美術史2005
西欧美術史学の歴史2:多元化する美術作品へのアプローチ
配布プリントH〜K
H. 各国へ波及する美術史学
ドイツ語圏から英語圏へ
1933年 ナチス・ドイツの迫害:ヴァールブルク研究所(ハンブルク)→ウォーバーグ研究所(ロンドン),パノフスキーはアメリカへ移住
参考リンク:ウォーバーグ研究所
「国境なき美術史」
「ヨーロッパの美術史家は国境の概念を念頭において考える習慣がついているのに対して,アメリカの美術史家にはそのような境界など一切なかった」(パノフスキー)
ウード・クルターマン『美術史学の歴史』,勝國興・高坂一治訳,中央公論美術出版,1996: 379.
Erwin Panofsky, "Three Decades of Art History in the United Sates: Impressions of a Transplanted European," Meaning in the Visual Arts: Papers in and on Art History (Garden City, 1955) 326.
知覚心理学の応用:エルンスト・H. ゴンブリッチ『芸術と幻影』(1960)
視知覚とイメージ表現の関係を探求 →2004前期
精神分析学の応用
抑圧,無意識,欲望
エディプス・コンプレックス
"ギリシア伝説のテーバイ王。その名は〈ふくれ足〉の意。慣用的呼称ではエディプス。テーバイ王ライオスとイオカステの子。もし男子をもうければその子は父殺しになろうとの神託をうけていたライオスは,妃が男児を産んだとき,そのかかと (踵) をピンでさし貫いて山中に捨てさせたが,赤児は牧人に拾われ,コリントス王の子オイディプスとして育てられた。成人後,両親に似ていないとからかわれた彼はデルフォイに赴いて神託を伺うと,父を殺し,母を妻とするだろうとのお告げがあったため,コリントスには戻らない決心をして旅をつづけるうち,たまたま出会ったライオスを実父と知らないまま殺害,さらにスフィンクス退治の功によってテーバイ王となり,それと知らないまま実母を妃とした。こうして彼は 2 男 2 女の父となったが,やがて真相を知るに及んでわれとわが目をつぶしたあと,娘のアンティゴネに手を引かれてテーバイを去り,諸国を流浪の末,アテナイ近郊のコロノスで世を去ったという。(水谷智洋)"
「オイディプス」,『世界大百科事典』(日立システムアンドサービス):山口大学総合図書館「ネットで百科」よりアクセス
J. 社会史,社会学
制度の歴史:ニコラウス・ペヴスナー『美術アカデミーの歴史』(1940)
作品の注文,受容,評価の研究:フランシス・ハスケル『パトロンと芸術家』(1963)
制作方法の研究:ブルース・コール『ルネサンスの芸術家工房』(1983)
K. 視覚文化史,受容美学
視覚文化(Visual Culture)
マイケル・バクサンドール『15世紀イタリアにおける絵画と経験』(1972)
"Visual Culture Questionnaire," October 77(1996) 25-70.
1. 「視覚文化」の学際的なプロジェクトはもはや歴史(美術史や建築史,映画史がそうしていたように)ではなく,人類学に基礎をおいて編成されると言われている.それゆえ視覚文化は,社会=歴史的,記号論的要請や,「コンテキスト」と「テキスト」という概念モデルに依拠している「新しい美術史」に比べて,奇抜さをねらったもの(さらに,しばしば,敵対的なもの)と言う論者もいる.
2. 視覚文化は美術史家の初期世代―リーグルやヴァールブルクのような―の思考を促進した実践と同じ幅を採用し,美術史,建築史,映画史などさまざまな表現手段の歴史研究の方法へと立ち返る.こうした初期の知的可能性こそ,現在の諸研究の刷新に欠かせないものであるとも言われている.
3. 視覚研究が前提としているものは,物理的条件から切り離された視覚的存在としての「イメージ」であるが,それは学際的で古色めいた標題であり,新たに最発見された概念というべきもので,記号-交換と幻影的投影からなる仮想空間に再創造されたものだと指摘する者もある.さらに,もしこのイメージという新しいパラダイムが精神分析学とメディア論の言説の交差点から発展したものであるとしても,現在は特定のメディアから独立していると仮定されている.そうであれば,視覚研究は,ひかえめでアカデミックな方法によって,グローバル化した資本による次の時代のための研究対象を創出すべきである.
4. アカデミー内部での視覚文化的学際性を促す方向への圧力は,特に人類学的側面において,美術,建築,映画の実践面における[人類学的あり方への]シフトと並行しているとも指摘されている.
※蛸壺化→対象領域の拡大,初心に還れ,「イメージ」はすでに古い
参考リンク
SEGE Publications / Journal of Visual Culture
(5/25/05)
受容美学
"1970年代に文学研究で提唱され、80年代に美術研究へも導入された比較的新しい美学研究上の立場。読者(受容者)の解釈行為の中から作品の意味を考えていこうとするのがその趣旨であり、作者の意図に主眼を置く「生産美学」や、作品の成立基盤を重視する「叙述美学」に対置されることから「受容美学」の名で呼ばれるようになった。「受容美学」の概念的基盤となったのはH・G・ガダマーの作用史概念とされるが、実際にそれを定式化したのはH・R・ヤウスとイーザーを中心とする「コンスタンツ学派」である。ヤウスらは、作者も読者の1人として定位し、『挑発としての文学史』(轡田収訳、岩波現代文庫、 2001)において、作者・テクスト・受容者の3極構造を分析した。その際に、未だ解釈されていない作品の「期待の地平」が、この3極構造にどのような影響を及ぼすかを解明しようとしたのが「受容美学」の基本的な立場である。ここで主張された認識構造は、後にケンプが絵画の作品構造の分析へと適応した際にもそのまま引き継がれた。ケンプによれば、絵画の「受容美学」は、作品そのものが孕む観者(受容者)への指示と、受容者側の社会背景の分析によって成り立つという。(暮沢剛巳)"
出典:artscape / 受容美学
ハンス・ベルティング『中世におけるイメージと民衆』(1980)
※関心(=研究対象)の推移:芸術家→作品→精神→制度→文化全般→受け手