山口大学学生歌は、1952年に誕生し、以後本学メンネルコールや、混声合唱団により歌い継がれてきました。2023年1月に開催された混声合唱団定期演奏会での学生歌の新編曲完成の報告を受け、混声合唱団並びに混声合唱団OB会である彩音会(あやね会)の皆様のご協力をいただいて録音した、新編曲「山口大学学生歌」をお届けします。
*山口大学混声合唱団と山口大学学生歌の関りについては、以下の『山口大学混声合唱団と山口大学学生
歌 ~「学生歌」の誕生と、新編曲完成までの経緯~』をご覧ください。
*メンネルコール 1946(昭和21)年旧制師範学校に誕生し27年間活動した男声合唱団
新編曲「山口大学学生歌」
新編曲「山口大学学生歌」録音会(3月19日 山口大学大学会館)
山口大学混声合唱団と山口大学学生歌
~「学生歌」の誕生と、新編曲完成までの経緯 ~
〇山口大学学生歌の誕生
本学は、1949(昭和24)年11月5日開学式を行うと同時に、開学を記念していくつかの行事を行いました。その行事の一つとして山口大学標章(バッジ)を本学の学生及び教職員から募集しましたが優秀なものが得られなかったので採用は見合わせることとなりました。そこで、1951(昭和26)年6月にあらためて標章の募集を行うと同時に学生歌の歌詞も併せて募集したところ、学生歌の応募作品は22点で、当時会計課職員であった永井正春氏(1976(昭和51)年3月退職)の作品が入選し採用が決まりました。永井氏は2点応募しましたが、うち1点は同じ会計課職員の諸藤俊男氏の名前を借りて応募し、そちらが入選したため、諸藤氏の作品とされました。しかし、2~3年後に上司に事情を打ち明け、真相を明らかにすることとなり、関係者の了解を得て、晴れて山口大学学生歌は永井正春氏の作品となりました。
学生は山口大学学生歌が出来たことを喜び、自治会役員が当時教育学部の学生で作曲の才能を認められていた藤井哲雄氏(1955(昭和30)年3月 教育学部第一中等科(音楽専攻)卒業)に作曲を依頼し、1952(昭和27)年求めに応じて藤井氏がこの歌詞に曲をつけました。
山口大学「学生歌」誕生以降は、メンネルコールにより、定期演奏会、巡回演奏会、交歓演奏会のステージ演奏はすべて「学生歌」で開幕されました。学生歌は徐々に学生の間に広まり、コンパなどでよく歌われていましたが、その後は、入学式の後混声合唱団によって歌われる程度で、学生の間であまり歌われなくなりました。
創立30周年の際にあらためて学生歌の募集が行われましたが応募はあったものの入選作は得られず、本学の学生歌は、永井正春作詞・藤井哲雄作曲のこの一つ限りです。
(山口大学30年史より抜粋)
〇学生歌と混声合唱団
混声合唱団は、1972(昭和47)年に、メンネルコールとフラウエンコール(女声合唱団)が新たな境地を求めて統合して誕生し、2022(令和4)年には創部50周年を迎えました。
12月の定期演奏会では第1回から常に学生歌で幕を上げており、大学の入学式や卒業式においても毎年演奏してきました。 このたび、創部50周年という記念の年を迎えるに当たり、彩音会は学生歌の歴史を紐解くこととなりました。
〇学生歌の楽譜
学生歌は1954(昭和29)年7月にお披露目されましたが、現在、原譜は手許になく、山口大学には当時の旋律(別紙)が残っているだけです。現存するメンネルコールが演奏されていた男声4部合唱の楽譜や岡田昌大先生の編曲とされる混声4部合唱の楽譜も原譜の特定には至りませんでした。原譜の情報が得られないまま、混声合唱団が1982(昭和57)年に創部10周年を迎えた際、学生歌の1番を半音下げてユニゾンで、2番は混声4部で演奏したため、以来その演奏スタイルを踏襲することとなりました。それ以後も混声合唱団による手稿譜は変化し続けることになり、それは近年の学生歌演奏にその年ごとの歌い方の違いが表れています。
学生歌の原譜が無いまま、混声合唱団は、長い間大学からの依頼で入学式や卒業式で演奏してきましたが、学生による編曲版のみで継承してきており、今後の演奏に際して細部の確認を必要とするため、彩音会で本学卒業生に声がけするなど原譜を探すとともに、来栖 誠氏(1982年教育学部小学校教員養成課程卒業)の協力を得て、学生歌の新編曲に取り組みました。山口大学「学生歌」の新編曲(編曲者: 来栖 誠)は、2023(令和5)年1月13日に完成し、翌14日に催された第50回定期演奏会において完成の報告がありました。
今後、混声合唱団による「学生歌」の演奏は、この新編曲により行われることとなりました。
(彩音会の情報を参考に作成)