北九州市立美術館 連続美術講座
講座 現代美術史

1-3.特徴的な発言

 

1994年 現代美術シンポジウム1994「アジア思潮のポテンシャル」


[パネルディスカッション]
「セッションIV アジア思潮のポテンシャル」での塩田純一氏の発言

"日本はいままでヨーロッパを向いていて、例えばアウトサイダーというようなものを、ほとんど見てこなかったというような構造があるわけです。それと似たようなことが、例えば日本とアジアの関係においても、おそらくあったのだと思うわけです。いま、ようやくアジアが視野に入ってきているわけですね。その視野に入ってきた時にどうゆう関係を結んでいくのか、支配とか収奪とかいうような関係ではなくて、より民主的な関係をどうやって取り結んでいけるのかということが大きな課題になっていくのではないかと思います。"

『現代美術シンポジウム1994「アジア思潮のポテンシャル」報告書』、1994年、109頁。

 

1997年 シンポジウム「再考:アジア現代美術」


建畠晢「マルチカルチュラリズムの罠」


"マルチカルチュラリズムは多様性を積極的に肯定する思想であり、本来ならその寛容さのうちに、コミュニケーションの可能性の拡大が託されるはずのものである。しかしアジアや第三世界の文化を対象にする場合、ややもするとそれはindigenityを不可侵なものとして神聖視し、ひいては欧米に対する文化的な差異を絶対化してしまうという論調を招きがちなのだ。
 危険なのはそのような姿勢が、同じマルチカルチュラリズムの美名を掲げながらも、文化的な翻訳の不可能性を主張する不寛容なイデオロギーに結び付いてしまいかねないことである。"

"文化的な搾取に対するレトリカルな批判は、そこから当然のことのようにして、他者の文化をその元の文脈のままに把握する以外の理解の仕方を許さないという、ナイーヴな正義感に訴えるモラルを引き出してしまう。"

"マルチカルチュラリズムが不寛容に対する救済の思想たりうるのは、地域的、民族的な文化の差異を前提としつつも、なお価値を共有しうるということへの信頼があるからだ。"

『シンポジウム「再考:アジア現代美術」報告書』、1998年、40頁。



1999年 国際シンポジウム1999「アジアの美術:未来への視点」


ランジット・ホースコテー「世界への回帰:インド現代美術における不安と快活」(藤原えりみ訳)

"国際的なコンテクストにおいて「第三諸国」の美術を呈示するのが主に「先進諸国」のキュレイターだとすれば、いったいどれほど厳密に私たちの美術が反映されているのだろうか? インド美術のいくつかの様相は誇らしげな学者や、観光客に等しいキュレイター、あるいはインド国内の情報通の先入観によって決定されるべきなのだろうか? インド美術は、国際的な美術界から証明書を受け取らなければ、正当性と信頼を見いだせないのだろうか?"

『国際シンポジウム1999「アジアの美術:未来への視点 発表論文」』、国際交流基金アジアセンター、1999年、21頁。

アピナン・ポーサヤーナン「アジアの美術と新千年紀:グローカリズムからテクノ・シャーマニズムへ」(藤原えりみ訳)


"90年代初頭、世界的な経済再編成とアジア経済の爆発的成長により、東南アジア諸国は目覚めた虎あるいは龍と呼ばれるまでになった。だが2年前、アジアは経済的混乱に陥った。その結果、アジアの虎、アジアの龍は威信と獰猛性を保ち続けられなかった。今なお人々は、アジアの経済の危機はいつまで続くのだろうかと自問している。"

古市保子編集『国際シンポジウム1999「アジアの美術:未来への視点 報告書」』、国際交流基金アジアセンター、2000年3月、79頁。

セッションIII 全体討論
「グローバリズムの中で:21世紀のアジア美術」での清水敏男氏の発言

"…超越的なアメリカという力がありますが、しかし、文化に関して、アメリカはオーディオヴィジュアル、要するにアメリカ映画については大変な力を持っていますが、美術に関しては実はそれほど力を持っていない。"

"そのような状況の中で、各地域間の中で覇権を争う、競争が起きているという分析だったと思います。万博に代わる、現代美術展覧会は世界中で開かれている。それは一種のいわば新しい小さな覇権競争であるとも言える。"

古市保子編集『国際シンポジウム1999「アジアの美術:未来への視点 報告書」』、国際交流基金アジアセンター、2000年3月、101頁。

 

2002年 国際シンポジウム2002「流動するアジア―表象とアイデンティティ」


酒井直樹「アジア:対―形象化による同一化」

"アジアという語は、ヨーロッパをその東方の他者から区別するための領域的な統一体の指標を設定する手続きの一部として、ヨーロッパ人によって創りだされたものだったことはよく知られています。"

"アジアはヨーロッパにとって必須のものなのです。というのも、アジアなしには、ヨーロッパを識別可能な特権的なある実体として特徴づけることができなくなってしまうからです。ここに見られるのは、対―形象化の図式の最も典型的な事例です。"

"けれども仮想の統一体としてのヨーロッパは本質的に不安定でたえず変わりえますから、アジアもまた、偶発的な歴史状況――ヨーロッパとその他者の関係が変転する――に応じて定義され再定義されてきました。"

古市保子編集『国際シンポジウム2002「流動するアジア―表象とアイデンティティ」報告書』、国際交流基金アジアセンター、2003年3月、22頁。

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