■ エピクロス読書会 ER01-1

『エピクロス―教説と手紙―』出隆・岩崎允胤訳 岩波文庫(及びワイド版岩波文庫)

第一回 8月24日
 1:ヘロドトス宛の手紙(pp.9-42)

   「ヘロドトス宛の手紙」は主に自然学について扱ったものであり(p.143)、現存していな
  い『大摘要』に対し『小摘要』と呼ばれた(p.155)。ここで挙げられている「ヘロドトス」
  は、時代からして『歴史』の著者ヘロドトスではなく(彼は前480年前後の生であるのに対し
  エピクロスその人は前342年(341年とも)の生である)、単なる同名のエピクロスの弟子の
  ことであろう。

 1.0:序

   教説そのものとは関係のない手紙としての文章のため、省略。

 1.1:哲学研究の方法上の規則

   まず始めに、哲学的探究を行う際に従うべき規則をここで示す。あくまで「方法上の規則
  」であるためか、その分量・内容ともにわずかなものであるが、実に興味深いものでもある  。

 1.11:語の最初の意味

   「語の基礎にあるもの(語の示す先取観念)を捉えるべきである」(p.10)

   語の基礎にあるものを捉えなくては、「判断・吟味・問題の対象となるものを判定」する  ことはできず、果てしない説明や無意味な説明をすることに なってしまう――とエピクロス  は述べる。では語の基礎にあるものとは何か、それはいかにして把握し得るのか。
   
   「このためには、われわれは、おのおのの語について、最初に浮かぶ心像に着目せねばな    らない」(p.11)

   その語から与えられるこの「心像」が、その語の先取観念なのであろうか、あるいはそれ  と一致するというのであろうか。註釈(4)及び(57)で は、
   「「先取観念」というのは、たとえば馬なら馬をたびたび見ることによって或る型として
    印刻され記憶に留められた馬一般の心像あるいは普遍概念ともいうべきもので、それは
    感覚経験に由来するが、それが一度形成されると、今度馬を見たさいには、この先取観
    念に照らして、それは馬である、と判断できるようになる、というのである。」(p.169)
  と述べられている。つまり、感覚に依拠して経験的な仕方で、しかしながら「普遍概念」を
  各々が形成することができる、ということになる。アリストテレスも、「感覚から記憶が生
  じ、同じものについて繰り返して得られた記憶から経験が生ずる…〔経験に含まれる〕すべ
  ての事例から、〔これらの〕全体についてあること〔普遍〕が魂の内で静止するに至る」(『
  分析論後書』第19章 100a5-)と述べているが、どちらも経験の束から普遍へいかにして移
  行し得るのか、問題として残るところであろう。とはいえ(少なくともエピクロスの場合)
  、実際に何らかの仕方でこの移行が実現している、ということが大切なのだと考えてよいよ
  うに思える。

 1.12:判定の基準

   「確証の期待されるものや不明なものごとを解釈しうる拠りどころをもつためには、すべ
    てを、感覚にしたがってみるべきである。」(p.11)

   これはエピクロス認識論の基本をなすものである。(1)の先取観念も、この感覚に由来
  したものであらねばならないし、それ以外の判断材料(「解釈しうる拠りどころ」など)も
  また、当然感覚に依拠して初めて信頼を得るのである。そしてこの感覚は、「現前する直覚
  的把握」でなければならないという。

   ・直覚的把握1「精神での把握」
     @「感覚によって知覚されるにはあまりに微細な映像が、直接に精神に入って、それ
       によって直覚的に把握される場合」(註釈6 p.156) …神の映像の把握など
     A「不明なものについて感覚によって逆証されないものとして、精神によって直覚的
       に把握される場合」…違和感を持たずに受け入れ得るような把握
   ・直覚的把握2「感覚的な判定機能の把握」
      「確証の期待される判断について、じっさいにに確証を得ようとするさいに感覚の
       おこなう把握」(同上)

   この記述だと、「非直覚的把握」がそれぞれあることになるようにも思えるが、特に記述
  はない。それらは判断材料として信頼し得ないということであろうか、だとすると「感覚は
  あやまたない」といっても、そのための選別の技術や知識が必要だということになるかもし
  れない。

   「(行為にかんしては)現存する感情(快と苦)にしたがってみるべきである。」(p.11)
   快を生む行為こそ善なる行為であり、苦を生む行為こそ悪なる行為である、という図式と
  なっている。これがエピクロス倫理説(快楽主義)の基本ともいえる。感情もまた感覚であ
  ると考えれば、先の規則にも従うものである。ニーチェは「行為を人間から分離するのは、
  道徳の自然性を剥奪することである」(『権力への意志』292)と述べた。感情を価値の基準
  とすることは、確かに現実性ある倫理に求められることであるだろう。ただしエピクロスの
  場合、「快⇒善」から「善⇒快」へと転倒をみることもできるように思える。

 1.2:全宇宙とその構成要素
 1.21:全宇宙の不生成不消滅なこと
 1.22:物体と場所
 1.23:全宇宙の限りないこと
 1.24:原子の形状の相違
 1.25:原子の運動
 1.26:世界の数の限りないこと