没後90年記念 岸田劉生展
1. 没後90年記念 岸田劉生展 スライド
企画展/巡回展/回顧展/周年記念展
会期:2019年11月2日~12月22日
会場:山口県立美術館
主催:山口県立美術館、毎日新聞社、中国新聞社、tysテレビ山口
◆巡回スケジュール
東京ステーションギャラリー 8/31~10/20
名古屋市美術館 2020.1/8~3/1
◆巡回展
・開催館外からの借用によって集められた(特に海外の美術館・コレクターから)作品の集合(=展覧会)を、2つ以上の離れた地域に存在する美術館で順次紹介する展覧会の形式
・所蔵先と開催館との間の往復の輸送費(例えばフランス⇔日本など)や保険料、カタログ印刷費等を「共通経費」として巡回館同士で分担することにより、一館あたりの経済的負担を軽減することが可能
・同程度の会場規模を持つこと、他の展覧会の会期とのスケジュール調整が必要
・会場によって出品作品が変更される場合もある
・大手新聞社が参加し、海外との連絡調整を行うことがある
◆没後90年記念 岸田劉生展の章立て
Ⅰ 「第二の誕生」まで:1907-1913
Ⅱ 「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで:1913-1915
Ⅲ 「実在の神秘」を超えて:1915-1918
Ⅳ 「東洋の美」への目覚め:1919-1921
Ⅴ 「卑近美」と「写実の欠除」を巡って:1922-1926
Ⅵ 「新しい余の道」へ:1926-1929
◆岸田劉生 略年譜
1891(明治24)年 6月23日、岸田吟香・勝子の四男として東京・京橋に生まれる
1905(明治38)年 15歳 6月、父吟香、死去。12月、母勝子、死去。
1906(明治39)年 16歳 数寄屋橋教会で洗礼を受ける
1908(昭和41)年 18歳 白馬会葵橋洋画研究所に入所
1910(明治44)年 21歳 『白樺』ルノワール特集を購入
1912(明治45/大正元)年 22歳 第1回ヒユウザン会展に14点出品
1915(大正4)年 25歳 現代の美術社主催第1回美術展覧会に43点出品(会期中に「草土社展覧会」とすることを発表)
1919(大正8)年 29歳 白樺10周年記念主催岸田劉生作品個人展覧会の京都巡回を機に、京都旅行。伝呂紀の花鳥画を一時借用
1920(大正9)年 30歳 12月、『劉生画集及芸術観』(聚英閣)刊行
1923(大正12)年 33歳 9月、関東大震災で自宅が半壊する
1924(大正13)年 34歳 11月、京都での茶屋遊びが始まる
1929(昭和4)年 9月、満州に赴く。12月20日、山口県徳山町で客死(享年38)
出典: 山田諭編「岸田劉生活動記録」『没後90年記念 岸田劉生展』図録(中日新聞社、2019年)、216-301頁。
2. 作品紹介
Ⅰ 「第二の誕生」まで:1907-1913
1. 《薄暮之海》、1907年12月11日、水彩、鉛筆・紙、26.8×17.8
cm、東京国立近代美術館 ※前期 11/2-24
2. 《銀座と数寄屋橋畔》、1910-11年頃、油彩・板、31×23.2
cm、郡山市立美術館
Ⅱ 「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで:1913-1915
3. 《自画像》、1913年12月25日、油彩・カンヴァス、45.6×38
cm、豊田市美術館
4. 《アダムの孤独》、1914年、セピアインク・紙、21.7×14.8
cm、個人蔵 ※前期 11/2-24
5. 《黒き土の上に立てる女》、1914年7月25日、油彩・カンヴァス、62×46.8
cm、似鳥美術館
6. 《椿君之肖像》、1915年2月27日、油彩・カンヴァス、45.5×33.5
cm、横浜美術館
Ⅲ 「実在の神秘」を超えて:1915-1918
7.
《道路と土手と塀(切通之写生)》、1915年11月5日、油彩・カンヴァス、56×53 cm、東京国立近代美術館 ※重要文化財, 東京・山口会場のみ
8. 《古屋君の肖像(草持てる男の肖像)》、1916年9月10日、油彩・カンヴァス、45.5×33.5
cm、東京国立近代美術館
9. 《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》、1918年4月12日、油彩・カンヴァス、44.5×53
cm、福島県立美術館
10. 《静物(手を描き入れし静物)》、1918年5月8日、油彩・カンヴァス、50×61
cm、個人蔵
Ⅳ 「東洋の美」への目覚め:1919-1921
11. 《麗子坐像》、1919年8月23日、油彩・カンヴァス、72.7×60.7
cm、ポーラ美術館
12. 《麗子微笑之立像》、1921年4月3日、水彩・紙、50.5×34.2
cm、メナード美術館 ※山口会場のみ
13. 《麗子微笑》、1921年10月15日、油彩・カンヴァス、44.2×36.4
cm、東京国立近代美術館 ※重要文化財, 山口・名古屋会場のみ, 11/2-12/8
Ⅴ 「卑近美」と「写実の欠除」を巡って:1922-1926
14.
《二人麗子図(童女飾髪図)》、1922年3月21日、油彩・カンヴァス、100.3×80.3 cm、泉屋博古館分館 ※名古屋会場のみ
15. 《麗子》、1922年5月18日、コンテ・紙、34.2×25.5
cm、個人蔵
16. 《竹籠含春》、1923年4月9日、油彩・カンヴァス、36.5×44
cm、個人蔵
17. 《四時有甘》、1926年1月7日、紙本着彩、68×22.8
cm、個人蔵 ※前期 11/2-24
Ⅵ 「新しい余の道」へ:1926-1929
18. 《冬瓜図》、1926年3月、油彩・カンヴァス、38×45.5
cm、個人蔵
19. 『棋道』表紙原画 《二童黒白》、1929年、紙本着彩、21.6×15
cm、個人蔵 ※後期 11/26-12/22
20. 《路傍秋晴》、1929年11月、油彩・カンヴァス、59.5×71.5
cm、吉野石膏株式会社
3. まとめ
・巡回展
―「共通経費」による予算圧縮と事業内容の充実
―学芸員のネットワークと新聞社のネットワーク
―パッケージングとカスタマイズ
―異なる会場で展示の工夫を比較して見る楽しみ
・絵画の「写実性」
―「写実」は表面、「写意」は画家の精神や解釈、 「写生」は対象に向き合って生起したもの
―劉生が求めた「深いところにある、東洋の美」
―写実でなくとも、「心打たれる絵」
―「よく描けている」という評価