精読2
序文
1 一九五〇年代アメリカにおける美術史学の状況 pp.5-6
p.5 "美術史家が美術と政治[ルビ:ポリティクス]の問題について取り上げようとする場合には、いかなる試みにおいてもまず、美術史の政策[ルビ:ポリティクス]と一戦交えなければならない。"
メモ:
まさにこの講義でやっていることが、「美術史の政策と一戦交える」ことであるし、あるいは少なくとも将来一戦を交えるべく、それに備え、先ず「敵を識る」という作業を行っているのだ、といえると思う。p.5 "…美術史を構築してきた各々の著作は、それ自体の小宇宙において美術史そのものの社会史なのであり、どんなにとおり一辺の著作でも理論的規範[ルビ:パラダイム]という点において検討に値する。…(中略)…新しい美術史の書き方が当然提示されているからである。"
p.5 "…当時一九世紀および二〇世紀美術については、モダニズムの勝利によって明らかにされたように、フォーマリズム(形式主義)が主要な規範となっていた。"
メモ:
フォーマリズムについては、特殊講義2002:ヴェルフリン、グリーンバーグ、クラウスを参照。→特殊講義2002p.5 "インスティテュートでは、すでに八〇歳を超えていたワルター・フリードレンダーが一九世紀美術についての私の師であり、彼の純粋形式主義の著作『ダヴィッドからドラクロワまで』(当時すでに古典として崇敬されていたヴェルフリンの理論を一九世紀初期の美術について再利用したもの)が、教科書として使われた。"
メモ:
「講義室における隔世遺伝?」:講師にとって親の世代(講師の師)の方法論が、講師にとって子の世代(=学生)に伝えられる。学生にとっては二世代上の研究者の方法論と思考様式。それにマッチする人もいればいない人も…。pp.5-6 "主題の問題については触れられてはいたものの、絵画や彫刻の「内容」についてのまじめな研究は、イコノグラフィーという名のものとに分離され、一九世紀より前の時代の作品のみが対象とされた。近代美術は、まるで定義によって、イコノグラフィーとは無縁のものとされたようだった。"
メモ:
イコノグラフィーについては、特殊講義2002:パノフスキーを参照。→パノフスキー『イコノロジー研究』p.6 "作品の意味を提示することは、つねにモラリズムや物語性を強調する時代遅れのものとされ、もっぱらアカデミズムの美術に関するものと考えられて無視された。"
メモ:
「時代遅れ」とか「先進性」といった発言や視点は、もっぱら学問的狭量、知的怠慢に根差しているのだ、と肝に銘ずる。p.6 "…より統合的で、社会的な視点にたって研究主題と取り組む美術史家もいた。この点で注目したいのは、古典美術の権威であるカール・レーマンである。…(中略)…文献リストではリーグルとヴィクホフが特に強調された。"
メモ:
リーグルについては特殊講義2003/オリエンテーション/西洋美術史学の方法と歴史/E 精神史としての美術史を参照。→西洋美術史学の方法と歴史p.6 "実際、一九世紀美術についてのまっとうな研究はさまざまな点において未だ未成熟の段階にあり、真剣な学生は、もっと古い時代を研究することが望まれていた。事実、一八〇〇年以降の美術を扱う授業はそう多くはなかったのである。"
p.6 "私は、一九世紀美術史が形成期にあった時代に研究を始めたのであり、その意味では近代美術の歴史を構築するにあたって、選択の余地はまだ残されていたのだった。"
メモ:
「一九」を「二〇」と置き換えてみる。人間ってあんまり変わらない?
2 クールベとリアリズム、シャピロの論文から受けた示唆 p.7 l.19
p.7 "私にとっての一番の問題点は、簡単に言うならば、クールベのリアリズムの様式と彼の政治を結びつけることであった。"p.7 "…政治的なものと絵画的なものとの関係は、主題が「政治的」であったり、画家に意識的に政治的な意図があるかどうかといったことよりも、むしろより複雑な両者を仲介する作業の体系の中で、概念化されるべきであることをこの論文[シャピロの「クールベと民衆絵画」]は示唆している。"
3 3つのリヴィジョニズム pp.7 l.20-8
p.8 "近年美術史の政策は、リヴィジョニズム(修正主義)の形をとってきている。"p.8 "まず初めに上げられるのは、もちろん、社会史として美術史を捉える美術社会史の規範である。"
・T・J・クラーク
・ロバート・ハーバート
・アルバート・ボイム
・フレデリック・アンタル
・アーノルド・ハウザー
・F・J・クリンジェンダーp.8 "二番目に上げられるリヴィジョニズムがつくり出した規範は、「補足的」、もしくは「入賞にもれた」とでも言えるような人や作品を取り上げることである。"
・ジェラード・アッカーマン
・ガブリエル・ワイズバーグ
・何人かのフェミニスト研究者p.8 "三番目に上げられるのは、多元論の、あるいは、「たくさん成果を出そう」とする規範で、…(後略)"
・ロバート・ローゼンブルム
4 リヴィジョニズムの問題点 pp.9-10 l.9
p.9 "これらのリヴィジョニズムの規範はどれも、私の若い頃の比較的限定的なフォーマリズムの規範に比べるとずっと多くのことを提供してくれるもので、私はこれらすべてを拠り所としたが、中でも特に、美術の社会史に注目した。"p.9 "…美術の社会史もまた、しばしば歴史自体の在り方を問題とすることを忘れてしまっているのである。"
p.9 "方程式の一方の辺には多くの歴史的・社会的資料を、他方の辺には絵画的構造の詳細な分析を提出しながら、それらが互いにどのように関連し合っているか、あるいは、実際、それらの間に本当に関連性はあるのかといったことは、実際には示唆されていないのである。"
p.10 "「美術史を"他者性"の視点から考える」"
p.10 "…理論としても政策としても、フェミニズムとのかかわりがこの"他者性"という有効な視点を提供してくれたということである。"
p.10 "私にとって、美術史を創造するという行為はまさに、さまざまに幅広い方法で、政治的に美術史家たることを意味する。"
5 フェミニズムの有効性 pp.10 l.10-12 l.15
p.12 "本書においては、すでに刊行されている自著『女、アート、力』ほど明瞭ではないが、しかしながら、フェミニズムの問題は本書においても中心的な大きな問題であり、一九世紀絵画の議論における意味の生成に固有の、セクシュアリティー、被支配的立場、差異、従属の問題を強調している。"p.12 "…フェミニズムの視点は、研究者である男性もしくは女性に、作品のうちに何を見、いかに見るかを強制的に再考させるものである。"
p.12 "…フェミニズムの美術史は、美術作品の形のうちに、いかに意味が生成されるかという中心的問題を再問題化し、再構築するのである。"
6 各論文をめぐる覚書 pp.12 l.16-p.21
p.14 "彼ら[プエルトリコの画家や評論家たち]は、植民地の画家がしばしば、自分たち自身の遺産を破棄するか、あるいは、いわゆる文化的主流の「周辺」に身を置くかという選択を迫られるジレンマについての洞察を得るのに力をかしてくれた。"
p.15 "私は当時エドワード・サイードの『オリエンタリズム』を読んで、視覚芸術に関して西洋が中東に対してとった態度―明らかにつくりもののテクストであることはもちろん、西洋の権威をいかにも「客観的な学問」として見せている態度の記述も含めて―についての、著者の洞察に富んだ独自の批評の適切さに感銘を受けたのだった。"
p.16 "当時のそして現在の評論家たちはともにゴーギャンについての評論において、ほとんどの場合、限りないへつらいをみせ、また、彼の人生と絵画を英雄化し神秘化している。こうした文脈からすると、ピサロの懐疑的な態度は、新鮮さを取り戻すための解毒剤のようなものだ。"
p.18 "また、ファン・ゴッホにしても、パリ、アルル、サン=レミにおいて進歩的な画家との接触によって生み出された後の絵画的に「発展した」より色彩的な作品に比べて、初期のあまり美学的でないグラフィックな作品については軽視されている。私はこうした美術史の方法そのものを問題視するようになったのである。"
p.20 "芸術が生み出される体系について総合的な規範を打ちたてようとする人にとって、ドガの事例は、考察のよい対象となろう。というのも、それは、伝記と作品とが問題なく一致するという概念全体に挑戦する、明らかに例外的な場合だからである。"