■ スピノザ『神・人間および人間の幸福に関する短論文』読書会
   第5回 2005.05.25 参加者ー(+)、χ、脇、文照

◇ 第1部第2章 神とは何か
2.4 そもそもこの部分って…
 この部分は、スピノザの手によるものか、判断がつかない。このように思わせる第一の理由は、これは状況証拠だが、訳者が原典にはない空白をはさんでいる からである。第二の理由は、69p〜70Pの内容は混乱した部分を含んでおり、『エチカ』の概念を持ち込まないことには整合的な説明ができないからであ る。第三の理由は、69p〜70pの主題は神の属性であると思われるのだが、75p1行目の「これまで神の何たるかについて語ってきた後を受けて、我々は ここに神の諸属性についてはいはばただ一言をもって述べるであろう」という記述とかみ合わないからである。
 以上から、69p〜70pまでは、スピノザ以外の人による挿入である可能性がある。もっと言えば、74pまでそうかもしれない。とはいえ、これらの部分 がまったく理解できないというわけではないので、私たちはこの部分も『エチカ』を参照しながら読んでいくことにする。
 さて、69p10〜12行の内容がどこで語られたか、これがまず問題となる。「自然の中の損するこれらすべての属性は…」とあるので前に述べてあるはず なのだがが、一読してわかるように、直接該当する箇所は見当たらない。かろうじて、神の定義に属性という言葉が出てくるだけである。後半の「単に…」から は神の定義の第2前提(説明)であると思われるが、前半を定義とみなすことには問題がある。

2.4.1 理由1
 その問題とは、先の主張の理由のなるこの部分に再び神の定義の内容を見つけることができる点にある。このままでは循環となる。スピノザの手によるかとい う問題は別にして、この部分を解釈するためには、神に属性についての何らかの記述が欠如していると推測できる。しかし、それ以上のことを見出すことは困難 である。

2.4.2 理由2
 ここでは、ただ一点、注の内容を心にとめておいていただきたい。

2.4.3 理由3
 理由2の説明では、異なる実体が存在するとしたら、それらの結合は不可能であり、例えば、思惟と延長は異なる実体でありなんらまったく共通点を有してい ないとある。これに対して、理由3では「…自然は存在が属するところの一つの完全な実有(実体)でなければならぬということが必然的に帰結されるのであ る」とある。理由2では2辰の実体が存在すると主張し、理由3では一つの実体しか存在しないと主張している。これらの主張は明らかに一致していない。
 そこで、私たちは『エチカ』第2部定理1および2を利用することにする。そこでは、思惟と延長は神の属性であると述べられている。これから、先の一致し ていない主張を解釈する最も簡単な方法は、理由2および注の「実体」という語をすべて「属性」に読み替えるというものになろう。もちろん、注を無視しても 筋は通るように思える。

2.5 延長が神の属性であるということについて
 この部分は訳者注にもあるように『エチカ』第1部定理15の備考に対応している。しかし、71p1〜2行目の主張がなされるには、先の理由2および注に おける「実体」の「属性」への読み替えがなされなければならないように思える。
 さて、延長が神の一属性であるとすると、延長は可分的であり、神が単一であるという主張と一致しないと考えられるかもしれない。これに対して、スピノザ 自身が回答する。

2.5.1 回答1
 部分や全体という観念は実体について言われるものではない。したがって、延長は実体的延長であるから、全体も部分も存在しない。

2.2.4 補足
 今回の範囲で、神の属性が主題となってはじめて気づいたことがあるので追加しておく。それは63p2行目と65p15行目にある、神の存在証明の前提 (説明)の第4に関してである。65p15行目の方には「…自然の中に形相的に存するより他のいかなる実体ないし属性も存しない…」とあるように、「属 性」という言葉が追加されている。ちなみに、その後の説明から実体についてはともかくとして、「属性」については何も語られていないにもかかわらず、結論 として神の定義が帰結するとある。もちろん、神の定義には「属性」という言葉が含まれている。今回の範囲において、属性について初めて語られる。

6 2005.06.01 第6回