ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展(歴史)


0. ヴェネツィア

・ヴェネツィアはイタリア北部、半島から約4km離れた潟の上の島 スライド
サン・マルコ広場の鐘楼とドゥカーレ宮殿
サン・マルコ広場
リアルト橋
サンタ・ルチア駅
モーゼ I


1.『広辞苑』で辿る「ビエンナーレ」「トリエンナーレ」の歴史 スライド

『広辞苑』第七版(2018年)
・ビエンナーレ【biennale イタリア】(「二年ごとの」の意)二年に一度行なわれる美術展のこと。→トリエンナーレ(2432頁)
・トリエンナーレ【triennale イタリア】(「三年ごとの」の意)三年に一度行なわれる美術展覧会。→ビエンナーレ(2149頁)

 第1版(1955年)1786頁
  ↓ 「ビエンナーレ」が立項される
 第2版(1969年)1848頁
  ↓ 「ベニス」から「ヴェネチア」へ
 第3版(1983年)2000頁
  ↓ 「トリエンナーレ」への参照指示が追加/「ヴェネチア」から「ヴェネツィア」へ
 第4版(1991年)2136頁
  ↓ 変更なし
 第5版(1998年)2220頁
  ↓ 「国際的美術展」から「美術展」へ/ヴェネツィア・サン-パウロ・パリなどの例示が削除
 第6版(2008年)2335頁
  ↓ 変更なし
 第7版(2018年)2432頁


日本におけるビエンナーレ、トリエンナーレ、芸術祭の開催概況 スライド

1999 福岡アジア美術トリエンナーレ
2000 大地の芸術祭 越後妻有アート トリエンナーレ
2001 横浜トリエンナーレ (2011年以降、ヨコハマトリエンナーレへ改称)
    BIWAKOビエンナーレ
2007 中之条ビエンナーレ(群馬)
    北九州国際ビエンナーレ (~13)
    港で出合う芸術祭 神戸ビエンナーレ (~15)
2008 UBEビエンナーレ(山口) (現代日本彫刻展(1961~ )から改称)
    姫路城 現代美術ビエンナーレ(兵庫)
2009 堂島リバービエンナーレ(大阪)
    開港都市にいがた 水と土の芸術祭 ※トリエンナーレ
    別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界 ※トリエンナーレ
2010 瀬戸内国際芸術祭 ※トリエンナーレ
    あいちトリエンナーレ
    西宮船坂ビエンナーレ(兵庫)
2012 国東半島芸術祭 ※毎年
2013 十和田奥入瀬芸術祭
2014 中房総 国際芸術祭いちはらアート×ミックス
    札幌国際芸術祭
    みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ
2015 PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭
2016 KENPOKU ART 茨城県北芸術祭
   さいたまトリエンナーレ
2019 Reborn-Art Festival
2020 東京ビエンナーレ

 ・現代アートは永遠ナーレ <http://eiennare.site/index.html>
  ※2019年12月現在、80の芸術祭がマッピングされている


2. ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史

第1回ヴェネツィア市国際美術展ポスター

4月22日~10月22日(6か月間)ヴェネツィア市賞1万リラ、イタリア文化省賞5千リラ、ヴェネツィア県賞5千リラ、ヴェネツィア銀行賞5千リラ

・1895年、イタリア国王ウンベルト一世と王妃マルゲリータの成婚25周年を記念する事業として「ヴェネツィア市国際美術展」の名称で開始。 スライド

・第1回展の参加国数は15カ国(オーストリア、ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、ノルウェー、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイス、ハンガリー、ロシア、アメリカ合衆国)。展示室は11室。 スライド

1. フランチェスコ・パオロ・ミケッティ《ジョリオの娘》、1895年、油彩、テンペラ、282×555 cm、ペスカーラ県管理局、第1回展出品、ヴェネツィア市賞
2. フレデリック・レイトン《ペルセウスとアンドロメダ》、1891年、油彩・カンヴァス、235.0×129.2cm、リヴァプール、ウォーカー・アート・ギャラリー、第1回展出品 ※2016年3-5月「英国の夢―ラファエル前派展」(山口県美)で展示
3. ジェームズ・ホイッスラー《白のシンフォニーNo.2―白衣の少女》、1864年、油彩・カンヴァス、76×51cm、テート・コレクション、第1回展出品 ※2014年12-2015年3月「ホイッスラー展」(横浜市美)で展示
4. ジャコモ・グロッソ《至高の集い》、1895年 ※火災により焼失
主題の道徳性を問われ、ヴェネツィア司教より撤去を申し入れられた(主催者側は聞き入れなかった)


第2回展(1897年)には、日本美術が特集展示された スライド

5. 荒木寛畝《秋草野雉圖》
6. 鈴木松年《雪中枯木鳶豆圖》
7. 久保田桃水《游鯉図》


ジャポニスムに関する出品の例 スライド

8. フレデリック・カール・フリージキー(1874-1939)《日本傘》、第8回展(1909年)出品
9. ジュゼッペ・デ・ニッティス(1846-1884)《小舟にて》、第11回展(1914年)出品
10. ガリレオ・キーニ(1873–1956)《オリエントのがらくた》、第11回展(1914年)出品


印象派・ヴェネツィア風景・分離派

11. ピエール=オーギュスト・ルノワール(フランス)《浴後》、1888年、油彩・カンヴァス、65×54cm、個人蔵、第5回展(1903年)出品
・第5回展(1903年)のヴェネツィア展示室
・第5回展(1903年)のエミリア展示室
12. グリエルモ・チャルディ(イタリア)《夢の都市》、1909年、油彩・カンヴァス、97×195 cm、ヴェネツィア財団、第8回展(1909年)出品
13. グスタフ・クリムト(オーストリア)《ユーディットII ―サロメ》、1909年、油彩・カンヴァス、175×45cm、カ・ペーザロ近代美術館、第9回展(1910年)出品


各国館の建設

・1907年~1914年、美術宮の周囲に各国の展示館が建設され、ジャルディーニの展示館は8館となった(ベルギー館=1907年、ハンガリー、イギリス、バイエルン館=1909年、スウェーデン、フランス館=1912年、ロシア館=1914年)。 スライド

14. フォルトゥナート・デペーロ(イタリア)《雷の作曲家》、1926年、油彩・カンヴァス、113×113cm、トレント・エ・ロヴェレート近代美術館、第18回展(1932年)出品
15. マリオ・シローニ(イタリア)《家族》、1929年、油彩・カンヴァス、160×210cm、個人蔵、第18回展(1932年)出品


ビエンナーレの拡張(7部門) スライド

1895 美術展
 …
1928 歴史資料館
1930 音楽祭
1932 映画祭
1934 演劇祭      ※ファシズム政権時代に多ジャンル化
 …
1980 建築展
 …
1998 舞踊祭


・1934年の第19回展には、ムッソリーニとヒトラーがヴェネツィア・ビエンナーレ会場を公式訪問。ロモロ・ヴァッツォーニの回想によれば「ヒトラーは一画家として、鑑賞しているようだった。」という。 スライド

16. トゥリオ・クラーリ(イタリア)《街へくさびのように突入する/都市への急降下》、1939年、油彩・カンヴァス、130×150cm、ミラノ、個人蔵、第22回展(1940年)出品


戦争・学生運動の余波による休止と調整

1895 第1回ヴェネツィア市国際美術展
 …
1909 第8回ヴェネツィア市国際美術展
1910 第9回ヴェネツィア市国際美術展            ※偶数年開催に変更
 …
1914 第11回ヴェネツィア市国際美術展
 ×                   -2回
1920 第12回ヴェネツィア市国際美術展
 …
1930 第17回国際美術ビエンナーレ展
 …
1942 第23回国際美術ビエンナーレ展
 ×                   -2回
1948 第24回ヴェネツィア・ビエンナーレ
 …
1972 第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ
 ×                   -1回
1976 第37回ヴェネツィア・ビエンナーレ
 …
1990 第44回国際美術展ヴェネツィア・ビエンナーレ
1993 ヴェネツィア・ビエンナーレ第45回国際美術展     ※奇数年開催に復帰
1995 ヴェネツィア・ビエンナーレ第46回国際美術展 = 100周年
 …
2019 ヴェネツィア・ビエンナーレ第58回国際美術展


ジャルディーニの各国館建設の歴史 スライド

1895 美術宮(1)建設
 …
1907 ベルギー館(2)建設
1909 ハンガリー館(3)、イギリス館(4)、バイエルン館(5)建設
 …
1912 フランス館(6)、スウェーデン館(7)建設
1914 ロシア館(8)建設
 …
1922 スペイン館(9)建設
 …
1926 チェコスロバキア館(10)建設
 …
1930 アメリカ館(11)建設
1932 デンマーク館(12)、ヴェネツィア工芸館(13)建設。同館両脇にスイス館(14)、ポーランド館(15)開館
1934 オーストリア館(16)、ギリシア館(17)建設
 …
1938 工芸館両翼を拡張してユーゴスラビア館(18)、ルーマニア館(19)開館
 …
1952 新スイス館(20)、イスラエル館(21)建設
1954 ベネズエラ館(22)建設
1956 フィンランド館(23)、日本館(24)建設
1958 カナダ館(25)、ウルグアイ館(26)建設
 …
1962 北欧館(27)建設
1964 ブラジル館(28)建設
 …
1988 オーストラリア館(29)建設
 …
1995 韓国館(30)建設

 ※ジャルディーニ以外に、アルセナーレや市内各地に会場が拡がる スライド


4. 日本館

日本館 外観
吉阪隆正(1917-1980)/1950年、第1回フランス政府給付留学生として渡仏。ル・コルビュジエのアトリエに勤務。1959年、早稲田大学教授。1973年、日本建築学会会長。


 「吉阪の設計はあたえられた小さな丘地を生かして、高さ3メートルのピロティを彫刻室とし、その上に立方体の絵画室をのぞかせている。外壁は大理石の粉と石灰をまぜたマルモリーノで、ちょうど漆喰のように白堊の壁面が上下一筋ずつ黒い縁でくぎられる。内部はガラス天井の下に太い木の梁が縦横に走って、やわらかい自然光が存分に入り、4つのコンクリート梯形のつきでた衝立で壁面は4つにくぎられ、床は人造大理石で白黒の帯状を描き、その中央にピロティをみおろす大きな方形の穴があけられ、低い大理石の手すりに囲まれている。この箱型白堊のピロティつき建物が木立を背景に浮び、…(中略)…十分日本的特徴を発揮している。だが、上層の壁はつきだした4つの衝立にくぎられながら、中央に大きな穴があって別々の部屋に仕切ることができず、床の文様は色がつよすぎるし、ピロティの部分は暗すぎて、いずれも展示のためには不便さが残る(わたしは1968年、コミッショナーになったとき、設計者吉阪隆正が了解すれば改修してもいいという国際文化振興会の意向をうけて吉阪と交渉したが、「要するに、建築に敗けない作品を出せばいいのではないか」と、一蹴されてしまった)。」

針生一郎「ヴェネチア・ビエンナーレを通して見る日本の美術―1952-68年」『ヴェネチア・ビエンナーレ―日本参加の40年』(国際交流基金、1995年)、17-18頁。


・正方形のプランに、風車状に配置された4枚の仕切り壁 スライド
日本館「宇宙の卵」展示風景
17. 安野太郎《COMPOSITION FOR COSMO-EGGS "Singing Bird Generator"》(部分)
18. 下道基行《津波石》 2015年~
展示風景
・下道基行「津波石地図」
プレスツアー風景(服部浩之と下道基行)


5. まとめ

 ・ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史

―1895年に始まり、2015年で120周年を迎えた
―この約120年のうちに、美術そのものが大きく変化した(絵画中心の再現的な表現から、さまざまな手法による現代アートへ)
―世界約80か国が参加する芸術の祭典(「現代アートのオリンピック」とも称される)

 ・日本各地の芸術祭

―1951年、日本の国際社会への復帰(’51年 サンパウロ参加、’52年日本国際美術展開始)
―1969年、『広辞苑』に立項→2008年の第6版以降「美術展」に(≒domestification 土着化)
―2000年前後にトリエンナーレが開始され、 00年代にビエンナーレ、10年代に芸術祭が増加