山本真弓研究室




学生への掲示板

ゼミ生の書評レポート紹介


研究推進体紹介

このページの目次

1.略歴と略歴の解説エッセー

2.私の研究スタイル

3.業績と業績の解説コラム




わたしの関心テーマ(キーワード)

多言語社会、多言語話者、言語とアイデンティティ、言語紛争、言語差別、文字と宗教
ヒマラヤ地域研究あるいは南アジア地域研究(ネパール、インド、ブータン、バングラデシュ、スリランカ、パキスタンなど)
ヨーロッパ近代の諸価値の再考(自由・平等・博愛、人権、政教分離、市民社会、国民国家、近代的理性、民主主義)
宗教的マイノリティー、言語的マイノリティー、性的マイノリティー、社会的マイノリティー
女性を取り巻く諸問題、子育てを取り巻く諸問題、ジェンダー、フェミニズム、
文化接触、文化摩擦、異文化理解教育、子どもの異文化適応、移民


境界を生きる人々には、幼少の頃から、変わることなく、愛着を覚えます。私の原点です。




1.まずは略歴から:


1958年 大阪生まれ
1976年 同志社女子高等学校卒業
1977年 大阪外国語大学インド・パキスタン語科入学
1977年 同 休学
1979年 同 復学
1984年 同 卒業
1985年 大阪大学大学院法学研究科(公法学専攻)入学
1987年 同 修了
1987年 神戸大学大学院文化学研究科(アジア社会文化史専攻)入学
1987年 インド国立ジャワハルラル・ネルー大学大学院留学
1989年 帰国
1990年 神戸大学大学院中退・山口大学人文学部講師(社会人類学講座)



1995年 外務省派遣による外国出張(在ネパール日本大使館勤務)
1997年 帰国
1999年 山口大学人文学部助教授(社会情報学講座)
 




略歴の解説エッセー:



 普通に高校生活を送っていれば、内部推薦で半分以上がそのまま大学に入れる私立高校に通いながら、京都の町で遊び呆けたツケが回ってきたのが、オイル・ショック後の不景気の最中。やむなく一浪して大学入学を果たしたものの、半年でドロップ・アウトした。授業より「面白いこと」に出くわしてしまったのだ。

                                                  


 その後、縁あって東京は飯田橋にある研究社出版の『高校英語研究』編集部というところに勤めることになった。が、しばらくして、そこでは、女性に先がないことがわかった。

 20年以上も前のことだ。


 雇用保険にも社会保険にも入っていた(だから、そのときもらった赤い年金手帳をもっている)が、女性は組合に入れてもらえず(!)、企画会議にも出席できない。
 雑誌編集部には『時事英語研究』とか『英語青年』とかの編集部が同じ階でそれぞれ机の島を作っていて、どこにも女性の編集部員がひとりずついたが、全員身分は「嘱託」。社員(男性のみ)が団体交渉したボーナスの半分が嘱託(女性のみ)のボーナスだった。

 実に巧妙な構造的差別である。


 出版業界には編集者の引き抜きがある。私がいた編集部では、編集長を入れてたった3人の編集部員しかいなかったが、私がいる2年足らずのあいだに編集長がふたり、他の出版社に移動した。ついに私と男性社員の編集部員(にわか編集長)の二人でやりくりしていたこともある。

                                                                       

 それでも身分は「嘱託」である。
 そんなこんなで、他の編集部の女性たちも、ある程度すると見切りをつけて辞めていった。
 その頃手がけた『高校英語研究』は今も手元に残っていて、なつかしい。この雑誌自体はとっくに廃刊されてしまったが。




                                           



 ありがたかったのは、大学に籍が残っていたこと。
 休学だったので、学費は払っていなかった。
 戻るつもりのなかった大学に二年半ぶりで戻った。
 22才になっていた。
 一年生からのやり直しである。
 以後4年間、毎日インド漬け〜インドの言語、インドの政治、インドの経済、インドの社会、インドの歴史、インドの文化、インドと周辺諸国の関係などを学ぶ〜日々を送った。


 大学院を法学研究科で2年過ごし、そのあいだ、民族紛争中のスリランカに資料集めに出かけ、指導教授(故人)のハラスメントにうんざりして進路変更をし、そして、インドに留学した。

 インド政府から奨学金を得てのことだった。ネパール研究をするためである。

 これはインド人が朝鮮研究をするのに日本の大学に留学するようなものだった。途中で「間違い」に気づき、留学先の大学をやめ、そのままネパールで現地調査をして過ごした。

 この頃のネパールは武力衝突もなく、外国人の身としては「絶対王政の下での平和」を満喫していたものである。



                                                              
 


 こんなふうに書いていると、とても頑丈な体の持ち主だと思われるのだけれど、留学中も持病のせいでたびたび一時帰国して病院通いをしていたぐらいで、体は人一倍弱い。

 それなのに、帰国後まもなく、妊娠3ヶ月で山口大学に単身赴任することになった。

 無謀だ、どちらかを諦めろ、という人もいた。
 が、職は欲しかったし、子どもだって産みたかったのだ。

 今だって女性の子育てを取り巻く環境はよくないが、当時は育児休業法施行前で、産休明けから仕事を再開することになった。

 おまけに単身である。
 無理が祟って一年間病気休業する羽目になった。


 職場復帰後は、働く母親にやさしくない日本社会からの脱出を図った。4歳の娘を伴った二度目のネパール暮らしである。

 大使館勤務は夜の付き合いが多くてそれなりに激務だったが、ネパール人のスタッフと友人たちに支えられて、まさに「命拾い」をした気分であった。家事の一切とベビーシッター役を引き受けてくれる使用人のいる生活は、今の日本社会では到底望めない。


 問題は、帰国後、である。

 ネパールのインターナショナル・スクールで初めての学校生活を始めた娘共々、日本社会への再適応は一筋縄ではいかなかったからだ。おかげで、子どもの目を通した異文化接触と日本人社会のありようについて、考えるようになった。

 その娘も今では高校生である。すっかり、山口ことばを使いこなす山口っ子になっている。




                                                                   
 


 さて、山口大学に採用されたときは、社会人類学講座に所属していた。

 ネパール出張から帰ってみると、社会情報学講座に名まえが変わっていた。

 そして、来年からは社会学講座に、またまた名称が変わるそうだ。

 名称変更について、私は何の相談も受けていない。まあ、いい。

 だが、ひと言だけ書いておけば、人は名前が変わると何かが変わるような気がするようだが、私は私である。






2.私の研究スタイル:


 私が何の学問をしているのか、よくわからないという人がいる。


 学問に身を寄せないで生きている人ではなく、れっきとした学者から言われると、正直、困ったものだ、と思ってしまう。
 それというのも、私の学問のスタイルを理解しない人は、他方で、自分自身については、何々学者である、と胸を張って答えるからだ。

                                                                                 

 何々学者という肩書きが悪いわけではない。胸を張って答えるのに、違和感を覚えるのである。

 つまり、自分自身の学問的営みを、何々学というたったひとつの学問領域に閉じ込めてしまえることに、である。


                                                                            


 そもそも、何々学という名称で語られる学問は、西洋近代に起源をもつものだ。
 そして、私はまさに、西洋近代の学問の様式自体を問題にしているのである。


                     キリスト教文化圏に違和感をもつ私は、西欧起源のものを無批判に採用したくないと思っている。
                     信用していないといってもいいかもしれない。
                     研究したいという衝動に駆られる対象に出会ったとき、私は自分でアプローチの方法を模索していく。
                     既存の学問の方法は、たとえ参考にすることはあっても、拠りかかることはない。それが私の研究スタイルである。



                      


 あともうひとつ、自分自身の当事者性が問われないような形で、学問の中身を語るようなことはしたくない。
 そんなことをしてたら、なんのために研究しているのか、わからないではないか、というのが私の立場。
 そういう意味でも、借り物の器で議論はしたくない。
 自分の暮らしと世界の出来事を結びつけるような論理の展開を心がけたいと思っている。



 今年から5年間の予定で山口大学研究推進体を立ち上げた。テーマは「教育実践を通じたヨーロッパ近代の再検討」。
 メンバーは教育学部の荒木一視、石井由理、斎藤完の諸氏。近代ヨーロッパ的価値の体系が人類普遍のものでないことを、どのようにして教育の場で伝えていくか。そのための<語り>と新たな思考の方法を考えようというプロジェクトである。
 授業実践も組み込まれているので、学生との対話が重要な鍵となる。






3.主な研究業績




まずは主な著書・訳書から:



『ネパール人の暮らしと政治〜「風刺笑劇」の世界から』(単著)中公新書、1993年
日刊英字紙『The Kathmandu Post』1998年4月26日付けに書評が掲載

『写真集・インド紀行』B.アショク著(訳・解説)柘植書房、1994年

●『ジャワハルラル・ネルー大学の学生たち〜南アジアへの視点』(単著)柘植書房、1994年

●『ブータンの政治〜近代化のなかのチベット仏教王国』レオ・E..ローズ著(監訳)明石書店、2001年





『牡牛と信号〜<物語>としてのネパール』(単著)春風社、2002年
【日本図書館協会選定図書】 ここをクリックしてね!

『神奈川新聞』 2002年12月30日 書評

  1995年から97年まで2年間、山口大学を離れて、ネパール・カトマンズの日本大使館に専門調査官として勤務した著者が、そこでの調査内容をまとめたのが本書(春風社=横浜市西区=発行)である。

  表題の牡牛(おうし)は、ネパールに伝わるアメリカ人の「開発専門家」や「アドバイザー」と呼ばれる人々を皮肉ったブラックユーモアで、援助がらみでネパールに連れてこられたアメリカの牡牛の話だ。

  開発専門家は、小柄で乳の生産量が少ないネパールの牝牛(めうし)にアメリカの牡牛を掛け合わせて、生産量を上げようと思いついて牡牛を連れてきたが、アメリカの牡牛は、交尾する気など毛頭なく草を食べている。牛と話ができる村の男がアメリカの牡牛に理由を聞いてみると「おれはアドバイスをするために来たので、そこの牝牛を交わるために来たのではない」と答えた。

  95年、バグマティ河の橋の手前に日本の援助で作られた日本式信号システムが完成した。複雑極まりない交差点に気恥ずかしいくらいそれとわかる<日本の風景>を目撃した著者は、これもアメリカの牡牛の話と同じではないかと思う。

ほかにも複雑なネパールの現代史を読み解くスリリングな物語十数編を収める。 

 



『言語的近代を超えて〜<多言語状況>を生きるために』(編著)明石書店、2004年

『月刊言語』 2005年3月号 書評  

  エスペラント、手話などのふつうは言語の亜種のように見られていることばの視点から、いわゆる「言語」を見るとどう見えるか。

  そこには日本語などの「言語」が、いかに近代という時代のなかで、国民、国語などの政治的な枠組みと骨がらみになっているか、国語、母語、国際語、多言語状況などについてわれわれが考えていることがいかに思い込みにすぎないかなどが透けて見えてくる。そのことをわれわれに突きつけてくるという意味で、この本はたいへん刺激的な本である。

  わたしは大学院で「言語政治学」という授業を担当しているのだが、この本の出現で言語政治学の標準的な教科書ができたといってもいいかもしれない。

  これに、ディスコース(言語学的な概念としてのディスコースではなく、むしろ「言説」というべきか)のこと、文化のこと、その権力性などにもうすこしくわしくふみこんでいてくれれば、この本は理想的な教科書になっただろう。(田中望) 
 



『流動するネパール〜変容する地域社会』(共著)東京大学出版会、2005年

『YUインフォメーション』 2005年11月号 自著紹介

  本書は、多言語他民族で経済格差の激しいネパール社会の今日のありようを、包括的に捉えようとした学術書です。その構成は二部に分かれていて、第一部「ネパールの形成」は政治、経済、社会、文化、生活の5章から成り、石井、マハラジャン、山本の3人が分担して執筆しています。また、第二部「変化の中の地域社会」では、第一章が「首都圏の変容」で山本が担当、第二章、第三章、第四章がそれぞれ「盆地の集落」「山地の村落」「南部平野の集落」で、それぞれの著者がフィールド調査に基づいて分析しています。第五章の結論は、石井、マハラジャンと山本の共同執筆です。参考文献15頁を除いた本文397頁のうち、山本の執筆部分は合計97頁にのぼります(うち、15頁は共同執筆)。

  本書の特徴は、ネパールの都市部に光を当てたことです。
  西欧および日本の研究者はこれまでネパールの都市に注目してきませんでした。それは、本書結論部分の言葉を引用すれば「研究者自身にとっての『他者』としてのネパールは、研究者が生きる社会と対極にあるものとしてのネパールの姿の中に求められてきた」からだと言えるでしょう。

  本書の成果をきっかけに、ネパールを「他者」としてではなく、わたしたちが生きる世界の一部として捉えるような視点をもったネパール研究が推進されることを望んでやみません。なお、本書の研究のうち、石井、マハラジャンおよび山本の3人のフィールド調査は、三菱財団研究助成金を得て行われたものです。



                                                                        


                   





で、そもそもの始まりは?:


 卒業論文は、在日朝鮮人とスリランカのインド系移民の比較研究。どちらも植民地支配下に形成されたマイノリティーである。

 これは「アイデンティティ・シンボルの模索と葛藤」というタイトルで『現代アジア移民』(重松伸司編著、名古屋大学出版会、1986年)に収録されている。また、部分的に英訳したものが、「
Identity problems of Koreans in Japan」(『Journal of Pacific Society,』Vol.11, No.2,1988)である。

 修士論文は、イギリス植民地下でスリランカの英語教師たちが繰り広げた母語を守る運動についての研究。

 こちらは「イギリス植民地支配下におけるスリランカの言語ナショナリズム」と題して『アジア経済』第29巻第1号(1988年)に掲載。



                                                                



結婚・出産・離婚を経て:

 大学院生時代、国際法専攻の友人が結婚し、出産した。

 その後彼女は10年以上、非常勤講師を続けながら子どもをふたり育てあげ、最近ある私立大学の専任の助教授になった。

 女性が子育てをしながら仕事を見つけるのは、大変だ。(職についてからも、また、大変だ)。


 ちなみに、私も大学院在学中に結婚していた。
 けれども、戸籍上の姓を変えていなかったので、山口大学は私を独身女性と勘違いして採用したようだった(採用後、えっ!結婚しているの!と、人事を担当した教授にびっくりされた。結婚だけでなく、妊娠もしていたし)。





 そんなこんなで、学生時代、人ごとだった女性問題は否応なくわが事となった。

 そんな想いを綴った不定期連載「片方だけの人生」「女並みに働く」「私にだけ やさしくない」「ダッカの働く母親」「ふだんと異なる顔」は、いずれも朝日新聞(1994年)のコラムだ。

 女性学の授業と学生の反応をまとめた記事「フェミニズム身近になったが〜女性学に今も拒絶感。女子学生に美意識の壁」は朝日新聞西日本版の文化欄(1995年3月24日)に掲載されている。

 フェミニズムという思想は近年旗色が悪いけれども、女性を取り巻く状況は、これを書いた10年以上前からあまり変わっていない(だから、出生率があがらないのである)。


コラムを読むには、ここをクリックしてね!


                                                        





外国での子育てを体験より:

 ネパールにいるとき、ネパール人に混ざってネパール語を話している母親に、わが娘が戸惑いながら問うてきたことがある。
 「おかあさんは、ネパール人?それとも、日本人?」。

 そんなことがきっかけで、いろいろ考えるようになった。

 「国ではなく、他者を知ること〜小中学校における国際理解教育とは?」は、『中日新聞』に書いた記事である(2000年11月29日)。

 それから、「ハーフ」と呼ばれながら育った友人との対談「異なる他者とは、誰のことか?」(『国際交流』第92号、2001年)や、「超えていくことば(たち)」と題した谷川俊太郎、正津勉の両氏との鼎談でも、娘の異文化体験を話題にしている(『ミッドナイト・プレス』第29号、2005年)。


 何を語るか、ではなく、何語で語るか、の方が大きな意味をもつことがある。                 


 そのことに注目したのは、娘を外国で育てた経験からである。だから、英語という言語の取り扱い方には、特に注意が必要だと思う。

 そんな問題意識から書いたのが、「<だれ>が<なに語>で、異文化を語るのか?〜使用言語コードと
hidden message〜」(『山口大学文学会志』第54巻、2004年)。


                                            
 

 最後に、子育て体験を伊藤比呂美さんの文体を模して(
!?)書いた「家庭に一冊、親子で奪り合い」は、伊藤比呂美著『伊藤ふきげん製作所』(新潮文庫、2004年)に収録されている短いエッセーです。



クリックして、エッセーを読んでね!


ホームページ作成:2006年8月15日
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