『新版 アートゲームス』
著者:若林直樹
タイトル:『新版 アートゲームス 現代美術を探偵する』
発行所:洋泉社
発行年:1993年(初版:1989年)
定価:2060円(本体:2000円)
読了:1994年頃?

p.iii
 私たちの時代の美術を正確に理解する、それは現代美術を理解せよと言っているのと同じに聞こえるかもしれない。ところが、クラシックな美術を語るにしろ最新の美術を語るにしろ、それが"美術芸術"という枠組みのなかでの議論であるかぎり、その枠が社会のなかでいったいどこにあるのかは語られないのだ。現代美術にしても、それはたしかに私たちと同時代に生きる作家たちを扱い、彼らの生き方や感じ方そして社会との関係を議論するけれど、いずれにせよ現代美術という枠組みの内側での解釈にすぎず、枠組みの外側にいる人々の日常生活との関係を解き明かそうとはしない。

p.8
 メディアに情報を送り込む制作者が、メディアの谷の向こうに住む別の種族になってしまってる。彼はもともとは谷のこちら側の大衆のひとりであったのに、今ではメディアのあちら側、送り手の側しか知らない種族になってしまったのだ。[……]なぜなら、情報の発信側へと谷を渡る人々は、誰に強制されたわけでもない、彼らは本人の意志でこの難事業に突進しているからである。これは意志と言うより野心である。この野心を持っていることが情報の発信側にまわるための必要条件なのだ。「業界人」とは、情報社会における野心家の別名なのである。

p.20-21
 彼は映画人だったが、決して映画を心の底から愛してはいなかっただろう。これは推測にすぎないが、映画を愛し、映画に憑かれ、映画に成功を求めた人々が悪戦苦闘のあげく失敗しハリウッドを去っていく後ろ姿をクーパーは何度となく目にしただろうからである。映画は悲劇の種でもあったのである。彼が愛し続けたのは業界人が成功するための冷静な戦略だけだったのだ。
 [……]
 誰も映画を作ってはいなかかった。ただ、映画を作らせるメディアの欲望があっただけなのである。

p.33-34
 このように見てくると、映画の歴史はモンタージュ理論やブレヒトの異化作用やゴダールの映画論にだけあったわけではないことがわかってくる。また、グレタ・ガルボやマリリン・モンローだけで語れるものでもない。表現史としての映像論でも、風俗史としての女優論でもない、映画というメディアをめぐる産業史が作品としての映画さえも変えてきたのである。もういい、表現史も風俗史もたくさんだ。メディアの産業史に首を突っこんだ私たちは、こう叫びたくなる。なぜなら、映画は映画作家が本気で作り、映画好きが真面目に見るだけのものではないことに、私たちはすでに気がついてしまったからなのである。
 スクリーンの向こう側からは、映画作家でもなく映画好きでもない人々がじっと観客席をうかがっているのである。彼らは株券と契約書を握りしめ、観客動員数に目を光らせているのだ。

p.37
 さて、私たちは現在まで産業などと下世話な呼ばれかたをしたことがない芸術としての美術の世界を、業界と呼んでみることにする。つまり、美術業界にも業界内だけで通用する略号、符丁があり、それらを支える特殊な理屈が存在することになる。そして、ついにもっとも恐れ多い疑問に達する。美術のメディアも、映画やテレビのメディアと同じように欲望するメディア、つまりその場かぎりのそろばん勘定で成り立っているメディアなのだろうか、という疑問である。

p.39
 美術史の上でリュエル一族の活動を見ていくうちに、私たちは不思議な事実に気がつく。それは、彼らが浮き沈みを繰り返しながらも、一八七〇年代から八〇年代を通じて頻繁に外国で展覧会をおこなっていることである。そして、そのたびに画家たちは新しいアトリエを手にいれたりするし、リュエル一族も新支店を開設したりする。

p.40
 ここで私たちは、メディアの作法にしたがって画商経営の一端を知る。作品は多少珍奇なものでもかまわない、花の都パリで今評判の印象派、そのようなセールス・トークが的を得たものであれば外国で売る方が簡単なのだ。

p.42-43
 さて、画商第一世代に要求されていたのは、並はずれた鑑識眼だったと言えるだろう。しかし、メディアを研究している私たちは別の見方をしていかなくてはならない。骨董品屋時代との最大の違い、それは画商と芸術家の関係なのだ。金と権力の駆け引きで動く世の中で、そんな俗な話題からほど遠い芸術家たちの理解者、ボヘミアンの友達、美の擁護者ヴォラール。もうただの商人ではない。こう考えれば法学生ヴォラールがエリートの道を捨てたのもわかる気がする。画商は一流の文化人なのだ。こうして画商と顧客の関係も変わってくる。[……]ヴォラールの横柄さは当時でも有名だった。気にくわなければ何時間だって客を待たせる。私が今あなたに売れる絵はこれしかない。いやならお引きとりを。このあたりだってちゃんと計算に入っているのだ。これが彼の新経営法、美術にくっつけた新時代の付加価値だった。このような付加価値こそが、画商の経営を成り立たせる余剰利益になるのである。

p.50
 財閥が二〇世紀美術最大のパトロンで、彼らの趣味に合うように二〇世紀美術は作られているのだとしたらどうだろうか。絵画や彫刻のような芸術は文化のお手本とさえされてきたし、美術評論家や美学者と呼ばれる人々が真面目くさって長い間研究をしてきたものでもあった。それなのに誰も、財閥による美術メディア支配の体系のことは語らなかったのだ。

p.53
 カーネギーはたしかに慈善のなかに老年を送った。それは地獄に墜ちることを恐怖した金持ち老人の悲喜劇でもあった。しかし、キリスト者カーネギーはやはり富豪のなかの特殊な例でしかない。他の金持ちたちは、罪悪感を多少は持っていたものの、カーネギーの行動から財産維持と社会的立場確保のための画期的なアイデアを発見していたのである。それは、財団という考え方だった。財団を設立し株券や債権の一部を譲渡する。自分と家族が理事におさまり、社会活動をする財団で働き、カネ儲けの鬼という批判をかわしながら財産を子孫に確実に引き渡していく。財産の所有者は財団だが、実質的な支配権は一族の手にある。神を恐れることなく財産の力で社会の頂点に立つことができるのである。

p.56
 二〇世紀に入る頃から、人々が財閥の経済界私物化を問題にしていたのは当然だった。一握りの上層と、残りほとんどの下層の間は広がる一方だったのだ。そこで、反財閥キャンペーンへの対抗措置としての財団を考えるなら、その手掛かりは簡単に発見できる。それは、一九〇二年に設立されたワシントン市カーネギー協会の理事に国務長官ジョン・ヘイが就任していることである。慈善は社会不安を押さえる国家施策でもあった。だから、財団は国家機関のひとつとして人々が公認せざるをえないような顔をしていたのだ。

p.59-60
 美術館は、偉大なヨーロッパ文明の後継者を育てる教育機関でなければならない。そこで、文化の進歩を説明するために不足している展示品をレプリカ、すなわち模造品で補わねばならないことも多かったのだ。そこで、館長モルガンの方針変更とは、このレプリカを廃棄しすべてをオリジナルにしようというものだったのである。
 [……]修道院にしてもピラミッドの石室にしても、文化発展の環境を知ろうというだけならレプリカで十分なはずだった。私たちが、博物館で模造の恐竜の骨を見るだけで、生物進化の歴史を知ることができるのと同じことである。オリジナル主義の採用は、美術館の性格に重大な変化を与えた。教育的展示は終わり、収集品展示場となるのである。
 [……]
 モルガンにとって美術館とは収集品展示場としか理解できなかったのだ。大英博物館に行ってもルーブルに行っても、そしてバチカンに行っても、彼はそんな目でしか見ることができなかった。なぜなら、投機と買収によって富を築いた人間には、美術品とは富の証明としか見えなかったはずだからである。所有欲、私たちはこのように呼んでみるとコレクターの心情が理解できる。彼の美術館とは教育の場ではない、世界中のオリジナルを収集できる力の展示場である。オリジナルをここで確保していけば必然的に美術品の市場価値はあがり、美術館の価値も高くなっていく。株投機屋兼美術館長モルガンはこう考えたのだった。

p.61-62
 メロンが前出の財団を設立するのが一九三〇年、その翌年三〇〇万ドル相当の絵画をこの財団に寄贈している。ところが、この財団は脱税用だったとして告発されたのである。寄贈された絵画は名義が変わっただけで彼の邸宅にずっと掛かっていたというのだ。その他にもかずかずの旧悪が暴かれようとしていた。ここでひとりの賢明な画商が現れる。メロンに絵を売った画商デュヴィーンである。彼は公聴会に召喚されるとこう陳述した。「メロン氏は以前からひそかに大規模な美術館計画を持っていた。財団はそのための用意で美術館は国家に寄贈されるだろう」。
 結局、この脱税事件はうやむやになってしまった。元財務長官と新政府がいったいどんな裏取り引きをしたのかはわからない。しかし、総額一億ドルにもおよぶこの美術館計画でもっともいい思いをしたのは、所蔵品購入に関わった画商デュヴィーンだったことだけはたしかである。メロンにとって、この幻の脱税事件は少々高いものについた。しかし悲観することもないだろう。人のよい美術史家たちは、今も彼に月桂樹の冠を捧げているからである。

p.71-72
 評論家やキューレーターは、美術館や個人コレクター、つまり財団や財閥の買い付け責任者でもある。[……]トレンド・セッターたちは、新聞や雑誌、後にはテレビを使って作家の業績を解説し理解をひろめようとする。しかし、それはトレンドとして選ばれた作品を賞賛することで、ひいてはパトロンたちの出費を正統化していくことなのである。つまり、表向きは作家、もしくはその作品の批評をしながら、実はパトロンの権威を盛り立てるのが隠された本当の仕事なのである。
 カネの動きは財団財閥、第一第二世代の画商、作家の順。付加価値の動きはその逆だった。これら三者の閉じられた経済活動の世界ができあがったのである。経済圏が閉じている以上、それ以外の人々、つまり大衆にこの業界の実態など知らせる必要はなかった。大衆はトレンドとして設定された崇高な芸術を指をくわえて見ていればいいのである。そこで、この世界は美術館、画廊をメディアとして自分たちに都合のよい情報だけを一方的に発信し続けることになる。一、芸術は高度な精神作用で近づきがたく崇高である。二、芸術活動援助は知的で清らかな人格の証拠である。三、才能も財力もなくこの世界に近づこうとするものは、特別な教育を受けた高度の学識を要求される。これがそのメッセージのすべてだった。

p.116-117
 ネズミのように素早く社会の裏道から飛び出してチャンスをつかみ、かすめ取らねばならない。そして、一度チャンスをつかんだなら以前はネズミだったなどと告白してはならないのだ。芸術家になるよう運命づけられていたのだと自分も他人も思いこませなければ職業が成り立たない。もちろん、そこまでいければいいのだが、チャンスをつかめずに途中でやめるとなると大変な勇気がいる。やめてしまえばただの普通の人になって人生をやり直さなければならないからだ。芸術家をやっているかぎり成功へのチャンスは残っている。ほんのわずかであっても。他の人々とは別の選ばれた人間なのだ。芸術家とはルーレットで一晩中同じ数字にはり続ける男のようなものである。もっとも恐ろしいのは、あきらめて台を離れたとたんにその数字が出ることなのだ。アッあんな絵なら俺だって描いていたんだ!

p.126
 死せるゴッホはスターだった。綿密に企画され計画的に誕生させられたスターだった。スター誕生の物語は、消費者には絵を所有する優越感と投機のうま味を、生産者には新製品開発の意欲と競争心を煽り立てていたのである。

p.138
 まず、画家は絵画表現の理論を打ち立て、その論理的整合性を証明する絵を制作する。ここまではセザンヌの言う通りである。ところが、この絵には彼の友人や家族も眉をひそめるのだ。しかし恐れてはいけない、彼の周囲に理解者がいないのなら、もっと多くの人々に見てもらえばいいのだ。[……]
 こうして、ついに顧客、すなわちコレクターが発見されたとしよう。たしかに顧客は画家の理解者ではある。しかし、わずか数人の、場合によってはたったひとりのコレクターの出現が画家の論理性を保証するのである。ここに非論理性がある。なぜなら、画家の絵、画家の論理を認めることができるのは、画家の絵を購入し画商の経費や利益もまかなえるような富裕な人間に限られてしまうからである。

p.139
 絵画の世界での論理性は、ビジネスになったとたんに非論理性となって絵画の世界に投げもどされる。美術理論の発展は、まったくランダムに認められた売れる絵を基準に、継ぎ足し継ぎ足し前進していくことになるからである。しかし、あんまりめちゃめちゃだと商売の先が読めないから画商は評論家にたのんで美術理論の闇カルテルでも結ばなければならなくなる。評論家の方だって、あんまりとんでもない理論が認められたのでは権威が保てないから市場動向など見ながら、いつもおよび腰で予防線を張っている。こうして状況はさらに悲劇的な様相を呈してくる。つまり、流通システムによる美術理論の操作が画家たちの暗黙の了解になってくるのだ。[……]こうして画家、画商、評論家の間で三すくみのような、そして甘えあいのような構造ができあがる。

p.152
 一九世紀の始めを例にとれば、北斎や広重の観光案内のような浮き世絵と、ダヴィッドのナポレオン宣伝用絵画のような絵画世界とはまったく違った社会機能を持っていただろうということは簡単にわかる。芸術にはそれぞれのジャンルがジャンルとして持っている社会機能があるのだ。[……]絵画の社会機能は文化によってまったく別のものにもなっているし、時代とともに移り変わっていくものなのである。

p.157
 大きな声では言えないが、この商品は投機にも使えるのである。なぜなら、現在はただ風変わりなだけの作品も、世の中の進歩の結果偉大な文化遺産となるはずだからだ。世の中は進歩するに決まっているのだから心配はいらない。もちろん、お客さんたちは芸術を買うために別の何かを節約しなければならないような人々ではない。そんな余裕のない人間が出入りしていたのでは、画商は命がいくつあってもたりないだろう。彼らは当てにならない予想屋なのだ。しかし、それを知っているのも彼ら自身だけなのである。また、先進的な国の芸術は遅れた国の人々に進むべき道を示してくれる教材でもある。後進国人よ絵画を理解したまえ。これは、未来のお得意さんの開発法である。このようにして、ひとたび絵画が進歩の味方だということになれば、文明の進路が進歩に固定されているかぎり、絵画の流通システムは無限に新製品を供給し続けられるはずだったのである。

p.182
 この方法を手っとりばやく実行するには、ちょっと自由な選考方式の公募展などをやればいい。よほど用心深いダダイストでないかぎり簡単におびきだされてくる。反抗心に燃えた作家たちが捻りだした新商品の見本市である。このなかから次代のトレンドを選びだす。注目された作家は反抗が成功したなどと思うかもしれない。なかなかのスキャンダル。しかし、それは新トレンド売出しのための余興にすぎないのである。事実、このようなスキャンダルが何回くりかえされても、ダダイストが叫んでいた反芸術が政治や経済に大きな変革を呼びおこすことなどなかったのだ。それは、これらの事件が起こっていたのだ一般の人々からは遠く離れた世界、つまり美術品の流通システムのなかにすぎなかったという証拠なのかもしれない。

p.201
 大芸術抜きの議論がしたい。「芸術とは何か」という議論に、いつも例として登場してくる常連芸術家は、大芸術の売れっこばかりではないか。芸術の話をしていたはずが、いつのまにか大芸術宣伝になっていたことはなかったか。利潤追求の美術品流通システムや利殖と名誉のための収集や成功目的の美術品制作のために文化を操作してきた美術の歴史を除いて議論したいのである。「もの作り」とは何かとは、「どこまでが芸術に属するのか」という議論なのである。このとき、芸術の範囲をあらかじめ決めておいて、手持ちの大芸術家や有名作品を引き合いにだされては困る。人間の創造的な作業がいったいどこまで広がっているのか、この時点ではわからないはずなのだから。

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