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パトリック・ゲディスの視覚的思索


『生の図式(The Notation of Life)』(図版1)は、パトリック・ゲディスの思想の一つの集大成と看做されている。それはどのようなものであり、またどのように読み解かれうるものなのか。あるいは、パトリック・ゲディスの視覚的思索(Visual Thinking)とは一体何であったのか。あるいは更に、視覚的思索のための思索機械(Thinking Maschine)とはいかなるものであったのか。


一 生の図式の生成


インド体験(注1)を通じて深められていったかれの生の理論の「総合」は、かなり早い時期に着想され(注2)、徐々に形成されていったものと想定される。「生の図式」の生成過程を厳密に研究することも重要な課題である。ゲディス自身の図式理論は、不十分ながらいくつかの論文で様々な視点を含みながら、様々な仕方で、試みられている。それらの主たるものを年代順に列挙すれば以下の通りである。「生の図式」の生成過程を辿るためには、年代は重要な意味を持ってくる。


1)「外の世界と内の世界」"World without and the world within" : Sunday talks with my children / by Patrick Geddes. 1905

2)「都市論(市政学):応用社会学、第二部」"Civics: as Applied Sociology, Part II (in "Sociological Papers", London)1905

3)「生、心、道徳、社会における進化についての講義のシラバス」"Syllabus of a course of ten lectures on evolution in life, mind, morals and society" (p.1-23) 1910

4)「神話と生:オリュンポスの解釈、優生学と都市学への応用」"Mythology and life: an interpretation of Olympus; with applications to eugenics and civics." (Abstract of a paper read before the Sociological Society) 1912

5)「経済学との関連における社会学の要諦」‘Essentials of sociology in relation to economics. ([From the] Indian journal of economics. vol. III, part 1.)1920

6)「ルイス・マンフォードへの1923年1月25日付けの手紙」(in "Lewis Mumford and Patrick Geddes : the correspondence" edited and introduced by Frank G. Novak, Jr. 1995)

7)「社会諸科学の提案された共働」"A Proposed Co-ordination of the Social Sciences" (in "Sociological Review") January1924

8)「生の地図化」"The Mapping of Life" (in "Sociological Review")July 1924

9)「生物学」"Biology" by Sir J. Arthur Thomson and Patrick Geddes. London, Williams & Norgate LTD, 1925

10)「生の表記」"The Notation of Life" (in "The Interpreter Geddes" by Amelia Defries) 1927

11)「変遷の仕方ー構成的平和に向けて」"Ways of transition - towards constructive peace" (in "Sociological review") January 1930

12)「生:一般生物学の概観」"Life: outlines of general biology" by Sir J. Arthur Thomson and Patrick Geddes. London, Williams & Norgate LTD, 1931

以上の他に、「進化する都市」"Cities in Evolution: An Introduction to the Town Planning Movement and to the Study of Civics." London, Williams & Norgate, 1915の1949年版の付録に「生の表記」"The Notation of Life"の縮約版が採録されている。その縮約版は、"Edinburgh Review"のゲディス特集号(1992, 88号)にもそのまま再録されている。


「生の図式」の完成図が初めて公刊されたのは、アメリア・デフリーの「解釈者、パトリック・ゲディス」(論文10)においてである。この書は、ゲディスの生存中に出版された評伝である。デフリーは、「何年も多くの人が、この総合(『生の図式』)をゲディスに出版させようにと骨折ってきた。わたしはついにわたしのために以下のもの(『生の図式』の解説文)を書かせることに成功した。かれはこの主題にはまるまる一冊の書物が必要だと抗議した後に、インドからそれを送ってきた。」(p.129)と記している。

ゲディスがインドに滞在中に記した「生の表記」というゲディス自身の解説を附した「生の図式」は、最初のかれの評伝記者となったかれの助手の手によって初めて紹介されたのである。評伝の第五章に掲載された「生の表記」は「パルナッソス」という副題を附されている。当然ゲディスの了解の下での公刊であり、彼自身多くの示唆を手紙を通して彼女に与えてもいる。しかし奇妙なことにかれは死ぬまで、自らの手では「生の図式」を公刊していない。死の年に出版された大著「生:一般生物学の概観」(論文12)の第二冊の最後の章、特にその後半「B 概観と表記における生の理論」(p.1401-1440)はそのまま「生の図式」の詳細な解説となっているにもかかわらず彼は図式そのものは掲載していないのである。

デフリーは、この「生の表記」は縮約版であり、その完成版は、「ゲディスがアーサー・トムソンと今書いている「進化する生」(Life in Evolution )という書物の中で、より完全な仕方で、もうすぐ発表されることになっている。」(同上)と予告している。この「進化する生」は「生:一般生物学の概観」のことなのか、あるいはそれとは別の日の目を見ることのなかった著作なのか。

「概観」の上述の最後の章、第13章は、「生の理論に向けて」(p.1384-p.1440)と題されている。「向けて」という以上、かれは次に「生の理論」そのものに取り組む用意があったと推察することも可能であろう。

ゲディスの生涯における思索の「進化」の最後の到達点は、現実には「生:一般生物学の概観」である。これは確かに二巻から成る大著である。しかしこれはかれの更に大きな構想の一部を実現したにすぎなかったものではなかろうか。「生の概観」に続いて、「生の理論」、さらに「その適用」、といった三部構成によって初めて「生の進化」という大著が完成する筈だからである。

「応用された社会学」といったゲディス的表現に従えば第三部は「応用された生の理論」と題される筈であったかもしれない。


図版1  図版をクリックして下さい


二 生の図式の論理学


ゲディスは、「概観」の「生のグラフの論理と技法(p.1413-5)」において最も単純な図式の基本形について解説している。それは、かれによればヘーゲルの具体的弁証法をデカルト的な図式化によって明晰化したものである。

2-1) 白黒の図式      2-2) 存在と非存在の図式     2-3) 男女の図式

 

アリストテレスの黄金の中庸を、ヘーゲルのより厳密な総合にもたらし、視覚化することによって明晰にする図式の例としてかれは上記の三つの単純な図式を提示する。白(W)黒(B)の理想的中庸は灰色であり、それは二直線の交点の一点にのみ抽象的に存在しうる。しかし、そのような理想的抽象的総合ではなく不完全な総合、緩やかな総合(bWとwB)こそが生の理論が対象とする領域なのである。

白は暗くなり、黒は明るくなる。つまり左手は明るい灰色、右手は暗い灰色ということになる。それぞれはその限りでそれなりの前=総合となっている。白と黒の主要な反定立の多くは依然として残っている。」(p.1414)

差異を残した緩やかな調和が問題になる二つの空間は、両者のインタラクティヴな関係性を問う場でもある。「存在」と「非存在」には「限りなく存在に近い非存在」(右)と「限りなく非存在に近い存在」(左)という二種類の「生成」の場があり、「男性」と「女性」には、「限りなく女性に近い男性」(右のfM)と「限りなく男性に近い女性」(左のmF)という二つの空間が開かれている。ゲディスはフェミニズムのパイオニアでもあり、初期の著作「進化する性」は、原型質的同一性(単細胞)から男女の差別が生成してゆく過程を丹念に辿る生物学的研究であるが、理想的な両者の調和を示す図式を最後に掲載して、その著作を閉じている。(図版2)

図版2 


三 「生の図式」の解説


上記論文のいくつかに展開されているゲディス自身の解説を手掛かりに「生の図式」を読み取ってみよう。


1)最初の小部屋

人生の最初の部屋は、受動的な外的世界である。フランスの社会学者Le Play の社会学的術語、 lieu、travail、familleをゲディスはこの部屋の分析調査のためのキーワードとしてそのまま英語に翻訳して採用している。「場所(Place)」「仕事(Work)」「人々(Folk)」がそれであり、生物学的な分析の場合には、環境(Environment)、機能(Function)、生体(Organism)と言い換えられることもある。「人々」と訳したのは、Folkであるが、主として家族や地域に共に住まう隣人たちを指す言葉なので「民族」と訳すと相応しくない場合の方が多い。

「場所の研究は地理学、仕事の研究は経済学、人々の研究は人類学に成ります。しかしこれらは通常別々に研究されており、触れ合う部分は唯一カ所だけです。講座も研究室も別々であり、学会もそれぞれの名称を名乗っているのがその証拠です。しかしこれらは生きた統一にもたらされなければなりません。仕事、人々を無視して研究された場所とは、せいぜいのところ地図の類いにすぎません。場所、仕事抜きの人々は死んでおり、したがって人類学的収集品や書物は単なる頭蓋骨や武器に満ちあふれることになります。同じように経済学も特定の場所や特定の人々から遊離すれば、仕事の研究は単なる抽象と化してしまうでしょう。」(論文7、1924)

三つのファクターのそれぞれが出会う空間、そこがゲディスの言う「生きた統一」あるいは、緩やかな総合の場である。この九つの空間はどう読み解かれうるのか。例えば、「場所」の直下の空間は、右隣の「仕事」と出会う空間である。その空間は「仕事に影響された場所」を意味する。三つのファクターは縦の系列をそれぞれ支配し、横のファクターの影響を受ける、という形式になっている。

生の図式の最も基本となる図式が、これである。三つのファクターは、それぞれ四つのファクターによって更に細分されうる。たとえば、「人々」は、老若男女の四つである。従って記入はされていないが、最初の部屋は、三十六の小部屋に細分されうることになる(論文12、1931,p.1407)。


2)日常生活から影響された単純な内的生の小部屋

社会学的、生物学的分析のために、第一の図式はかなり有効なものであるが、ゲディスはこの図式の欠陥にも言及している。

「さて今やこの図式の欠陥について考察すべきでしょう。それは何か。何よりも先ず、心理学が無い!ということです」(同上)

「感覚、経験、感情。わたしたちはこれらを場所、仕事、人々と関係づけることができるでしょうか。十分できます。わたしたちの環境を知るのは、わたしたちの感覚によってです。感覚は環境を知覚し観察します。わたしたちの感情は、母親の愛と慈しみによって最も幼少の時期にわたしたちの人々(家族等)から育まれたものです。またわたしたちの経験は、なによりもわたしたちの活動の所産です。その最も重要な活動こそ仕事です。こうして村や町における基本的で客観的な生のコードに、主観的な生のコードが正確に対応するものとなります。このコードに関しても先の場合と同様に九つの区画を描くことができるのは明らかでしょう。」(同上)

第一と第二の部屋は、一枚の紙片の裏返しとして構想されている。場所と感覚、仕事と経験、人々と感情が折り返されることで対応する訳である。欄外に下向きの矢印と共に、Bio-Psychosisという言葉が記されている。生物学から心理学への移行を示すものである。

外的な部屋から内的な部屋に進み、さらに消極的受動的側面を離れ、活性化された部屋へとゲディスは進む。生の図式の全体をかれは以下のような最も簡略な図式に取り纏めている。(同上p.1411)

円弧の向きは、作用の方位を表している。例えば、場所(PL)が、感覚(Se)に作用することを左上の凹記号は表している。逆に感覚(SE)が場所(Pl)に作用を及ぼすことを示すのが右上の凸記号である。作用する側は大文字で表記されている。生物学的に言えば、左半分は環境が生体に及ぼす影響関係を、右半分は生体が環境に作用する様相を示している。最も簡略な形のこの生の図式は、最もニュートラルな思索機械であり、環境と生体とのインタラクティヴな関係性の図式である。ゲディスはこれらを読み解く方位を「生の図式」の読み取りの二つの方位と呼んでいる(同上)。


3)完全な内的な生


ゲディスの四つの部屋の着想は、1905年の二つの著作に既に登場している。「外の世界と内の世界」(論文1)ではそれらは子供たちの未来に開かれた四つの可能性であったし、ロンドン大学での講演では、都市論として展開されたものである(論文2)。後者では、町、学校、僧院、都市がこれら四つの空間に割り振られている。第三の小部屋は「僧院」である。(図版3の下部)

図版3


「どのようにして次へと進むことができるのか。想像の世界をどのように洞察することができるのか」と問いつつ、「個人的な(また社会的ですらある)歴史を通して、超越的で神的なものを求め、種々の神秘的な恍惚に達するといったことがしばしば起こりますが、それはどのようにしてなのでしょう。その理由を尋ねることなく、あるいはどのようにして、ということを厳密に考えることもせずに、ここでは唯、ここでの三様の変化は望ましいものであると同意しておくべきでしょう。」(論文7)と内的な世界の深化をあるがままに受け入れることからこの部屋の探求を開始する。「三様の変化」とは、情動化、理念化、想像化、のことであり、これらを「three conversions」あるいは当世風に「three sublimations」と呼ぼう、と提唱する。Conversionは改宗であり、深い精神的な変容を指す言葉であり、sublimation昇華は、生物学的には、性的な衝動を別のものに転嫁することをも意味する言葉である。第二の部屋と比較するとこの僧院の分析はかなり詳細に行われている。

「情動の理念化(Ideation of Emotion)ーー神秘的恍惚に、最も深く最も十全な人間の情動に適用された思想ーーそのプロセスから、それぞれの信仰の教義、その神学、その観念論が生まれるのです。 しかし理念化は心的なイメージを要請します。 このことは地理学に始まるすべての学問に当てはまります。数学、物理学、化学は長い間、これらの記譜法を所持してきました。歴史家は、歴史的な記録をグラフィックな「時の川」に凝縮します。この種のすべての思想は最初は絵画的な象形文字で書かれました。今日の近代的な印刷された文字ですらそれらに由来するものです。」(同上)

この第三の部屋は、「より明瞭に概観されます。というのはこの内的な生の僧院において、人々=感情が、社会的な情動と理想へと変換されると見られ、感じられるからです。経験的な仕事=経験は、理念へと明瞭化され、合理的な学問へと組織されます。これらはシュンテーシス(総合)へと進展します。そして次にわたしたちの外的な感覚印象や場所印象が個人的イメージや集合的イメージのための資料を生み出します。この複雑な内的な世界において、これら三つの主要な要素は、あまりにもしばしば、あるときは理想的、ここでは科学的、あちらでは想像的といった具合にバラバラですが、通常は内的生の単一のコ−ドに結合すると見られます。これはわたしたちが出発した最も単純な物質的生=活動と調和するものとなります。」(論文12、p.1439)

思索機械としてのNotation自体も、「イメージ化された理念」の区画に納められている。この僧院は、ゲディスの「学問の分類」の図版(論文9と12に掲載。この分類は総合学の成立のために意図されたものであろう)の左方下がりの系列、すなわちゲディスが「主観的な学問」、あるいは「合法的超越論」と呼んだ精神諸科学の部屋でもある(図版7)。

図版7


「ここまでのところで、この思想の僧院は九個の四角形を伴っています。そしてここで多くの人にとって、実際のところ僧院に入る大抵の人にとって、人生の可能性は終わりになると思えます。しかしこの様々な僧院から更に続く扉があります。そしてこれらの扉はもう一度客観的な世界に開かれているのです。わたしたちがかなり前に立ち去ったあまりにも単純な日常的な町の生活に立ち戻るわけではないのですが。というのは、わたしたちはこれら日常の行為と事実をわたしたちの最高の夢に従って生き続けているのですが、折に触れて、新しい世界の中でそれらを偉業として実現したいと言う衝動が生まれることがあります。」(論文7、1924)

第三から第四への移行を考察するために重要な手掛かりとなる二つの図式(1905年の図版3と1920年の図版4)が残されている。後者は前者の改訂版のようにも見える。その意味では、生の図式の構想のプロセスそのものを考察するための導きの糸ともなりうるものでもあろう。
第三図は、理想、理念、イメージという三つのファクター、及びそれぞれに対応する僧院の学問が、善、真、美を追求する、倫理学、総合学、美學であることなどは基本的に踏襲されはているが、微妙な変更も加えられている。理念に「心理学的」という附加がなされたこと、総合学に「諸科学」の語が附加されたことなどである。当時流行の専門分化した「哲学」の語を避けて「総合学」を提唱したゲディスは、更に1920年には、「心理的総合学」を構想し始めたようにも見える。内なる世界における総合学が目指されるようになってきたのであろう。総合学の進展は、インド体験と関係があるかもしれない。
第四図は、(善)政体,文化、藝術から、ほぼ生の図式と同様の、政体、共働、達成へと変化している。両図のテーマが異なるが故の変更にすぎないのかどうか、あるいは何らかの構想の進展がなされたのか、一考を要する課題である。

図版4


4)充実した効果的な生


すべての思想が行為の形をとるわけではなく、思想は僧院の中で朽ち果てることもある。「しかし心理学者は、思想が行為を指し示し行為へと促すということに同意」している。これは「夢から実現へ、瞑想から応用へ」と向かう情動である。それは「より明瞭になり、より関心が増大してゆくにつれ、理念は行為へと情動化される。……もはや単なる人々=生(Folk-Life)においてではなく、政体(Polity)において」(論文12、p.1425)である。

Polityとは、都市の共同体のことであろう。アリストテレースの「政治学」は、Polityをあつかっているが、それは個人の倫理(Ethos)を問題にした「倫理学」の次に置かれた研究であった。個人の集合体、共同体の人格を問題にしたギリシャ的伝統をゲディスは引き継いでいる。従って「情動化され、共通の善へと向かう政体」(同上、および論文7)が理想となる。それをかれは倫理政体(Etho-Polity)と呼んでいる。人倫的都市共同体である。そこでは市民は市民と成らなければならない。無自覚で利己的な市民は市民ではないというのがゲディスの一貫した主張であり、そのために教育の重要性を指摘するのである(論文2)。

「このようにして思想における総合(Synthesis)」も「集合的な行為」へと向かう。ゲディスは、それを 「偉業における共働(Synergy)」と呼んでいる。「そして想像(Imagination)は、共働の倫理政体が、実現するであろう姿を前もって形象化(pre-figure)」する(同上、および論文7)。

Murdo Macdonardによれば、Synthesisは、「様々な観方や情報源を知的に統合すること」であり、Synergyは、「人々の間の、あるいは諸々の研究所相互の、あるいは人々と研究所の間の共働(それがあらゆるプロジェクトを成功にもたらす)」 ことを意味し、「他者の見解に情動的に関与すること」を意味するSympathyと共に3Sと略称されるゲディスの思想のキー概念であり、「情動的な関与、知的な関与、社会的な関与を象徴する効果的な共同研究活動のための視覚的なマニフェスト」として三羽の鳩が3Sの象徴としてしばしば用いられたと指摘している(ダンディー大学教授就任講演1999年)。生の図式にSympathyの位置付けがなされていないのは奇妙なことである。他者への情動的、共感的な関与をどの空間に位置付けるのか、問いは残されたままになっている。

「わたしたちの理想はかくして外的な形式と表現を獲得します。それが何であれ、わたしたちの理想を分け持つすべての人々を、社会的な組織(大小を問わず)の何らかの新鮮な形式へと、再びグループ化し、再び結合します。しかしこれはもはや単なる行為として外的に制約されたものではなく、集合的個別的な達成のエネルギーの内で、実現に向けて内的に浄化されています。わたしたちの感官によって獲得された、従って変換された、心的なイメージは、外に向かう具現を見いだします。それは勝利の内に、あるいは藝術の内にあるいは達成の内にであれ。しかしこれら三つの内的な要素および衝動の間の割合や調和においてのみ、それらの効果的な実現が存在しうるのです。この生の新鮮なコードはかくしてその最強で最高の表現を獲得します。――従ってそれは個々の努力を超えて受け渡されていきます。それは倫理=政体へと高まり、その共働を伴い、その達成をなすものとなります。」(論文12、p.1440)

この第四の部屋の解説は、十分になされたとは思えない。かれは比喩的に次のように語るに留めている。

このダイアグラムは、「パルナッソスの、すなわち九人のムーサイたちの家の図式」であり、「そしてまさに彼女たちの名前と象徴性が上の九つの四角に対する応答であり、下のそれらと結ばれていることが分かるでしょう。そしてこのことはその図式が学習されるにつれてますます厳密になっていきます。一見したところで一二の、困難がないわけではないのは事実ですが、少しばかり心理学的かつ社会学的反省を加えてみれば容易にそれらの困難は解消されうるでしょう。」(同上、p.1427)

図版5


四 藝術の女神たち


ゲディスの若き協力者で建築家のAdrian Berrington (18871923)が、Geddesの指示に従って描いた一葉の素描がある。この素描『九人のギリシャのムーサイのための庭園』(図版5)は、1913年から14年ころに描かれたものと推定されている。Volker M. Welterは、「これら九面の庭の機能を解釈するためには、生の図式の助けを借りる必要がある」と指摘している(Welter Biopolis London, 2002, p197)。「生の図式」の最後の四半分は、僧院の瞑想を都市へと適用する、夢想を実現へともたらす人生の最高の段階を示す図式であり、そこで果たされる藝術的文化的活動のそれぞれが、九人のムーサイの「仕事」によって象徴化されている。人生を四つの小部屋(単純な実践的生、単純な心的生、充足した内的生、充足した効果的生)として捉え、人間をそれぞれの部屋を螺旋状に旅する旅人と看做し、「最も単純で最も自然な人間的側面」(論文3、p.17)を有するパルナッソスの神々やムーサイによって人間の諸活動を象徴化しようとする試み、それらはゲディスのかなり初期からの着想であった。それは既に、1910年のエジンバラ・サマー・ミーティングにおける10回連続講義の「生、心、道徳、社会における進化についての講義のシラバス」(同上)にも明記されている。かれは「更なる推敲が必要ではある」が、「生物=心理学(Bio-psychology)のより単純な予備学の表現のためには九人のすべてが必要」であり、「今度こそ明らかに更に進んで、より微妙な、しかし類縁の心理=生物学(Psycho-biology)の表記」へと到達することも可能となる、と記している(同上p.18)。Bio-psychologyとPsycho-biologyという表記はゲディス独自のものであり、心理学と生物学はそれぞれ単独の専門分化した学問として自立して行こうとする当時の傾向に対して、両者のインタラクティヴな領域においてしか両者の存立する意味はあり得ないという、かれの思想に基づく名称化である。これは単純化すれば、前者は環境に作用される生体のあり方、後者は生体に作用される環境のあり方を問題にする学問ということになる。それは心と体の相関関係についての学問でもありうる。ゲディスが「最初のエコロジスト」、「緑のパイオニア」と呼ばれる所以でもある。

このシラバスでは、Urania (Astronomy and Geography, Architecture) ; Terpsichore (Dance) ; Erato (Love-Lyric) ; Calliope (Epic) ; Clio (History) ; Thalia (Comedy) ; Euterpe (Patriotic Lyric) ; Polymnia (Philosophy) ; Melpomene (Tragedy)と列挙(同上p.17)されるだけで、それぞれの女神の地図化(mapping)はなされていない。シラバスの故であろうが、受講者には参考文献を列挙して考察を促すに留めている。

エジンバラでサマー・スクールが初めて開講されるのは1891年であるが、夏期講習自体は1885年には既に始められていた。残存するシラバスは偶々1910年のものであるが、彼の着想自体は、夏期講習開始の時点で既に芽生えていたのではないかと推定されうる。それはゲディスが30代に入ったばかりのころである。

シラバスに示されたかれの初期の着想で注目すべきは、生の小部屋の最初の二つのPassiveな側面にも九人の女神が必要だとされている点である。最終的な「生の図式」においても左の欄外に、第一の部屋から第二の部屋へとまたいでBio-psycosisという言葉が移行を示す矢印とともに置かれている。かれは九人の女神の機能にもそれぞれ四つの局面を想定していたのであろう。「より微妙な」第三と第四のPsycho-biologyの領域について、シラバスでは、前者を女神たちの「単なる抽象的な思想=空間」と呼び、学問的知性が開いたその空間に留まること無く、花咲き誇る「女神たちのそれぞれに相応しい庭園」の中に彼女たちを位置づけなければならないということも示唆している。その時初めて「アポロンがかつての主宰力を取り戻」し、「女神たちの春」が再び訪れる(同上p.19)と言うのである。これは理想の謳歌であり、藝術の讃歌である。しかしこの時、ゲディスは、この第九講義のシラバスの聴講者に対する質問2で「例えばフリアエやゴルゴンのような悪鬼神の神話型についても解釈せよ」という課題を与えることを忘れてはいなかった。

もう一点注意を喚起すべきは、女神たちの活動の表現の「生の図式」との微妙な相違である。これは、ゲディスの女神解釈の進展として捉える必要がある。例えば、Polymniaが象徴する「哲学」は「智恵」に変えられている。当時流行の「哲学」はゲディスにとって単に専門分化した一つの講壇的学問であり、同じく専門化された一学問である地理学と弁証法的に総合されることによってはじめてギリシャ語の原義に依拠する生きた「叡智」へともたらされる筈のものであった(論文12、p.1437以下)。したがってかれは深い内的生の領域(第三の部屋)を構成する学問を、倫理学(善)、総合学(真)、美學(美)としていて、「哲学」の名を重要な位置には用いなくなるのである(図版3)。これは哲学軽視ではなく、ゲディスの理想的総合学の名称を「哲学」の名では表し得ないことの表明でもあった。

Euterpeは、「愛国叙情詩」から「聖なる藝術」へと大変貌を遂げている。バーリントンの素描では、九本のストーン・サークルによって囲まれた円形劇場を象る庭園によって、「聖なる藝術」が見事に視覚化されている。左隣の「叡智」の庭では、ストーン・サークルが取り除かれて聖性は奪われ、簡素で理知的な円形空間が出現している。Euterpeの対局のUraniaの庭園は、正方形の階段劇場である。当初の「天文学、地理学と建築」は、「自然と建築」と一般化されている。この庭園はゲディスの基本的な思想にとって最も重要な空間であろう。EuterpeとUraniaに挿まれたThaliaの庭園は、両者の弁証法的総合の図式として表現されている。円と正方形を繋げた馬蹄形の劇場がそれである。これは当初の差異を残しつつ新たな調和を生み出すというゲディスの『総合』(Synthesis)の視覚化ともなっている。喜劇の女神には「成功」という属性が附加されている。

中央の庭は、Clioの歴史の庭園であり、当初の役割のままである。Welterは中央に生える樹木をゲディスの『世俗の樹木』(図版4)であると指摘している(同上p.199)。この空間を、ゲディスはSynergyに割り当てているのである。

Clioの庭の二つの並んだ長方形は、ゲディスの『生の原簿(ledger of life)』と看做すことも可能であろう。生の四つの部屋は、その二枚を手に取り、それぞれを真ん中で折り畳み、表と裏の空白を作ることによって生み出される。生の図式の出発点であり、それをゲディスは『原簿』と呼んだのである(論文10)。

この原簿の左横には、四つの正方形からなる庭園がある。生の図式の全体図であろう。叙事詩の女神Calliopeのこの空間は、「経歴」に変えられている。ニュートラルな生の全体図式の庭園化であり、中央の卍は描かれていない。方向性が与えられていないのである。

Clioの下のEratoの庭園は、生の図式の第四図を模して九つの正方形から成り立っている。左下隅にはギリシャ神殿が立っている。愛の叙情詩の女神Eratoは、一般化され、「愛」の女神として第四図の庭園の全体を抱擁しているのであろう。

さて残り二つの庭園にはどのような進展が見られるであろうか。

中央の一番上の空間には、逆さ卍が配されている。これは何を意味するのか。普通の卍についてのゲディスの記述は、かなり早い時期に見られる。1905年の「外の世界と内の世界」(論文1)は、ゲディスが子供たちを対象にして行った日曜学校の講義録である。そこでかれは四つの部屋の話を分かりやすく子供たちに説き聞かせ、四つの世界(子供たちを待ち受ける人生のすべての側面と可能性)の冒険者になるように促している。その最後にかれは卍を板書して、これは「ケルトの螺旋、極めて古い十字架」であり多くの意味を持っているが、その一つが「全ての部屋のいずれをも開く魔法の杖」であり「魔よけのお守り」であると説明している。上述のシラバスでは、第五講義に卍への言及が見られる。そこでは卍を「古い世界の生の象徴」と呼び、「このグラフィックな表記notation(循環rotation)を用いることで、われわれは潜在的から顕在的へ、休止から進化へ、受け身からエネルギッシュへ、無気力から創造的へ、という生の対応する型を地図付けることはできないだろうか」(同上p.9)と受講者に問い掛けている。これらの言及を見る限り若い頃のゲディスにおいて卍の方向性自体は問題となっていなかったことが分かる。逆さ卍への言及が登場するのは、ルイス・マンフォードへの1923年1月25日付けの手紙が最初であろう。そこには、生の図式と逆回転の生の図式が下記のように併記され、


Town City City Town

School Cloister Cloister School


何の説明も無しにこれらの図の下に、(SwastikaとSvastikaのそれぞれは、先の悪のWiddershinsと善のDeasilに対して根源的であることを注意せよ)と謎めいた注記を行っている。(論文6 p.163)

Swastikaとは普通の卍、Svastikaとは逆卍のことであり、Widdershinsは、スコットランド語で、太陽の運行と反対の回転を意味し、不吉な方位を意味するのに対し、Deasilは太陽周りの縁起の良い方位を示すものである。

生の図式の卍をゲディスが当初から不吉な方位と看做していたわけではないことは確かである。しかし、素描に逆卍を登場させ、マンフォードに上述の謎掛けを行うようになったこの時点でのゲディスはそれをどのように捉えていたのであろうか。

逆卍の庭園は、舞踊の女神Terpsichoreの庭であり、「リズム」と呼びかえることによって方位を意識化させている。ここはまた、「達成された共働」の空間でもある。逆卍が良き方向への転回を明確に示すためにここに置かれたものであることは確かであろう。

最後の左上の空間は、「達成された倫理政体」の場である。ゲディスの図式の読み方に従えばこの空間は、経歴とリズムの交わる場でもあり、素描におけるニュートラルな生の図式と逆卍の総合がなされる空間と解釈することも可能である。しかし素描には四つの小円を伴う円形の空間が配置されている。逆卍を伴う生の図式の視覚化となってはいないのである。謎めいたこの庭園が何を視覚化しようとしたものであるのかは、ゲディスが常に意図していたような仕方、すなわち「一目瞭然」たるものとは残念ながらなってはいない。しかし、四つの小円を人生の四つの部屋と看做すことができれば、中央の大円は、全ての部屋を巡り終えた巡礼者の最後の死の舞台と見ることもできよう。死によって完結する達成された偉業は、無知によって次の世代の最初の部屋へと受け継がれることは滅多に無い(「世俗の樹木」図版6ではそのような無知は木々の間に立ちこめる煙として表現されていた。煙が継承を妨げるのである)にしろ、螺旋形に転回して継承されてゆく。螺旋的に継承されるべき部屋は四角ではなく永劫回帰を象徴する円で描かれるのがより適切でもあろう。

この庭園の主、悲劇の女神Melpomeneは、この空間の住人に相応しく「死、悲劇」と改名されている。

図版6


五 九頭の悪魔


この庭園と、愛の庭園の外隅に二体の男性像が立てられている。Welterは、これらをアポロンであると指摘している。そうであれば、まさに「アポロンがかつての主宰力を取り戻」したことになる。しかし愛の庭園に帰属する像は、細部の特徴がアポロンを示唆することは明白であるが、Melpomeneに属す男性は、細部が不明である。デュオニッソスである可能性は否定し得ない。ただ残念ながら、ゲディスは、ニーチェの初期のギリシャ研究に触れた形跡はない。オリュンポスの神々について、それぞれ善悪二つの側面が、指摘されたこともあった。デュオニッソスは「女性、ワイン、歌に魅せられた、男性へと目覚めつつある若き神」であり、悪くすると「フーリガン、ごろつき、やくざ」である、と言っている。(論文4、p.2)

1913-1914年に制作されたと推定される素描と、アメリア・デフリーによって1927年に公刊された「生の図式」との間には、10年以上の時間の経過が存在する。しかも生の図式の構想に多大の影響を与えたと思われるインド滞在は、その間の出来事である。インドや東洋に対する関心は学生時代から深いものがあったことは事実だが、都市計画の顧問役としてインドに初めてかれが渡るのは、1914年のことである。

「生きることによって学び、学ぶことによって生きる」(Vivendo Discimus. Discendo Vivimus.)ということを生涯のモットーとしたゲディスにとって、死の問題は最も取り扱い難いテーマであった筈である。しかしゲディスはインドにおいて人生最大の悲劇を体験している。1917年5月、子息アラスターがフランス戦線で戦死した。逸早くその報に接したゲディスは、病床の妻アンナに戦場から遅配されてくる息子の手紙を毎日のように読み聞かせ続けた。同年6月に死の床にあったアンナも逝去。Boardmanは、その年を挿む二葉のゲディスの写真を、かれの評伝に掲載している(注2、p.279)。とても同一人物とは思えない二人のゲディスがそこに写されている。ゲディスの顔貌を激変させ、体形まで急激に老化させた悲劇的体験が、ゲディスの思索にどのような影響を与えたのか、あるいは与えなかったのか。

かれの基本的な考えに従えば、図式はニュートラルなものであって初めて「思索機械」としての機能を果たしうるものとなる。Utopia(無い場所)ではなくEutopia(良き場所)の探求者、ゲディスはKakotopia(悪しき場所)の探求者でもあった。それは改革のための探求であり、新婚生活をスラムで過ごすという過酷な体験を新妻に強いる動因でもあった。生の最初の部屋の暗部の探求の成果は数葉の紙片に図式として残されている。しかし最も困難な、人間の心が抱く深い闇の部分は手つかずに残されてしまった。ゲディスはジェームスやフロイトに言及はするものの深く研究した痕跡はない。

「生:一般生物学の概観」の「悪の扱い」の節(p.1431-32)には、九人の女神に対するかの如くに、「九頭の悪魔(hydra-headed evils)」についての興味深い言及も見られるが、諸種の諸悪は改善されるべきものとしてしか考察されていない。「改革すべき人たちも思想と行為の必要な一体性を欠落」(p.1431)していると嘆くのみである。悪の問題は、かれの最後の著作となる筈であった「生の進化」のために更なる彫琢を施すべく、残されたようである。かれはその図式化のためには一巻の書物が必要である、という言葉でその節を終えている。

ゲディスの構想は一人の手に余るものであり、生前多くの協力者を求めたが果たせなかった。理想を喪失した現代において、ゲディスの楽観的な進化論の再発見は無意味ではないであろう。しかしゲディスが残した課題は、死を正面から見据えるという厳しい作業を伴うものとなろう。ゲディスの3Sが今こそ求められているのかもしれない。



(注1)2003年6月28日、科研「アジアの藝術思想の解明」の例会での発表「インドにおけるパトリック・ゲディス」の図版参照。本論は、当発表の関連研究である。

(注2)Boardmanに依れば、1879-80年のメキシコ滞在中にまで遡源。Philip Boardman "The worlds of Patrick Geddes : biologist, town planner, re-educator, peace-warrior" Routledge and K. Paul, 1978, p.465

付記

1) 注1の発表、及び本論で指摘した図版のすべては、以下のサイトの上欄のDownloadの項目からPDF形式の文書としてダウンロード可能である。

http://homepage.mac.com/kokutsu/Menu17.html

「二葉のゲディス」の写真は、上記 Philip Boardman の p.279に収録されている。


2)「言語の構造としての視覚藝術」(山口大学哲学研究」第10巻 2001、p.19-44所収)及び、「2002 亜細亜藝術學會 韓國大会會」(釜山廣域市2002年9月15日-18日)での口頭発表のための草稿「言語の構造としての視覚藝術ムム徐冰の場合」Visual Arts as Language Structure--in the case of Xu Bing山口大学哲学研究」第11巻2002、 p.27-52所収)は、科研「アジアの藝術思想の解明」の成果である。


 

(山口大学 奥津 聖)