳 1月23日、オスロ西部にあるエーケリーの自宅で死去

出典: ラッセ・ヤコブセン編「エドヴァルド・ムンク年譜」、『ムンク展―共鳴する魂の叫び』図録(朝日新聞社、2018年)、210-215頁。


2. 作品紹介

 2-1. ムンクとは誰か

1. 《地獄の自画像》、1903年、油彩・カンヴァス、82×66 cm、オスロ市立ムンク美術館
2. 《青空を背にした自画像》、1908年、油彩・カンヴァス、60×80.5 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-2. 家族―死と喪失

3. 《死せる母とその子》、1901年、エッチング、ドライポイント、41.5×59.5 cm、オスロ市立ムンク美術館
4. 《病める子》、1894年、エッチング、ドライポイント、48×34.5 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-3. 夏の夜―孤独と憂鬱

5. 《夏の夜、渚のインゲル》、1889年、油彩・カンヴァス、126.5×161.5 cm、KODE、ラスムス・メイエル・コレクション、ベルゲン
6. 《幻影》、1892年、油彩・カンヴァス、72.5×45.5 cm、オスロ市立ムンク美術館
7. 《瞳、声》、1893-96年、黒クレヨン、41.2×161.5 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-4. 魂の叫び―不安と絶望

8. 《叫び》、1910年?、テンペラ、油彩・厚紙、83.5×66 cm、オスロ市立ムンク美術館
9. 《絶望》、1894年、油彩・カンヴァス、92×73 cm、オスロ市立ムンク美術館

《叫び》と《絶望》

 2-5. 接吻、吸血鬼、マドンナ

10. 《接吻》、1895年、エッチング、ドライポイント、49.7×39 cm、オスロ市立ムンク美術館
11. 《吸血鬼 II》、1895年、リトグラフ、多色刷り木版、手彩色、38.4×55.3 cm、オスロ市立ムンク美術館
12. 《マドンナ》、1895/1902年、リトグラフ、80×60 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-6. 男と女―愛、嫉妬、別れ

13. 《マラーの死》、1907年、油彩・カンヴァス、153×149 cm、オスロ市立ムンク美術館
14. 《灰》、1925年、油彩・カンヴァス、140×200 cm、オスロ市立ムンク美術館
15. 《生命のダンス》、1925年、油彩・カンヴァス、143×208 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-7. 肖像画

15. 《青いエプロンをつけた2人の少女》、1904-05年、油彩・カンヴァス、116×93.5 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-8. 躍動する風景

16. 《太陽》、1910-13年、油彩・カンヴァス、163×205.5 cm、オスロ市立ムンク美術館

 2-9. 画家の晩年

17. 《2人、孤独な人たち》、1933-35年、油彩・カンヴァス、91×129.5 cm、オスロ市立ムンク美術館
18. 《東屋の傍の自画像》、1942年、油彩・カンヴァス、60×80.5 cm、オスロ市立ムンク美術館


1892年1月22日の日記

ふたりの友人と道を歩いていた。日は沈み、私はいささか物悲しさを感じていた。
私は立ち止まり、欄干にもたれかかった。そして燃えるような雲が、血のように、剣のように、青黒いフィヨルドと街を覆っているのを見たのだ。友人は行ってしまったが、私は不安に震えながらそこに立っていた。そのとき感じたのである。自然を通してこだます、際限なき叫びのようなものを。

出典:『ムンク展』図録(東京新聞、2007年)、50頁。


3. 代表作と出品作

a. 《病める子》、1885-86年、油彩・カンヴァス、119.5×118.5 cm、オスロ国立美術館
b. 《叫び》、1893年、テンペラ、パステル・厚紙、91×73.5 cm、オスロ国立美術館
c. 《吸血鬼》、1893-94年、油彩・カンヴァス、91×109 cm、オスロ国立美術館
d. 《マドンナ》、1894-95年、、油彩・カンヴァス、91×70.5 cm、オスロ国立美術館
e. 《灰》、1894年、油彩・カンヴァス、120.5×141 cm、オスロ国立美術館
f. 《生命のダンス》、1900年、油彩・カンヴァス、125.5×190.5 cm、オスロ国立美術館


4. まとめ

 ・展覧会図録

―美術館の企画力の表現と記録
―研究資料としての学術的な有用性
―過去に開催された展覧会の図録の積み上げの上に新しい展覧会が企画される
―映画監督や俳優に注目して映画を見るように、企画者や参加作家に着目して美術展を見る

 ・美術館の研究的機能

―美術館(博物館)の4つの機能=1. 収集、2. 保存、3. 展示、4. 研究
―研究成果の社会への還元=企画展、常設展示(コレクションの形成)
―コレクション⇔学芸員=専門性⇔企画展のテーマの有機的連関
―巡回展=学芸員同士の横の連携/1つの美術館に複数の専門性