何暁毅の私説私語
目次
● 中国人の名前は漢字で表記を
奨学金改革で留学生増を
 
l      「海亀派」からの憂鬱
l      メールを慎重に
l      「美談」かよ
l      東施効ひん
l      立って半畳、寝て一畳
l      色男は誰?
l      フェアプレー

中国人の名前は漢字で 

 

「塔那触逗穐」とはだれのことか、わかるだろうか。

この数年来、日本の各メデイアでは中国人の名前をカタカナだけで表示することは多くなった。テレビから新聞、雑誌まで、あらゆるところに見られる。特に中国、香港、台湾の映画・ビデオ、音楽関係のものはほとんどと言っていいほど、カタカナを使っている。

これはおそらく以下の理由からだろう。

一つは、外国人だから、外来語と同じように、カタカナで表示するのが当たり前という考え方。

もう一つは、相手に対する配慮から、外国人の名前をなるべくその人の母国語に近い発音で表したい
いうもの。すでに韓国人、朝鮮人の名前をハングル読みのカタカナで表しているように、中国人の名前も中国語読みのカタカナで表記したほうは親切だというのだろう。

しかし中国人の名前をカタカナだけで表すことから生じる問題を考えたことがあるのだろうか。

中国と日本は遠い昔から盛んに交流し、ともに漢字を使い、文化を共有してきた。歴史上の有名人は勿論のこと、現在も漢字の名前で親しんでいる。欧米とは少し事情が違う。
 多くの日本人は「魯迅」を見たら、それがだれであるかすぐわかる。同様に、中国人も「川端康成」を見たら、すぐにわかる。逆に、それぞれを元の言葉の発音で表記したら、どうなるだろう。「ルシュン」はだれであるか、日本人はもちろん、日本語のできる中国人さえ、「魯迅」こととはすぐにはわからないだろう。

中国語の発音は大変複雑で、カタカナで表するには限界がある。いくら似通うつもりでも、本来の発音と微妙に違う。漢字の姿を消された以上、正確とはいえない発音のカタカナで表された中国人の名前の主はだれなのか、なかなか見当がつかない。親切のつもりで始めたことが、だれのための、何のためか、中国人からすれば、理解に苦しむと言わざるを得ない。

それに中国の中ではもともと方言の違いは激しく、同じ漢字でも方言によって読み方が違う。そのため、中国人は遠い昔から発音より漢字のイメージで人を認識したり、覚えたりする。多くの場合、その人の名前の漢字で、その出身地、出生の時代、性別、期待、志向などが読みとれる。中国人の名前はただの発音ではないし、ただその人を他人と区別する記号でもない。中国人の名前に使う漢字には、名付け親の、その人に対する期待が、自分でつけた場合には自分自身の、世間に対するアピール、自己主張がこめられている。
 「毛沢東」は、漢字であるからこそ「東方に潤いを」として意味があり、「マオヅエトン」ではなにも感じられない。「チンカイコ」より、「陳凱歌」の方が、遙か映画監督らしいロマンチックな感じがするではないか。

というわけで、中国人の名前は漢字で表記して十分である。ルビを付けるのもいいだろう。ラジオは別として、テレビでは字幕で表示できるし、新聞、雑誌など活字メデイアではもともと漢字を使っているから、わざわざ発音を真似する必要がない。漢字で表示すれば、お互い言葉がわからなくでも筆談できる。逆に発音だけなら、いくらまねしても相手に通じない。これは中国人と交流のある人なら、誰でも経験したことがあるはずだ。

相手に対する配慮なら、相手の気持ちを理解しなければなりない。独り善がりは本末転倒である。デパートの過剰サービスと同じで、気の遣いすぎは、かえって疎外感を感じさせ、人を遠ざけてしまう。

漢字は私たち中国人の心のよりところであり、その心はほとんどの日本人にも通じるはずだ。親切で、気を遣うなら、名前をその母語の発音に近づけて表記するような表面的なことより、もっとその国の文化などを深く理解し、相手の立場や気持ちに配慮していただきたい。

 ところで、文頭の漢字は「田中角栄」のことである。もしも中国のマスコミも日本と同じように、日本語の発音で日本人の名前を表示するととしたらの話だが。
 (初出:「朝日新聞・論壇」1999年7月10日)


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奨学金改革で留学生増を 

 日本政府は二十世紀末までに十万人規模の留学生を受け入れる目標を掲げてきた。しかしいまだに実現できていない。その最大の原因は、日本留学を熱望しているアジアなどの開発途上国の若者が、経済的理由でなかなか来られないことである。
 数々のハードルを乗り越え、やっとの思いで日本へ来た留学生を待っているのは、高額な授業料、高い家賃、世界一高い物価、そしてそれらを支
払うためのアルバイトである。多くのいわゆる私費留学生は、日本での数年間、楽しく勉強するどころか、生きていくために毎日アルバイトに明け暮れる。
 一方、優雅に暮らしている約二千人の“留学生貴族”もいる。日本政府から国費の奨学金を受けている留学生である。大学院生で月十八万四千円の生活費のほかに、来日及び帰国時の旅費、家賃手当なども支給される。もちろん入学金と授業料など学校の費用は一切免除だ。日本の大卒初任給に相当する額の奨学金をもらい、安心して勉強に没頭する人がほとんどと思うが、中に困窮の私費留学生と競うようにアルバイトする人も少なくない。
 アルバイトをすることは決して悪いこととは思わない。実験など、たくさんの時間を必要とする理工系の留学生を別にして、文科系の留学生には有意義な面もある。
 仮に一人の留学生が十分な奨学金をもらい、単に毎日学校で授業を受け、専門書を読みふけり、学位を取得して帰国する。それで彼は、日本という国を一体どの程度わかるだろうか。社会の仕組み、経済システム、政治問題、あるいは日本の風習、日本人の心、日本人の生活習慣など、真の日本の姿が本当にわかるだろうか。
 逆に、私費留学生は、数年間さまざまなアルバイトを通じて、多くの業種と会社で働き、いろいろな日本人と接し、普段着の日本社会を、身をもって体験する。仮に勉強時間が少なく学位が取れない者も、帰国して日本での実体験を確実に生かせるだろう(実際はほとんどの私費留学生は学位を取得している)。現に中国で起業した帰国留学生の多くが、元私費留学生であることは何よりの証明である。
 本を読むなら日本に来なくても本さえあればできる、しかし日本の社会そのものを理解しようとするなら、日本で実際に生活しないとできない。日本にいる短い間に、ただ勉強するだけでいいか、それとも適当にアルバイトした方がいいかは多様な議論があろう。あえて言えば、勉強の負担にならない程度のアルバイトはいい経験になるとはいえるだろう。
 そこで問題なのは、高額な国費奨学金をもらえると、もらえないとでは、天と地の差が生じることだ。来日後に学内選考を受ける場合には留学生同士の駆け引き、疑心暗鬼、工作活動……そして結果が出たときの泣き笑い、うわさ、陰口、仲間割れなど不毛な争いが後を絶たない。
 加えて選考には、不透明な部分もあるかもしれないと疑われるから、留学生の間に、先生、学校、そして日本社会に不信が生じかねない。
 日本は今、底なしの不況に苦しんでいる。国自身も借金地獄に悩んでいる。留学生対策資金の増加はあまり望めない。
 ならば、留学生を増やすためには、現在の資金をもっと活用するしか道がない。月十八万円の一握りの“留学生貴族”を養うより、月九万円の留学生を二倍作ろう。あるいは五万円でも四万円でもいい。足りない部分は適度のアルバイトをすることを公に認めてよいのではないだろうか。日本人学生はみんなそうしているではないか。
 錦上に花をそえるより、雪中に炭を送るほうがもっと感謝されることを、関係者は忘れないでほしい。
(初出:「読売新聞・論点」2002年8月9日)


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「海亀派」からの憂鬱


 9月ある日の深夜、私は発泡酒を片手にテレビを見ていた。突然我が耳を疑う言葉が画面から飛び出してきた。それは偶然にも28日から始まるNHKスペシャル「21世紀、変貌する中国」という番組の予告シーンであった。女性アナウンサーの「1回目はウミガメハ」の甲高い声と同時に画面に映し出されている文字は「海亀派」ではないか。それを聞いて私はとても気になって一晩中眠れなかった。
 ここ数年中国では海外から帰国した留学生が急増している。彼らの活躍は社会的に注目され、1・2年前から彼らのことを人々は「海帰派」(かいきは)と呼ぶようになった。つまり海外から帰国した人である。
 しかし、厄介なことに中国語では「帰」と「亀」は全く同じ発音である。しかも「亀」という言葉はいいイメージがあまりない。そのほとんどの場合「能なし・ふがいない」などと同じ意味として使われている。そこで「海帰派」の人達は自嘲を込めてか、或いは廻りの人たちは軽いからかいの気持ちからか、「海帰派」(hai gui pai)を「海亀派」(hai gui pai)と呼ぶ人も現れた。しかし発音が全く同じであるため、特別に説明しなければどっちを言っているかは相手がわからない。もともと「海帰派」であるから、強調しない限り、誰もが「海亀派」と思わない。そのため、確かに中国では「ウミガメハ(海亀派)」を使う人はいるが、それは冗談のつもりか、勘違いかによるもので、非常に少数である。現にYahooなどで検索したら、「海亀派」は1千件あまりのヒットに対して、「海帰派」は2万件近いヒットがあった。
 このようなわざと同じ発音の違うものをいう言い方は中国ではよくあることで、日本人のダジャレと似ている。気になるのはこのようなダジャレみたいな言葉はバラエティ番組はともかく、天下のNHK、それも看板番組のスペシャルのタイトルになるとは、信じられない。これはきっと何かの手違いであろう。さもなければ訳のわからない通訳の仕業(よくあること)だろうと思った。
 一晩眠れなかった私は妙な責任感に駆られ、翌日早速NHKスペシャル制作部署にメールを出した。
 一週間後、NHKスペシャルのプロデューサーと名乗る方から電話が入ってきた。彼は「ウミガメハ」を使った経緯を丁寧に説明してくれた。つまり確かに「海帰派」という言い方は承知しているが、自分たちは中国での三ヶ月に及ぶ取材で、「ウミガメ」は生まれ故郷に帰るという習性は「海帰派」のイメージにピッタリと感じた。このまま是非使わせてほしい。
 そうか、ウミガメは生まれ故郷に帰るという習性があったか。しかし、ウミガメを見た中国人は何人いるか、その習性までも知っている人は果たして何人いるだろうか。いやいや、なるほど、この言葉に固執するのはやはり文化の違いか−私は苦笑いしながら、しかしすっきりしない気持ちで受話器を置いた。
 そして待ちに待った放送は日を改めて10月5日にオンエアされた。案の定、タイトルこそ「高級人材が帰ってきた」になったが、1時間近くあった番組は、ただ一度も「海帰派」を使われなかった。その代わりにイヤなほど「ウミガメハ」を聞かされた。
 私はその番組を録画した。しかし、その言葉を思い出すたびに憂鬱な気持ちになるから、二度と見る気にならなかった。

(初出:「山口大学大学教育センターだより」第2号2002.10

 

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僕はある学部の授業を担当している。学生に中国語でインターネットHPの閲覧や、検索及びメールのやりとりを教えるため、その学部の「ハイテク」の粋を集めた語学演習室を使うことにした。

実はというと、このいわゆる語学演習室は誰の設計で作ったかよくわからないが、語学の授業に殆ど向いてない。中に二十台くらいのパソコンを輪に並べただけのもので、授業用より、むしろ学生の自習用に向いている。しかし、普段は鍵をかけているため、授業以外の使用は認めていない。

数えるくらいの回数しか使ってないその教室のドアを開けると、中に機械特有のとても変な匂いが充満している。パソコンを立ち上げると、使いたいソフトは入っているものの、設定不完全のため、使えない。教室に様々な機械こそ並べているのに、マニュアルがただ一冊もない。しょうがないなと思い、電話で管理者に問い合わせたら、ガンと、ソフトの箱ごと持ってきた。僕はマニュアルを参考しながら、学生に設定を教えた。それでもうまく使えなかった。授業が終わると、僕はマニュアルをソフトの箱に入れて、教壇に置き、パソコンの電源を切り、教室のドアに鍵をかけた。そして研究室に戻り、丁寧にも管理者に「今日の語学演習室の中国語ソフトの件、大変お世話になりました。ソフトは箱ごとに演習室に置いてあります。ご確認下さい」とのメールを出した。

しかしすぐに思いもよらないメールが返ってきた。

「・・・ソフトについては、今回の分に限らず、不正コピーおよび、盗難等の問題があります。お貸ししたものは、直接、返していただくよう、これからご注意いただけませんでしょうか?

「そうでなければ、これから以後は、何先生には、ソフトをお貸しする件については、一旦考慮を行います。大変失礼なことを申し上げてしまいますが、一応、マナーをお守りいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

「それでは失礼致します。」

(点は僕が付けたもの。以下同)

僕はこのメールを読んだ途端、頭に血が上った。これは「失礼」ではなく、喧嘩を売ってきたのだと感じた。僕の一連の行為はどこにマナーの違反があったのか。そもそもあの教室は管理者のあなたと授業を行う教官以外だれも入らないところだから、盗難などの問題でもあり得るのだろうか。もっと追求すればマニュアルは教室に置くべきだし、ソフトの設定の不備は管理者のあなたの責任ではないだろうか。

ま、反論したければきりがないが、僕はここで言いたいのはメールというものはとても怖いものである。

次のメールをご覧いただきたい。

「○○係です。昨日第○会議室を使用し、飲食され、片付けず散乱したまま退室された形跡が見られます。

「今後は会議室使用の際には予約、窓閉め確認、あとかた付けの徹底をよろしくお願いします。その後使用される方のことを思えば当然のマナーではないでしょうか?」

これは僕とは直接関係なく、ただ僕も受け取っているあるメーリングリストに流れているメールである。説明がいらないほど単純なことで、メールの内容からおよそのことは推測できる。しかし、最後の一言は見る人にとても不快感を与える。「キツッ」とは僕が読んだときの率直の感想だ。

言葉というものは生き物である。時代とともに変化するのは当たり前だが、話し言葉と書き言葉の違いも相当ある。その典型は相手に何かを伝えるとき口頭でのと文書でのとは言葉が随分違う。しかしメールが普及したいま、話し言葉をそのまま文字にする傾向がますます強まってきている。特に若者は携帯を使ったいわゆる親指コミュニケーションは話したい言葉をそのまま入力してしまう。昔の手紙のようなやりとりはもはや文化財になりつつある。

しかし思うことをそのままメールにして送信すればいいと思ったら大変危険である。向き合って話すときに表情や身振り手振りがあるし、相手の反応を見て言いたいことを修正することもあり得る。しかし、文字になると、そのまま一方的に相手に伝わってしまう。

この2通のメールを読めばわかるように、丁寧な言葉は並べられているように見えるが、実はどれも嫌みたっぷり、相手に強い不快感を与えている。

以前、村上春樹のあるエッセイを読んだことがある。性格そのものであるが、村上さんはメールに対してとても不安を感じているそうだ。そのまま送信すればいいかどうか非常に迷うのだという。だから彼はいつもメールを書いてからすぐ送信せずにそのままおいて、一日くらいたってから読み返して問題がなければ送信する。僕はとても村上さんのように気長にできないが(そもそもすぐに返事を求められるときが多い)、それでもすぐ送信せずに、二・三回読み返し、朱を入れてから慎重に「送信」ボタンを押すことに心かけている。

前出のメールの差し出し人はもし向き合って直接話すならこのような説教は出ないはずと思う。実際誰も悪意を持っていないのは明らかであるが、メールになると、つい考えることをそのまま書いてしまい、そのまま送信してしまう。結果として言い過ぎてしまい、相手に不快感を与えてしまう。これはよくあるパターンなのだ。もう一回読み返したら余計なことを書いていることに気づくかもしれない。文明の利器は場合によっては人間関係に亀裂をもたらすかもしれないから、気をつけよう。

人のことを言いながら、もしかして僕のこの文章も同じ過ちを犯しているかもしれない。そうであるならお許しを。

(初出:「山口大学大学教育センターだより」第42003.6

 

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「美談」かよ

 

 

かなり古い話だが、中国には荘則棟という有名な卓球選手がいた。彼は世界選手権では前人未到の三連覇を達成した(確かにその後達成した人もいなかった)。彼を愛したのは奇しくもある日本人の女性であった。「文革」という鎖国状態ではもちろん結婚できなかった。「改革開放」後、結婚しようとすると、それもできなかった。別に法律では外国人と結婚していけないと言う条文がない。ただどの機関も彼らの結婚を許可しないのだ。その原因は彼が有名ある故に、「四人組」に利用され、「文革」後に失脚されたのだ。このことはいつの間にか、とうとう時の実力者ケ小平のところまで持ち込まれた。小平の鶴の一声で彼らは晴れて結婚できた。この話は後に大変な話題になり、小平の数多い「美談」の一つとして語り伝えられている。

先日「朝日新聞」の国際面にあるおもしろい小さいな記事を読んだ。それによるとあの北朝鮮の金総書記は「油があって初めて鶏卵や野菜などを炒めて食べることができる。人民の食生活では油は必ず無ければならない物であるため、何としても食用油問題を解決すべきだ」と指示したそうだ。そのためか、油作物の栽培面積が増えたそうだ(「朝日新聞」2003年9月2日付き朝刊)。

これはあの北朝鮮では大変な「美談」として大いに報道されているだろう。そのような国だから、指導者の「美談」でなければ報道するはずがないのは当たり前と言えば当たり前なのだ。

そう言えば日本にも「美談」として報道されていることがたくさんある。これは先日何気無くテレビを見ていたときの話である。

一つは、かのベッカム様ことべッカム選手が日本に来たとき(「来られた」と言わないと怒られるかな)、その姿を一目で見ようと、ある若い母は炎天下、幼い我が子を抱いて、6時間以上もホテルの前で待ち続けた。その甲斐もあって、やっと会えたと思いきや、出てきたのは影武者で、本物ではなかった。テレビは彼女の追っかけ武勇伝を延々と放送していたと同時に、脱水しそうな泣く幼い子供の姿も放送した。

もう一つ、あるワイドショーは若い母と幼い子供を含む三人の子供の避暑に来る皇室の人と会うために、前日から一番いい席を取り、徹夜で待ち続けたことを大大的に、賛美的に放送した。この親子は前出の親子と違い、念願が叶い、皇室の人と会えたし、言葉まで交わされた。コメンテーターたちは口々に「よかったね」とか、「幸せですね」とかをコメントした。

これらの話はそれぞれの国では間違いなく「美談」である。しかし僕は思わず大阪のオバハン的に「ツッコミ」たくなる:おい、小平さん、あんだの国では一国民の結婚もあんだが許可せなあがんのかいな。えらいしんどいや。へぇ、どこまで貧しいかしらんけどずっと同じ作業服を着ているキムさん、油なけりゃ野菜炒められへんのは当たり前やろう、そのぐらいのこともしらんあんだの部下はみんなアホやで。ほら、そこらへんの若作りしてるおバハン、子供かわいそうやん。虐待とちゃう?ベッカムか

ベーコンかしらんけど、そんなにあいたいかいな。そやけどテレビ屋、それはええ話しとちゃうやろ。子供のこと考えへんか。罪やで、ホンマに。

最後に標準語で一言をいわせてもらう。「美談」かよ!

(初出:「山口大学大学教育機構だより創刊号」2003.10

 

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東施效顰(とうしこうひん)

 

先日家でくつろいでいたとき、突然電話が鳴り出した。うちの嫁さんが「早く自転車のカギを持ってきて」と電話の向こうですがるように言った。どうやら自転車でフジグラウンまで出かけ、買い物が終わって帰ろうとしたときはじめて自転車のカギを持っていないことに気付いた。僕の家はフジグラウンまで結構遠い。しかしこのままではもちろん自転車を担いで帰ってくることもなさそうだから、僕は渋々自転車で嫁さんにカギを届けた。カギを忘れたわけを聞いたら僕は思わず「東施效顰(とうしこうひん)」と笑ってしまった。彼女は僕の真似をしてこのような酷い目にあったそうだ。百円ショップで買った自転車のワイヤロックは開いたままの状態でカギを抜くことができる。僕は鍵を掛ける必要がある場合以外、あけたままにして置いている。理由はただ怠け者で、いちいち鍵を掛けるのが面倒くさいからだ。しかし僕はいつも自転車のカギを家のカギと一緒に持ち歩いているから、忘れることは絶対にあり得ない。彼女はきちょう面に鍵を掛けている。たまたま僕の真似をして自転車に鍵を掛けないまま家に置いていた。そしてその日そのまま乗って出かけたが、運悪く、自転車のカギを入れた服を着ていなかった。

日本で知られている中国歴史上の四大美人にはいろいろな説があるが、概ね西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃の四人だと言われている。その中の一人西施は春秋時代の美人で、体が病弱で、外を歩くときいつも手で胸を押さえ、苦しそうな表情であった。その容姿は「顰ひそみ」と形容され、美しいと大変評判になった。実はそのとき彼女と同じ村に東施という女性もいた。東施は美人とは言えないが体が丈夫な娘だった。彼女は美人の西施のその歩く姿が評判になったと聞いて、自分も手で胸を押さえながら眉間に皺を寄せ、弱々しく歩いてみせた。しかし結果は逆だった。彼女のその姿はあまりにも滑稽で、村の笑い者にされてしまった。(『荘子・天運編』)。

発明や新しい発想は偉大である。しかし誰でもできることではない。だから人間はいつも他人の行いからヒントをもらい、自分の発想や発明に繋がることをする。この「真似」で最も成功しているのは松下電器だと言われている。松下幸之助はもっぱら二番手商法で有名だ。そのやり方は他社の後に付いて、他の社が発明したものを見て、市場があると判断すれば、一気にそれを真似してもっといいもの、もっと安いものを作って大量に市場に投入し、成功した。陰口で「マネシタ」と呼ばれた所以なのだ。でも世の中には単に東施のようにただ形だけの真似をする人(場合)も少なくない。自分の持ち前の良さや、能力の限界などを忘れ、客観的な条件などを無視し、安易に人の真似をしてしまう。

人の真似をするのは悪いことではない。しかし真似にも才能が必要なのも明らかなのだ。つまり自分の身丈に合わないものを着てしまうとかえっておかしく見える。松下幸之助は「真似」をして成功した。嫁さんは僕がカギを届けてもらってからおとなしく元の習慣に戻って、面倒でもいちいち鍵を掛けるようになった。

人を真似することは簡単だが、我の本来の姿、能力、限界…を忘れては困る。何事も「東施效顰(とうしこうひん)」にならないよう自戒すべきなのだ。

(初出:「山口大学大学教育機構だより」第2号200.4

 

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立って半畳、寝て一畳

 

去年の夏、国に帰ったとき、町で同じ村のある人と久しぶりに会った。僕が村にいたときその人に随分かわいがってもらった。特に十代のとき、よくその人の家の廊下で世間話をした。彼は僕の一番上の姉と同じ年で、僕とは年の差は随分あるが、なぜか話がよく合った。彼は一円の有名な司会者で、その口上は誰もが感心するほどのものであった。その彼が僕に何度も言ったことは「おまえが結婚するとき、必ず俺に司会をやらせて、祝いの酒を飲ませてくれ」であった。僕は何もわからないが、ひたすら「もちろん」と答えた。しかし、事情があって、僕は結婚式もなければ、彼に約束した結婚式の司会も、酒も果たせなかった。

僕は彼を店に誘った。真っ先に僕はお詫びし、今日のはとてもめでたいお酒にはかなわないが、一応約束を果たすつもりであるから、ご勘弁を、と。僕らは酒を飲み、西安名物の「羊肉泡」を舌鼓、思い出話に花を咲かせた。僕の印象では彼はとても有能な人であるから、すごく成功しているだろうと思った。しかし話を聞くと、彼はごく普通に、人並みの収入と、人並みの暮らしをしている。僕は「ご満足ですか?」と聞いた。そして彼はグイッと杯の酒を飲み干し、手の甲で口を拭き、昔と同じように僕に説いた:「あのね、金というものはどのくらいあったら満足するかというのはわからないの。ただ考えてご覧、いくら金持ちでも、いくら豪邸を持っても、寝るときは一間で十分だし、それ以上は使えないのよ。昔の皇帝おやじさ、九千九百の部屋を持っても、寝るときはわしらと同じ、一間だよ。それ以上持っても結局用がないのよ。」

それを聞いて、僕は思わずうなずいた。「立って半畳、寝て一畳」ということはまさにこのことであろう。中国には「知足常楽」(足るを知れば常に楽)という諺がある。この諺は僕が中学校の時、友達の家の壁に書かれたのを見て、鮮烈な印象があって、すぐ覚えたが、いま彼の話を聞いて、改めて感心してしまった。それは僕が村を離れて三十年近く、自分に言い聞かせながら、しかし忘れがちであった言葉だった。僕は今仕事を持っているし、それなりの収入もある。寝るところはもちろん、大事な家族もいる。ならば、日頃の悩みや、ストレスは一体なんだろう。人間誰だって「立って半畳、寝て一畳」、「千石万石も米五合」にすぎないのだ。

小一時間後、砂埃でなにもかもはっきり見えない薄暗い西安の町にいながら、僕はとても晴れ晴れとした気分で店を後にし、彼と別れた。

(初出:「山口大学大学教育機構だより」第3200.10

 

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色男は誰?

 

数年前に日本で一芸能人の不倫騒動から発端したいわゆる「不倫は文化」の論争は何も新しいことではない。この手の不毛な論争は昔からあったのだ。

中国の戦国時代はいまから2千年以上の昔である。そのとき後に中国を統一し、史上初の帝国を作った秦国と国力では唯一対抗できるのは今の湖南省あたりに位置する楚国であった。その楚国には大変憂国の志士であり、偉大な詩人でもある屈原という人がいた。屈原には宋玉というこれもまた大変な才能の持ち主の弟子がいた。しかしこの宋玉という人物はその才能を国を救うに使うところか、もっぱら女遊びに明け暮れた。

さすがに見かねた人がいた。この人は登徒子といい、王に進言した。「宋玉はハンサムだし、言葉も巧み、その上女好きだから、あまり近くに置かないほうがいい」と。この王はよくある一方的な話を信じる昏君ではなく、宋玉に事の真意を確かめた。

しかし宋玉はやはりただ者ではない、彼は慌てることなく、落ち着いて答えた。

「美貌というのは両親からの預かりであり、言辞華麗は先生の教えの賜り物である。しかし女好きというのは心外だ。そんなことない。臣下の家の隣に絶世の美人がいて、彼女は3年間塀に登って臣下に求愛したが、臣下は未だに彼女を無視している。しかし登徒子さんはどうか。彼の妻は髪の毛はヨモギのようにいつもボサボサ、耳もつぶれたし、唇が短いから歯も隠せない、その歯の並びは悪く、しかも歯槽濃漏で、よろよろ歩きに曲がったからだ。その体中に疥癬だらけ、しかも痔もかかっている。まさにこの世にないほど不細工な女なのにもかかわらず、彼はその女を可愛がり、その女との間に5人の子供も作った。あれほど醜い女とそれほどたくさんの子供が作れるとは、彼こそ天下一のドスケベに違いない」

王は彼の話を聞いて、「なるほど」とうなずき、そのまま彼を使い続けた。

これは宋玉自ら「登徒子好色賦」という文章に書いた話である。この文章もまた宋玉の美貌に負けず美しい文章であった。人々はその美しい文章に魅了され、その言い分に頷き、「そうだそうだ、登徒子こそスケベだ」とまんまんと宋玉の思うつぼに嵌められてしまった。エライことにその後の中国人は2千年以上にわたりその壺から抜け出してない−今でも中国では「登徒子」は好色男の代名詞である。

美文に、そして詭弁に興味ある方はぜひ本文を読んでみてはいかが(日本語訳には集英社・全訳漢文大系・27・『文選』(文章編)二・昭和19年がある)。

(初出:「山口大学大学教育機構だより」第42005.4

 

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フェアプレー

 

僕の下の子は大のゲーム好き。電気屋さんに入ったら必ずゲームコーナー、スーパーに行ったらおもちゃ付きのお菓子棚。学校では休み時間になると、友達を掴まえて将棋で一勝負、家ではいつも手にトランプか何かをもって、お兄さんか誰かを迫る。

この間中国にいるお祖母ちゃんが日本にきて、うちにしばらく住んでいた。もう年を取っているので、物忘れが激しく、半分ぼけている状態だったが、一番暇なので、ちょうど子どもの遊び相手になった。日本の遊びはわからないから、子どもに中国の昔からの「花花牌」(花札)を教えた。その「花花牌」はいまこそ老人しか遊べないが、元々はわが中国生まれの世界に誇るゲーム「麻雀」の前身でもあるチャイニーズトランプなのだ。しかしいつも遊びの途中で、子どもは泣きだして手中のトランプを投げ出すことになる。訳を聞いたら、お祖母ちゃんが負けそうになると、ルールを勝手に変えるのだそうだ。でも元々ルールはお祖母ちゃんが教えたものだから、お祖母ちゃんの言うことはルールになるのではないのかと子どもをたしなめると、もっと泣いた:「だからだめなの。自分が言ったルールなのに、ぐるぐる変えるのはだめなの。やっていられない!」そしてお祖母ちゃんに聞いたら、「そんなこと言ったっけ、覚えてないよ」とごまかす。まあ、ルールはあまり覚えてないし、年を取っているので子供じみてきたから、仕方ないのだ。

子どもの遊びなら、ルール無視しても、フェアじゃなくても大した害になれない。せいぜい子どもが泣いて、大人を憎むくらいだ。しかしこれは一国家や、一集団になると、そう簡単に済まれそうにない。

いまはもう決着が付いたが、数十年前まで、人類史上最も道徳的、最も人間性があり、最も合理的、最も進んだ社会体制とそれほど崇められた社会主義体制と、これもまた人類史上最も汚い、最も非人間的、最も不道徳、最も非生産性などとそれほど憎まれた資本主義との勝敗は、実はルール無視か、それともルール重視かで分かれたのだ。

資本主義国家は政治体制的に徹底的な法治社会を信条として、現在のいわゆる民主主義社会を作り上げた。つまりみんなでルールを作り、みんなでそのルールに従えばそれなりの平和な暮らしと幸せな人生を送れる。非常に簡単明快であり、いわばフェアプレーである。

一方、社会主義国家では、例外なく「人治」体制であり、「独裁」と呼ばれる体制であった。例えば中国、個別の法律は憲法より上、規定は法律より上、部門の内規は公式規定より上になる。しかもその規定すら厳格に執行するか、それともやめるかも指導者の一声で簡単に変わってしまう。国民は規定(ルール)に従いまじめに働いても、ある日突然ルールが変えられてしまい、結局何の褒美ももらえない。逆に従わなかったほうが結果的に正しいとほめられ、褒美をもらえる。とても不公平で、アンフェアとみんなすぐわかってしまった。人間は不公平と感じると、やる気を失うのだ。特にそれまでまじめにがんばった人はバカバカしく思い、投げやりになってしまう。

殆どの国民はやる気が失い、まじめにプレーしなくなった結果、国民の公徳心は損なわれ、国に対する責任感が薄まれ、なにも無関心になってしまう。なにより労働意欲が低下し、工夫創意を失い、企業や農業の生産性は著しく落ちる。もう内部からの崩壊が始まるのだ。これはいまの北朝鮮を含め、昔の社会主義国家共通の特徴であり、その結果は誰もがわかる今日の現実である。

ゲーム好きな僕の子どもは結局すぐにお祖母ちゃんと再び遊び始めた。お祖母ちゃんは相変わらずわがままでルールを解釈する。子どももすぐ泣いてゲームを投げ出す。そして再び始まる。我が家では毎日その繰り返しなのだ。しかし一つの国ならそうはいかない。もっとも大事な構成員の労働意欲という屋台骨が崩れ始まると、滅びるのも時間の問題なのだ。そして子どものゲームと一番違うのは滅びると再起なんかあり得ないのだ。そう思うとできれば相変わらず国民誰も働かない隣の国の将軍様にこの乱筆乱文を読ませたいが、無理でしょう。例え読んでもらいたとしても、もしかして元々鈍感だから何にも感じないか、あるいはすごく敏感に何かを感じてこの平凡なぼくをブラックリストに載せるか、だ。

ああ、怖っ。

(初出:「山口大学大学教育機構だより」第42005.4

 

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