第6回 デカルト『方法序説』読書会
平成17年10月30日

第五部    自然学の諸問題
――物体的事物の本性、心臓の運動や医学上の難問、人間の魂と動物の魂の差異――

◇物体的事物の本性(第1段落〜第4段落)
・自然学の諸問題
 方法的懐疑によって真理の基礎を見出したデカルトは、そこからさらに物質的事物の本
性に関して多くの真理を発見した。しかし、ある事情により、デカルトは、それらの真理
を説明した論文の発表を差し控え、ここでその論文の内容を略述するにとどめた 。そこで
は光の問題を主軸としつつ、天空、地上、人間についての考察がなされる。デカルトは、
想像上の空間を舞台として、新しい世界について語る。その世界では、カオス(混沌)で
ある物質が、神の定めた法則に従って秩序づけられる。自然の諸法則や光の問題の説明を
通じて、デカルトは、新しい世界で記述したことが現世界の天空と天体のうちによく似た
形で現れることを証明しようとした。そして、自然学の諸問題のなかでもとりわけ(天体
以外で)光を生み出す火の本性に属することを明らかにしようとした。

・神による世界の創造と維持
 しかし、世界ははじめからそのように創造されたのではなかった。神の協力(神が世界
を維持する働き)によって、物質的なものは時間とともに少しずつ生成していったのであ
る。これは、創造の奇跡を損なうものではない。

・人間の身体と魂について
 さて、デカルトは、生命を持たない物質と植物の記述から、動物、とくに人間の記述へ
と移る。しかし、十分な論証ができないと考え、神が物質だけを用いて(魂を与えずに)
一個の人体を作り上げたのだと想定した。神はただ「光なき火の一種」 をその心臓の中に
生じさせた。魂が参与しない(考えない・意識しない)身体の諸機能において、われわれ
は理性をもたない動物に似ている。ところが後になって、神が理性ある魂を創造して、こ
の身体に結びつけたと想定してから、人間独自の機能を見出した。


◇心臓の運動や医学上の難問(第5段落〜第9段落)
・心臓の運動
 自然学の概略に引き続いて、解剖学の知見をもとに、デカルトは「動物において観察さ
れる最も重要で、そして最も一般的な運動」(p.64)と考えられる心臓の運動の説明へと進
む。心臓は二つの心室に分かれている。右側の心室には、血液の主要な受容器である大静
脈と肺へと繋がる動脈性静脈(肺動脈)という二つの非常に太い管が通じている。左側に
は、心臓から出て、身体全部に広がっていく大動脈と肺から来ている静脈性動脈(肺静脈)
が通じている。心室の中にはいくつかの小さな弁があり、血液の逆流を防いでいる。静脈
性動脈と大静脈が心臓に入る前に袋状に広がって心耳(心房)となっている 。心臓はつね
に身体のどの場所より熱をもっていて、液体を急速に膨れ上がらせる。

・心臓の膨張と収縮
 当時すでにハーヴェイが、心臓は筋肉によって膨張収縮し、血液を送り出すポンプの役
割をしているという、現代医学でも通用する説を発表していた。しかし、これに対して、
デカルトは、心室にある熱によって、心臓が膨張収縮していると主張する(熱機関説)。つ
まり、心室で熱せられた血液の密度が低下し膨張することで心臓も膨らむ。そして、その
血液が小さな扉を押し開けて出て行き、動脈で冷えると、心臓も収縮するのである。その
血液が出て行った後の心室には、また新たに血液が入ってくる。デカルトによれば、この
ことは、観察や実験からの必然的な帰結である。ここでは、心臓の運動が時計の運動に比
されている。つまり、人体も一種の機械として捉えられているのである。

・血液の循環
 しかし、心臓を出入りする血液は、どこから来てどこへ行くのだろうか。この問題を、
デカルトは、イギリスのある医者(ハーヴェイ)の提唱した血液循環の説によって論じる。
つまり、心臓から送り出された血液は、静脈を通って再び心臓へと向かう。そうして、血
液の流れは永続的に繰り返されるのである。このことは、いくつかの実験によって証明さ
れる。腕を中ぐらいの強さで縛ったときには、通常よりも傷口から多量の血液が流出し、
とても強く縛ったときには、逆に出血はわずかとなる。このことから、血液が動脈から静
脈に移る通路が確認される。また、静脈に見られる弁は、末端から心臓に戻ることだけを
許すようにできている。さらに、動脈を切ると血液がごくわずかの時間で流出してしまう
ことから、その血液が心臓からきていることが示される。

・血液の運動と動物精気の生成
 血液は、心臓で熱せられて希薄になるため、静脈よりも動脈のなかにあるほうがきめ細
かく、活力があり、熱い。この血液が全身に広がることで、身体が温められている。「また
そこから、呼吸の真の効用は、肺に冷たい空気を十分に送り込むことにあるのが分かる」
(p.71)とデカルトは言う。その冷たい空気によって、蒸気に変えられて肺に来た血が再び
液状になるのである。消化作用や栄養摂取といったことも、心臓の熱やそれによる血液の
運動から説明される。ふるい篩によってさまざまな穀物が選り分けられるように、血液は微細な
孔の位置、形状、大小に応じて違った場所へ流れ込む。
 そして最後に、最も注目すべきこととして、動物精気( les esprits animaux )の生成が語
られる。「それはきわめて微細な息、あるいはむしろきわめて純粋で活気のある炎のような
もので、絶えず豊富に心臓から脳へのぼり、そこから神経を通って筋肉に入っていき、肢
体のあらゆる部分に運動を与える」(pp.72-73)といわれる。この動物精気が、精神と身体
を結び付けている。つまり、動物精気を筋肉に配分することで、内的情念に応じてこの肢
体を動かすことができるのである。そうして人体は、神によって精巧に作られたオートマ
ットつまり自動機械とみなされる。

◇人間の魂と動物の差異(第10段落〜第12段落)
・人間と機械の差異
 もし理性をもたないほかの動物にそっくりな自動機械があるとすれば、そうした動物と
機械の区別は見いだされないだろう。しかし、人間はそうではない。人間と機械を見分け
る確実な手段が二つある。第一は、人間がことばや記号を使って、(自由に)自分の思考を
他人に表明できるということである。第二は、人間が理性をどんなことに出合っても役立
ちうる普遍的な道具を使って動くのに対して、機械はただ諸機関の個別的な配置によって
動くだけであるということである。機械は、人間と違って、異なった状況に臨機応変に対
応することができないのである。

・人間と動物の差異
 こうした手段によって、人間と動物の違いも知ることができる。人間以外の動物は、ど
んなに完全で素質がよくても、人間のようにことばを組み立てて自分の考えを伝えること
ができない。たとえば、カササギやオウムは、音声を発することはできても、自分の考え
を明示しながら話すことはできないのである。このことは、「動物たちの理性が人間よりも
少ないということだけでなく、動物たちには理性がないことを示している」(p.77)とデカ
ルトは結論づける。動物たちは精神を持たず、ゼンマイ仕掛けの時計のように、諸機関の
配置にしたがって動いているのである。

・理性的魂
 その後で、デカルトは、理性的魂について論じる。その魂は、決して物質から導き出さ
れず、特別に創造されねばならないことをデカルトは示した。そして理性的魂は、真の人
間を構成するためには、身体に宿っているだけでは不十分であり、感情や欲求を持ち、身
体と結合する必要がある。
 さらにデカルトは、魂についての誤謬を指摘し、動物の魂がわれわれ(人間)の魂がま
ったく異なっていることから、(人間の)魂のが不死であると主張する。つまり、われわれ
の魂は、本性上身体にまった依存しないから、身体とともに死すべきものではないのであ
る。
  デカルトは、ガリレイが宗教裁判で有罪となったことを知り、地動説に基づいた自然学の著作『世界論』
の刊行を取りやめた。そして、自然学の業績を示す三つの論文(「屈折光学」「気象学」「幾何学」)に序文
(『方法序説』)を添えた『方法序説および三試論』を発表した。『方法序説』第六部や『世界の名著 デカ
ルト』の野田又夫の解説(中央公論新社、1978、pp.40-41)などを参照。
  p.61末行およびその註(9)を参照。
  現代医学とは違って、デカルトは心耳(心房)を心臓の一部とみなしていない。