■ 第3回 デカルト 『方法序説』読書会
平成17731

第二部 デカルトが探求した方法の主たる規 則

◇炉部屋での思索――真の方法を 求めて――(第1段落〜第5段落)

 ドイツの冬営地に足留めされた デカルトは、炉部屋に閉じこもり、ひとり思索にふけった。そうやってデカルトは「真の方法」の探求を行う。
 まずデカルトが考えたのは、い ろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで仕上げた作品ほどの完成度が見られないということだった。一人の建築家が請け負った建物は、 何人もの建築家が修復してきた建物よりも、壮麗で整然としている。しだいに大都市に発達していった古い町よりも、一人の技師が設計した城塞都市の方が規則 正しい。このことから、「他人の作ったものを基にしてだけでは、完成度の高いものを作りだすのが難しい」(p.21)ことがわかる。法律や 宗教についてもそうである。だとすれば、学問についても同じことがいえるだろう。つまり、多くの異なった人びとの意見を寄せ集めた学問は、一人の良識ある 人間が自然〔生まれながら〕になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できないのだ、と。われわれはさまざまな意見に引き回されて成長してきているので、 それほど純粋で堅固な判断力は持ち合わせてはいない。
 たしかに通りをもっと美しくす るためだけに家屋全部を取り壊すとか、一個人が国家を根底から転覆させて正しく立て直そうとするとかいったことが理に反するように、学問の全体系やそれの 教育のための秩序を改変しようとするのも理に反している。けれども、これまで吟味なしに信じ込んできた諸見解や諸原理については、自分の信念から一度きっ ぱりと取り除いてみなければならない。デカルトは、「このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功すると堅く信じた」(p.23)のである。なぜなら、 (一個人の事柄でなく)公の大きな組織を改革するのは至難であるから。
 とはいえ、こうしたやり方を真 似ることをすすめたいのではないし、また世の中にはデカルトの示す範例(自分のもつ信念や意見をすべて捨て去る決意をすること)にまったく適しない二種類 の精神の持ち主だけがいるようだ、とデカルトは言う。「第一は、自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考すべ てを秩序だてて導いていくだけの忍耐力を持ち得ない人たち」(p.25)である。彼らはまっすぐ進めずに、一生さまよい続ける。「第二は、真と偽とを区別する 能力が他の人より劣っていて、自分たちはその人たちに教えてもらえると判断するだけの理性と慎ましさがあり、もっとすぐれた意見を自らは探求しないで、む しろ、そうした他人の意見に従うことで満足してしまう人たち」(同前)である。
 デカルト自身、ただ一人の師し か持たなかったなら、第二の部類に入っていたと言う。だが、彼は、旅を通じて、われわれが納得していることが実際にはそれぞれの習慣によるものであること を学んでいた。そうして「賛成の数が多いといっても何ひとつ価値のある証拠にはならない」(p.26)といわれる。他の人がどう言おうと、結局は「自分が自分を導いていかざるをえない」 (同前)のである。その仕事を遂行するために、すべての事物の認識に至るための真の方法が探求される。

◇方法の四つの規則とその有効性 (第6段落〜第13段落)

 デカルトは、学院で習った論理 学、それから幾何学者の解析と代数を手がかりに、われわれの精神を導く方法の諸規則を定める。それは次の四つである。(pp.28-29)
 
1.「わたしが明証的に真である と認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」(明晰判明の規則)
2.「わたしが検討する難問の一 つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること」(分析の規則)
3.「わたしの思考を順序にした がって導くこと」(総合の規則)
4.「すべての場合に、完全な枚 挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること」(枚挙の規則)
 
これらの規則を踏まえて、デカル トは、自らを「精神が真理に専心し、誤った論拠に満足しないよう習慣づける」(p.30)ことを期待しつつ、数学 の問題に取り組んだ。そして、実際に彼は成果を上げた。諸規則に基づき、「もっとも単純でもっとも一般的なものから始めて、発見したおのおのの真理をさら にほかの真理を見出すのに役立つ規則」(p.31)とすることで、以前は大変難しかった問題が容易に解けるようになったのである。
 しか し、デカルトを いちばん満足させたのは、「この方法によって、自分の理性を……少なくとも自分の力の及ぶ限り最もよく用いているという確信を得たこと」(p.32)、そしてさらに「自分の精神が対象をいっそう明瞭かつ判明に把握する習慣をだんだんとつけてゆくのを感じたこと」 (同前)であった。そうして、デカルトの仕事は、「何よりもまず、哲学において原理を打ち立てることに努める」(同前)ことへと向けられる。だが、当時若 かったデカルトは、もっと成熟した年齢に達するまで十分な時間をかけて準備した上で、その仕事をやり遂げようと考えた。