南米とアフリカの国際美術展(一)
サンパウロ・ビエナウ
◆授業の目標
国際美術展の教育効果について考える。
サンパウロ・ビエナウの歴史について理解する。
1. 第27回サンパウロ・ビエナウ(2006年)
基本情報 スライド
会場:シッシロ・マタラッツォ・ビエンナーレ・パヴィリオン
会期:2006年10月7日〜12月17日
テーマ:いかにしてともに生きるか
参加国数:51カ国・地域
出品作家数:118人(組)
総合監督=リゼッチ・ラニャード
・シッシロ・マタラッツォ・ビエンナーレ・パヴィリオン、(内部1)、(内部2)
設計者:オスカー・ニーマイヤー―ブラジルの建築家(1907- )
―イビラプエラ公園プロジェクト(サンパウロ市政400周年記念:1954年)
―展示面積:約3万平方メートル
シッシロ・マタラッツォ
―フラシスコ・マタラッソ・ソブリンホ(Francisco Matarazzo Sobrinho, 1898-1977)
―イタリア系ブラジル人
―サンパウロ・ビエナウの創設者(1951年)
2. 出品作品紹介
2-1. ジェーン・アレクサンダー(南アフリカ)《警護》 2006年、(部分1) 、(部分2)
2-2. メシャック・ガバ(ベナン)《甘さ》 2006年、(部分1)、(部分2)
2-3. トーマス・ヒルシュホルン(スイス)《ただちに復旧せよ》 2006年、(部分1) 、(部分2)、(部分3)、(部分4)、(部分5)、(部分6)、(部分7)
◆トーマス・ヒルシュホルン《ただちに復旧せよ》をめぐって
ドゥルーズ/ガタリ
―フランスの思想家。ジル・ドゥルーズ(1925-1995)とフェリックス・ガタリ(1930-1992)
―『千のプラトー』(A Thousand Plateaus)
―プラトー:高台
―邦訳書『千のプラトー―資本主義と分裂症』
ハンナ・アーレント
―ナチス・ドイツから亡命しアメリカ合衆国で活躍した政治学者
―『過去と未来の間に』( Entre o Passado e o Futuro )
そのほか、サルトル、デリダなど
2-4. 会場で車座になって説明を聴く学生たち
2-5. トマス・サラセーノ(アルゼンチン)《入道雲―空港都市》 2006年
3. サンパウロ・ビエナウの歴史
3-1. サンパウロ・ビエナウに見るブラジル美術史―加藤薫「サンパウロ・ビエンナーレ」、『現代ブラジル事典』(新評論、2005年)、294-295頁による
1950年代
―欧米前衛美術の展開に ブラジル現代美術を連続させるため、国内で展開されていた具象美術の作家を黙殺
1960年代
―1964年以降の軍事政権下で具象美術が復活
1970年代
―軍事政権下での表現に対する抑圧と、美術家たちの表現形態の多様化
1980年代
―美術家たちの海外流出
1990年代
―ブラジル美術の独自性、地域性の探究
2000年代
―サンパウロ・ビエナウの存在意義が争点化
3-2. 初期サンパウロ・ビエナウの歴史(Wikipedia より)
1951年(第1回展)※23カ国が参加
― 20世紀美術の様々な運動を紹介する企画展を併催
―ヴェネツィア・ビエンナーレ(1895年開始)に次ぐ1953年(第2回展) ※市政400年記念の前年
―ピカソ《ゲルニカ》を展示1957年(第4回展)
―シッシロ・マタラッツォ・パビリオンで開催1965年(第8回展)〜1973年(第12回展) ※軍事政権下での開催
―1969年の第10回展では、趣旨に賛同しない美術家がフランスで独自に展示
3-3. 第19回サンパウロ・ビエナウ(1987年)― 東野芳明「第19回サンパウロ・ビエンナーレへの参加」より
「前回のサンパウロ・ビエンナーレ展で特色として感じたことは、ヨーロッパやアメリカなど、現代美術の“先進国”偏重主義に陥っていないことだった。国別の展示をやめて、いくつかの傾向別に作品を展示する方法は、今後も継承されると思うが、それだけでなく、このビエンナーレが、現代美術の北大西洋主義―つまり、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリアなど、現代美術の流行の最先端が機構的にまた商業主義的に演出される一部の国々や地位の作家に重点がおかれる傾向―を逃れ、もっと第三世界の地域の作品を大量に展示していることは、注目していい。」
4. まとめ
・国際美術展の教育効果
―現代美術→政治を主題とする美術
―国際美術→国際政治
―国際政治情勢を視覚的に知る手段としての国際美術展
―教育機関との連携:クラス単位の見学ツアー
・サンパウロ・ビエナウの歴史
―国際社会への接続
―国内動向の軽視、黙殺
―国際交流/地域活性化
―国際美術展開催の意義の再考
―脱・北大西洋主義
◆過去の講義ノートへのリンク
二〇〇九年前期 <第八講> 事例研究(七)サンパウロ・ビエナウ
二〇〇七年前期 <第五講> 事例研究(二)第二十七回サンパウロ・ビエナウ