データで見る社会の現状と未来(詳細)



「気楽に生きる」「好きなことだけをして生きる」ことの代償の増大

いま、「出世より趣味に生きたい」、「出世よりものんびり生きたい」、「好きなことだけをして生きたい」という若い人は多い。そういう生き方をするのも一つの選択であり、そのような選択自体が悪いとは言えない。しかし、そのような生き方をするために支払わなければならない代償、つまり犠牲にしなければならないものは、これからは、これまでよりもずっと大きなものになるかもしれない。

村上龍は、人生の成功者の定義として、「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人」という仮説を提唱している。この定義でも、生活費の確保は、必須条件とされていることを忘れてはならない。



 セイフティネット -------- 自己の能力向上こそベストなネット

バブル期までの日本の社会では、終身雇用制度と年功序列制度とが最大のセイフティネットだった。セイフティネットとは、綱渡りをする人の下に張る網のことである。あの網があるから、綱渡りをする人は、例え綱から落ちても大けがはしない。同様に、終身雇用制度があったから、不況になっても解雇されなかった。年功序列制度があったから、普通にやってさえいれば、年齢と共にポストも上がったし、給料も上がった。これらがあれば安心していられる。しかし、今や、世界的な競争の激化で、企業には、もはやそんなことをやれる余裕がなくなった。いま、これまでのセイフティネットがなくなりつつある。

では、今後のセイフティネットは何か。それは、
自分の能力を高めること、自分の競争力を高めること、例え解雇されても次の職場を見つけられる技能をもつことであろう。

 後で述べるように、企業は、新入社員の教育に時間をかけることを、引き合わないことと考えるようになってきている。だから、教育に手間のかかる人は企業から歓迎されない。企業が望むのは、短い時間で企業が望む分野のスペシャリストになれる人だ。諸君は、在学中に、その要請に応えられる準備をしなければならない。

求人倍率が高い職種
求人倍率が低い職種
職種
倍率
職種
倍率
営業(法人新規)
9.95
医療事務
0.05
管理職(営業)
7.09
商品開発
0.07
営業(個人新規)
5.31
商品企画
0.08
セールスエンジニア
4.75
管理職(サービス系)
0.10
業務
3.15
マーケティング
0.11
電気回路設計
3.04
家政婦・ホームヘルパー
0.18
機械設計
2.88
管理職(技術系)
0.18
CAD設計
1.89
CGデザイナー
0.18

 

 

研究開発(機械)
0.21

 

 

企画
0.22
日経 2001/7/20




 専業主婦 ―― ますます贅沢なものになる職業

「女子学生は真面目であるが、その真面目さと努力の程度が中途半端である」との意見もある。もし、その見解が正しいとすれば、それは、女性には「適当な職場がなければ専業主婦になってもよい」との意識があるからであろう。ここで、職業としての専業主婦業について考えてみよう。
近年、勤労者の賃金は低下傾向にある。特に非正規雇用者の収入は低い。今後は、現在並み、または親並の生活水準を維持するためには、共稼ぎをしなければならない世帯が大部分になっていくであろう。

今も、専業主婦願望をもつ女性の数は多い。あるアンケート調査によると、現在専業主婦である女性の 64 %が、専業主婦であることに満足している(2000)。この満足度は、他の職業でよりも高い。

しかし、現在でも、専業主婦の配偶者は、たいてい高収入の人だ。専業主婦業は、既に贅沢な職業であるといえる。しかし、これからは、収入の格差が大きくなるであろうし、収入の大幅な伸びが期待できる人の割合は低いであろうから、今後は、
専業主婦業はますます贅沢な職業になっていくであろう。

◎ 夫の所得(横軸)と妻の有業率(縦軸)との関係




 職業を考えるに当たって--------「夢」ではなく「目標」を

諸君は勉強のために大学に進学した。では、諸君は何を目的に勉強すべきだろうか。また、教員は何を目的に諸君を教育すべきだろうか。

僕は、君達に対する教育の第一の目的は、君達が社会人・職業人になった時に、肩身の狭い思いをしないで済むための準備をすることであろう、と考えている。多くの人は、一生のうちのかなりの時間を職場で過ごす。その職場で、肩身の狭い思いをするようでは、充実した人生とは言えない。

諸君の専門は、就職した時点でほぼ決まると考えた方がよいであろう。職業(専門)を決めることと結婚とは、人生の2大選択と言える。

諸君は自分の職業選択については、漠然と考えてはいけない。自分がなぜその職業を希望するのか、また希望していることはどれくらいの確率で実現しそうかなどを、突き詰めて考えるよう努力することが必要であろう。職業を考えるに当たっては、社会が求めているものと自分自身がもつ能力と好みとを客観的に分析することから始めるべきであろう。


職業は趣味とは違う。あることを趣味にするには、それを好きだというだけで十分だが、それを職業にするには、好きであることは、満たすべき条件の一部分に過ぎない。他に様々な条件がある。例えば、音楽や絵が好きな人は多い。しかし、音楽家や画家として、それだけで一生生活するには、1万人に1人の才能でも不十分であろう。

よく夢をもつべきだ、という。しかし、「夢」という言葉の語感は、あまりにも漠然としている。諸君がもつべきものは、
「夢」ではなくて、「目標」であろう。「目標」には、それを実現するための「戦略」がいる。諸君の場合には、「戦略」とは、諸君が生きる時代の特色を予測した上で、「何をどのように学ぶべきか」を考えて、それを実践することであろう。

多くの学生諸君は、就職活動で初めて社会の現実と向き合い、自分の能力向上の必要性と社会の厳しさを痛感するらしい。

求職活動ではライバルに勝たねばならない。どの競争も似た面をもつが、就職・職業活動においても、社会的需要が高く(求人数が多く)、ライバルの数が少なく、ライバルのレベルが低い分野ほど有利である。これも、希望職種を決めるときに、考えるべきことの一つであろう。

一般論としては、特定の職業分野を目指すのはよいとしても、ある狭い分野のことしかやりたくないと思うのは、リスクが大きい。在学中から
やってもよいと思う分野を複数もつべきである。




 フリーターの危険性 ------- 「自分の技術」をもてるか?
                 (付:留年のコスト)

いま、フリーターの数が急増しつつある。国が統計を取るときのフリーターの定義は「定職についていない35歳以下の人」である。35歳以上では、単に「失業者」として分類される。

フリーターが急増している原因として、就職難(15歳ー25歳の失業率は、平均失業率の約2倍)と共に、「無理して働かなくてもよい」などという若い人の意識の変化があげられている。フリーターには様々な危険性がある。
 
(1) 一定の技術を身に付けるには、数年(5年位)かかる場合が多い。短い周期で転職を繰り返すと、フリーターの定年(35才)までに、技術が身に付きにくい傾向がある。
「自分の技術」がないと、評価も低いし収入も少ない。

(2) 就職の際にも、フリーターであることが不利であることが多い。フリーターは、「やる気がない」「責任感がない」「能力が低い」「規則的な生活ができない」などと思われることが多いという。

(3) 35才を過ぎると、年齢的にも再就職も難しくなる。そのころまでフリーターをやっている人には、ずっと定職に付かない傾向があるという。若い時は伸びる能力が高い時期だし、若い時に身に付けた能力は長い間見返りを与えてくれる。その貴重な時期を有効に過ごさないことによる損失は大きい。

(4) UFJ総研によると、15-34歳の人の平均年収は、正社員では387万円、パートやアルバイト(フリーター)で105万円と約4倍の差がある。生涯賃金も2億千5百万円と5千2百万円と4倍の差があるという(2003)。また、フリーターの収入は、20代を頂点に、年齢が上がるほど減る
逆年功序列型である。若い独身のときは低賃金でもかまわないかもしれないが、結婚をして社会的責任が重くなると、低賃金は負担になる。
 
(5) フリーターはフリーターどうしで付き合うことが多いという。フリーター仲間の付き合いだけでは、相互に学べることが少なく、人脈も広がらない。そのようなことで、未来への展望を持てないフリーターも多いと言う。

フリーターには、「夢追求型」「モラトリアム型」「やむを得ず型」の3つの型があるという。フリーターはやるなら目的意識をもってやるべきである。

本来は、最も将来のことを考えなければならないのがフリーターである。フリーターは、5年後の自分の姿を考えておく必要がある。日本の社会では、1歳年をとるごとに選択肢が狭まっていくからである。とにかく、
フリーターは続ければ続けるほど、就職が難しくなり、抜け出せなくなるという。

ここで、ついでに、フリーターになることと共通する面もある留年することについても見てみよう。平均的に見れば、4年間大学で学ぶためには約1200万円かかる。国立大でも、授業1コマ1回当たりの授業料は3千円強だという。

1年留年すれば、生涯には1千万円以上の減収になるという(授業料+生活費+定年1年前の年間収入+(年金、退職金への影響))。アルバイトで月に10万円稼いでも、年間120万円に過ぎないから、アルバイトをしたために留年してしまうことなどは、経済的にみれば、論外である。

◎ 就職時のフリーターの評価




 「スペシャリストの時代」に必要な教育(1)
  ―― 大学での専門と就職先での専門との関連性の希薄化
    ―― 基礎的知識、幅広い知識の必要性


今は、「スペシャリストの時代」だと言われる。他人に負けない専門知識や専門技術をもったスペシャリストでないと評価が低い場合が多い。IT機器の発達は、事務職、特に補助的な事務職の需要を激減させた。

では、大学はスペシャリストを養成するための教育を行えるだろうか。諸君の先輩は多様な分野に就職している。その多様な就職先でも、スペシャリストとして行う仕事の内容はさらに多様である。それだけでなく、企業は、変化する社会の需要に合わせて、業務内容を変え続けなければ生き残れない。

いま、経営者が最も口にする言葉は「スピードと選択」だ。だから、企業が必要とするスペシャリストの種類と内容は、同じ企業であっても、時代と共にかなりの速さで変わっていく。特にIT革命が始まってからは、「ドッグイヤー」「マウスイヤー」と言われるほど変化が速まっていて、かつての7年間の変化が今の1年間の変化に相当するという。狭くて深い先端的な専門的知識は、すぐに使いものにならなくなってしまう。これからは、今まで以上に、基礎的で幅広い知識と能力とが求められる時代になると思われる。

その多様であって、しかも早い速度で変化していく専門分野に対応したスペシャリスト養成のための教育を、大学で行えるはずがないし、企業も必ずしもそのような教育を望んではいない。専門学校卒業生だけが歓迎されるわけではない。即戦力になりうると企業が考えているのは、転職してくる人の場合である。

大学新卒者として企業が望んでいるのは、入社してから短い時間で企業が望む分野のスペシャリストになれる能力をもった人である。そして、情勢の変化に対応して、自分の専門分野を変えていける人である。言い換えれば、必要とされる分野についての詳しい知識が今はなくても、基礎的な学力をもっていて、その分野の専門書を読めば、それを理解できる人と言ってもいい。

そのような能力をもつには、なるべく
基礎的なことを、幅広く勉強しておくことが望ましい、と僕は考えている。将来の仕事はスペシャリストとして行うことが望ましいが、大学教育の段階では、狭い分野を深く行う教育は効率が悪いし、リスクが高い。幅広い分野の職業に対応できるような教育の方が効率がいい。このことは、文系でも理系でも同じであろう。

諸君は、与えられた仕事にスペシャリストとして対応できなければ、低い評価しか得られない。
変化への適応力を生み出すものは、幅広い基礎学力と幅広い経験である。それに、幅広く学んでみないと、自分の本当の職業的適性は分からないであろう。

◎新卒採用時に重視する能力 (ディスコ(就職調査会社・2004))


                                                                               



 「スペシャリストの時代」に必要な教育(2)
            ―― 日本の教育制度の問題点


現在の失業の7割は、採用側の事情と求職側の希望のズレによるミスマッチ失業だという。「個性を伸ばす」という名目の下に行われている、好きな科目だけを履修すればよいという制度は、学生時代はよいとしても、長期的には、これから社会に出ていく若者たちの選択の幅を狭め、結果的には、若者を不幸にしている可能性がある。

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京大経済研究所が、複数の有名私立大文系学部の卒業生(40歳以下)を対象に調査したところ、数学や理科が得意だった人は、就職後の年収が高かった。

得意科目別に平均年収を比べると、「数学」が最も高くて、「理科」「英語」の順に下がっていた。ある科目が得意だった人と不得意だった人の年収差も同じ順序であった。

調査をした人は、「数学や理科は、問題を見つけ、解決する力を養う。共通一次試験が導入後、文系志望者が数学や理科を勉強しない傾向が強まり、そうした力が身に付きにくくなった。」とコメントしている。
(日経 02/5/29)

この統計結果は、
理系の科目で必要とされる能力が、文系の職業でも必要なことを示している。

文系卒の平均年収と年収差
(万円)
  得意な人 不得意な人
数学 737 644 93
理科 723 663 60
英語 694 652 42


 産業空洞化による先進国労働者の収入低下

大競争時代では、企業活動の国際化と先進国の産業空洞化とは必然だ。企業活動がグロ−バル化していくにつれて、他の国でもできるような仕事は、所得の低い途上国の人達との競争になるから、その点からも先進国の普通の労働者の賃金が下がるのは必然的だ。

その上、産業用ロボットやNC(数値制御)工作機械などのマイクロエレクトニクス技術の発達によって、世界中どこで作っても同じ精度の製品が作れるようになった。もはや、規格品を大量に作る商品では、日本での生産は、コストの安い途上国に勝てなくなった。その結果、日本でも製造業の空洞化が進み、日本企業があげている利益額も、国内生産と海外生産とで、ほぼ等しくなっている。

しかし、先端的な商品を作るには、高い研究レベルと高い技術水準が必要だ。それができるほどの技術力を持つ企業なら、従業員の賃金が高くても、収益を挙げられる。技術的にトップ・ランナ−としての地位を維持できれば、日本での操業でもやっていける。

日本の技術レベルはアメリカに次いで世界第二位だ。だから、必ずしも日本の製造業の企業としての前途を悲観的にみる必要はない。しかし、前途を楽観できるとは限らない。

そこで求められているのが日本の産業の質の転換だ。規格品大量生産型から、知識集約型産業への質の転換であり、その努力は、それなりに実を結びつつある。



 産業の質の転換―― 個人の才能が重きをなす産業の台頭――
  「知価社会」で求められるもの:「考える力」「提案する力」

前にも述べたように、もはや安くて良い製品を日本でつくることでは、日本は、コストの安い途上国に勝てなくなった。日本で、一般労働者の賃金が下がる速さにも限界がある。そこで求められているのが日本の産業の質の転換だ。

これまでの日本では、管理職や指導者はそれほど有能である必要はなかった。勤勉な労働者がいれば、それでよかった。しかし、これからは、少数の圧倒的な才能をもつものが、様々な分野の専門家たちを指揮して利潤をあげる産業が重きをなす社会に変わっていくように思われる。そのような業種では、企業の利潤が、圧倒的な才能をもつ人を雇えるかどうかに依存する確率が高い。このことは、IT産業、映画産業、ゲームソフト産業の現場で、指導的立場にある人たちののことを考えてみると分かる。

このような産業では、企業は高い報酬を払ってでも必要な人を求めるし、人もまたよりよい待遇を求めて企業を変える。当然、努力と才能の差によって収入の差が大きくなる。つまり、個人の才能に大きく依存するような産業では、雇用の流動性と所得格差が大きくなりやすい。

このような傾向は、これから比重が高まるであろう第三次産業において特にはっきりしている。例えば、情報・通信産業などがその典型例である。第三次産業においては、競争力を左右するものは、比較的少数の人材だからである。

従って、従業員に対しても、「考える力」「提案する力」などを求める企業が増えていくと思われる。このことを、堺屋太一は、「知価社会が到来しつつある」と表現した。

       ◎ 求人の平均上限年齢(日本労働研究機構、2000)

企画、広報、編集 32.4歳  ___  一般事務、受付、秘書 34.2歳
SEなどのソフト技術者 35.0   財務、経理担当者 37.2
研究開発などの技術者 38.6   営業職 38.8
総務、人事労働、教育 39.3   保健,医療、介護サービス 42.5
生産現場の技能職、製造職 42.8   接客サービス 43.5
建設、土木職 44.7   運転手 52.4
清掃、雑務職 58.2   警備、保全、守衛職 58.6

10 おわりに ―― 「真面目さ」と価値観の多様性

学生時代、特に高校生時代までは、「おまえは真面目だからなあ」と友達から言われることは、「軽蔑」や「からかい」と感じられることが多いという。

しかし、いったん社会に出ると、周囲の全ての人から「真面目であること」を求められる。職場では、上役からは勿論だが、同僚や部下からも真面目であることを期待される。家庭でも、親、配偶者からは勿論、恋人からも真面目であることを期待される。「俺は不真面目な人間だ」などと言おうものなら、子供からさえも非難されるであろう。(君達も、ご両親が不真面目な人だったら、大学には進学できなかっただろう。)運命共同体では、共同体構成員が真面目でないことは、共同体全体を危機に陥れる。

この真面目さへの、学生と社会人とでの大きな落差は何に由来するのか。それは、誰でも真面目一筋であることにためらいを持つが、真面目さこそが望ましい社会に不可欠な要素だからであろう。とにかく、若い時は、学ぶ能力や適応力が高い時期なのだから、真面目であることに恥じることなく、有為に過ごしてもらいたい。

話は変わるが、諸君が生きるこれからの社会は、これまでに話したように、厳しい競争社会であろうと予測される。そのような社会に生きるに際しては、時には疲れを感じることもあろう。もし、「疲れた」と感じたときには、自分と他人とを比較すること、特に身近な人と比較することを止めてみたらどうだろうか。競争から1歩退いてみることや、競争の視点を遠くの人や抽象的なものに置くことによって、心のやすらぎが得られることもあろう。

あるときは非常に重要なように思われることも、後で考えてみるとつまらなく思えることは多い。昨年の自殺者数は約3万5千人であり、交通事故での死亡者の4倍程度だったという。その自殺の原因も、客観的に見れば、「死ぬほどのことではなかったのでは」とか「それほど気にしなくてもよいことなのに」と思われるようなものが多い。

自殺者のうちの1/3、約1万人が経済的要因によって自殺したという。しかし、今は、貧しくて餓死するような時代ではない。人生観、例えば、貧しい物質生活にも耐えられるとか他人の評価を気にしないといったことと一体で考えれば、生き方と職業選択の幅は広いとも言える。

しかも、価値観の多様化は、これからの社会の特色の一つである。有名な幸福論に、チルチルという少年というミチル少女が幸せの青い鳥を探し求めるという戯曲、「青い鳥」がある。その著者のメーテルリンクは、「幸福を探し求めるのは一種の病気である」とさえ述べている。幸福にも、はっきりした定義などないということであろう。

諸君には、自分に適した価値観をもち、それに忠実にたくましく生きることを望みたい。



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この絵はパソコンを使って描いたものです。(ソフト: Photoshop  Ver. 6.0)