平成18年3月23日(金)より、吉田キャンパス総合図書館入退館ゲート前にて埋蔵文化財の展示を開始しました。展示資料は、山口大学島田川遺跡学術調査団が発掘調査をおこない、当館が所蔵している「島田川流域遺跡群」の遺物です。
島田川流域遺跡群とは?
昭和24年(1949)、熊毛郡熊毛町(現:周南市)の島田川右岸に形成された天王(てんのう)台地で熊毛北高等学校の校庭工事がおこなわれた際、多数の弥生土器が発見されました。
その後、この地を訪れた小野忠?氏(現:山口大学名誉教授)らにより、弥生時代の遺跡(天王遺跡)であることが確認され、周辺でも続々と遺跡が発見されました。
昭和26年(1951)には、山口大学島田川遺跡学術調査団が組織され、岡山(おかのやま)遺跡と天王遺跡の発掘調査がおこなわれました。また調査団は島田川流域において遺跡の分布調査をおこない、121ヶ所もの遺跡を確認しました。
島田川流域遺跡群調査の学術的意義
小野氏らによるこれらの遺跡群の調査の特徴は、島田川流域を大きなまとまりととらえ、時代と伴にムラの営まれた場所がどのように移り換わるのかを解明しようとしたことです。
その結果、特に注目されたのが、弥生時代中期の岡山遺跡と後期後半の天王遺跡が、米づくりや生活に不便な小高い丘陵の上にあることでした。
小野氏は、これらの遺跡を中国の史書『後漢書』東夷伝や『魏志』倭人伝に記された「倭国大乱」に見える政治的緊張を反映しているものと見なし、外敵の侵入を防ぐために丘陵などの高地にムラを営んだとする「高地性集落論」を唱えました。この説は、高地性集落だけでなく弥生時代の動きを理解する上で、今日まで大きな影響を及ぼしています。