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平野 均先生の今日この頃シリーズ

                       

アルコール依存症、今日この頃

-ストレス社会の落とし穴-

 

 冷たいビールの美味しい季節になりました。喉越し爽快、カロリーゼロなどのキャッチコピーは、ビール党ではない私も強く引きつけられます。Aさんもそうだったかは分かりませんが、奥さんに連れられて受診し、4回目の入院になりました。点滴をしてもらい酔いが覚めかけた頃、「先生、済みません。またやってしまいました。意志が弱いので。」と、Aさんは自由になる手で目頭を押さえました。「意志が弱い?強いので、誰が何と言おうとも飲むのでしょう?断酒(酒を飲まないこと)は意志の問題ではないですよ。」初回入院時には家族全員に付き添ってもらった人も、回数が増えるに連れ一人また一人と減っていき、最後には年老いた母親だけになります。それもまだ増しで、多くは断酒仲間やケースワーカーに連れてこられるか、病院職員が住居まで往診して連れて帰るかになります。「そろそろ来る頃と思うとった。」私の顔を見て悪怯れるどころか、安堵するかのようにSさんは言いました。部屋の中には一升瓶が何本も転がり、歩けないため布団や畳は糞尿まみれ。行き着くところまでいったアルコール依存症者の姿は凄惨です。癌で亡くなる人が多いのですが、Sさんも食道癌が見つかったときには既に末期でした。

 酒は百薬の長ともいいますが、ある人たちにとっては正に気狂い水です。このようになるまで、どうして飲んでしまうのでしょうか。どうして止めないのでしょうか。酒を飲むと気分が良くなり、気持ちが大きくなります。いわゆる“酔い”の効果ですが、これは酒に含まれるエタノールの薬理作用です。依存とは人と薬物との関係を表す言葉ですが、酔いを求めて飲むことを精神的依存といいます。二日酔いの朝に迎え酒を一杯引っ掛けると、不快な気分や身体の不調がたちどころに霧散します。身体的依存が生じていれば、アルコールの退薬(禁断)症状が飲酒で軽減できるのです。タバコよりは早く、麻薬や覚醒剤よりは遅く、1020年かけて心身が蝕まれていきます。これら依存が病的なレベルになったのが依存症です。病気が進行すると節酒(ちょうど良い飲み方)ができなくなり、一度飲み始めると身体が受け付けなくなるまで止まりません。これを連続飲酒といい、幾度も繰り返す(発作)ことになります。再飲酒から連続飲酒発作に至るまでの日数は、病気の重症度により差があります。しかし、一度失った節酒の能力は、断酒を継続しても回復しないようです。依存症の人がブレーキの壊れた車に喩えられる所以です。

 依存症の人が再飲酒するのは、酔いの効果を求めてしまうからです。彼らの生活はある意味、酔わないでは遣っていけない日々の連続なのでしょう。頼まれると断れない律儀な性格の人や、元々ストレス耐性が低い人。うつ病と診断される人も多いです。憂さを晴らすには、アルコールは手っ取り早く、また効果的です。病院で処方される安定剤や抗うつ薬には、これほどまでの効き目はありません。これまで少なく見積もっても、1,500人以上の患者さんを診てきました。いつも感じることは、この人達がいなかったなら日本の戦後復興はなかったであろう。2番ではいけないのかと皮肉られそうですが、Japan as No.1はなかったであろうことです。中堅企業の社長さん、宮家が泊まられるような有名旅館の板長さんなど、重責にこころすり減らした人たちがたくさんおられました。しかし、どのような人でも行き着いてしまうまでには過去の栄光は消滅しており、酔いから覚める頃には身包み剥がれているのです。

 病気から回復するには、断酒の継続しかありません。しかし、これは一筋縄ではいきません。ではどうやって断酒を継続していくのでしょうか。飲めば連続飲酒発作とは分かっていながら、自分は大丈夫だと酔いの誘惑に負けてしまいます。幾度となく再飲酒を繰り返すうちに職を失い、ものの考え方は自己中心的となり、周囲を巻き込んで悲惨な最期を迎えることになります。自分の力では酒は止められない、このままでは生きていけない。この「底突き体験」とも呼ばれる経験を経なければ、多くの依存症者は方向転換ができないようです。死ぬ前にターニングポイントを迎えて欲しい。家族にとっても治療者にとっても共通の願いです。一人では止め続けることはできません。自助団体のアルコーリクス・アノニマス(通称AA)や断酒会に、患者も家族も参加しなければなりません。毎日飲んできたのだから、毎日傷ついてきたのだから、毎日ミーティングに参加するのです。酒を止められているのは自分の力ではない。その自覚からでしょうか、断酒している患者さんは謙虚で、不思議な魅力を放っています。

平成22年7月1日

 

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