<絶対的明瞭性→相対的明瞭性>
《最後の晩餐》 1498年 ミラノ、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂 |
《キリストの哀悼》 1559年頃 ヴェネツィア、アカデミア絵画館 |
全ての登場人物は顔も手も はっきりと描かれる |
主人公たるキリストの顔上に 影がさすことで 却ってドラマ性が高められる |
多数の人物がいる歴史画で、すべての人々の手や足まで明瞭にされなければならないと、今だれも期待しないであろう。厳格なクラシック様式でさえそういう要請を出したことがない。ところが、レオナルドの《最後の晩餐》で二十六本の手―キリストと十二人の弟子がいるから―のうち「食卓の下に隠された」手が一本もないことは意味深いことである。
(ハインリヒ・ヴェルフリン 『美術史の基礎概念』、慶應義塾大学出版会 2000年、p.28 5) ティントレットの最高力作の一つである《キリストの哀悼》(図113)は、真に重要な意味で効果が二つのアクセントにまとめられている絵であるが、その効果は不明瞭なものの明瞭性という表現の原理に、いかに多くのものを負っていることか。これまで人々がすべての形を均等な明瞭性にもたらそうと努力したところで、ティントレットは奔放になり、陰りをつけ、見えにくくした。キリストの顔面に投影がかかる。それは彫刻的基底をまったく無視している。しかし、その代わりに、苦しみの印象のために計り知れない価値をもつように、額の一か所と顔面の下部の一か所に光をあてる。失神して倒れ込んだマリアの目は、どんな言葉を語るのであろうか。眼窩全体は大きな円い穴のように、ただ一つの暗黒をもって満たされている。このような効果を最初に思いついた人はコレッジオである。しかし、厳格なクラシック期の作家たちはたとえ陰影を表情豊かに扱ったとしても、形の明瞭さという限界をあえて踏み越えようとはしなかったのである。
(ハインリヒ・ヴェルフリン 『美術史の基礎概念』、慶應義塾大学出版会 2000年、p. 305)