日本の国際美術展(三)
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ


授業の目標

越後妻有アートトリエンナーレの独自性について考える。

国際美術展の形式の違いについて理解する。


1.離散型芸術祭


 「新潟県知事あいさつ」より

 “新潟県では時代のパラダイムシフトを見据えた広域地域づくりプロジェクト「ニューにいがた里創プラン」を県内6地域で進めています。その一つ十日町地域の里創プラン「越後妻有アートネックレス整備事業」は、地域に内在する様々な価値をアートを媒介として掘り起こし、その魅力を高め世界に発信しつつ自立へ向けた道筋を築いていこうというものであり、その中核となる事業「大地の芸術祭」が昨年の夏に開催されました。
 アートの力は、人々の想像力に働きかけ、営々と築いてきた日常に新しい光と未来を考えるヒントを与えてくれました。また、世界のアーチストと地域の人々との「協働」は、多くの感動の物語と自らの地域に対する誇りを与えてくれました。全国からの来訪者も優れた作品との出会いのみならず、山里のたたずまいの美しさや温かいもてなしの心にも触れていただいたことと思います。
 この事業は、前例のない地域づくりへの挑戦であったことから多くの課題や困難に直面しましたが、総合ディレクター始め関係者の大変な努力により達成することができました。また、「こへび隊」という若者を中心としたボランティア組織の活躍は目ざましく、世代や立場を越えた様々な協働や交流の原動力となり、地域づくりに多くの示唆を与えてくれました。
 次世代の地域づくりを目指し時間をかけて取り組んできた「里創プラン」、その一つが20世紀最後の年に「大地の芸術祭」として開花しました。新世紀を迎え、「心の豊かさ」が大切とされる中で、新たな時代へ大きな足跡を残したことと思います。今後の更なる飛躍を期待しております。”

平山征夫「発信の磁場として、更なる飛躍を」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、頁なし。

 「十日町市長あいさつ」より

 “新潟県の南部に位置する越後妻有6市町村(十日町、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町)は、広域で連携しあって世界最大規模の野外芸術の祭典『大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2000」を挙行いたしました。
 大地の芸術祭は、主目的としてアートの力を活かした交流人口の増大、越後妻有の全国発信、地域活性化を掲げましたが、16万人を超える来訪客をお迎えし、朝日新聞の社説をはじめ連日全国規模のマスコミで報道されるなど、かつてないほど地域の情報発信が図られました。特筆すべきは、首都圏を中心に結成されたサポート組織「こへび隊」800人の若い皆さんに、大きな志を抱きながら溌剌として当地域に関わっていただき、未来に繋がる交流の輪が芽生えたことです。
 日本初の試みであり、運営面など多々不手際もありましたが、この経験を踏まえて第2回・2003年はより充実した芸術祭によって多くの皆様をお迎えしたいと思います。
 事業を支えていただいた多くの方々に感謝申し上げ、記録集発刊のご挨拶とさせていただきます。”

本田欣二郎「21世紀の地域を拓く大地の芸術祭」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、頁なし。

新潟県知事と6市町村長

越後妻有マップ


2.大地の芸術祭

 2−1. 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006

1. 原広司+アトリエ・ファイ建築研究所「越後妻有交流館・キナーレ」 2003年

2. 「キナーレ」内 十日町トリエンナーレセンター

3. ジョアナ・ヴァスコンセロス(フランス/ポルトガル)《ボトルの中のメッセージ》 2006年

4. ナウィン・プロダクション有限会社[ナウィン・ラワンチャイクン](タイ)《こへび物語》 2006年

5. ゼロゼロエスエス[松岡武]《ヒゲ・プロジェクト》 2006年

6. レアンドロ・エルリッヒ(アルゼンチン)《妻有の家》(1)(2)(3) 2006年

7. リチャード・ウィルソン(イギリス)《日本に向けて北を定めよ(74°33’ 2””)》 2000年

8. 青木野枝《空の水―V》(1)(2) 2006年

9. クリス・マシューズ(イギリス)《中里かかしの庭》(1)(2) 2000年

10. 芝裕子《大地のグルグル》 2006年

11. 井手創太郎+高浜利也《小出の家》(1)(2) 2006年

12. クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン(フランス)《最後の教室》(1)(2)(3)(4)(5)(6) 2006年

 2−2.大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009

1. 武蔵野美術大学 水谷俊博研究室《アーチの森2009》 2009年

2. 杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミ《雪ノウチ》(1)(2) 2003-09年

3. やさしい美術プロジェクト《「やさしい家」と病院との連携プログラム》(1)(2)(3)(4) 2009年

4. 古巻和芳+夜間工房《繭の家―養蚕プロジェクト》(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7) 2006/09年

5. 蓬平/いけばなの家 2009年

6. 宇田川理翁「Weekend イベント」 2009年

7. 下田尚利《風の栖》 2009年

8. 大吉昌山 無題 2009年

9. 大塚理司《風を迎えに》 2009年

10. 豊福亮《松代(金)城》(1)(2)(3) 2009年

11. 深川資料館通り商店街協同組合+Qrr ART白濱万亀《かかしのこどもたち》(1)(2)(3) 2006/09年

12. 國安孝昌《棚守る竜神の塔》(1)(2) 2000/06年

13. 草間彌生《花咲ける妻有》 2003年

14. イリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》(1)(2)(3) 2000年

15. イリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》とまつだい雪国農耕文化センター「農舞台」


3.脱都会美術と循環型社会

 総合ディレクターの論文より

  問題は、国際的(ちょっとオーバーか?)にも外部の多ジャンル、多種多様の人々からは、新しい地域づくり、美術、ネットワーク、公共事業の可能性を高く評価されているのに、地元の一部の有識者の世界では極めて鋭い批判にさらされていることである。この落差は凄い。事業に関わった人は概ね面白がっているし、新しい地域づくりの可能性を感じているのに、議会では批判が多いのだ。1番多いのは地元の参加がない。2番目はアートは町おこしになじみがない。3番目はお金がかかりすぎる。4番目はアーティストの誰々にいくら払ったかわからないので情報公開せよ。その他ではシャトルバスは空気を乗せて走っているだけだ。という事などだ。
                        ……(中略)……
  まず、参加しにくいというけれど、百数十点全部とはいわないまでも、とにかく作品を見た人が住民の9割以上いるというのは、日本全国の市町村で言えば花火大会を抜かせば断トツのトップだった。作品づくり、ワークショップに参加した人は3000人ぐらいいて、これは全人口の約4%になるが、これだって驚異的な数字だ。
 次にアートは町おこしになじみはないのは当然で、はじめてのことはなじみがあるわけはない。アーティストの参加があったからこそ、地域の発見に寄与し、住民との交流を促し、来圏者を増やしたのではなかったか。さらにアートというなじみのないものによってこそ、これだけ喧喧諤諤[ママ]の批判と論争が起き、多くの人が行政の事業を 知ったのではなかったか、今そこにある地域のあり方を確認するのにこんなよい手法はあまりないのだ。
 お金がかかりすぎるということについて、それは一般予算のうち雪対策費が5%もいく地域にとって100万円が大切なことはわかる。しかし、たとえばある市町村を例にとってみよう。この自治体ではステージ事業で1020万円、大地の芸術祭では1392万円を3年間で負担している。芸術祭への負担のうちアート制作費分は726万円で、負担の総計は3年間で1746万円になる。ここに設置されている作家の作品は13点で、平均すれば一点134万円である。それぞれの作品がいくらかを公開せよということであるが、134万円では一人の外国人作家の渡航滞在費にしかならない。何度も 来ている作家もいれば、通訳アテンドもいる。実際にこれらの作品は合計すれば普通の価格でこの自治体だけで3億円ぐらいになってしまう。何故それが可能になったかをいえば、県が負担し(ソフト事業の6割を拠出)、企業の協賛や、住民の労働、地元業者の協力、そしてサポーターやアーティスト、専門家のほとんど無償ともいえる参加や、持ち出しのなかで行われたからである。その社会的発信のほかに、モデルとして注目されているので他の河川や道路の整備事業が入ってきているのだ。この予算での効果から言っては前例のない波及効果があったのにだ。地元にお金が落ちないとは言うけれど、業者たちも協力しているし、宿泊、観光、ガソリンスタンドの売上は多い、トイレの使 用量は平常の7倍というデータもでている。シャトルバスとかは確かに検討の余地はあるが最低限の公共交通を動かすことが外来の人に対するホスピタリティだとも思うし、その乗合の中から仲間ができ応援団が生まれてもいるのだ。
 反省やいたらなかったことはたくさんある。もっと地域の人が参加し、意見を言えるようにしなくれはならない。しかし、ここで進んだこと、あるいは多くの人が地域のファンになったことを忘れてはいけないと思う。

北川フラム「次は精神の火だ」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、17-19頁。

 寄稿論文より

全国どこの地域を訪ねても、「地域振興」「街おこし」が合い言葉だ。過疎が進んでいる地方になればなるほど、これは悲願にもにて悲壮感さえただよう。一方地域振興や地域の経済の発展を錦の御旗にしてきた「公共事業」が神通力を失ってきたことはだれの目にもはっきり見えてきた。無力化した、あるいは弊害にさえなってきた公共事業を、しかし、麻薬中毒のように止められず、しかもお題目だけの「地域振興」を唱え続けるのは、まさに20世紀という宗教の入滅を悲嘆する衆生のようなものだといえるかもしれない。
 この状況をどのように打破するのか。やめられない公共事業を「アート」事業に転用することで軟着陸を図ろうと いうのが今回の企画者たちの意図だった。その際「自然環境と里山の生活」を今回のアートプロジェクトの共通のテーマとして、地域の魅力を発掘し、その新たな開花をアートに託し、結果として地域を活性化するのが彼らの戦略だった。公共事業の転用に自然と生活の両方を提案したことが重要である。

加藤種男「記憶に残る体験が地域を動かす」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、66-67頁。

 同展アートアドバイザーによる寄稿論文より

 東京もまた他のアジアの首都と同様、ひびが入り爆発しつつあるようだ。雲がかすめ飛ぶ屋根、騒々しい通り、人々の群れの中にあって、この都市は人間生活の善と悪の両方を拡大し、いっそう強めている。都市の白昼夢は都市生活者に、汚染されていない広大な原っぱ、魚の泳ぐ澄んだ水のせせらぎ、鳥の鳴き声や蜜蜂の羽音、新鮮で清潔な無農薬の食べ物への郷愁を抱かせることになった。越後妻有への旅は日本の戦前の過去へと遡って行くような体験である。

アピナン・ポーサヤーナン「美術の旅が巡礼となるとき」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、180-183頁。

 「地球環境セミナー」参加者コメントより

 この芸術祭、大変魅力に富んだものだけれども、同時に大変矛盾をはらんだもののように私は思いました。21世紀に向けて、自然との関わり、環境問題との関わりを重視しているわけですが、同時にそれを運営していくためには、例えば車がないと成り立たない。まさしく離散型、分散型の芸術祭ですから。果たして車というのは、21世紀、我々にとって本当に欠かせない交通手段でありうるのかどうか、私は疑問を持っています。ですから自然にかえる、自然に包まれるといいながら、実は文明的な道具を使わないと成り立たないという意味で、この芸術祭はある種の矛盾をはらんでいるというのが私の感想です。

岡田幹治「離散型の可能性と課題」、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)、198頁。


4.まとめ

・越後妻有アートトリエンナーレの独自性

―自然との共生を目指す(=脱都会美術)

―分散型芸術祭

―里山の暮らしの発見

―現在から将来にかけての環境問題について考え直す機会

・国際美術展の形式の違い

―文化事業と公共事業

―国際交流と地域貢献

―招待制と公募制


過去の講義ノートへのリンク

特殊講義2009(後期) 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ