美術史2004


10. フェミニズムと美術史:ポロック

三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」、高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』、新書館、1997年6月、pp.216-217.

L 新しい美術史学(2)批評と歴史、記号論、フェミニズム

p.216 l.9-13. "構造主義、ポスト構造主義、カルチュラル・スタディーズ等を経験していく知的風土の中で、従来の研究方法を批判、相対化し、学問の再編成を迫るようなラディカルな傾向が美術史学にも出現した。その中心に立つのはノーマン・ブライソン(一九四七〜)で、政治的、社会的、文化的な力が織りなす意味作用の場を想定し、そこで生成するダイナミックな記号として絵画作品を捉えるのがその基本的立場である。静態的な美術史学から動態的なイメージ分析学への転換を企てたと言ってもよい。"

p.216 l.20-p.217 l.2. "現代のあらゆる学問領域を席巻しつつある「人種、階級、性差」という問題意識は、美術史学をも揺るがした。美的価値判断の底で制度化された無意識のイデオロギーが作動していたり、客観性を装ったイメージ解釈が研究者自身の構えや視点に内在する偏向性と不可分であったりすること。"

p.217 l.2-5. "こうした問題意識が最も鮮明に表れたのは、フェミニズムの刺激を受けた美術史学である。その先駆者リンダ・ノックリンは、論文「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか」(一九七一)以来の諸論考を集成した『女、美術、権力』(一九八九)の中で、性差(ジェンダー)と美術史にまつわる基本的な問題点を検討した。

p.217 l.5-8. "その後、フェミニズムの美術史学の中核を担ったのはグリゼルダ・ポロック(一九四九〜)である。ロジカ・パーカーとの共著『女、アート、イデオロギー』(一九八一/新水社)で忘れ去られた女性美術家の掘り起こしを行ったポロックは、『ヴィジョンと差異』(一九八八)にまとめられた論文において、フェミニズムの立場から美術史学のパラダイム転換を目指し、例えば印象派の絵画を「見る/見られる」という関係性、男性原理とは異質の「女性性」などの視点から分析している。"

p.217 l.12-13. "…現在の美術史学は新旧含めて多様な方法論が乱立する時代を迎えており、美術史学の抱えるアポリア(難問)が今ほど露になった時はない。"

p.217 l.20-23. "しかし、本来何でも切れる万能ナイフのような方法論は存在しない。むしろ作品こそが、テーマこそが方法論を選ぶとも言えよう。最終的には、所与の対象を説明し、所与の問題を解決するのに最も適切で、説得力のある方法を、研究者の資質と問題意識に応じて選択し、必要があれば自ら編み出していく以外に「方法」は存在しないのである。"


参考図書

マイケル・フリード(Fried, Michael 1939- )

マイケル・フリード「芸術と客体性」、川田都樹子、藤枝晃雄訳、『モダニズムのハード・コア』 『批評空間』1995年臨時増刊号、太田出版、pp.66-99.

マイケル・フリード「モダニズムはいかに作動するのか T・J・クラークへの反論」、上田高弘訳、『モダニズムのハード・コア』 『批評空間』1995年臨時増刊号、太田出版、pp.122-141.

マイケル・フリード「ミニマリズムとポップ以降の美術論」、杉山悦子訳、『モダニズムのハード・コア』 『批評空間』1995年臨時増刊号、太田出版、pp.156-159.

Michael Fried, Manet's modernism, or, The face of painting in the 1860s, University of Chicago Press, Chicago, 1996

Michael Fried, Courbet's realism, University of Chicago Press, Chicago, 1990.

Michael Fried, Absorption and theatricality: painting and beholder in the age of Diderot, University of California Press, Berkeley, 1980.

ノーマン・ブライソン(Bryson, Norman 1949- )

ノーマン・ブライソン「言説、形象 『言葉とイメージ』第一章」、佐藤康宏訳、『美術史論叢』16、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美術史研究室、1999年、pp.79-108.

Norman Bryson, Looking at the overlooked: four essays on still life painting, Harvard University Press, Cambridge, Mass., 1990.

Norman Bryson, Tradition and desire: from David to Delacroix (Cambridge studies in French), Cambridge University Press, Cambridge; New York, 1984.

Norman Bryson, Vision and painting: the logic of the gaze, Yale University Press, New Haven, 1983.

Norman Bryson, Word and image: French painting of the ancien regime, Cambridge University Press, Cambridge; New York, 1981.

リンダ・ノックリン(Nochlin, Linda )

リンダ・ノックリン『絵画の政治学 フェミニズム・アート』、坂上桂子訳、彩樹社、1996年

Linda Nochlin, The Politics of Vision: Essays on Nineteenth-Century Art and Society, Harper Perennial, 1991.

Linda Nochlin, Women art and power: and other essays, Thames and Hudson, London, 1989.

グリゼルダ・ポロック(Pollock, Griselda 1949- )

グリゼルダ・ポロック『視線と差異 フェミニズムで読む美術史』、萩原弘子訳、新水社、1998年

ロジカ・パーカー、グリゼルダ・ポロック『女・アート・イデオロギー:フェミニストが読みなおす芸術表現の歴史』、萩原弘子訳、新水社、1992年

ウィルヘルム・ウーデ『ゴッホ』(アート・ライブラリー)、グリゼルダ・ポロック作品解説、坂上桂子訳、西村書店、1997年

Griselda Pollock, Differencing the Canon: Feminist Desire and the Writing of Art's Histories, Routledge, London, 1999.

Griselda Pollock (ed.), Generations and Geographies in the Visual Arts: Feminist Readings, Routledge, London, 1996.

Griselda Pollock, Avant-garde gambits, 1888-1893: gender and the colour of art history (The Walter Neurath memorial lectures 24), Thames and Hudson, London, 1992.

Griselda Pollock and Fred Orton, Avant-Gardes and Partisans Reviewed, St. Martin's Press, 1996.

リオネロ・ヴェントゥーリ(Venturi, Lionello 1885-1961)

リオネロ・ヴェントゥーリ『美術批評史』、辻茂訳、みすず書房、1971年(新装版)

リオネロ・ヴェントゥーリ『美術批評史』、辻茂訳、みすず書房、1963年


グリゼルダ・ポロック『視線と差異 フェミニズムで読む美術史』、萩原弘子訳、新水社、1998年、pp.36-46.

1 (フェミニストの視点に立つ)芸術の社会史?

p.36 …ドヴォルジャークやリーグルといった美術史学者の名前があがったよき時代…(中略)…人間社会の研究に資する重要な議論に参加していた時代であった。

p.36 現在、美術史の学問分野において支配的な潮流は明確に反歴史的である

p.37 シャピロは、バーの本が、多くの頁を歴史的な運動に関する記述に割きながら、本質的には没歴史的であるというパラドックスについて書いている。

p.37 表現様式の変化を説明するのは、旧様式の疲弊、新様式の登場、それへの反動といった俗論である。

p.37 TJ・クラークは重要な新提案を主唱し、彼のいくつもの著作はそのための土台となってきた(2)。マルクス主義の社会分析を取り入れた「芸術の社会史」はブルジョワ的なモダニスト美術史のヘゲモニーに対する異議申し立てとして、まったく新しい美術史学の試みであった。

p.37 ところが一九七四年のTJ・クラークは、現在、美術史学で進行しているほかの諸傾向に対して敵意丸出しで警戒している。

p.38 芸術がつくられた場所である社会の性質は、たとえば封建制社会であるとか、資本主義社会であるというだけではすまない。それはつねに家父長主義的な性差別社会であった。

p.38 文化とは、意味をつくりだすことを最大の目的とする社会的行為であると定義できるだろう。

p.39 …必要なのは、美術史学による文化の解釈がつくりだしている、われわれの社会に関する非現実的な定義(5)に、異議を申し立てることである。

p.39 …現在行われているフェミニスト美術史にとって、マルクス主義がこの分野で示してきた厳密さ、歴史研究の情熱、理論的展開は新課題である。ここで言う新しいフェミニスト美術史は、…(後略)

p.39 たしかに美術史学は、大学、美術学校、美術館のカビ臭い地価倉庫に閉じこもって、選りぬきの教養人に「洗練された」知識を提供するだけの、たいした力はもたない学問領域である

pp.39-40 美術史の言説における主役はアーティストである。アーティストは聖なる理想像として表現され、普遍的で階級を越えた人間()というブルジョワの神話を強化している

美術史の主役=アーティスト=男 :p.75の定式も参照

p.40 “(たとえばヴァン・ゴッホを描いた映画『炎の人、ゴッホ』、ミケランジェロを描いた映画『華麗なる激情』)”

p.40 ブルジョワジーから奪い去るべきものは、彼らの芸術ではなく、彼らがもっている芸術についての概念である。

p.40 フェミニストによる美術史の見なおしは、…(中略)…アーティストという言葉は自動的に男だけを指すとする先入見をあばきだし、それに疑問を投げかけてきた。

p.40 「オールド・マスター(巨匠)」という尊称には、意味として対応する女性形はない。形だけを女性形にした「オールド・ミストレス」の意味はまったく異なる。

p.41 ガブハートとブラウンが明らかにしているのは、言語とイデオロギーの関係である。

p.41 …次々と発展してきたアーティストという理念と、女とはなにかという社会的定義は、歴史上別々の道、近年になると相対立する道をたどってきたからである。…(中略)女性的なるものは男性の反対物、ということはアーティストの反対物としてつくられてきた。(9)”

p.41 女に天才はいない。いるとすれば、彼女は男である。

p.42 現在までのところ、フェミニスト美術史は主流の美術史イデオロギーとその働きに対して、なすべき対決をしないできた

p.42 美術史研究機構内の開明的政策は、こういう安全で、ただ既存の美術史に「付け加える」タイプのフェミニズムには、にぎやかしの傍流のひとつとして、その機構が主催する会議などで末席に場所を与え、(後略)

p.42 しかし、フェミニズムから美術史に向けられる批判の内容はまったくもみ消され、美術史として教えられている内容にはなんの変化もなく、その教育方法も学習方法も変わっていない。

p.42 アンタルは、主流の美術史学にとってなにが許容範囲で、なにがそうでないかを指摘している。

p.42 決して譲れないイデオロギーの核とは、アーティストの聖性と、芸術という領域の独立性であった

p.43 アンタルの結論によれば、力の限りを尽くして固持されるであろう美術史学最後の要塞は、「芸術的天才に宿った測り知れない性質という、ロマン主義から引き継がれた最も根深い一九世紀的信条」(*12)である。

pp.43-44 美術史学が構築にいそしむ世界像に対して根底から挑戦するもの、つまり、歴史がどう動くか、なにが社会をつくりあげているのか、どのようにして芸術がつくられるか、アーティストとはいかなる社会的存在かについて、非常に異なる説明のしかたを提起するものが、美術史学から拒否されているのである。

p.44 フェミニスト美術史が関わるべきは、知識の政治学である。

p.44 「本当に問題なのは、ジャーメイン・グリアのあげる障害(物)ではなく、競争のルールであり、その検討が求められている」。(*14)

p.44 ほとんどの美術史が組織的に女性アーティストを記録から抹消したのは、実は、美術史が制度化されたアカデミックな学問として確立された二〇世紀になってからのことであると、われわれは気づいた。

p.45 女性アーティストとその作品は、美術史学の言説の構造に関わるある役割を果たしている。

p.45 …フェミニスト美術史がまずなすべき仕事は、美術史学そのものの批判ということになる。

p.45 女の芸術作品とは女らしさのこと、女らしさとは駄目な芸術のことという見方にはどういう意味があるのか。

p.45 われわれの見るところ、女らしさのステロタイプは、差異を示す不可欠な用語として働いており、芸術の領域で男性がもつ、決して特権とは自覚されない特権を維持するための引き立て役として役立っている。

「女の芸術は駄目な芸術」という考え方が、「男の芸術こそ唯一の素晴らしい芸術」という考え方の土台になっている

pp45-46 女がつくりだす芸術は、まさにこのヒエラルキーを守り抜くためにこそ言及され、そして退けられる必要があるのである。

p.46 ブルジョワが理想とする男性的人物像のエッセンスであるアーティストのイメージを、美術史学がどうつくりあげるかについて批判的に検討すれば、もっと違った別の芸術の歴史をわれわれは描きだすことができるだろう。

p.46 われわれにとってつねに必要なのは、刻々に変化する「アーティスト」と「女」という用語の定義をきちんと把握することである時代とともに変化する階級と父権主義的な社会的諸関係のなかで生きる女として、彼女たちが一様ではないしかたで、それぞれの場所で折りあいをつけてきた現実についての理解がなければ、われわれがする女と芸術とイデオロギーに関するどんな美術史的な説明も、政治的な意味を欠くことになるだろう。


参考図版

ダンテ・ゲィブリエル・ロセッティ《見つかって》、1854年、油彩・カンヴァス、91.4×80.0cm、デラウエア美術館
 Source:アート at ドリアン

ウィリアム・ホルマン・ハント《良心の目覚め》、1853-54年、油彩・カンヴァス、76.2×55.9cm、ロンドン、テート・ギャラリー
 Source:アート at ドリアン