自己紹介



現状  山口大学 名誉教授
     山口大学 ・ 山口福祉文化大学 非常勤講師

      山口大学 PC-SOSセンター 相談員  


趣味 おいしい野菜をつくること

      300 平方メートル位の畑(庭先)に、常時、野菜があります。         


 

興味をもっていること これからの社会

               
雑談のページをご参照下さい。



好きな言葉: 学んで思わざれば即ち暗く、
       思うて学ばざれば即ち危うし
(孔子)

他人のまねだけでは独創的なことはできないし、自分の独善的な判断だけでは成功する確率が低い。何事かをなしとげるには、必要な知識の吸収と自らの思考・判断の両者が同時に並行して行われる必要がある。

よい教育とは、この両者のうちの「考える力」の養成により重点をおいたものではなかろうか。 

さらに、この言葉は、他人の助言に真摯に耳を傾けることと、納得した部分を謙虚に受け入れることの重要さをも指摘しているものと思う。



  彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず(孫子)

周囲の状況と自分の立場や能力を、主観的願望を交えずに、冷静かつ的確に分析できることは、目的遂行のための必要条件である。戦略と展望をもたない「夢」は、「虹」に過ぎない。


     空を飛ぶ鳥のように自由に生きる

私の若い頃(1960年代末)、若い者どうしのお別れ会などでは、「今日の日はさようなら」という森山良子のフォークソングを合唱して散会することがよくあった。

 この歌の歌詞に「空を飛ぶ鳥のように自由に生きる」という語句があった。この語句のところに来ると、前後の歌詞の意味とは無関係に、胸を締め付けられるような感慨を覚え、「自分もそのように生きたい」、「誰からも支配されたくない、そして誰も支配したくない」との思いを強く抱いたものであった。そして、その思いは今も変わらない。
 
ただ、そのような生き方ができるためには、そのための準備と努力が必要であろう。

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いつまでも絶えることなく友だちでいよう/ 明日の日を夢見て 希望の道を/

空を飛ぶ鳥のように自由に生きる
/ 今日の日はさようなら またあう日まで/

信じあうよろこびを大切にしよう/ 今日の日はさようなら またあう日まで/ またあう日まで

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       足るを知る者は富む(老子)

中学時代に教師から聞いた加齢とともに共感を増す言葉である。確かに、所与の状況に満足して生きることは、"充実した人生"の一つの形態といえる。

老子の思想としては、「小国寡民」にも共感を覚える。「国は小さく国民の数は少なくても、民は幸せでいられるのだ」という主張への共感は、戦前の日本が膨張を目指しながらも国民は必ずしも幸せとは言えなかった、との認識に由来するのであろう。



図書館と読書の思い出


新入生諸君、入学おめでとう。思い起こせば、数十年前、僕も希望と期待とに胸を膨らませて大学の門をくぐった。大学時代は、自分が老いるなどとは思いも及ばず、未来に無限の時間と可能性とがあるように思われた懐かしい時代である。

無為に過ごされた時問は、いかに長くとも、思い出としては一瞬に過ぎない。数十年を経た今日でも、胸を締めつける懐かしさで迫ってくるのは、何事かに熱中して過ごした青春時代の思い出である。なかでも、教養時代(1,2 年生の時期)と大学院生時代とが懐かしい。

60年安保闘争の高揚期であった教養時代は、熱に浮かされたように学生運動に明け暮れた。多くの時間を学生運動に取られたが、知識と勉学とにも飢えていた。その知識と勉学への飢えを、最も効率よく満たしてくれたのが図書館であった。貧しい時代の貧しい学生であった僕にとっては、本は買って読むものではなく図書館で読むものであった。教養時代の読書についての思い出をいくつか述べてみよう。

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青春時代の愛の悩みは激しく深い。「愛」は、どの時代の若者にとっても、最も関心の深い哲学的かつ現実的課題である。愛は幸福の根底にあるものである。誰しも愛されることを望む。そして、愛の喜びは愛されることにある、と思っている人も多いであろう。

しかし、
愛することも喜びである。例えそれが報われないように見えるもの(失恋、片思いなど)であっても。アントワネットは、クリストフヘの報われない愛のなかで、胸を締めつける甘美さを味わい不遇な状況にも耐えることができた。彼女の短い人生は、愛することでそれだけ豊かになった。R・ロランの「ジャン・クリストフ」は、愛すること自体が喜びであることを教えてくれた。

そして、愛をなくした後にも愛されることの不幸さにも思い到らせ、漠然と恋愛を美化して考えていた僕に、目からウロコが落ちる思いをさせたのは、B・コンスタンの「アドルフ」であった。

強い意志と不屈の闘志で運命と状況への挑戦を続ける人物にも魅せられた。僕にそれが欠けていたからであろう。第一次大戦前夜の絶望的な状況の中で、反戦運動に殉じたジャック・チボーの闘いは、学生運動での僕のエネルギー源でもあった。(M・ジュガール「チボー家の人々」)。貧しい境遇に生まれながら、誇り高く、精神的な貴族ともいうべきソレルにも魅せられた(M・スタンダール「赤と黒」)。巨大にして偉大な白鯨を、自己の生命のみならず他人の生命さえも犠牲にして追い求めるエイハブ船長の執念にも圧倒された(H・メルヴイル「白鯨」)。

人生のある時期だけで特に強く感銘を受ける本もある。芸術的価値はいざ知らず、青春期に甘美さと感傷と叙情を感じさせる「
青春小説」は確かにある。青春期に、各人の気分に合った青春小説を読まないのは、取り返しのつかない人生の損失といえよう。

僕にとっての青春小説は、G・サンド「愛の妖精」、J・ゴールズワージー「りんごの木」、T・シュトルム「みずうみ」、H・バルザック「谷間の百合」、E・ロスタン「シラノ・ド・べルジュラック」、H・ヘッセ「車輪の下」、夏目漱石「三四郎」などであった。

天才とは、経験から超越した存在であり、経験から学ぶことや訓練を必要としない人々であることを知り、自分とのあまりの違いに衝撃を受けたこともある。R・ラデイゲは、緻密な心理小説「ドルジェル伯の舞踏会」を、まだ人生経験が殆どない18歳で書いた。群論の基礎を築くなど近代数学の構築者の一人である不世出の天才E・ガロワは、16歳で数学を学び始めたが、最初の2日問でA・ルジャンドルの「幾何学原論」を読破した。幾何学の構造全体が把握され、定理を見ると瞬問的に証明方法がひらめいた。共和主義者となった彼は、放校、入獄の後、20歳の短い生涯を無名のまま終えた。(名声は死後数十年にして定まった。) つまらない女出入りによる決闘におもむく直前まで書き続けられていた論文の最後の余白には、「時間がない!」と書かれていた。僕は涙が流れて止まらなかった。(L・インフェルト「ガロアの生涯----神々の愛でし人)

未来のコースを変えた本もあった。C・ベルナールは血糖調節機構などを発見した偉大な生理学者である。彼の死後、彼の実験室にはいった彼の夫人は愕然とした。そこには彼の研究の犠牲になった動物のおびただしい遺骸があった。夫人は以後の生涯を動物実験の抑制を訴えることに捧げた。この伝記を読んで、僕は生き物を研究材料にする研究は好きになれないような気がした。そこで、予定していた医学部ではなく工学部に進学した。(教養から専門に移行するとき、進路変更が可能だった。)

院生時代は、ただただ研究のことだけを考え、研究だけに明け暮れた。それで楽しい時代であった。図書館で読むものも、専門誌と専門書だけに近かった。そして、「
目隠しされた情熱*をもった者だけが、学問を職業とする資格をもち、学問を進歩させ得る」(「職業としての学問」)というM・ウエーバーの学問観に全面的な共感を覚えた。     (後略)


*(他人にはつまらなく思われるようなことでも、極めて重大なことと考え、全力を傾けて研究する情熱)

       (「山口大学付属図書館報」(新入生特集号、1994,4)より)



なぜ化学者になったのか