あいちトリエンナーレ2019 情の時代(名古屋)


0. 「現代の美術」と「現代の」美術について

 「現代の美術=同時代を生きている人々の美術」⇔すべての美術が「現代の」美術

“「進化」という言葉を時々耳にする。何度も私の絵がどのように進化したのか説明を求められる。私にとって、私の芸術に過去や未来はない。もし、ある美術作品が常に現在に生きることが出来ないなら、それはまったく考慮されるべきではない。ギリシアやエジプトの美術も、ほかの時代を生きた偉大な画家たちも、過去の芸術ではない。今日こそ、それはこれまで以上に一層生き生きとしているだろう。芸術がそれ自体で進化するのではない。人びとの考えが変化し、それに伴って、考えの表現方法も変化するのだ。”(ピカソ、1923年)

I also often hear the word 'evolution'. Repeatedly I am asked to explain how my painting evolved. To me there is no past or future in my art. If a work of art cannot live always in the present it must not be considered at all. The art of the Greeks, of the Egyptians, of the great painters who lived in other times, is not an art of the past; perhaps it is more alive today than it ever was. Art does not evolve by itself, the ideas of people change and with them their mode of expression. (Paris 1923)

<https://en.wikiquote.org/wiki/Pablo_Picasso> (2016/10/17)


1. あいちトリエンナーレ2019 スライド

会期: 2019年8月1日~10月14日(75日間)
会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、豊田市美術館、名古屋・豊田市内のまちなか
主催:あいちトリエンナーレ実行委員会
テーマ:情の時代(Taming Y/Our Passion) スライド
芸術監督:津田大介(ジャーナリスト、早稲田大学教授)


周期展

・ビエンナーレ(biennale 2年毎)、トリエンナーレ(triennale 3年毎)など定期的に開催される展覧会を総称する「recurrent exhibition」の訳語
・1895年に開始されたヴェネツィア市国際美術展(1928-30年頃ビエンナーレに改称)を先例とし、英語圏でもイタリア語の「biennale」を使用する例がある(Biennale of Sydneyなど)
・日本でもイタリア語、フランス語からカタカナ語化して1950年代に定着したが、近年では英語をもとにアニュアル(annual 1年に1回)、バイエニアル(biennial 2年毎)、トライエニアル(triennial 3年毎)などの言い方も広まっている
・現代美術の先端的な表現(cutting edge)を紹介する展覧会


周期展としてのあいちトリエンナーレ ※今年で4回目

・第1回(2010年)都市の祝祭(Arts and Cities)
  芸術監督:建畠 晢(国立国際美術館館長)

・第2回(2013年)揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活(Awakening – Where Are We Standing? – Earth, Memory and Resurrection)
  芸術監督:五十嵐太郎(東北大学教授、都市・建築学)

・第3回(2016年)虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅(Homo Faber: A Rainbow Caravan)
  芸術監督:港千尋(写真家・著述家、多摩美術大学教授)

・第4回(2019年)情の時代(Taming Y/Our Passion)
  芸術監督:津田大介(ジャーナリスト、早稲田大学教授)


周期展の存在意義:M. ロシェ『メガ・イベントの近代性』

In a world of ‘flows’ they provide symbolic and real channels, junctions and termini. In a world in which space-time is said to becoming increasingly ‘compressed’, their calendars and periodicities create distance and space. In a world which is arguably becoming culturally homogenised and in which places are becoming interchangeable, they create transitory uniqueness, difference and location in space and time. Sociologically they offer concrete, if transient, versions and visions of symbolic and participatory community.

Maurice Roche, Mega-events Modernity (London: Routledge, 2000): 7.

「流動的」な世界において、それら[=メガ・イベント]は、象徴的かつ現実的な回路、合流地点、そして終点を提供する。時空間がますます「圧縮」されつつあると言われる世界において、それらの暦と周期性は距離と空間を創出する。文化的に均質化し、それぞれの場所が互いに交換可能になりつつあると議論される世界において、それらは、時空間上に、刹那的な唯一性と差異性、場所性を生み出す。社会学的に、それらは、たとえ束の間ではあっても、象徴的かつ参加型の共同体の眺望と変奏*を具体的に提供する。

         *変奏=ヴァージョン。連続性がありつつも何か新しい違いをもつもの。


グローバル化時代の「年輪」

 ・グローバル化時代の特徴

・すべてが「流動的」で確固としたものがない(国家、自治体、企業、家族)
・時間も空間もどんどん縮まっている(インターネット、交通機関の発達、通信網の高速化、仕事の効率化)
・文化・都市風景・生活様式の均質化(方言の衰退/標準語の浸透、地元商店の衰退/フランチャイズ店舗の進出・横並びの都市計画、都市部への人口集中、西洋的生活様式の浸透)

 ・周期的なメガ・イベントに期待されるもの

・さまざまな交流が実際に起こる場所
・時間的な指標:一昨年、昨年(過去)/今年(現在)/来年、再来年(未来) cf. 2020年=東京オリンピック、2018年=明治維新150年、2015年=山大創基200年
・空間的な指標:唯一性、差異性、場所性 cf. ロンドン→リオ→東京
・象徴的な共同体、参加型の共同体 cf. なでしこジャパン、2011年、FIFA女子ワールドカップ優勝、羽生結弦と東日本大震災


2. 愛知芸術文化センター

1. ジェームズ・ブライドル(イギリス, 1980- )《ドローンの影》
2. エキソニモ(1996結成)《The Kiss》
3. ウーゴ・ロンディノーネ(スイス, 1964- )《孤独のボキャブラリー》 (部分)
・パク・チャンキョンによる出品辞退の声明
・閉鎖された「表現の不自由展、その後」会場
愛知芸術文化センター前

3. 名古屋市美術館

名古屋市美術館
4. バルテレミ・トグォ(カメルーン, 1967- )《アフリカ:西洋のゴミ袋》
5. 藤井光(1976- )《無情》 (展示休止)
6. モニカ・メイヤー(メキシコ, 1954- )《The Clothesline》 (部分) (展示変更)


・閉鎖された「表現の不自由展、その後」会場のその後 ※愛知芸術文化センター
・モニカ・メイヤーによる応答
7. ReFreedom_Aichi《#Y/OurFreedom》 ※モニカ・メイヤーのコンセプトに基づきホンマユリ(キュンチョメ)が発案したプロジェクト


4. 四間道・円頓寺

円頓寺商店街
8. アイシェ・エルクメン(トルコ, 1949- )《Living Coral/16-1546/商店街》
メゾンなごの808
9. 弓指寛治 (1986- )《輝けるこども》展示風景 (部分1), (2)


◆弓指寛治《輝けるこども》資料(会場に掲示されていたテキスト) スライド

今年はこども達が犠牲になる交通事故のニュースが
多い。「また痛ましい擬古が起きてしまいました……」
「……二度とこのような事故が起きないことを願います」
「次のニュースです」
これはメディアの性質上、しかたがないと思うけれど
交通事故の背景にはもっと色々と、ある。
事故の報道を見るたび「何かが抜け落ちている」と
思っていた。
僕はその「抜け落ちている何か」を探したい。
そして鹿沼市クレーン車暴走事故の中に手がかりが
あるかもしれないと考えた。
事故の「被害者」「加害者」となってしまった
人々の「事故後」から見えてくるものが重要な
気がしていた。
どう転ぶか全くわからないまま、僕は鹿沼市へ向った。

2019年7月31日
弓指寛治


交通事故を題材に決めた時から
加害者側も重要だと思っていた。
「鹿沼市クレーン車暴走事故」では加害者当人である元運転手と
彼の母もまた事故の責任を負う立場となった。
加害者支援団体WOHの阿部さんに協力してもらい
何とか元運転手のお母さんにお会いし、事故後の贖罪活動など
お話していただくことができれば…そう考えていた。

しかし、どうしても会えない。
僕はこれ以上介入すべきではないと判断した。

「加害者側」になってしまった人というのはやはりタブーな存在で
隠れて生きるものなのかと複雑な気持ちになった。


 弓指様

お世話になります。
先日の家族会はお疲れ様でした!
あれから[    ]さんの言葉をもう一度考えて草場先生とお話をして、[    ]さんがここまで頑なに拒む理由をようやく理解しました。
[    ]さんはこれまでも、「贖罪活動をしていること」を自分の口から他人に話すことを一貫して拒んできました。私としては、
[    ]さんのように事件と向き合い続けている人が増えることを望むので、むしろ「伝えてくれた方が…」と思ってきました。
[    ]さんは、自分で「償っています」とアピールしてしまった時点で、その行為は償いではなくなると考えています。
誰にも認められなくても被害者から許されなくても報われなくても続ける、それが償いであり、[    ]君にもそれを求めています。
周りから「[    ]君えらいね」と言われて献花や謝罪に行くようであれば駄目だと。
多くの人の知るところになった事件なので、取材の対象になることも懸念しています。承認欲求が強い[    ]君がのせられてパフォ
ーマンスしてしまうことを何よりおそれています。なので、自分も遺族からの依頼がない限り取材には一切答えないということは
[    ]君への教育の意味もあります。
(以下略)

阿部恭子


私にも責任はあると思っています。ただ事故のあの日、私がどんなふうに
止めても、あの子は私をけがさせようが何だろうが出ていって
クレーンの運転をした。
そこだけは分かってほしいと思っています


  ・熊野愛斗くんの詩 スライド

 「償い」

もしきみがつぐないをしなきゃならなくなった
とき、きみは、どうするだろを。そのつぐないの、おもみ
をせなかにせおい、いっしょういきるのかい
それじゃあせっかく神様がくれた人生が
むだになるよ
つにないならいっしょうけんめい、いきぬいたそのさきで
すればいい。
いまは、たのしくいきればいい

                               くまのまなと

 「生きぬく」

生るってことは、かんたん
にかんじるけどさ、
ほんとうにかんたんなことかな、
どんなかなしみがあるかわから
ない
どんなくるしみがあるかわからな
いそんなところでいきなければ
ならない
でもそのことにたえてひっしに生きぬい
た人こそがどんなことよりすばらしい
ことだとおもう
きみも生きぬけ 


5. まとめ

 ・周期展

―毎年、あるいは2年ごと、3年ごとに開催される展覧会
―1895年開始のヴェネツィア市国際美術展が嚆矢
―近代オリンピックの開始が1896年(アテネ)、1900年(パリ) ※ピエール・ド・クーベルタン=IOC第2代会長
―流動的なグローバル時代の「年輪」

 ・規制への抵抗

―ボイコット(出品辞退、展示休止)
―街頭演説、集会、ビラの配布、署名運動
―討論会、フォーラム、シンポジウム
―SNS
―参加型アート・プロジェクト


肝心な点は、アートによって戦争を阻止できたり、誰かが定職にありつけたり、といったことは決してないということだ。アートに現実の出来事を変える力はない。だが、人を変えることはできる……。人びとはアートによって変化し、豊かになり、気高くなり、勇気づけられる。そうした人びとが、投票や、彼らの言動、考え方を通じて、現実に起こる出来事を変えていくのだ。

レオナルド・バーンシュタイン

The point is, art never stopped a war and never got anyone a job. That was never its function. Art cannot change events. But it can change people. . . People are changed by art - enriched, ennobled, encouraged - they then act in a way that may affect the course of events by the way they vote, they behave, the way they think.

-Leonard Bernstein

出典:トレド大学美術学部長バーバラ・マイナー教授のメール・フッターより